第2話
「義姉上、行ってまいります」
「すみませんね、銀次郎さん。
毎日助かります」
「いえ、いえ。
当然の事です」
銀次郎は夜が明ける前に、義姉に送られて屋敷を出た。
手に持つは家伝の槍。
背負うは大きな魚籠。
槍一筋の山岡家の部屋住みとして、若年で家督を継いだ甥のために、銀次郎ができる精一杯の事だった。
極貧の二百石旗本山岡家では、毎朝銀次郎が獲る魚が大切だった。
命の糧とまではいわないが、代々積み重なった札差への借金のため、多くの貧乏旗本が月に数度しか魚肉を食べられない時代に、毎食魚が食べられるのは、銀次郎が槍を振るって魚を獲っているからだった。
普通は旗本が生活のために魚を獲るなど恥でしかない。
幕府に知られれば、最悪お家取り潰しになるほどの恥だった。
だからどの家も、網で魚を獲る事はできなかった。
隠居や部屋住みの手慰みという体裁で、釣りをして魚を獲っていた。
一方銀次郎は、家伝の槍術、清心流槍術の鍛錬という体裁で獲っていた。
だがそのため、獲った魚を船宿や料亭に売る事はできなかった。
「大変だ、山岡の旦那!
殺しだ、殺し。
柳原の土手で辻斬りがでた!」
慌てて銀次郎を呼びに来たのは、岡っ引き房総の笹次郎だった。
笹次郎は南町奉行の定町廻り同心、柳川廉太郎寅正の小者という体裁で、御上の御用を勤めている。
だが岡っ引きは、時の幕閣によっては度々禁令が出される、使い方次第で善にも悪にもなる劇薬のような存在だった。
そして廉太郎は度々銀次郎の御用の手伝いを頼んできた。
銀次郎の知恵と槍術を頼みにしている事もあるが、部屋住みの銀次郎に、礼金という体裁で小遣いを渡そうという友情でもあった。
そう、廉太郎と銀次郎は幼馴染であり、同じ剣道場に通った剣友でもあった。
銀次郎は本当に難しい立場だった。
これからの将来の事を考えれば、直ぐにでも山岡家を出て、生活の道を探さなければいけない状態だった。
兄に何かあった時のために家に残されたが、兄に子供ができた。
だが幼くして亡くなる子供が多いので、直ぐに家を出るわけにはいかなかった。
兄に長女・孝子、次男・伊之助が生まれ、ようやく部屋住みの境遇から解放されるという時に、兄が労咳で寝込むようになり、家伝の槍術を兄の息子達に伝えるのは銀次郎しかいなかった。
兄が長く患った後に亡くなり、兄の長男・精一郎が跡を継いで妻を娶り、ようやく解放されるかに見えた時には、亡兄の治療に使った医薬代で借財が膨れ上がり、銀次郎が獲る魚がなければ、その日の食事に事欠く状態になっていた。
「分かった。
丁度魚が魚籠一杯になったところだ。
一度家に持ち帰って自身番に行こう」
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