ぼっちに短し陽キャに長し

よだか

第1話 斯くして少女はぼっちになった

 今までの人生でつまずいたことのない人はいないだろうし、もしなかったとしてもいずれはあるだろうし、つまりつまずくのは人生につきものだからそれ自体は珍しいことでもないし、たいていはつまずいても何とかなるけれど、つまずき方が悪いと大怪我したりして元の生活に戻れなくなることもある。霧生(きりゅう)藍(あい)がまさにそれで、しかも彼女は石ころにつまずいたあと白いバンに轢き殺されてしまったからもうどうにもならなかった。

 バンを運転していたのは当時十六歳の諸星浩平。運転してたのは苦しい家計を支えるためとか妹の病気を治す治療費を稼ぐためとかじゃなく、ただ一回運転してみたかったってだけの理由で、当然無免許だったし信号無視もしていたしなんならスピード違反もしていたし、おまけに轢いたあとにその場から逃げて証拠隠滅しようとしていたから、藍の一人娘の霧生(きりゅう)青(あお)は当然厳罰を望んだし、この世に存在するすべての苦痛を味わってほしかったし、早く死んでほしいと思った。どこからか話を聞きつけてきて「もし仮に犯人が死刑になっても、亡くなったお母さんは生き返らないよ」とか余計なことを言ってくるやつもいてそいつも早く死んでほしかったけど、もちろん現実はそうはならないし、結果から言えば諸星浩平がまともに処罰されることもなかった。

 事件の重さに鑑みて成人と同じように裁判が開かれた結果、下った判決は、加害少年の長期間の保護処分(保護観察or少年院行きor児童自立支援施設行き)。死刑には当然ならなかったし、懲役刑とか禁固刑にすらならなかったし、罰金もなかった。

 裁判長の言い分は大きく分けて二つあって、ひとつは『自動車運転経験のまったくない被告人が、自身の運転技能の未熟さを認識しながらも安易な動機から運転を継続したのは危険かつ悪質と言える。しかし他方で自動車を運転してみたいという目的自体は反社会的なものではなく、また被告人は交通法規を軽視し無免許運転をしていたとはいえ、他人を殺傷するなどの悪意は無く、自動車を制御しようと試みていたものの、運転中に冷静な操作ができなくなった結果、人身事故を引き起こし、本件犯行に至ったと言える。このような事情からすれば、本件犯行は、故意の犯罪行為により被害者を死亡させた罪の事件の中では反社会性が強いとは評価できない』。

 もうひとつは『被告人は本件犯行当時16歳9か月と低年齢であること、動機の安易さや犯行前後の行動も被告人の低年齢ゆえの未熟さのあらわれとも言えること、遺族に対し不十分ながらも謝罪の気持ちを述べていることなどを勘案(かんあん)すれば、本件は保護処分が許される特段の事情が存在し、保護許容性が肯定できる。そして、保護処分により被告人の更生が期待でき、保護可能性があることは明らかである』。

 青は納得できるわけもなく裁判が終わってすぐ担当検事に抗議に行ってたっぷり3時間は控訴するようまくしたてたけど、返ってきたのは「確実に罪が重くなる証拠がないと控訴できない」とかいうふざけた答えで、青は家に帰って裁判をやり直す方法を調べまくった。でも結局わかったのは日本の法律では刑事裁判で上訴する権利を持っているのは加害者と検察だけってことで、つまり何もできないってことだった。

 青はお母さんを殺した諸星が憎くて、判決を下した裁判官が憎くて、控訴しない検事が憎くて、諸星を弁護した弁護士が憎くて、こういう決まりを作った人間が憎くて、作り上げられた社会のシステムが憎くて、システムの中で暮らすそこらじゅうの誰もかれもが憎くて、憎くて憎くて憎くて、世界のなにもかもが憎くて、でも何もできなくて、時間がたつにつれて何もやる気も起きなくなって、家に引きこもるようになった。

 学校には行かなくなって、最初の2、3か月はよく友達から「大丈夫?」とか「元気出して」とか連絡が来ていたけどうざくて無視していたらそのうち来なくなった。一人になりたかったからそれでよかったし、清々した。習っていたピアノとバレエもやめた。もともとお母さんに褒められるのがうれしくてやってて、だんだんやってるの自体が楽しいような気分になって続けていたけど、でもやっぱりそれは単なる気のせいで、お母さんが死んだら続けようって気はこれっぽっちも湧いてこなかった。

 学校に行かなくなって半年くらいすると、「そろそろ学校に行け」とかお父さんの小言が増え始めて、青もそれを素直に聞く気になれなくて無視してたら、もともと仲が良かったわけでもないけどさらにギクシャクしてしまって会話がどんどん少なくなって、青はお父さんを避けるようになった。霧生家は今後十代にわたってまったく働かなくても全然余裕なくらい金持ちで、なんなら何もしなくても勝手に資産が増えていくぐらいで、それに比例するように住んでる家もアホみたいにでかいから会わないようにするのは簡単だったし、しかもお父さんも時価総額三十兆円の企業グループの総帥としてめちゃくちゃ忙しくしていたからそもそも家にいない時間がかなり多くて、青は家の中でも基本的にずっと孤独だった。

 青は部屋に閉じこもって、ひとり、こう考えた。

 何よりショックだったのは、お母さんを殺したやつが大した罰を受けなかったことだけど、同じくらいショックだったのはそれがおそらく正しいことだということ。正直言って、諸星浩平にどれくらいの罰を与えるのが社会的に正しいのかなんて私にはわからないけど、それなりの試験とかを受けて経験もあって正義感もあるであろう裁判長とか検事とか弁護士とかがこぞってあれが正しいと言うなら、きっとあれは正しいことなのだ。そう、正しいことなんだ……。

 そんな生活も、冬が終わって春が来て夏が来て秋が来てまた冬が来るくらい時間が経つと終わりが来て、お父さんが無理やり学校に行かせようとするようになり、青は抵抗するのもめんどくさいので学校に通うようになった。けど学校に行ってもすでに学年もクラスも変わってて、昔の友達は青を無視するようになってて、また新しい友達を作る気にも勉強とか部活とかをがんばる気にもなれず、青はずっと心を閉ざしたままひとりで行動するようになる。

 こうしてひとりのぼっちがこの世に誕生したというわけである。

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