季節の欠片
篠岡遼佳
季節の欠片
突然、放課後に仕事を頼まれた。
体育館にある、パイプ椅子の数を数える仕事だ。
そのくらいひとりでできますよ、と言おうとしたのだが、その前に、相手が「手伝うよ」と言ってくれていた。相変わらず、優しい人だ。
真っ暗な体育館の倉庫に着くと、相手は電気のスイッチを入れた。
カチ。カチカチ。
だが、電気がつかない。
「おや、つかない」
「あの、懐中電灯程度でいいなら、光を呼べますけど……?」
さっと私が指を振ると、どこからともなく、まあるいオレンジの光が三つ四つやってきた。足下と手元を照らすくらいなら、これでいいだろう。
「ありがと。呪文なしで呼べるのは、さすがだね」
相手はそう言って、私に微笑む。
私は相手のそういう所が、うれしいようで、でも。
つい、そっぽを向いてしまった。
私は、この学校では異端だ。
なにしろ無能。さらに言えば、ほとんど無能力。
空の瓶のように、何もない。
金髪と碧い目だけは、いにしえの「
それでも、私は「来訪者」たちの役に立ちたくて、この学校に入った。
もしも適性があるなら、困っている人の役に立ちたかったのだ。
私の家族も、そうやって助けられているから。
面接の時の私の言葉に、その教師は明るい翠の目を細めて微笑んだ。
「自分を空き瓶と言うのだね……それならば、瓶を満たせばいい。
経験を積みなさい。知識を吸収しなさい。そして、ある能力ならばそれを伸ばしなさい。強みがないなら、作ればいい。それができるのが、この学校だよ」
その言葉の通り、私は経験を積み、知識を貪欲に吸収した。
魔法のように呪文を唱えなくても、それなりのことができるらしいことがわかったのは、専門の先生についてからだった。
それを見ていて、いつも声をかけてくれて、微笑んでくれるのは、いま隣に居る相手だった。
……先生だった。
「何個必要なんだっけ?」彼が尋ねる。
「資料によると……来賓5、在校生138、卒業生57、といったところですね」私は答える。
「じゃあ、これだけあれば安心だよね……」
倉庫の一画は、パイプ椅子が整然とかなりの量で並んでいた。
ぱっと見て、
「数える必要ないじゃないですか!」
一応つっこむと、
「うーん、僕もおかしいと思ったんだよね、なんだったんだろう……?」
小首をかしげるのは、彼の癖だ。
私はそれからも視線をそらして、とりあえず思いついたことを言う。
「でも、電気がつかないことはわかりましたから、庶務のおじさんに頼みましょう。ついでに、ほかの所も電気が付くか回ってみますか」
「そうだね、そうしよう。準備は大切だ」
そして、二人で、体育館を回った。
もうすぐ春が来るのに、空間が広いからか、ちょっと寒い。
放課後の光が、まっすぐに床へシルエットを落としている。
舞台の照明、放送室、それぞれの倉庫、お手洗い。
どこも、きちんと電気が付いた。よかった。手元のノートにチェックを入れる。
「寒くないかい? マフラーしてても寒そうだよ」
彼はそう言って、自然な仕草で私の髪を撫でた。
「大丈夫ですよ。平気です」
今日は、彼に何か言われると、視線が下がってしまう。
自分でもわからない振りをしようとしたけど、そんなの自分で許せない。
私はすごくわがままで、素直じゃない。
ぶんぶん、頭を振る。胸がつかえる。
たまらなくて、息をついてから、見上げた。
彼は、先生は、私に可能性を示してくれた人は、私と視線を合わせて、瞬いた。
関係性は移り変わった。季節が巡るごとに。
私と先生は、誰も居ないところで手を繋ぐような仲になっていた。
きっかけは覚えてない。
委員長ばかりやっていたからだろうか、先生たちからお使いをたくさんやらせてもらったからだろうか、それとも、手のかかる生徒だから?
季節が巡るように、私と先生は日々を過ごし、その流れにあらがえない。
冬があたためあう季節なら。
春は、別れの季節だ。
パイプ椅子を数えるのは、卒業式が近いから。
私は、送られる立場だった。
『空っぽの瓶。それなら君は可能性の塊なんだよ。自分の心と体を大事に、この学校で学びなさい』
そう言ってくれたのは、先生でしたね。
その言葉がどれだけ心強かったか。
ねえ、先生、私は、私はね。
「せんせい」
「どうしたの」
優しすぎる声。
私は、両手で彼のシャツをつかんだ。
「どこにも行きたくない」
「…………」
「せんせいと居たい」
「うん……」
「好きなんです、大好き、ずっと、ごめんなさい、困らせて、わがままで」
「困ってないよ」
「ごめんなさい…………」
だから、たった二人で居る今だから、ちゃんと私は言わなければいけない。
言わなきゃいけない台詞は、「大好き」じゃない。
別れの言葉を、ちゃんと、ちゃんと――。
と、彼が私の両手を取った。指を組むように。
翠の目が微笑む。
「ねえ、聞いてくれる?」
「……?」
「僕は、困ってなんかいないよ」
ふっと頬にくちづけされて、自分が泣いていることに気がついた。
「君がどこに居ても、僕は君を思う。
地球の裏側でも、どんなに遠くても、僕たちはきっと一緒に居られる」
彼が私を抱きしめた。髪を何度も撫で、
「そうさせてもらえないだろうか。
これから、ずっと、未来まで」
「――――」
頷くだけで精一杯だった。
ああ、私たちが過ごしてきた季節は、嘘じゃなかった。
春も、夏も、秋も、冬も。
これから来る季節も。
私は彼の首に手を回し、いつものように、キスをねだる。
空っぽの私を埋めるのは、一人ではできない、思い合う季節の欠片だった。
季節の欠片 篠岡遼佳 @haruyoshi_shinooka
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