街中での刀工と騎士・後編

「ミシュアさん、一応、ここから離れよう」


 ミシュアはそう言った彼の背中を見つめて、ただただ手を引かれていく。

 誰かに手を引かれるのは……幼い頃、以来だと不意に思った。それを忘れてしまうほどに、人を率いる騎士団長としての時間が長かったのだとも、思い知った。


(たまには……いいよね)


 胸に湧き上がった、良く分からない、見知らぬ感情。それを抱き締めるように、彼の手を少し強く握った。彼も応えるように、少し強く握ってくれた。

 ただただ、彼の背中を見つめて歩いていく。


 そのまま話さなかった――それが不思議と心地良かった。

 誰にも見つからないように、互いに顔を伏せた――誰にも邪魔されたくなかった。

 今だけは、誰にも邪魔されず……ただ、彼だけを感じていたかった。

 彼もそう思っていてくれている……彼の手から伝わるあたたかさが、そう伝えてきた。


(……、このままがいいな――ずっと、このまま……)


 行き先を彼に任せて歩いていくのが、何だか、不思議なほど嬉しかった。このまま、ずっと……何処かへ、ずっとずっと遠い所まで歩いて行ってしまいたかった。


 ただ、そう思えば思うほどに腰の剣が、彼の剣の鍔鳴りが耳に酷く響いていた。


 どのぐらい……歩いていたか。

 いつの間にか――彼が人通りの多いところを避けていってくれたのだろう――少し高価な店が建ち並ぶ通りに辿り着いていた。著名人や有名人などの位の高い人々が多く行き交うのを見慣れているからか、ミシュア達を見ても騒ぎにはならなかった。

「ここなら、大丈夫そうだね、ミシュアさん」

 振り向いた彼は息をついて、微笑んだ。

「え、ええ……」

 何故だか、息が上手く吸えなかった。戦闘の時のように少し強めに息を吐いて、息と心を整える。と、彼に言わねばならないことを思い出す。


「あぁ、ごめんなさい、わたし……」

「え? なに? どうしたの?」

「いえ、あの……わたし、さっき何も出来なくて……いえ、それ以前に、普通に街中に居たら、ああなるって分かってたのに……」

「いやいや~しょうがないよ。それに、僕も意外だっただけど、話したら分かってくれたしね」

「そう……だったね。わたしも、意外だったけど」

「うん、身分評議会のことでも思ったけど、わりと思ったこと話すって大事だねーもしかしたら思ってるよりも分かってくれる人、多いみたいだね~」

 彼も似たようなことを思い返していたのだと分かって。

(同じ経験をしたのに、わたしは……)

 内心で反省してしまっていると、彼は続けていた。

「うん。意外なのは、あんなにみんなに笑うとは思わなかったなーや、意外続きだけど、みんなが笑ってくれるって嬉しいもんだね~」

「え……ふふ、ええ。何だか、面白かった……あの時のギレイさん」


「そう? そっかー考えたことなかったけど、僕は大道芸人とかもやれるのかなー」


「……え? それはどういう……?」

 言いながら、ミシュアはギレイの顔を見つめた。一瞬だけ伏せた彼の目に見つけられたのは、ほんの少しの暗い陰。

(もしかして……)

 彼はもしかしたら、刀工を始めたことを悔いているのかもしれない。

 不意に、ミシュアは彼の陰が差した顔に、そう感じて。

(なら、わたしの剣は……どうなるの?)

 急に見捨てられたかのような心地さえして、口を開きかける。でも、聞けない。聞いてしまったら、言って欲しくない答えを貰いそうで硬く口を閉じる。


「ん? え? どうしたの、ミシュアさん?」

「……いえ、なんでもない」

「そっか……あ、ていうか、食べようか、コレ」

 手に持ってた串を、彼がぱくついた。ほおばる。その様が小動物的で何か可愛かった。思わず、ミシュアは笑ってしまう。

 笑ったからだろう、さっき思ってしまったことはきっと。

(きっと、勘違いだ……ギレイさんは剣、作るの好きだもの)

 工房に籠もるギレイを思い返しながら、自分も彼のように、串を口へと運ぶ。少し冷めてしまっているけど、歯ごたえと好い加減の塩味。浮かべていた笑みが深まるのを感じる。

「良いね、コレ」という彼と似たような感想を頷き合って分かち合う。

 と、視界に入ってくるのは、通りを行き交う馬車……その一台で、眉を潜める貴婦人。

 確かに、この通りでは不作法なのかもしれないとは、ミシュアは思った。

 だけど。

(いいよね……何かあったら、ギレイさんに任せれば)

 話せば分かってくれる人が、彼に言わせれば居るのだ。

 もっと言えば、彼が言ったなら、分かってくれる人が居るのだろう。

(いいよね……それで。ええ、今はギレイさんの言うことだけを信じて、いい)

 思うと、何故だが、視野が広がった。

 目に見えるものが増え、かつ、はっきりと見えるようになっていた。

 この通りにある店……服や宝飾品を扱う店が多いことに気づいた。

 今まで、あまり好きではなかったそれらが急に、違って見えた。

「……、」

 何となく、彼の顔を伺う。

 不意に、不可思議なことを思いついてしまう。

(もし……わたしが着飾ったなら、なんて言ってくれるのかな?)

 彼の顔をどうしてか見ていられず、顔を逸らす。

 逸らした先には、傍にあった店のガラス越しにぼんやりと見えた指輪だった。宝石をあしらっていない、白銀のそれ。その飾り気のなさと白銀自体を輝かせるような佇まいは、どうしてか剣を……ギレイを連想させた。

 言い知れない衝動に、ミシュアはその指輪に目が奪われる。いや、本当に奪われているのは、心が見せた未来に、だった。そう、例えば。彼から指につけてもらう、飾られた自分の指先の向こうに、彼が微笑んでいて、褒めてくれる……そして。


「――ミシュアさん? どうしたの?」


 彼の声に、思い描いてしまった未来は霧散した。

「い、いえっ、なんでも」

 言いながら、俯く。さっき視線の先にあった指輪を、彼に見られないように。

 もっと言えば、心のうちにしかない未来を見透かされないように。

 石畳を見つめていると湧いてくる、気恥ずかしさ。

 自分で空想したものだけれど意図したものではない……心が勝手に夢見させた光景だった。とはいえ、彼の内心を無視している。そんな申し訳なさも、追随してくる。

 だからだろう、彼の「……あ、」と漏らした声に、

「え、なに!?」

 過剰に反応してしまう自分に、自分でも驚く。

 頭が再び真っ白になりかけるのを、何とか堪えるものの。

「さっきミシュアさんが見てた指輪……」

「う、えッ……!? バレてる!」

「うん、それはあんなに見つめれば。あ、じゃなくて、えっと買われちゃってるよ、多分」

「嘘ッ!」

 顔を上げて首を巡らすと、ガラス越しの店内では貴族っぽい男が貴婦人に白銀の指輪をはめていた。そのまま、店の奥へと歩いていく。


「……おー……あーぁ」

 不思議な絶句が口から漏れる……うつむく。何かが終わったような気さえするほどに、身体から力が抜ける。意識も揺らぎ、呆然としてしまう。ここまで変に落ち込むのは、ミシュアとしても意外だった。

「ははっ……」

 彼の笑い声、思わず睨んでしまう。

「ごめん。何か、うん、ちょっと意外で、面白くてさ……ごめん、笑って」

 彼が笑っている……お腹を押さえ、ちょっともだえているほどに。

「……ふ……ふふ」

 彼に笑われる……のも、悪くはなかった。彼が笑ってくれるなら、何でも良いかとさえ思った。と、目に入ってくるのは白銀の指輪をつけた貴婦人とその連れ合い。彼らも幸せそうに笑い合って店を出ていく。

「そんなに欲しかったの、あれ」

「え、ええ……自分でも予想外だったけど」

 そう言いながら、本当に欲しかったのは、指輪ではないとミシュアは思った。思ったけど、口にはしなかった。口にしてしまったら、何か、大事なことを忘れそうだった。


 気がつけば、夕日が目の端に差し込んできた。

 少し強めの赤い光に目を細めた彼が、言った。

「もう、こんな時間かー」

 間延びした声音の彼に、答える。

「だね、わたし……もう帰らないと」

 言いながら、夕日が赤く染める彼の横顔を見ていた。

 ごく普通の、夕日に染まった彼の横顔に、でも、ミシュアは思ってしまう。

 ミシュアが空想してしまったのは、夕日の赤が血に見えて――彼の横顔が血に染まって見えてしまった。

(どうしようもないな……騎士というものは)

 悲しいまでに、分かっている。

 今、自分が思い描いてしまった悪夢のような空想はもしかしたら訪れるかもしれない、未来なのだった。


 忘れてはならない大事なこと――戦争が始まろうとしているということ。

 いや、戦争は既に、始まっているのだ。

 もし、負けてしまったならば空想した悪夢は、血に染まる彼は現実のものとなりかねない。


 不意に、腰に帯びた彼の剣が重く感じた。


 でも……ミシュアはそれを、むしろ喜びと共に感じていた。

 彼の横顔を見つめて、心の内だけで誓うように思う。


(わたしは騎士で良かった――このひとを守れるんだから)


 思って、今日のことを思い返す。

 思い返すこと、そのものに嬉しいと感じられるほどに、もう大切な思い出となっていた。思い出は彼と自分と……この街と名も知らない人々で出来ていた。きっと何が欠けても、いけなかったのだろう……だから。


(わたしはだから、戦争に行くんだ――命を使い果たすことになっても)


 思って、剣に手を置く。


「わたし、行くね」

「うん、また……その、剣は、」

「多くの敵を斬り裂く、みんなを守るための剣をお願い」

「……分かってるよ」

「……無理しないで」

 言い置いて、気がつけば、ずっと繋いでいた彼の手を離す。

 寂しさは、なかった。


 今日が終わっても、消え去ることはないと信じた。

 思い出は、なくならない。

 たとえ自分が消えたとしても、彼がきっと覚えていてくれるのだから。

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