騎士の務め

 ルーキュルク工房の自室でギレイは自分の手を、ちらりと見た。

 数日前に感じていたミシュアの手の感触が一瞬、甦る。

 彼女の硬くなった細長い指、手の内。剣を振ることで、長い時間をかけて鍛え上げられたものだった。手に残る感触が、そう訴えてくる。

 自分の手も、きっと似ていた。

 玄翁を振るい、鉄を打ち続けた手の平はやっぱり硬くなっている。

「……だっていうのに、」

 ため息をこぼして、天井を見上げる。どうしても、長い間、鉄を打っていた己の手が動いてくれない。鉄床に並べた、玄翁、火ばさみから、今や目までも逸らしてしまっている。

「僕は、何で動けない……?」

 再びのため息。自分で言ったことの答えは既に、自分の中にあった。


 数日前の、記憶。

 彼女に連れ出され、歩いた街並み。ハサンの銅像に二人で笑って、名も知れない人々に囲まれそうになって、彼女が白銀の指輪を見つめていて、それが別の誰かに買われてしまって。

「……ははっ」

 あの時のミシュアは、彼女には悪いけど、面白かった。笑ってしまったというだけではなく、騎士らしくない、彼女の姿を目の当たりに出来て嬉しかった。ああいう時間をもっと、今もなお求めてしまうほどに。

 あの日の全てがそれほどまでに、色褪せない思い出になっている。

(……ああ、でも、ちょっと……)

 大切な思い出の、その終わり。彼女の声を思い出す。

【多くの敵を斬り裂く、みんなを守るための剣をお願い】

【うん、分かってる】

 自分の声と、心のうちでの声をも思い出す。

(ミシュアさんの求める剣は分かってる……でも、本当は分かりたくないんだ)

 多くの敵を斬ることで、その背後に続いてくれる仲間を守る。いや、もっと後ろ……騎士ではない、この都市の人々さえも守るつもりなのだ、彼女は。そんな、誰よりも魔族と戦うという彼女の決意は、彼女自身の身を誰よりも危険にさらすということだった。

(ミシュア……さん)

 彼女の手を、思い出す。戦うのために、鍛え上げた彼女の手。

(ミシュアさん……ごめん)

 思い出すのは、彼女が見ていた白銀の指輪。

 思ってしまうのは、

(僕が今、作りたいのは)

 彼女の細長い、鍛え上げられたからこそ美しい指を飾る指輪だった。

 どうしても、思ってしまう……そもそも彼女が似合うのは剣なんかじゃないんだとさえ――彼女がそれを望んでいないと知っているくせに。

「……だめだ、全然、集中できない」

 ため息をつく、もう何度目か分からない。

(もう……だめだ僕……ため息製造機みたいになってる)

 訳の分からないことを思う。何もしていないのに、妙に疲れる。身体も頭も、多分、心も重い。その場に崩れ落ちてしまおうか、そう思い始めて。


 コンコン、と扉が叩かれる。


(ミ……)

 扉の向こうに居る、彼女を想像して嬉しく思ってしまう自分と、

(今の僕を……見られたくない)

 などと想像さえしていなかったことを、思った。

 結果、引き続き、何も出来ずに身を固くしていると。


「すまん、失礼する」

 重く低い声と共に、一人の軍服姿の男が入ってきた。彼女ではなかった落胆を感じつつも、そんな感情がかき消されるほど、意外な人物だった。

「アベル……さん?」

 扉を開けて入ってきたのは、武芸大会でミシュアを殺そうとした騎士団長だった。意外なことはまだあって、彼の頭が綺麗な丸坊主になっていた。

 思わず見入ってしまっていると、アベルが苦笑混じりに言った。

「……ああ、コレか? カツラを使うのが嫌になってな、剃ったんだ」

「……あ、何か、すいません」

 言って、アベルが騎士団を束ねる地位のある者だと思い出して、言い直す。

「……いえ、申し訳ない、アベル騎士団長、か、かっ……閣下?」

「いや、やめてくれ……そういうのは。もう偉ぶるのは懲りた。言葉も普通で良いさ」

「え、……あ、そうですか」

「話したいことがあってな……座って良いか?」

「ええ……もちろん、椅子はそこに」

 アベルは火炉の傍にあった椅子を持ち、ギレイと向かい合って座った。

「まず、詫びさせてくれ――すまなかったな、ギレイ」

 目を伏せ、アベルがぽつりと言った。

「え? なんで?」

「オレが武芸大会でやらかしたコトで、アンタも巻き込まれたろ? 聞いてるよ。刀工の位を取られて鍛冶道具まで、取られちまったんだろ? オレが元凶だ――すまなかった」

「あ、いや、それは取り戻しましたし……むしろミシュアさん……」

「もちろん、詫びに行ったさ」

「なら、僕は……それで充分、」

 言いかけてたギレイを遮るように、アベルが話を進めた。

「言葉だけじゃ足りないと思ってな」

 けれど、ギレイは不快な気持ちを抱かなかった。アベルの雰囲気がそうさせてくれるのかもしれなかった。と、そのアベルが腰につけていた革袋を差し出してきた。

「賠償金だ……コレで許してくれ」

「な、受け取れないよ」

「何故だ?」

「や、お金には……あぁ、困ってたんだ、僕っ! ハサンに借りたヤツそのままだっ!」

「あーはははっ、アンタ、面白いな……ちょうどいいじゃないか、受け取ってくれ」

「ん、んーでも」

「なんだ?」

「僕が欲しいのは、」

「おう、そういうコトか。領地か? 家畜か? 女か? とりあえず、言ってみてくれ。俺の権限で出来ることはするぜ?」

「あ、いえ……理由を」

「あ?」

「ミシュアさんを殺そうとした理由を、聞かせて下さい」

 言うと、アベルは顔を歪め、革袋を膝に置き、腕を組んだ。

「アンタ、意外にガメついな……俺が一番やりたくねぇもんを欲しがりやがるか」

「あ、いや……その」

「いや、すまん……話す。ただな、」眉間に皺を寄せ、アベルは言った。「俺にも上手く説明出来ないかもしれん。アンタが納得出来るか分からんぜ?」

「それでも、いいです」

「ついでにいや、長いぜ?」

 それでも、とギレイが頷くと、アベルが口を開いた。


「オレは貴族連中の中では腕の立つ方でな、それを誇りにもしてたんだ。良い騎士団長になれるって信じてた。そこそこ努力もしてたし、貴族の生まれで、評議会の受けが良かったしな」

「腕は立つ……でしょうね、アベルさん。おそらく生まれつきの体格……骨格が良いんです、特に肩回り」

「……というと?」

「常人じゃ振れない重量……ランス、トゥーハンドソード、バトルアックスを扱えるはず」

「ほぅ~アンタ、本当に面白いな、そういうの分かるのか」

 言って、アベルは苦笑しながら続けた。

「アンタの言う通りさ、オレは重い戦斧を振り回して、まぁ、粋がってたんだ。で、四年前の武芸大会でミシュアに負かされた――オレが負かしてた連中の前でな。で、そいつらから、ひでぇ侮辱を受けまくった」

 舌打ちをするアベルは、今でも当時のことを苦々しく思っているようだった。

「……全部、ミシュアの所為だ、倒さねぇと、ってなっちまった。完全な逆恨みだが……分かっていながら、それでも、逆恨みをやめられなかった……何でだろうな? アンタ、分かるか?」

「え? ん~ん?」

「あははっ、すまんな。変なコトを聞いた。アンタには、自分のためにしかならないような、つまらねぇ誇りがないんだろうさ……オレと違ってな」

「や、そんな……ええ? っていうか、最初からずっと思ってましたけど、アベルさん、人格変わりすぎでしょう!?」

「逆だ、逆。元々のオレはこんなンさ、牢獄に繋がれてる間に元の自分に戻ったのさ……そしたら何故か、団長に返り咲いた。揉めてたはずの副長が推してくれてな」

 もの凄い豪快に笑ってから、アベルは呟くように言った。

「……もしかしたら、貴族の肩書きとか評議会の位とか、そういうのに振り回されてたンかもしれねぇーな……つーか、今までの昔話で納得いったか?」

「え、まぁ……なんとなくは分かりました、ミシュアさんを狙った理由」

「そうか……なんとなく、か。じゃ、足りねぇーな、詫びにはよぉ~」

 偉く不機嫌に舌を打ち、アベルは何故か、工房内を見渡して。


「なぁ、話は変わるが……アレ、見せてくれるか?」

 唐突に、アベルは工房の壁にかけられた短剣を指さした。その短剣はギレイが習作であった。不出来ではないが、騎士に見せるほどのものでもない……しかも。

「アベルさんには合わない……とは思いますよ? 軽すぎますって」

「いや、だからこそ、さ。予備の予備には丁度良さそうだ」

「あっ、そうか。さすが、騎士ですね。あの軽さなら、持っていても邪魔にならない……かな?」

「だろ? 貰っていくぜ」

 言って、アベルは立ち上がり、短剣を手に取って、何故か、扉の方へと歩いていった。話はこれで終わりなのかと惑うギレイに、背中を向けたまま。


「じゃぁな、アンタは平和に暮らせよ」


 捨て台詞のように言って、アベルは出て行った。

「……、」

 一方的にやって来て、一方的に去っていったアベルに唖然としつつも、ギレイは見つけた。やはり一方的に椅子に置かれた金貨の革袋を。きっと、短剣の代金……を装った賠償金だった。

 ……出て行ったアベルの背中は、武芸大会での印象とは異なっていた。


 戦えない人々を守る、騎士のそれだった。


「――、」

 閉ざされた扉を、ギレイは見ていた。

 何故か、ミシュアともこうして別れるのだと、心のどこかで思っていた。




 アベルはこの後に自らの騎士団を率い、魔族領へと赴いた。

 降雪に紛れ、他の騎士団へ先んじて陣地を確保するための先遣隊として、極秘裏に。


 けれど――アベル騎士団はそのまま消息を絶った。

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