第五章 刀工と騎士の戦争

刀工、新しい工房へ

 リュッセンベルク城塞都市、工業区画。ルーキュルクギルド第一工房。

 そこは石造りで堅牢……ともすれば、要塞のような外観だ。が、巨大な煉瓦のようなそれからは幾つもの煙突が突き出していることが武具工房らしいところ。また、ルーキュルクギルド工房特有で、幾つかの運河がその内部にまで流れ込んでいる。

 というのも、

「へぇ~確かに、いいかも」

 工房内、水車の力を運用した研磨機――回転する砥石に刀剣をあてがい、刃をつける職工達を見て、ギレイは呟いた。視線を移動させると、端が見通せないほど立ち並ぶ研磨機、職人達の数にも驚嘆してはいたが、何よりも、ギレイは研磨機の刀剣を削る速度に目を見張っていた。

「ふっ……だろう? キミも使う――」

 隣に居たルーキュルクが珍しく自慢げに言いかけ、ため息をついた。

「――わけはないか。微妙な調整が出来ない、とでも思っているか?」

「や……凄いとは思ってるよ。で、僕としてはそうだなぁ~やってみないと何とも言えないかな。ん~使いこなすまでに、僕は結構、時間がかかっちゃうだろうし~」

「ふむ、そうか……」

「うん、そう……ルーさんじゃないけど」

 ギレイの脳裏に、一月後に合戦を控えるミシュアの笑顔が浮かぶ。

「今の僕は時間が惜しい」


 ふっ、と鼻を鳴らし、ルーキュルクは頷いた。かっ、と靴音を響かせ、踵を返し、颯爽と歩き出す。ルーキュルクの背中に、ギレイは素直についていく。

 研磨機の作業場を抜け、ルーキュルクと共に工房内の通路を歩く。

「やはりキミにはやや古い設備の方が使い慣れていて良いのだろう……案内しよう」

 ギルドへの入団したギレイは今、工房見学をしていた。また、ギルド内の職工達への紹介も兼ねているのだろう。主立った制作室はルーキュルクと共に歩いて回っている。その最中には、

「お、ギレイ=アド……さん」

 通路を行き交う、職工達に声をかけられていた。

「こんにちは。これから僕はこのギルドに、」

「知ってる知ってる。つーか、武芸大会、俺、行ってたし」

「え……ああ、」

「お~お~いいね、アンタ。うちのギルド入団式での喋りと同じだなっ! たどたどしぃっ! 昔の職工みたいで、俺は好きだぜっ! 今度、飲もうぜっ! じゃなっ!」

 とか、活気溢れる職工も居れば。

「……キミ。ミシュア=ヴァレルノの……傍に居たね? どういう……仲なの?」

「彼女の剣を鍛えてる」

「今度……ボクも……是非会わせてッ! それだけッ!」

 ミシュアのファンらしき職工も居れば。

「あ、ギレイ君だっ!」

「うん、ギレイです」

「はは、アンタ良い感じに少しだけ面白いねっ! あたしね、アンタとミシュア様の並んでるトコ好きなんだよねッ! 良い感じの奥さんになりなよっ!」

「ミシュア様? ……奥さん??」

 と、走り去っていく女性の職工も居たのだった。ルーキュルクの工房にはとにかく、色々なタイプの職工が居て、基本的にギレイは歓迎されているらしい。

 さらに言えば。

「ルーさん、みんな早足だったり走ってたりで……忙しそうだね」

「うちの工房はいつもそうだが……特に今は、な。知っているとは思うが、合戦が近い。今のキミと同じさ、時間が足りない……私ほどではないにしろ」

 かつかつと靴音を響かせるルーキュルクの背中について辿り着いたのは、おそらく工房の端に位置する一室だった。ルーキュルクは無言で扉を押し開け、ギレイが入るように顎で促す。ギレイも何となく無言でその一室に足を踏み入れると。


「あぁ……」

 思わず、ギレイはため息をついた。

 石壁で囲われた室内は丁度、ギレイが使っていた鍛冶小屋ほどの広さ。いや、広さだけではない。室内に存在する鍛冶道具――火炉、鉄床、火ばさみ――の配置さえも、同じだった。それらを見回す……しばらく、ギレイはそうしていたかった。

「ありがとう……ルーさん。本当に色々……」

 目に入る光景に、懐かしさがこみ上げる。

 遠目でも分かる。鍛冶道具は、自分のものだったのだ。

「礼ならばキミの親友のハサンに言え。彼がキミの鍛冶道具の売却先の情報を調べていてくれていた。私は金とコネを使ったに過ぎない」

「それでも、ありがとうって言わせて……」

 言いながら、ギレイの目は壁に掛けられている二振りの折れた剣に釘付けになる。折れさびた剣は昔の戦友の、そしてもう一つはミシュアのものだ。これらはもう、溶かされたりして、二度と戻ってこないと諦めていた。

「本当に……感謝してるよ、ルーさん」

「今のキミは名目上、私の部下だ。職場環境は用意するさ……そら、目と手で確かめてみろ」

 言われて、ギレイは早速、火炉の前へと駆け出す。炭はもう敷かれているし、傍の棚には鉄鉱石やそれを製錬した鉄板もある。使い慣れた――傷や擦り減った鉄床に触れる。その台の切り株に括ってあった玄翁を手にとる。

(あぁ~やっぱ、いいよね)

 自分の手に馴染む感覚、もう一つの身体のようにさえ感じられる道具が戻ってきた。その感慨に、思わず、少しだけ泣きそうになってしまう。

 すぐにでも、剣を鍛えられる。また、すぐにでもそうしたいと体中で感じている。この感情を同じ刀工として分かるのだろう、かけられたルーキュルクの声にも笑いが混じっている。

「ギレイ。何か必要な物があったら、すぐに言ってくれ」

「うん……とりあえずは大丈夫。ありがとう」

「礼は不要さ、もう飽きた。ともあれ、私も時間がない。あらゆる騎士団から武具の発注を受けている身だからな……互いに仕事に力を尽くそうではないか」

「もちろん」

「言うまでもなかったか……では、な」

 足早に去っていくルーキュルクの靴音が次第に聞こえなくなっていく。それを合図とするかのように、ギレイは久しぶりに鉄床の前に座って、目を閉じた。


(ミシュアさんの剣……どう仕上げようか)

 彼女に渡してある試作の剣を、脳裏に描く。幾つかの案は既にある……幾つかの試作の剣も取り戻してくれいている。

 それに何より、刀工の位を失ってからも、ずっと頭の何処かで彼女の剣を考えていた。

 彼女が今、腰に帯びている試作の剣を発展させる。より、彼女に似合う……相応しいものにする。剣士として、あるいは剣を納めている時にさえ、彼女を支えるような剣へと。

 自然と思い出されるのは、ギレイが知っている彼女の姿。

 鍛冶小屋での出会い……折れた剣を抱えていた彼女――ゆっくり話をしたいと言ってくれた。彼女の過去を聞いた――武芸大会で連勝するような武闘派だった。

 実際、剣士としての彼女を見るために立ち会いを仕掛けて、すぐに負けた。しかも彼女はこちらを傷つけないように剣を振るってくれていたのだった。

(そういえば怒られたっけ……)

 ギレイの口元が緩む。

(そう、ミシュアさんは優しい……人に対して、ごく普通に――どんな時でも)

 更に思い出されるのは、武芸大会。彼女は自らを殺そうとした相手にさえ、傷つけることをしなかった。剣士として強いのに、それを誇るでもなく、むしろ。

(僕の剣を誇ってくれていたかのよう……だったな)

 剣に口づけて、掲げてくれた彼女の姿を――きっと生涯、忘れ得ない。

 思い出に少し、ギレイは照れる。照れるといえば、武芸大会後の夜。星空の下、飛竜でゆるりと飛びながら話をしていた――一緒に剣を作り上げようと約束した。しかし、身分評議会によってそれが阻まれ……でも、今はルーキュルクとハサンのおかげで、元に戻った。


 彼女との思い出で一番、新しいのは、

【わたしが戦場へ向かうのに、あと一月しかないから……】

 そう告げた彼女の剣士らしい笑顔だった。

 …………その時、ギレイは何も言えなかった。

 今、思い出しても、何を言うべきか分からない。

「……うん」

 目を、ゆっくりと開く。

 視界に飛び込み、埋めているのは、鍛冶道具……見慣れ、手に馴染んだ全て。一時期、失った実感はまだ、手には残っている。

 でも、そういうことではなく、鍛冶道具の全てが急に、今までとは、違って見えた。

 これから自分が鍛え上げた剣に……彼女は命をかけるのだ。

「……、」

 ふと折れた剣を見やる。戦友の死と、彼女の敗戦。

 それは、もしかしたら自分がこれから鍛え上げる剣に、未来の姿かもしれないのだ。

「いや……違う、そうしないように僕は……」

 呟く……でも、自分でも言い訳じみて聞こえる。

 合戦の最中、もし、自分の剣が折れたなら、彼女に二度と会えなくなってしまう。評議会に別たれた時にも、そのような思いはあった。


 でも、違う。


 評議会の時は、思えば、会えないとしても、それが苦しいとしても、何処かで彼女が生きてくれている……あの時は分からなかったが、心の片隅では常に、そう、信じてられていた。だから、いつかまた会えるかもしれないとも無意識に、感じていたのかもしれない。

 でも、ひと月後に控える戦争では――思って、ギレイは見てしまう。

 戦友の残した、折れた剣――二度と会えない戦友の、剣だった。

 心が勝手に、かつての戦友に告げる。

(もう一度……僕はお前と馬鹿みたいな話がしたい。今でも、何度もそう思うんだ)

 ミシュアの折れた剣を見つめた。

「出逢ったときから――こうなるって、僕は分かってたはずなのに……」

 自然と呟いて、ギレイは再び目を閉じた。自分が鍛えるべき、彼女の剣の姿を――気がつけば、思い描けなくなっていた。

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