刀工と師匠
リュッセンベルク城塞都市より馬にて一週間ほど走ったところにある、今や雪に閉ざされた山間の農村。人目を避けるかのようにひっそりと点在する土壁の家々。その外れにある、煙突をはやした鍛冶屋……廃屋二、三歩手前のそこを、ギレイは訪れていた。
「おう……何年ぶりかの?」
鉄床で鉄を叩く老人にそう言われ、雪を払って屋内に立ち入りながら、ギレイは答えた。
「何年ぶり……ですかね? 申し訳ない、覚えていません」
「ははァっ~わしもだ。気が合うの~」
間延びする声音と白髪と白ひげの老人はしかし、厳めしい面立ちに加えて体躯は筋骨隆々。革の前掛けから伸びる剥き出しの腕は普通の女性の脚ほどあるだろう。
「あ、というか……ご無沙汰してます、ルド親方」
「堅苦しい挨拶はええて~ほれ、寒かったろう、火炉で暖まれ」
ルド親方は炉の横に放り投げられたような椅子を、顎で差す。顎を引いたギレイは、ルド親方の斜向かいに座った。
(あ……今更だけど、親方の影響だったんだ、お客さん用の椅子置き場……)
どうでもいいようなことを思いながら、ギレイはルド親方に言う。
「今も、鉄鎚を振れるのですか?」
「うむ、しんどいがの。鉄のように腰と膝をたたき直せればいいが~」
「お歳もお歳でしょうし無理は……」
「……何だ? 遠回しに若さ自慢か? 僕は無理できます、腰も膝も動きますってか?」
「……何です? いきなり」
「じじいになると若者への嫉妬に満ちあふれるのよ、年寄りの病気のようなもんかの」
「っていわれても、僕には……」
「何だ……遠回しに若さ自慢、」
「それ、止めましょう。しんどいっす」
「ん~良い相づちだの~久しぶりに一緒に鉄でも叩くかの?」
何気なく言われ、ギレイは口を閉ざした。脳裏で、ルド親方に弟子入りした頃の記憶が甦る。
鉄の見分けや鍛え方、刀剣の見分から鍛え方に至るまでの全てを習った。不思議と怒鳴られたことはなく、けれど、出来るまで何度も何度もやらされた。厳しいのか優しいのか、良く分からない人ではあるのだった。
「一緒に鉄を叩く……ですか……その、」
「んン? なんぞあったか?」
「……ええっと」
「言いたくないなら、言わずとも良いがの」
「いや、相談が……」
「あれか? 刀工の位――鍛冶道具を取られたことか?」
「……なんで知ってるんです?」
「いや、知らんよ? 鎌をかけた。相変わらず容易く騙されるの~」
「……まぁ、はい。騙されやすいのかもしれませんけど、そう、僕は刀工をやれなくて、」
「武芸大会で乱入して民の反感を買っちまえばの~そら仕方ない」
「――知ってるじゃないですか……!?」
「わし、知らんと言ったか?」
「……言いましたよ」
「だったかの? 年を取ると物忘れがひどくての~」
「……親方こそ変わりないですね、その無駄に人を弄ぶところ」
「弄んでいるわけじゃないさぁ……ギレイは無駄に人に弄ばれそうだからの。少なくとも騙されないように、親方としての愛ゆえの訓練訓練~」
「……顔、笑ってますよ?」
「教える方も楽しくせんとの。やってらんわい」
「…………」
「分かった~よっ、相変わらず真面目だの。聞きたいのは、今後のことだな?」
「……全部、お見通しですか」
にやにやと笑うルド親方に、ギレイも苦笑する。この山奥の農村でどうやって情報を得るのかは分からない……いや、もしかしたら、この農村でさえも噂になることなのかもしれない。そう思いながら、ギレイは続けた。
「僕は今後どうすればいいのか、まず助言が欲しいのです」
「その前にの、引きこもりのお前が武芸大会に乱入したんか……お前の口から訳を聞きたいよ」
「引きこもりは親方も一緒ですが……まぁ、理由ですね。どうしてか、」
脳裏に過ぎるのは、ミシュアの顔。
「良い剣士に出会ったから……出来うる限り、その人の力になりたかった、というところでしょうか。あぁ、あと……その剣士に僕の剣を気に入って貰えたから、かな」
「アベル騎士団長の画策を知って、特にか」
「……何でも知ってますね」
「年寄り刀工仲間との腐れ縁が腐り落ちずに続いてての。武具に関する情報は……それこそ騎士団の人間模様に至るまで全て、わしの耳に入るようになっておるのさ」
「はぁ……そういうもんですか」
「そういうものよ……うむ、わしの弟子もよ~やく特別な剣士と出会ったか。うむうむ……あの馬鹿みたいに一振りの剣に時間をかける弟子らしく、出会うまでに時間がかかったの」
「特別な剣士……というか……馬鹿みたいに一振りに時間をかけるって――」
「勘違いすな、褒めておるのよ。わしも若い頃に出来れば同じように剣を鍛えたかった」
「……そうだったんですか?」
「おうよ。わしはお前なんかよりも多くの剣士を殺している。金勘定を優先して拵えちまった不細工な武具によっての」
「……」
「ンな顔すな、わしも年寄りらしく過去は過去として割り切っておるよ」
「……はい」
「わしの話はええ……しかし、ようやく出会えたか……」
嬉しそうに顔中にシワを刻んで、ルドは言った。何度も何度も感慨深そうに頷いたルド親方は一転して、にまにまと笑った。
「ミシュア=ヴァレルノは美しいからの~わしも若ければの~のぅ~」
「……親方が思ってることとは、違います」
「わしは彼女の剣捌きの美しさを言ったのだが?」
「……もう、いいですよ……なんでも」
「ふむふむ、ともあれ……わしが思うにお前はミシュア=ヴァレルノの剣を鍛え上げる方が良かろう。おそらく、刀工として更なる躍進を遂げる……上手くいけばの。わしは曲がりなりにも、お前に刀工としての技を仕込んだ身。協力を惜しまんよ。ただな、」
咳払いを挟んで、ルド親方は言う。
「身分評議会の推奨刀工……それがルーのトコだったな?」
「……はい」
「ミシュア=ヴァレルノはルーキュルクと頻繁に会っているそうだぞ」
「――え?」
不意に、ギレイの視界が揺らいだ。
(ミシュアさん……もしかして、)
心臓が一拍、強く鳴る……頭がぼうっとし始めた。
「ギレイよ」
何かを察してくれた親方が、優しく諭してくれる。
「ミシュア=ヴァレルノは騎士団長だ。政治……市民の意向を完全には無視できないような世界に生きている……そしておそらく、生き続けねばなるまいよ」
「……、」
「魔族領への合戦を控える今は特にの」
親方の言うことが胸に、重しのように染み入ってくる。世辞に疎い、ギレイとて理解は出来る。騎士団を率いる限り支援者にして守るべき普通の人々を無視出来ないことも……でも。
(僕とミシュアさんはもう……)
考えたくないことではあるけれど。
(ミシュアさんの剣を、僕が鍛え上げることを、もしかして皆が望んでいない……?)
考えたくないことが、心に浮かび上がってしまう。
(もしかして――ミシュアさん……も……?)
信じたくなかった。続くはずだった彼女との時間はもう、彼女自身が望んでいない。
考えたこともなかった、そんなことがありえるのかもしれないなどと。
心臓が悲鳴を上げるみたいに鳴った……そんな時だった。
「失礼。ご無沙汰しています――親方。時間がありませんので、話は後で」
いつの間にか、小屋の扉を開け放ち、
「探したぞ、ギレイ。身分評議会の監視妖精……その情報を盗んでまで、な。キミは本当に時間を無駄に使わせてくれるよ」
吐き捨てるように、ルーキュルクがそう言った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます