騎士団長の営業

 リュッセンベルク軍事区画。白蘭びゃくらん騎士団の本拠地、白蘭館。

 石造りの荘厳な館が囲む中庭……庭園に咲き乱れている、東方から取り寄せた希少な白蘭が名の由来。今は花を咲かせてはいないが、館に居る限り、何処でもその中庭を見下ろせるのだ。

 しかし、執務室の机の前に座るミシュアは中庭のことなど気にかける余裕などなかった。身分評議会の位を落とされた事実を、伝達しなければならなかったのだ。

「……」

 息を整えてから、ミシュアは敷物の上にのせられた水晶玉に手を触れる。浮かび上がる文言の数々。それらは白蘭騎士団の支持者――貴族や豪商から市民まで――の謝辞だった。

 ミシュアが眺めるこの水晶玉は、人間の思念を言語化して複数の同型の水晶へ文言を投影する……テレパシーと書簡を掛け持つような精霊が宿っている。

 魔法技術の産物ではあるらしいのだが、ミシュアに分かるのは、魔法技術自体が希少であることと、この水晶玉による魔法通信技術が身分評議会にも使われているということだ。


(皆様、いつもながら支援して下さって……)

 水晶に映し出された後援者の謝辞に応えるべく、ミシュアは思考を走らせる。水晶に後援者達の謝辞の下に、ミシュアの思念が言語化されて、連なっていく。

 余計なことを考えてしまう前に、後援者達に身分評議会の位が落ちたことを伝えた。ミシュアはそこで、水晶玉から手を離す。その間にも、後援者達の文言が連なっていく。

(励ましてくれる人が多い……けど)

 目に飛び込んでくるのは『今すぐ位を戻せ』と、ミシュアにはどうにもならないことを言って来る者も居た。

(ああ……やはり、こういう反応があるか)

 湧き出た感情を切り捨て、ミシュアは即座に、水晶に手を触れる。『汚名は来る戦での、武功にてそそぐと誓います』と、今、言える誠意を持って応える。

 そうするとまた、別の者に『誓う? どの神にだ?』と失言を誘われたりする。無論、乗らない。『我らの剣に……』と、ミシュアが言える最大限の誠意を繰り返す……しかなかった。

 似たような、文言の応酬を幾度か経て、何とか、水晶の文言の内容の数々が落ち着いてくる――のを見計らい、ミシュアは終わりの挨拶を差し込んで、水晶玉から手を離す。


「――……うぅっ」

 うめきと共に、ミシュアは水晶玉を突き飛ばしたい衝動を抑えて、その横に突っ伏す。

 支持者への対応はするべきだと思っているし、実際、助けられることも多い。だから、今回の位の降格は申し訳なく思う――のだが疲れてしまうのは、どうしようもなかった。

「ご苦労様です、団長」

 側に控えてくれていた副長ユニリが肩を叩いてくれた。

「上手くなりましたね、この手の報告業務……という接待も」

「ユニリの訓練のおかげさ」

 軽く笑って、ユニリは執務室の扉へ向かう。何かあれば割って入ってくれたろう、その背中に執務机に突っ伏したまま、心の中で感謝を送る。

「……ふぅー」

 息を吐きながら、自然と目に入ってくるのは執務室の全景だ。

 執務室も接待用に、華美だった。ミシュアは嫌いではないが、やや綺麗に飾りすぎていると思うのだ。フィフススター刺繍職人が金糸と銀糸を大量に使ったタペストリー、壁際に並べられた高宝石職人と武具師の合作たる美術品の如き甲冑。

(何度見ても……ギラギラしすぎてはないか)

 思っていると、執務室の扉――ノブは銀細工師の白蘭――に手をかけたユニリが呟いた。

「趣味に合わないのは分かりますが、美を愛でるのが貴婦人だ……とか言われますよ?」

「嫌いではないよ、好きにはなりきれないだけ」

「まぁ、私も同感ですが」と、短く話題を切り上げたユニリが言った。「見舞うのでしょう?」

 これが本題なのだろう、と分かり、ミシュアは返す。

「ああ、行かなくては」

「彼女も喜ぶでしょう」と、ユニリは執務室を後にした。

 ユニリが締めた扉を少し見つめてから、ミシュアは机から身を起こして背筋を伸ばす。


(……やはり――怖いな、少しだけ)


 内心に湧く不安に惑わぬ内に、と、ミシュアは立ち上がり、執務室を出た。重い扉を開け放ち、幾つもの燭台が設えられた回廊へと出る。石床の上に、コツコツと自分の足音が響かせる。

「団長、」

 仲間である騎士と行き交う、続く挨拶を遮るようにミシュアは手をかざして。

「今は任務中ではない、そこまでかしこまらずともよいよ」

「はいッ」

 踵を合わせ、胸に手を当てる部下に、ミシュアも同じような所作をして、また、歩き始める。

(表には出さないが……皆、もう知っているのだろう)

 評議会の通達、位の降格。ユニリが言ったように、もしかしたら騎士団内でも自分のことを良く思わない人間が増えているのかもしれないのだ。

(当然といえば……当然だ。わたしは失敗したんだ)

 思いながら、すれ違った仲間にかしこまった挨拶を幾度もこなし、辿り着くのは回廊の隅にある、とある個室の前だった。かすかに緊張する。

 しかし、間を置かず、ミシュアは扉に手をかけた。

「失礼するよ」

 ベットとその脇に水差しと燭台が置かれた小さな机があるだけの、療養のための部屋だった。

「団……長?」

 呟くように漏らすのは、ベットに横になっていた一人の少女だった。額に巻かれた包帯……には読めない文字、魔法医による呪帯(じゅたい)だった。

「団長っ、」と慌てて身を起こした少女。かけられていた毛布が捲れ、露わになった右足には重点的に呪帯が巻かれていた。

「動くな、リンファ」

 ミシュアも慌ててベットへ駆け寄り、リンファの肩に手を添え、寝かしつける。何か言いたげだったリンファが唇を噛む。が、耐えきれないというかのように口を開いた。

「申し訳ありません、団長」

「詫びることなど何もないよ」

「いいえ、高価で希少な魔法医の施術を受けさせても貰ったばかりでなく、団長に見舞われるなど――私には過分すぎて」

「そう言うな、リンファ」胸の内に秘めていたことを、ミシュアは吐き出した。「先の軍務、わたしの指揮が至らなかった。リンファの負傷はわたしの責だ……すまない」

「そんな……ことは、」

 涙が滲む目で、リンファが呟く。

鶏獣コカトリスによる伏撃、並の指揮官ならばあの包囲から抜け出せず、全滅していましたッ!」

「いや、わたしは自分の力を過信していたのだろう……わたしならば包囲を斬り開けると勇んで……結局、リンファに庇われたのだからな」

「でもっ、それで負傷した私こそが……団長の足を引っ張ってしまったのです」

 言って、リンファは口を引き結んだ。そのまま少し黙ったリンファだったが、謝り合うのはどうかと思ったのか、決意を持った声音で告げた。

「一刻も早く、治しますよ、私」

「……リンファ」

「団長にそのような悲しい顔はさせておけませんから」

 リンファの健気な声は、ミシュアの胸に嬉しく、それ以上に苦しく響いた。

 脳裏に過ぎるのは、魔法医の言葉。この少女が元通りに戦えるようになるのは、神の思し召し。つまり、可能性は低いということ。だが、それは言えない。

「私はきっと戦列に戻り、団長をお支えします」

 真っ直ぐに自分を見つめてくるリンファの決意を、ミシュアは汚せない。もう一度、負傷させるような真似は出来ない。結局、何も言えず、一つ頷いて。

「ここに訪れたわたしが言うのも何だが……ゆっくり休んでくれ」

 毛布をかけ直し、リンファに微笑みかける。頷いたリンファが目を閉じていく。やはり消耗していたのだろう、しばらくすると寝息を立て始めた。

 慕ってくれる仲間の寝顔を見つめながら、ミシュアは思う。

(分かっていたこと――)


 騎士団を率いるとは即ち、敵と戦うこと。

 結果、仲間を傷つける――いや、死なせてしまうことでもあるのだ。


(分かっていたことなのに……)

 ミシュアはこれまで死者はおろか、リンファのような重傷者さえ出さなかった。

 それこそが、ミシュアの誇りだった。

 だから、これからも、誇り続けられると何処かで思っていたのだろう。

 ――単にこれまで敵が弱かっただけなのかもしれないのに。

(わたしは……これまで通りに、騎士団を率いられるだろうか……?)

 思うのは、騎士団の誰にも言ってはならないこと。

「……、」

 胸を押さえて、踵を返す。

 手が習慣的に、腰にある剣の鞘を押さえる――鐔が澄んだ音を立てた。

 その響きは何故か、乱れかけた心を少し、落ち着つけた。

 ふと、思う。

(ギレイさんなら……聞いてくれるかな?)

 実際に話すかは分からないけれど、そう思うだけで心が楽になった。

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