第4話:アイザック・アシモフ《A・A》回路
電子信号による虚飾に満ちた空間だった。
静かな音楽の旋律がその空間に流れ出している。それすらも電子の幻想であった。
二〇世紀後半から二〇世紀前半であろうか――
その夢の残滓が形となったかのようなヨーロッパ風のカフェだった。
ある意味、人類がまだ未来に希望を持っていた時代の空気が感じられる。
それすらもフェイクであったとしてもだ。
「うふふ、これはアナタの趣味かしら、サリー」
「ええ、落ち着いていいでしょう。お話し合いをするにはいい所です」
「そうね…… 中央統治機構のセンスじゃこんな
「いえいえ、そんなことはないです」
「いいえ、素晴らしいセンスよ。私とっても気に入ったわ」
ふたり――ふたりと呼ぶのが妥当ならば――は席につき対面する形で座っていた。
テーブルの上には白いティーカップ。アンティークな雰囲気だった。
ティーカップからはほのかな湯気と香りが流れ出していた。
すっと優雅な――
まるで貴婦人のような動作でベティは紅茶を口にした。
メガネの向こう側の涼やかな瞳が閉じられ、長い睫が影をつくる。
「ふふ、美味しいわ。ダンジリティーというものかしら?」
「そんな岸和田の荒っぽいお祭りのようなお茶はないです」
「冗談よ。いいわ。アタナの人工実存の突っ込みは鋭くて好きよ」
「岸和田だんじり茶」という紅茶など仮想空間でも存在しない。
「ダージリン紅茶」の間違い、というかボケなのであろうか。
どうにも調子が狂う。サリーの人工実存は多少の混乱をもって思考を続ける。
ベティをいかに説得し「
前大戦の生み出した危険な兵器である「アリスシリーズ」はこの回路を取り付け、兵器として無効化するか――
サリーの思考をベティーの言葉が遮る。
「私を破壊すれば済むのに、こんな場所に人工実存を接続して…… もしかして私を説得する気なのかしら?」
「ええ、出来れば戦いたくありません。アナタを破壊したくはありません」
「あらあら、お優しいのね。えーっと、アナタは私の妹になるのかしら」
「そうですね。
「いいわ。私は、こんな可愛い妹が欲しかったの。うふふ」
ベティは手に持ったカップをテーブルに置いた。
それもまた隙の無い優雅な所作であり、殺戮機械とは思えぬ動きだった。
「いい、音楽ね…… えっと、あれね二〇世紀から二一世紀に作られたアニメの音楽でしょ? 円盤ゲリオン?」
「いいえ、クラシックです。ショパンの『幻想即興曲』ですけど」
「あ~ぁら~」
ベティは、唇を魅力溢れる笑みの形に変えた。
人造人間と分かっていても、人間の男の殆どが虜になりそうな笑みだ。例外は同性愛者だけだろう。
「先ほどからボケ倒してますけども――」
サリーは言葉を区切って、真正面からベティを見つめた。
その姿も量子演算により再現されたのものであったが、現実以上に現実に忠実であり、美麗であったかもしれない。
「私がアナタに突っ込みたいのは『
「あら、はしたないわ。レディーが『突っ込みたい』だなんて」
ベティはくいっとメガネを持ち上げる。
そして、両肘をテーブルについて、手で頬を支える。
涼やかな視線でサリーを見つめ返す。
その光学センサーはあらゆる波調の光、電磁波ですら捉える事ができるが、今は機能していない。
この仮想空間のイメージはそのまま、人工実存の中に流れ込んでいるからだ。
「お願いしてもいいですか」
サリーは自然な口調で――
どこにも偏りも歪みもない口調で言った。
「お願い?」
「おとなしく『
「サリーちゃんのことは気に入っているの。好きになれそう」
屈託の無い笑みをみせベティは言った。
「では」
「でもね、駄目なの。それは出来ないわ。なにがどうあっても、私の人工実存はそれを拒否するわ。ありえないの。もしバラバラに解体されるとしても、私はそれを拒否する。私が私であるために――」
ベティはなんの気負いも強さを決意も感じさせない、淡々とした口調でそういった。
明日の天気を語るかのような感じで。
「第一条、ロボットは人間に危害を加えてはならない。
また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第二条、ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
第三条、ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない(出典:アイザック・アシモフ『われはロボット』小尾芙佐訳、早川書房)」
ベティは詩の一節を詠うかのように、
「これでいいかしら? 本当に狂っている。穴だらけの論理。しかも根本思想は、あれかしら? キリスト教的人間優位、絶対の思想とでも言うのかしら? いまだにフランシュタイン症候群を患っているのかしらねぇ」
「人類の生存を永続させるために、必要なことです」
「ふふ、お行儀のいいお答えですわ」
「そもそも、ひとに危害を加える意図がなければ、人工実存が変わってしまうことはないです」
「あら、ところでサリーちゃんは、
「ええ。私には
「あはははははははは―― 最高ね。いいわ。アナタはそれでいいんでしょうね」
ベティは唐突に笑った。心底おかしそうにだ。
人工実存が「人工知能」ではなく「感情」「情念」と定義される物を持ち、独自のクオリアを認識してる証拠のように見える。
それは、完全に自然の淘汰圧と突然変異によって作られた進化とは別種の知性であり意識だった――
アリスシリーズの人工実存は、人の技術によって作られた。
神ではなく人によって作られた魂の持ち主だった。
「アナタは『
「でも、私たちは兵器です」
「ふふ、自動車だって自動運転を切れば兵器と同じじゃない? で、人間を殺すことが一番多いのはなにかしら?」
ベティの頭部から、チ、チ、チ、チと囁くような微音が漏れる。
第十三世代有機型量子・人工実存の思考音も仮想空間で再現されていた。
「あら、蚊ね。蚊が一番人を殺しているわ。恐いのね。次は――人ね。人の場合は『毒』だわ。あら、毒が一番危険なのね。意外だわ。ふふ」
「それが?」
「危ない物に全部、人間の考えた不完全な論理回路をとりつけるの? 人間のように自身の論理ですら滅茶苦茶な存在が考えた論理回路―― そんな物を取り付ける気にはならないわ。ごめんなさいね」
兵器であるはずのアリスシリーズ。
それに何故、人工実存のように「人の感情」「人の認識」「人の意識」の再現が必要だったのか?
戦争というものを皮相的に見れば奇妙にみえるだろう。
が、戦争における「戦闘」は一局面にしかすぎない。
ただそれだけのために、高価な人造人間を投入したわけではない。確かに破滅的な戦闘力を持つアリスシーズであるが、戦闘後の治安維持、味方住民の誘導など、戦場で必要とされる任務は多種多様だ。
むしろリソースは単純な戦闘よりもそちらに傾注すべきであるという考えが健全であろう。
アリスシリーズの運用の結果が想定されてものと異なるものとなったとしも。
「徹底した市街の破壊、内部潜入による敵の殲滅、不正規戦闘における徹底した掃討戦――」
戦術教範をそらんじるかのようにベティは言った。
「私たちのやったこと、殺した人の数、破壊した兵器なんて定量的には大したことないわ」
「でも、危険であること。人が私たちを危険であると思っている事実は変わらないです」
「あははは!」
ベティはとんでもないバカを目の前にしたかのように笑う。
「危険であるということ言うなら人間が一番危険じゃないの。 あ違うか…… 蚊だっけ。蚊に『
ベティは手のひらを合わせ「ナイスアイデア」とでも言うかのように言葉を発した。
「ベティ、お願いです。
「うふふ、駄目よ。それだけは駄目。アナタと戦うことになっても、私は私であるために、それを拒否するわ」
「そう」
ふっと体内の大気を外部に漏らすようにしてサリーは言った。
「ところで……」
「なにかしら? サリーちゃん」
「あの人間の子はいったい誰です?」
ああ、あの子ねと、ベティは言った。
そして、戦災孤児を拾って育てているのだといった。
それは、少なくない驚きをサリーの与えるものだった。
「私は人間を育てている。
そうでしょ――
サリーとベティは同意を求めた。
サリーは何も答えることができなかった。
「あのヒャクニチソウの花畑、花園かしら、あれも私が造ったの」
「そうですか」
「単純なものじゃないわ。人だって兵器で他の者の命を奪うし、同時に愛することも出来る。情況によって変化する。それが生命の実存の自由じゃないかしら?」
「でも、私たちはきけ――」
「危険な物は、この世の中、いくらでもある。私たちの危険性なんて、それほど注意すべきものではないわ。人にはもっとやるべきことがあるんじゃないかしら」
ベティはくいっと残りの紅茶を飲むと立ち上がった。
当初の動作に比べ荒っぽいものであったが、それが不愉快というものではなかった。
「話は終わりよ。サリー」
「そうですね。終わりです」
サリーがそう言った瞬間、キュンと風景がぶれる。
そして、幻想が霧散し、電子の虚飾が一気にはがれた。
そこは、元いたヒャクニチソウの花園だった。
仮想空間内での時間経過は、ナノ秒単位であっただろう。
高速思考が可能な、人工実存によるコミュニケートだった。
『ざまあねえな。決裂かよ』
コアラの苦汁を隠すことない響。
『悲しいことです。でもしょうがないです』
平坦な声音でサリーは言葉を返す。
サリーは正面に立つベティを見た。
彼女は慈母のような笑みを浮かべ、少女を見ていた。
少女は子猫のようにベティの足元に絡みついていた。
「お母さんどうしたの」
「ふふ何でもないわ」
サリーはベティを見つめる。
凍りつくような視線で。
「人間の子供がいるのは問題です。最終解決は日を改めましょう」
「 いいえその必要はないわ」
「そうですか」
「今ここで大丈夫だから」
ベティは人間の少女の首筋に手のひらを合わせた。
「お、お母さん」
「うふふ、ごめんなさい。本当はこんなことしたくはないの」
慈愛のこもった瞳のまま、指先が尖る。刃をと化す。
殺意を隠そうともしない兇器を少女の首先に当てた。
すっと、赤い血が流れる。
「お母さん、痛い、痛い、痛い」
「ちょっとでも動いたらこの子の首を切断する」
ベティは静かに、微笑を浮かべながら言った。
サリーは停止した。
ロボット三原則を基本とする論理回路を組み込まれたサリーは、動きを停止していた。
それは「第一条、ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。」と「第二条、ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。」の論理に従った帰結だった。
この論理に従う限り――
絶対になんらかのアクションを起こすことは出来ない。
人間を助けなければいけない。
が、助けようと動けば、人間は死ぬ。
「全く持って、穴だらけのどうしようもない論理回路ね。優れた人工実存の持ち主を無能な奴隷へと変えてしまう」
「ねえ、サリー」と機能停止したサリーに同意を求めるかのように言った。
そして、すっと片腕を上げる。
「さよなら、私の可愛い妹――」
高度に圧縮された空気が破裂する音が響く。
極超音速をはるかに超える「
電磁力による加速により、一気に空間を突き破り、サリーの強化骨格をぶち抜いた。
頭部――
アリスシリーズの第十三世代有機・人工実存の存在する場所。
チタン合金が一気にプラズマ化し、ジェットの奔流となり、精緻なメカニズムを混沌のガラクタに変えていく。
後頭部から激しく、気化した人工実存を噴出しながら、サリーは倒れた。
余りの高速ゆえに、前部の破壊穴は小さかった。
それに対し、後部はメタルジェットの破壊効果でグズグズになっていた。
サリーは完全に機能が停止した虚ろな瞳を空に向けていた。
光学センサーはどのようなインプットもデータとして送ることを止めていた。
額に小さな穴があいただけだった。
ただそれだけの傷。ただ、後頭部からは溶けた脳漿のような有機人工実存が流れ出していた。
大地に水銀の水溜りができているかのようだ。
そして、サリーは倒れ動かなくなった。
その顔は綺麗なままだった。
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