メリーさんの贈り物
だんぞう
第一話「黄昏の声」
夜が慌ただしく昼を追い払い、春になりかけの陽気を冷まそうと少し強めの風が吹きすさぶ黄昏。
ぽつぽつと街灯が照らす薄暗い並木道。
一人の少女が……年齢は5歳くらいだろうか、その風を避けるために大きな樹の陰へと隠れ、何かを両手で必死に抱きしめながらうずくまっていた。
車のたくさん通る道から一本入った桜の並木道。
人通りがほとんどないのは、まだ咲いていないのと、学生が居ない時間なのと、少し肌寒いのとで。
少女はその桜のうちの一本にもたれかかり泣いていた。
泣き声に混じり、同じ言葉が繰り返し聞こえる。
「ママ……ママ……もしもし……ママ……へんじして」
少女が抱えている携帯電話のおもちゃは、何も音を出さない。
「……もしもし……ママ……どこにいるの?」
少女のしぼり出すような泣き声が、桜並木の葉の陰にそっと響いていた。
「あの子?」
そう問いかけられた若い母親は静かにうなずいた。
目元は少女と似ている。
そして少女と同じくらいぐしゃぐしゃに泣いている。
「では、お届けの契約をします。よろしいですね?」
そう言って母親の瞳を見つめたのは、中性的で整った顔立ちの若者。
まだ高校生くらいにも見える。
「……お願いします」
「はい」
若者は母親の手を取った。
「イメージして下さい」
母親は瞼を閉じ、その勢いでこぼれた涙がまた一筋、彼女の頬をつたう。
若者は深呼吸するように間を置いたあと、つないだ母親の手を強く握りしめた。
「……もしもし……ママ……もしもし」
「もしもし」
少女のおもちゃの携帯電話から突然流れ出た透明感のある声。
「ママ?」
とっさに聞き返す少女の眉間にはしわが寄っている。
「私、メリーさん。今、桜並木のはじっこ」
少女は樹の根っこからがばっと立ち上がりキョロキョロする。
「ママじゃないの? メリーさん、でんわばんごうママからきいたの?」
声は答えた。
「もしもし、私、メリーさん。いま、すたあちゃんに見えている自動販売機の前」
少女は5m離れた場所にある自動販売機の前へ、たかたかと駆け出した。
「すたあの、おなまえ、しっているの、ママ、だよ、ね?」
走りながらも耳元から離そうとしない携帯電話へ、少女はしゃべり続けている。
「もしもし、私、メリーさん。いま、目の前の角を曲がったとこ」
「まって、メリーさん! ママはどこ、なの?」
少女は電話から流れる声の言うままに角を曲がって走り続ける。
「もしもし、私、メリーさん。青信号になるまで待っているよ」
たかたかたかと元気な足音が、暗い路地を抜けて大通りへとたどり着く。
そこには横断歩道があるが、今はまだ赤。
「すたあ、おりこうさん、だから、あおしんごう、まで、まつよ!」
息を切らしながらも少女はじっと信号を見つめている。
やがて信号は青へと変わり、少女はまた走り始めた。
「もしもし、私、メリーさん。いま、青い看板のコンビニの前」
「もしもし、私、メリーさん。いま、コンビニの角を曲がったところ」
「もしもし、私、メリーさん。いま、そのまま真っ直ぐ進んでいる途中」
「もしもし、私、メリーさん。いま、酒屋さんの角を、お箸持つ手の方向に曲がったところ」
メリーさんの声が導くままに、少女はずっと走り続ける。
息が切れるのか、携帯電話へと話しかける口数が減ってきた。
「もしもし、私、メリーさん。いま、転ばないように走るのやめて歩き出したところ」
「ママでしょ。メリーさん、ママだよね。わかるもん。すたあ、ちゃんとわかっているよ」
「もしもし、私、メリーさん。今、すたあちゃんのママの好きな花が咲いている垣根の前」
「わかった! それって『ときわまんさく』だよね? すたあ、おなまえおぼえたよ!」
「もしもし、私、メリーさん。今、ポストの前」
「うれしいな、メリーさん。ママといっしょにおさんぽしているみたい!」
少女の目からはいつしか涙が消え、笑顔になっていた。
「もしもし、私、メリーさん。いま、コインランドリーの前」
「もしもし、私、メリーさん。いま、みっつ並んだ自動販売機の前」
「もしもし、私、メリーさん。いま、すたあちゃんの住んでいるマンションの前」
「ね、ママメリーさん、パパがいるよ! まんしょんのまえにパパがいるよ!」
少女はまた走り出した。
その耳元に、メリーさんの声がもう一つだけ届いた。
「もしもし、私、メリーさん。いま、そしてこれからもずっとずっと、すたあちゃんとパパのすぐ隣。もう声を届けることは出来ないけれどちゃあんと。だからすたあちゃん、いい子にしてパパの言うことを聞くんですよ」
「ママメリーさん? きくよ! すたあ、ちゃんときくよ? ねぇ、ママメリーさん?」
しかしそれ以上、メリーさんの声は返ってこなかった。
やがて少女は若い父親に抱きしめられ頭をなでられる。
少女は父親にしがみつきながら、小さな声でこう言った。
「ママね、ずっとみまもっているっていってた。パパのいうことききなさいって」
父親は少女を抱きしめながら、何度も「そうだよ。ずっとそばにいるよ」と繰り返した。
「美空さん。すたあちゃん、お父さんに会えたようですよ」
若者が声をかけると、若い母親は両手で目を覆いながら、頭を下げた。
「本当に、ありがとうございます」
若い母親は若者にもう一度、頭を下げる。
「去年のお花見でおさんぽした場所でしたっけ。家からけっこう遠いのに覚えているなんて、おりこうさんなんですね」
「今日は、ね」
母親は泣き腫らした目のまま少しだけ笑った。
「あなたの未練を晴らすお手伝いが出来てうれしいです」
「……あたしの未練……これで晴れたのかなぁ……」
「大丈夫ですよ。きっと晴れますよ。あんなに素敵なお父さんが居てくれますし」
母親は、じっと若者を見つめた。
「ね、あなたは? あなたは未練、残っているからまだこの世に居るんでしょ?」
「え、僕ですか?」
中性的な若者は、少し困ったような表情を浮かべる。
「僕は……その……まだです。まだだから……こうやってお手伝いすることで」
「それ、それよ。それ、あたしにも出来ない? その力があれば、いつだって娘に声を届けられるわ! ね、どうやっているの?」
若者は二、三歩、後ずさった。
母親は若者に詰め寄ろうとして、立ち止まる。
「あたし、この場所から動けない。せめて、動く方法だけでも教えて……下さい」
母親はしゃがみこみ、膝の間にうつむくように頭をうずめる。
その後頭部は赤く染まり、不自然に陥没しているのが見える。
七分丈のレギンスから見える脛には、ちょうど車のバンパーぐらいの幅の痣も見える。
若者は困った表情で辺りを見回した。
母親は再び顔をあげ、若者を見つめる。
「あなた男の子でしょ? それも高校生くらい。なんでメリーさんなんてやっているの? メリーさんなら、女のあたしの方が、いいんじゃない?」
母親の表情がだんだん険しくなってゆく。
若者は自分の胸元でぎゅっと拳を握りしめ、無言で立ち尽くす。
「仕方ないね」
急に声がした。
若者と母親とが同時に振り向いたそこには、白い色に包まれた一人の老婆がたたずんでいた。
まるでアンティーク人形が着るような西洋風の白いドレスを身にまとい、フリルつきの白い傘を杖のように持っている。
帽子も手袋もタイツも靴も全て真っ白。
「アンタ未練がまだ捨てきれないようだね。アンタもメリーさん、やってみるかい?」
「はい!」
「即答とは威勢がいいね。ただし条件があるよ」
「……条件?」
母親は眉をひそめる。
「ちょっと待っていな。じきに戻ってくる」
母親を手のひらで制すと老婆は若者を見つめた。
表情が見えない瞳。
「アンタはちょっとこっちおいで」
すたすたと歩き出す老婆の後を、若者は黙ってついてゆく。
母親の居た場所からだいぶ離れた交差点。若者は不安げな表情になる。
「ここだったね、アンタは」
若者は表情を暗くしてうなずいた。
「最初の仕事にしては上出来だ。男は滅多に採用しないんだけどね、アンタはなかなかの拾いもんだったよ」
「あ、ありがとうございます」
「だけどアレはダメだ、名前。電話の相手には『あなた』と呼びかけなさい」
「はい」
若者は背筋を伸ばし、直立不動の姿勢になる。
「そのうち慣れるさ、また呼びに来るよ」
「はい……あの」
「なんだい?」
「その『次』まではあの……」
「ワタシは依頼するときここに来るからね。ワタシが来た時ここに居なかったら依頼はよそに回すよ」
白い傘の先がアスファルトに乾いた音を響かせる。
「……はい」
老婆はじっと若者の目を覗き込むと、そのまま踵を返して二人が歩いてきた方向へ消えていった。
若者は老婆が見えなくなった後もずっと、その方向を見つめ続けた。
夜も若者を置いて、更けていった。
<つづく>
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