掌編おきば

森エルダット

隙間

 恐ろしい静寂とピンポンパールに吸い込まれそうな夜だった。お祭りの帰りはいつもなにか名残り惜しくて、胸がきゅうと締め付けられる。見えない手に心臓を握られて、お祭りの余韻へ引っ張られているような気持になる。今夜のそれは一層だった。


 出店が軒を連ねる。くじや射的やたこやきやおもちゃや、流行りを過ぎかけている外国の食べ物が並ぶ合間、まだ覚えてる。ピンクと緑のチョコバナナと銃が飾ってあったくじ引きの間に、金魚すくいの屋台があった。いろんなのがいた。ちまっこいの、黒いの、目が出てるの、それに、まんまるの。あのまんまるの金魚の瞳、体と同じくらいまんまるだったけど、重要なのはそこじゃない。てぷてぷ泳ぎながら、なにか瞳の中だけがバグでどこか別の世界にあるような、目だけれど目じゃないような、どこも見ていないのにどこまでも見えているような、その目の中を覗き込んだ時、世界が消えたような気がした。


 どこまでも続く真っ暗な空間にすがすがしいまでの無音が響いて、びびっと電流が走ったような衝撃と共に肉体としがらみが消えうせた。慣性で僕は泳いだ。あてもなく、あてなんてつくわけもない、くじらの夢の中のような壮麗で夢想的な場所で僕は泳いだ。風にならない風が頬を撫でる。つかめない溶媒が身体を水和する。一生いた気もするしほんの一瞬だった気もするけど、とにかく心地よくて、ずっとこのままがよかった。


 肩を叩かれたその瞬間、そういえば肩って自分にもあったなって思って、そこで僕はおんだされた。だって肩なんてその世界にはなくて、そこからドミノ倒しみたいに、僕の肩を中心として僕の肩の存在と矛盾しないような物とか、空気とか、人とか、肩を叩いた友達がぶわっと構成されていった。僕は急かされたからその金魚すくいからは離れてしまって祭りの反対側に行ってしまったけれど、どうしてもあの金魚が忘れられなくて、終わりがけに覗いてみたけれどもう店じまいを終えていた。どうにももやもやするし、とても惜しいことをしてしまった気分で家路についた。今も僕の心はあのでっぷりした金魚の瞳にむんずと握られている、いや、そもそも僕の一部をあの瞳に残していってしまったような、そんな気分だった。後でネットで調べたらおそらくそれはピンポンパールという種類だったようなのだけれど、その画像の一枚にも、動画の一フレームにも、瞳には世界は広がっておらずただ黒い栓がしてあるだけだった。

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