姉貴のゲームをこっそりやっていた俺が悪役令嬢に転生して恋して無双する話

桜山うす

第1話 転生……それは運命の悪戯(カプリッツィオ)

「クラリスお嬢様。その……ここには私しかいないとは言え、そのようなはしたない格好はどうか、謹んでくださいませ」


 馬車で移動中、侍女が困り顔を俺に向けて、懇願するように言った。


 俺はただ、窮屈なドレスの胸元を引っ張って、風を送り込んでいただけなのだが。


 小さい頃は、よく馬車の上に立ってスカートを広げて風を思い切り受けていたのだが、この侍女が泣いてやめるように頼むので、以降やっていない。


「なんだ? 今日はちゃんと椅子に座っているし、服だって脱いでいないぞ?」


「それはマイナスがようやくゼロになっただけです。いいですか、ちゃんと私のように膝を揃えて、何もせず、じっとお座りください。これが淑女のあるべき、理想の姿勢です」


 ぴしっと、姿勢を正す侍女のドレスデン。

 バランスの取れた姿勢は、それだけで一つの構えのように美しい。

 ドレスデンは没落貴族の出身なので、礼儀作法は熟知していた。


 俺よりも10歳年上で、生まれた直後から、ずっと俺の身の回りの世話をしてきた。

 笑った顔など見たことがなく、いつも伏せがちの目をしていたので、まつ毛の長い女だな、という印象が残っている。


 俺も11になり、ようやく当時のドレスデンの年齢に到達したが。

 俺の興味は、武術や魔法といったものばかりに注がれていて、礼儀作法に関しては、ほとんど何も学んではいなかった。


「ううむ、毎日鍛錬しているのに、どうして胸というものはこうも簡単に太ってしまうのだろうな。暑いし重いし、邪魔で仕方がないのだが」


「こちらが聞きたいぐらいです。どうして毎日教練しているのに、こうもガサツに育ってしまわれたのですか?」


「男は成人するまえにアソコの皮をカットする割礼というのがあるのだから、女にも成人するまえに胸の脂肪をカットする何かがあるべきだと思うのだが、どうだろう」


「どうだろう、ではありません。そんなことになったら私はこの国から出てゆきます。お嬢様には、恥じらいというものがないのですか?」


「あるはずがなかろう? フフフ……この領地を支配しているのは俺の父親にあたるアルベルト公爵、つまりこの領地は俺の家の庭のようなものだ。俺がどんな格好でくつろいでいようと、誰にも文句を言われる筋合いはあるまい」


「はいはい、聞いた私が間違っておりました」


 赤土におおわれたこの土地の正式名称は、ヘインツ聖皇国、アルベルト公爵領だ。

 太陽神の加護を受けていて、年中を通して水不足に悩まされていた。

 ゴッホの月の太陽はすさまじい暑さで、窓から見える畑も見事にしおれている。


 俺が近代的な灌漑設備でも作ってやれれば、この暑さもやわらいで、村人たちに感謝されるかもしれないのだが。

 あいにく俺は、この世界に転生してくる準備を怠っていて、そんな知識をかけらも持ち合わせていなかった。


 とにかく、会場までうだるような暑さのなか、侍女と狭い馬車の中でイライラしながら向かい合わなければならなかった。

 イライラした侍女というのは、うっとおしい。

 イライラした母親のようなうっとおしさだった。


「いいですか、人に見られていないと思っても、常に立派な行いをするもの、それが淑女のたしなみです」


「精神論は古いぞ、ドレスデン」


「精神論とは何でしょうか?」


「あとで教えてやる。いいか、このドレスという衣服は軽そうに見えて60キロを超える総重量を持っているのだぞ。鉄の鎧の倍だ」


「はい、よく存じておりますとも。私が着替えを手伝いましたから」


「運動しづらいだけではない、少し運動するだけで、胸だけではなく、スカートの内部にも熱がこもるのだ。休んでいる間に、こうして熱を放出してやらねば、会場まで俺の体力がもたぬやもしれん」


 俺は、これ見よがしに足を大きく開いて、組みなおした。

 スカートの中で5キロの鉄の重りが揺れ、がちゃり、と音を立ててぶつかり合う。


 足元は涼しくなったが、侍女の表情がくもって、高感度パラメータもがくん、と下がった。


【好感度】ダウン 65→44


 城を出てから、侍女の好感度は、ぐんぐん下がっている。

 ゲームをやっているときは邪魔だとしか思わなかった機能だが、現実にあると、わりと便利な機能だと思うようになった。

 だいたい10を下回った奴が俺の事を憎んでいるので、敵か味方か瞬時に判別できる。


 俺は公爵家令嬢という家柄もあって、大勢の人間に命を狙われるのだ。

 不審な人物を早期に発見できたお陰で、赤ん坊のころから九死に一生を得てきた。

 俺も、そしてドレスデンも。


「ところでクラリスお嬢様は、会場で何をするのか、ご存じですよね?」


「ああ、武闘会というやつだろう? 恒例の貴族の暇潰しだ」


「戦う気ですか、正しくは舞踏会でございます。くれぐれも、ご友人たちと戦わないでください」


「フッ、いったい何のための60キロのドレスだ? これぐらいのハンデをつければ、軟弱な貴族男子の連中といえども、いい勝負にはなると思うのだがな」


「お嬢様、そのドレスはハンデではございません……むしろお嬢様にとってのアドバンテージです」


「なに……アドバンテージ……だと?」


「はい、パーティにはレイモンド殿下がおいでなさいますので」


「レイモンドとは? 待て、言うな、いま思い出しそうなところなんだ」


「ひょっとして、お忘れになったのですか?」


「いちど戦ったやつの名前は憶えているんだがな」


「そちらの名前はむしろお忘れになった方がよろしいかと。レイモンド殿下はこの国の第二王子、そしてクラリスお嬢様の婚約者でございます」


 俺は、はっと腹の底から笑った。


「俺が婚約だって? くくく、そいつは面白い冗談だ……で、そのレイモンドとやらの戦績は?」


「戦ってみようとしないでください。いいですか、王子は火竜バルドの加護を受けて、ヘインツ聖皇国でも指折りの火剣使いであらせられます。イオノワの巨象軍を一人で撃退したという武勇を聞きます」


「思い出した……巨象殺しの第二王子か、なるほど、そいつは会うのが楽しみだ」


「お嬢様、淑女は戦績で殿方を評価するものでも、戦場の二つ名で殿方の名前を憶えるものでもありません。お嬢様は、まもなく15歳。このアルベルト公爵領を存続させるために、いまからレイモンド王子の寵愛を一身に受けなければなりません」


 俺は、そういえばゲームの中で、この悪役令嬢クラリスの婚約相手がレイモンドとかいう王子だった事を思い出した。


 このレイモンド王子は、なかなか戦闘能力が高く、序盤からかなり役立つ有能なアタッカーとなるのだ。


 だが問題なのは、実際に戦ってみて強いかどうかだろう。

 ゲームの戦闘シーンは、キャラクターの立ち絵1枚だけだった。

 俺としては、王子の太刀筋など気になる点はいくつもある。


 この世界で強いと言われている連中が、本当はどのくらい強いのか。

 実際に戦ってみないことには、俺には分からなかった。


「いいですか。お嬢様はお人形のように黙っていらっしゃれば、無敵なのです。その重いドレスによって動きを封じてさえいれば、小さくて可憐で思わず誘拐してしまいそうなか弱い美少女でしかないのです」


「おい、気にしている事を言うな。トラウマだったらどうするんだ」


「あれだけお茶会で古傷を見せびらかして自慢している事件がトラウマなわけがありません。けれど今日は黙っているだけで人生の勝ち組になれるのです。向こうに着いたら、決して、ひと言も、喋らないでください。よろしいですね?」


 侍女は「戦うなよ、絶対に戦うなよ」と念を込めるような眼差しを向けていた。

 肩を落として、「でなければ、私の首が飛びます」とも言った。

 どうやら親父の命令らしい。


 俺は、自分の髪をかきあげ、うなじの古傷を空気にさらした。

 ドレスデンが毎日手入れしてくれた、腰まで届く、長い金髪だ。

 肌触りは滑らかで涼しい、ドレスデンが俺にくれたものは、ドレスも化粧も気に入らなかったが、この髪だけはなかなか気に入っていた。


「親父の事がそんなに怖いか。だったら、いっそのこと仕事をやめてしまえばいい」


「いまさら私に他の何ができるというのでしょうか……公爵家から追い出されてしまえば、修道院で尼になるか、夜の蝶にでもなるしかありません」


「お前の好きに生きればいい。だが、お前が何をしていても、この領地にいる限り、お前は俺の庭にいるのと同じだ、それを忘れるな」


「お嬢様……」


「困ったらいつでも俺の家に来い。俺がお前を守ってやる。そのとき俺の身の回りの世話をするのはお前の勝手だし、気が向いたら料理でも作ればいい。何一つ変わるものなどないさ。お前以外の侍女など、俺は傍におく気はないからな」


「はうぅ……」


 ドレスデンの顔が、ぽっと赤くなった。

 そしてパラメーターも一気に元通りになった。


【好感度】アップ 44→190


 ふむ、190か。

 だいたい90から攻略ルートに入るというのが、全キャラ共通のルールだったのだが、ドレスデンは俺が生まれた時からすでに限界を突破しているのだった。


 やっぱり、この世界はゲームとは若干違うみたいだ。

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