第16話 魔力譲渡の秘術


 ピヨリィを救出したヒルネ一行は、約七十羽のピヨリィを引き連れてイクセンダールに帰還した。


「見えました、ヒルネさまの馬車です! ん……何か、白い物に囲まれている?」


 イクセンダールの門の前で、聖職者の一人が声を上げる。


 西の森から膨大な魔力の反応があったことから教会の面々が心配した様子でヒルネを出迎えてくれたのだが、彼らはヒルネ一行の様子を見て驚愕した。


「あれは……ピヨリィの群れ?」


 その姿を近くで見ることはほとんどできない幻想生物として扱われているあのピヨリィが、列をなしているのだ。


 まるでヒルネの馬車を護衛するように、白いもこもこが大聖女専用馬車を取り囲み、ピッピ、と何か人間がしゃべるように鳴きながら歩いてくる。


「ヒルネさまの馬車が……なぜかもこもこしている……!」


 ヒルネたちの帰還を心待ちにしていた男性司祭が、意味不明な光景に思わず声を上げた。


 ヒルネを一目見ようと仕事終わりでやってきた領民たちも、「すっごいもこもこしている……」「白まんじゅう……いや、毛玉が歩いてくるぞ」と指をさしていた。


 また、ピヨリィたちの背後では寝具店ヴァルハラのトーマスが満面の笑みで抜け落ちるピヨリィの羽を拾っていた。羽毛回収イケおじである。


 騒ぎの様子を見にきたゼキュートスが到着すると、男性司祭が聖印を切った。


「ゼキュートスさま……ヒルネさまがご帰還されましたが、何かご存知でしょうか?」


 ゼキュートスは近づいてくる大聖女の馬車とピヨリィの集団、その背後に続くマネーフォード商会の馬車を見て、表情を一つも動かさずに口を開いた。


「ふむ……おそらくヒルネの仕業だろう。ピヨリィを連れ帰ったようだな」


 こともなげに言うゼキュートスを見て、男性司祭は驚いた。


「ピヨリィの飼育は誰も成功したことがありません。捕獲も過去に成功したことがないと聞きましたが……」

「これが大聖女なのだろう。彼女が想えば不可能は可能になる」


 司祭はそれを聞いて恭しくヒルネの馬車に向かって聖印を切った。


 しかし、ゼキュートスは違った。


 ピヨリィのもこもこ具合を見て、ヒルネは確実にあれにうずもれて寝ている、と確信を抱いていた。


 やがてヒルネの馬車が門の前に到着し、停車した。


 ピヨリィたちも止まる。


 馬車の窓が開くと、頭の毛が一本飛び出して生えているピヨリィが窓から首を出し、「ピッピ!」と鳴いた。


 続いて眠そうな目つきのヒルネが顔を覗かせた。


 ヒルネの登場に領民からは「おお!」「大聖女さま!」と声が上がる。


 聖職者たちは一斉に聖印を切った。


「ゼキュートスさま、お出迎えですか? ただいま戻りました……あっふ……」


 あくびを一つして、ヒルネが笑顔を見せる。


 ゼキュートスは重々しくうなずき、周囲を見回した。


「して、これはどういった事態なのだ? 西の森で聖魔法を使ったようだが……」

「ピヨリィたちが大教会に住むことになりました。出入り自由、三食昼寝付きです」

「……住む? ピヨリィが?」

「はい。羽を拾っていい変わりに毎日浄化魔法をかける、という約束です。後は気に入った聖女なら背中に乗せて運んでもいいと言っております」


 ヒルネの言葉に、窓から顔を出しているアホ毛のピヨリィが「クルッ! ピッピッピ!」と鳴いた。


 ヒルネとピヨリィの隙間からスライムのおもちがむにむにと形を変えて出てきて、ぷるりと震えた。


「なるほど。ピヨリィは住むのが楽しみ、と言っているそうです」


 ヒルネがおもちの通訳をゼキュートスに伝える。


 ピヨリィの言葉をスライムに通訳させる謎のシステムに首をかしげたくなるが、ゼキュートスは眉一つ動かさずに首肯した。


「詳しい経緯は大教会で聞こう。もうすぐ日が落ちる。街に入りなさい」

「はぁい」


 ヒルネが返事をして首を引っ込めると、ピヨリィ、おもちも車内に戻った。



      ◯



 大教会に戻ると、ピヨリィたちは中庭に三々五々散っていった。


 南方支部教会と大聖女専用である大教会の間にある中庭は徒競走ができるほどの広さがあり、青々とした芝生とミニベリーの木が点々と生えている。ヒルネが言う「昼寝スポット」の一つであった。


 ピヨリィは気に入ったのか、周囲を興味深そうに散策している。


 十羽前後のグループに分かれて身を寄せ合い、眠り始めた。


(白まんじゅうが合体した)


 ヒルネは中庭を寝床にしたピヨリィたちを見て思う。


 西の森に同行したトーマス、ベンジャミンは羽毛布団の製造や流通について話し合うため、街へ戻っていった。付き従ってくれていたハンターたちや兵士たちも夜の街に消えていった。


 一方、魔力欠乏症で眠っているホリーは大教会の大聖女専用ベッドに寝かされた。


 いつもヒルネ、ジャンヌ、ホリーで寝ているキングサイズベッドである。


 ヒルネ、ジャンヌ、ゼキュートス、ワンダ、アホ毛のピヨリィ、ホリーを心配しているピヨリィの視線は一点に集まっていた。おもちは温度調整役を買って出たのか、ホリーの足先付近に潜り込んだ。


「ホリーはまだ起きませんか? 魔力欠乏症なのですよね?」


 ヒルネはピヨリィから下りてホリーの顔を覗き込んだ。


 長いまつ毛は閉じられており、顔色は青白い。


 ワンダから何があったのかゼキュートスへ説明がなされた。


 西の森が瘴気に包まれており、非常に危険な状態であったこと。ピヨリィの巣が瘴気に飲まれそうになっているところをホリー、ヒルネの聖魔法で助けたことを簡潔に伝える。


 すべて聞き終えたゼキュートスは内容を脳内で吟味して、顔を上げた。


「南方の危機をヒルネとホリーが救ったのだな。素晴らしいことだ」

「頑張ってくれたホリーのおかげです。私たちが到着するまで、瘴気を一人で抑えてくれていたのです」

「……そうか。正義感の強い子だ」


 ゼキュートスがホリーの青白い顔を見て心配そうな声を上げると、ワンダが目を伏せた。


「私がついていながら……申し訳ございません」

「あまり自分を責めるな。この子たちを見ればのびのびとイクセンダールで生活していることがわかる。ワンダの教育は間違っておらん」


 ゼキュートスが静かにうなずくと、ワンダはホリーのおでこに手を添え、前髪を梳くようにして何度か撫でた。


 見習い聖女の頃から育ててきた大切な子だ。


 ワンダはホリーにはよく言って聞かせようと思う。


「ホリーさまはどのくらいで目を覚まされるのでしょうか? かなりご無理をなさっていたようですが……」


 ジャンヌがホリーの顔を覗き込み、眉を下げる。


(何日も目を覚まさなかったら……脱水症状とか起こすかも? あ、でも、そうなる前に私がつきっきりで看病すれば大丈夫かな)


 ヒルネは自分が看ていれば何かあっても対処できる。そう思うと安心してきた。


(待てよ……脱水症状よりも……お腹がすいてしまうかもしれない。ホリーは食いしん坊だから……。寝ている間にぐうぐうお腹が鳴ったらかなり恥ずかしいかも……)


 ヒルネは魔力欠乏症よりも、ホリーの腹のすき具合が気になってきた。


 そんなヒルネの考えはしらないゼキュートスはジャンヌの顔を見てから、心配するのも無理はないな、とホリーの顔色をもう一度確認した。


「この様子であれば……三日ほど虚脱状態が続くな。完全枯渇の一歩手前まで魔力を使ったようだ。責任感が強いのはいいことだが、後で聖魔法の使い方を指導すべきだろうな」

「そうですね」

「三日も虚脱状態ですか……それはお腹が鳴ってしまうかもしれませんね」


(あれ? そういえば魔力を譲渡する聖魔法があったような……)


 ヒルネは夢心地で聞いていた授業を思い出していた。


 効率が悪いため、緊急時以外には使用を禁ずる、という聖魔法だったような……。


 ヒルネの顔を見たワンダが何かを察した。


「聖女が聖女に魔力を譲渡する聖魔法が存在します。十分の一程度しか譲渡できないため、緊急時以外に使わない方法ですね」

「どういった魔法でしたっけ?」

「口づけをして、魔力を譲渡する方法です」

「…………接吻ですか」


 ヒルネはちらりとホリーの唇を見る。


 いつもは健康的なピンク色だが、今は青紫色をしていた。


「せせせ、接吻……そ、そんなッ、ど、どうしましょう!」


 なぜかジャンヌが慌て始めた。


 彼女はあまりある体力で余った時間を読書に使っていた。

 経済の本に疲れたときはよく恋愛小説を読んでいる。

 一般的な女子と同じく、色々とミーハーな部分があるメイドだった。


「大聖女さまと聖女さまが……そ、そんなおとぎ話のような……!」


 ジャンヌが赤くなった顔を両手で覆って、いやいやと首を振る。それにあわせて勢いよくポニーテールも揺れた。


 そんなジャンヌを横目で見ながら、ワンダが小さく首を横に振った。


「ヒルネ、やめておきなさい。他人の魔力を馴染ませる必要があるため、かなりの時間唇を接触させなければなりません。譲渡に失敗する確率のほうが高いのです」


 ワンダの言葉を受けて、ゼキュートスが「うむ」とうなずく。


「接吻による魔力譲渡は緊急時、それこそ死の危険がある際に行使する秘術だ。今はそのときではないだろう」

「……」


 ヒルネはワンダのゼキュートスの声が聞こえていたのかいないのか、鼻から息を吐いて腕を組んだ。


 何かをじっと考えている。


 めずらしく真剣な表情をしているヒルネに、ワンダ、ゼキュートス、ジャンヌ、ホリーを心配しているピヨリィの視線が集まった。


 ベッドの脇に敷いてある絨毯にちゃっかり陣取り、自身の体に首をうずめて巨大白まんじゅうと化していたアホ毛のピヨリィが「ピッピ」と鳴いた。

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