第8話 辺境都市、豊穣の祭典(後編)
「ヒルネ、下がりなさい」
ゼキュートスがすぐさまヒルネの前に出て危険が及ばないように身構える。視察団一行もヒルネの背後を守るために素早く円形に陣取った。
(おお、カッコいい。映画で見たやつと同じだ。VIPを守るボディガードの動き)
ヒルネはのんきに心の中で拍手を送る。
「どけ! どけ! 邪魔だ!」
財布らしき小袋を握った男が必死の形相で駆けてくる。
周囲の市民からは「きゃあ!」と悲鳴が上がり、「兵士を呼べ!」「捕まえろ!」と怒号が上がった。
泥棒男は転がるように走り、進行方向に聖職者がいることに気づいて、ぎょっとした表情になった。
メフィスト星教の男性聖職者は瘴気と戦うため、過半数以上が身体を鍛えている。しかも、精神的にも熟練兵士に劣らない冷静さを持ち合わせているため、聖職者にちょっかいを出すなというのは誰しもが知っている常識だった。
さらに、待ち構えているのは武闘派のゼキュートスである。
泥棒男はゼキュートスの鋭い眼光を見て、これは敵わないと思ったのかあわてて方向転換しようとした。
(泥棒は良くないね。穏便に捕まえよう)
ヒルネはのんきにあくびをしていたが、指の先から聖魔法を飛ばした。
星屑が身体をひねった男の足首に絡みついた。
「ああっ!」
周囲から悲鳴と驚愕の声が響くと、泥棒男は無理に進路を変更したため回転しながら地面に顔を強打する勢いで倒れ込んだ。
「おもち」
ヒルネがつぶやくと同時におもちが素早く足元へ移動し、泥棒男が地面と激突する前にキャッチした。
「おおお! あれが最近噂の聖獣さまだ!」
「白スライムのおもちさま!」
野次馬たちがおもちに包まれた泥棒男を指差しで叫ぶ。
「な、なんだこいつは。スライムか!」
泥棒男は全身をおもちに包まれ、起き上がろうともがくが、不定形の身体をおもちがうねうねと変形させて器用に男をひっくり返し、椅子に座るポーズにさせてしまった。
「……ッ!」
その後はもうお察しである。
男は白目を剥いて昇天したかのような極楽浄土スタイルで放心した。
炭酸飲料の気泡のように、悪気が立ち上り浄化されていく。
「な、なんだあれは……!」「泥棒が白目を剥いたぞ!」「なぜあんな幸せそうな顔をしてるんだ!」「くっ……私も座りたい……」
いつしかギャラリーが集まりヒルネたちを囲んで人垣ができている。
ヒルネは満足そうにうなずいて、放心している泥棒男の顔を覗き込んだ。
(うーん? 顔つきは悪人っぽくないね。どれどれ、ちょっと事情を見てみよう)
ヒルネは男の額に人差し指にを当てて、聖魔法を行使した。
魔法陣が地面に展開されて星屑が舞い、ギャラリーからは「おお!」「大聖女さまだ!」「聖魔法をお使いになられるぞ!」と声が上がった。
「ふむふむ……なるほど。彼は孤児のためにお金が必要だったようですね。性根が悪い人ではないようです。ですが人のお金を盗むのはダメですね……」
「ヒルネ。此の者の心を見たのか?」
泥棒に仲間がいるかもしれないと周囲を警戒していたゼキュートスが、ヒルネに聞いた。
「はい。なんだか気になりまして……聖魔法で過去を見てみました」
「そんなことが……。うむ、そうか。それで、ヒルネはどうしたい?」
ゼキュートスは驚きを飲み込み、ヒルネを見つめる。
(このままだと捕まって罰を受けるのかな? かわいそうな気もするなぁ……)
「罰の意味も込めて加護を付与したいと思います」
ヒルネは指を離し、聖句を唱えた。
星屑が舞い、吸い込まれるようにして男の額へと吸収されていく。
人をダメにするスライムに座って白目を剥いて昇天している男の額に、聖印が刻み込まれた。
「これでよし。幸運上昇の加護をつけておきました。額を見れば皆が今日の悪事を思い出すでしょう。皆さん、いかがでしょうか?」
(額にいたずら書きをされてちょっと恥ずかしい思いをするけど、幸運の加護が付与される。こんな感じでどうだろう? 刻んだ聖印はそのうち消すことにしましょう。忘れないようにしないとなぁ……)
ヒルネの裁定に「これであいつはもう悪事ができんな」「慈悲深い……」「さすがは大聖女さまだ」と周囲から拍手が起きた。
数分後には兵士が駆けつけ、ゼキュートスが事情を説明した。財布の持ち主も見つかり、領主へ報告される運びとなった。スリは刑罰対象であるので、法を管理している上層部に報告が必要なようだ。兵士によると、大聖女ヒルネが罰を与えたと伝われば、男はお咎め無しになるだろうとのことであった。
「しばらく起きないでしょうね」
「そのようだな……」
ヒルネとゼキュートスはおもちに座って昇天している男を見下ろす。
「このまま移動しましょう。おもち、できますか」
まかせてくれ、とおもちが身体の端をうにょんと変形させて、OKマークを作った。
ヒルネたちはおもちの上で昇天し、額に聖印をつけた男を引き連れて、屋台や露店を見て回った。
かなり目立っていたため、ぞろぞろとギャラリーがついてきたのは言うまでもない。
◯
その後、ヒルネは時計塔の広場の特設会場で行われる豊穣の祈祷を鑑賞した。
時計塔の鐘が鳴り響くと、聖女タチアナと聖女ホリーが登場した。
彼女たちは聖女服の上から祭服のカズラを前掛けのように垂らし、足首まである長いマフラーのようなストラと呼ばれるものを身に着けていた。手には鈴のついた祭杖を持っている。豊穣を祝い、今後の豊作を祈願する祈祷であるため、祭服は緑色を基調としていた。
二人の登場に会場は拍手喝采である。
「ホリー、素敵ですよ〜」
豊穣の祈祷は、舞いである。
ホリーとタチアナが円を描きながら、入れ替わるようにして舞い、シャンシャンと祭杖を鳴らした。
音が鳴るたびに、小さな星屑が宙へと浮かんでいく。
星屑は消えることなく、空中にとどまり、舞いが終わると弾けるようにして空へと舞い上がった。
ヒルネは前世で叶えられなかった舞台鑑賞の夢が何となく叶ったような気がして、嬉しくなり、手が痛くなるまで舞台上に拍手を送った。
ヒルネは舞いが終わるとすぐに舞台裏へと向かい、ホリーにハンカチを差し出した。
「いや〜、かわいい。かわいいですね。普段と違う衣装は最高です! ささ、ここにサインをくださいな。ヒルネちゃんへ愛を込めて・らぶ・ふぉ〜・ゆ〜とコメントもお願いします」
「やめてよ。舞台役者じゃないのよ」
そう言って顔をそむけたホリーの顔は、少々赤くなっていた。
「ファングッズはどこで購入できるのでしょうか? ホリーの顔が入ったうちわとかアクリルスタンドですね」
ちょっと意味不明であったので、ホリーは会話をスルーした。ヒルネがたまに自分にしかわからない言葉をしゃべるのは界隈で有名な話である。
(ゼキュートスさまと屋台で買い食いもできたし、ホリーの晴れ姿も見れたし、大満足の一日だったな)
その日、ヒルネは幸せな気持ちで眠りにつくことができた。
◯
その後、豊穣の祭典では額に聖印を描くというのが流行り、文化として根付いていくのだが、ヒルネが知るよしもなかった。
また、この一件後、領主によって新しい孤児院が設立され、数年後には都市から浮浪孤児がいなくなるのだが、それは先のお話である。
泥棒男は聖印を刻まれし者として敬虔な信徒となり、自己犠牲を厭わず孤児院を死ぬまで守り続けるのだが、それもまた別のお話である。ヒルネは寝て起きたら聖印のことは綺麗さっぱり忘れており、男の額には死ぬまで聖印が刻まれていたそうだ。
「聖獣には……座らんでおこう」
祭典の日の夜、自室にてゼキュートスが、自分もこんな顔になっていたのかと、おもちに座って昇天している男の顔を思い出して真顔でつぶやいてたのは、誰も知らない出来事であった。
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