第7話 辺境都市、豊穣の祭典(前編)



 ゼキュートスおもちぷるぷる着席事件の翌日、ヒルネは視察団を案内した。


 視察団の面々はチラチラとゼキュートスを横目で見て、昨日、例の顔を見てしまった申し訳なさで若干気まずいようであった。


 ゼキュートスは現実主義なタイプであるので起きてしまったことを気にしていない。むしろ、ここ数年間で一番の快調であり気力がみなぎっているためスライムのおもちに感謝したいくらいであった。


 ゼキュートスは南方支部の良い部分を持ち帰って王都で活かすべく、真剣な顔つきでヒルネの説明を聞いている。


 ゼキュートスが大教会の外壁に手を当てて、「聖気が宿っているな」とつぶやいた。


 快眠石――もとい、聖水晶セントクォーツを建材として利用し、一新された大教会には常に清浄な空気が流れていた。室内温度も一定に保たれており屋外よりも断然過ごしやすい。


聖水晶セントクォーツは希少性が高いと聞いている。どれほどの量を採掘できるのだろうか?」

「採掘場にはまだいっぱいありそうでしたけれど……王都で使える量はなさそうですねぇ……あっふ……」


 ヒルネのゆるい説明で足りない場合は、南方支部の大司教であるジジトリアが補足を入れてくれる。


「五年ほどは採掘可能でしょうな。王都の教会でも利用したいのであれば、石職人と商会に話しておきましょうぞ」


 ジジトリアが優しく微笑み、ゼキュートスの確認事項を先回りして答えた。


「ゼキュートスさまのお部屋も快眠石にしましょう。そうすれば毎日ぐっすり眠れますよ」


 ヒルネがお気楽な調子で壁をぺたぺたと触りながらゼキュートスを見上げた。


「私の部屋だけ快適になっては他に示しがつかないではないか」


 ゼキュートスがヒルネの頭を一撫でした。


(ゼキュートスさまはやっぱりご自分に厳しい方だ……おもちに座ったときも湯気がかなり出ていたし、激務の心労は計り知れないね)


「では、王都に戻ったときにお部屋によく眠れる聖魔法をかけますね。あとはピヨリィの羽毛布団も……ああ! そうでした!」


 ヒルネは重大なことを思い出した。


「私のピヨリィの羽毛布団を使ってください! 王都に置いたままになっていますよね? トーマスさんからいただいたものなので、使わないのはもったいないです」


 南方に出発する際、ヒルネは寄付された羽毛布団を泣く泣く置いてきていた。


「……それは色々と問題があるのではないか?」

「なぜでしょうか?」

「ヒルネの羽毛布団を私が使っているところを想像してみなさい。大司教が後見人であるヒルネの羽毛布団で寝ているのは……うむ、やはり、社会的によくない」

「えー、そうでしょうか? 親戚の家に行ったら布団くらい借りますよね? それと同じですよ」

「それは旅先で寝具がないからであろう。王都に自分の布団があるにもかかわらずヒルネの羽毛布団を使うのは職権乱用と言われかねない」

「ピヨリィの羽毛布団がもったいないですよ。きっと草葉の陰でピヨリィたちも泣いております」

「ピヨリィは死んでおらんぞ。抜けた羽を集めて作るからな」

「あ、そうでしたね」


 ヒルネは絵本でしか見たことのないピヨリィを想像し、羽を集める風景を思い描いた。


 きっと、ふわふわした不思議な羽なのだろう。なにせピヨリィの羽毛布団は薄い掛け布団よりも軽い。その上、とても温かい。


「ですが、やはり良い物は活用しないといけませんよ」


 ヒルネは前世での貧乏性が発動しているのか、羽毛布団のことを考えたらそわそわしてきた。


 一方、ゼキュートスはヒルネが使用していたピヨリィの羽毛布団について考えていた。


 実はヒルネの羽毛布団は大聖女が使っていた聖なる神具――寝具として、大切に保管されている。


 というのも、ヒルネが王都に帰ってきた際に使えるようにと、定期的に干して清潔にしているのだが、メイドが羽毛布団を持って移動すると異様に眠くなってヒルネの部屋で爆睡してしまうという事件が多発した。


 一部の聖女フリークの貴族がどこから情報を聞きつけたのか、金貨百枚で売ってくれと提案をしてきて神具取扱の部署が困惑したとの報告も受けていた。


 ヒルネさまに包まれて眠りたい、などと世迷い言を垂れ流している貴族もいる。


 ヒルネの羽毛布団は取扱注意の神具となっていた。


 ちなみに神具とは、女神の力が宿っているもの、聖魔法の力が付与されているもの、式典、祭典などで使う道具などをひとまとめに差している。大聖女になってからヒルネが昼寝で使った寝具はすべてが神具化してしまうため、湖の街モデルラのハンモックなども実は聖なる力を帯びていた。効果は安眠である。


「ヒルネの羽毛布団を借りるという話はなしだ。気持ちだけありがたくいただこう」


 ゼキュートスは重々しくうなずいた。


「そこまでおっしゃるのなら……残念です。気が向いたらいつでも使ってあげてください。本当はゼキュートスさまにもぜひ使っていただきたのですが……」


(うーん……ピヨリィの羽毛布団を量産すればいいんじゃない? 大司教全員に配ればゼキュートスさまも文句はないだろうし……)


 ヒルネは落ち着いたらピヨリィについて調べようと思った。



      ◯



 辺境都市イクセンダールでは豊穣を祝う祭典がメフィスト星教主導のもと催されていた。


 ヒルネが大聖女として着任してからメフィスト星教の名声はうなぎ登りであり、土着宗教から改宗する人々も多くなってきた。


 これはメフィスト星教の当初の目的である“信仰を広める”と合致している。

 南方地方の人々は気風として、細かいことは気にせず大らかな人間が多い。


 大聖女の奇跡を目の当たりにして応援したい。

 そんな気持ちが都市全体に広がっているようだ。


「青いカボチャにパプリカ。お〜、おっきなジャガイモがありますね。見てくださいゼキュートスさま、今にも崩れそうですよ」


 ヒルネは縁日に来た子どものように周囲を見回した。


 都市の大通りには屋台が並んでいる。大通りを歩けばユキユリが咲き誇る時計塔が見えてきて、その広場には周辺の農村で取れた色とりどりの農作物が積み上げられていた。


 ヒルネ、大司教ゼキュートス、大司教ジジトリア、視察団一行、ヒルネの足元をぽよぽよと跳ねてついてくるスライムのおもちは行き交う人々の注目を集めていた。


「祭りは悪人も引き寄せる。悪さをする者がいたら私の後ろに隠れなさい」


 ゼキュートスがヒルネに目を向ける。


「おもちがいるので大丈夫ですよ。困ったら座らせればいいのですから」

「そうかもしれんが……悪人にも効果があるのか?」


 ゼキュートスが尋ねると、おもちが「まかせて」と言いたげにぷるぷると揺れた。


 大通りは人で溢れている。ヒルネが通れば人の波がさっと割れ、老若男女問わず聖印を切る。


 ヒルネ、ゼキュートスらも聖印を切ってそれに応えるため、一行の足取りはゆっくりであった。


 ゼキュートスは無表情の強面であるが、内心ではヒルネが市民の尊敬を集めていることが誇らしく、成長を喜んでいた。


 数年前に道端で寝ていた少女がこのように成長するとは、あのときは夢にも思わなかった。


(いい匂いがしますね)


「お、ヒルネちゃん。一本いっとくかい?」


 屋台でお馴染みの店主タネトゥがヒルネに声をかけた。


 ヒルネ、大司教ジジトリア、大司教ゼキュートス、視察団一行を目にしてもこの店主は物怖じしないらしい。店主タネトゥは王都からヒルネに串焼きをあげ続け、南方にもくっついてきたヒルネフリークな人物だ。孫のように思っているらしい。


 ヒルネは流れるような手付きで串焼きを手に取って「うまい!」とひとかじりする。ゼキュートスがぴくりと眉を動かした。


 視察団一行も「だ、大聖女さまが屋台で串焼きなど……」「いいのか?」「女神さまはお怒りにならないだろうか」などつぶやいている。


「これはシシトウですか?」


 ヒルネは肉の間にシシトウが刺さっているのを見逃さなかった。


「朝、隣の村で取れた新鮮なシシトウだよ。豊穣祭だからね。うちもそれに乗っかってるわけよ」


 店主タネトゥは別の串焼きを手に取ってヒルネに見せた。


「そして……こいつが今回の目玉商品。虹色肉焼きだ」


 肉、シシトウ、ナス、パプリカ、ダイコン、ニンジン、アオカボチャがスティック状にカットされており、串にぎっちりと刺さっている。肉は野菜の間に四切れも入っていた。


「野菜の下準備が大変だからね。五十本限定だ」


 ヒルネは肉シシトウの串焼きをさっと食べて人差し指を上げた。


「大聖女払いでハッピーレインボー串焼きを一つ」

「へいよ!」


 大聖女払いという謎の言葉にゼキュートスはぴくぴくと眉が動いていた。これは毎回やっているなと確信できる手慣れたやり取りに、ため息が漏れそうになる。


 しかし、店主が妙に嬉しそうなので止めるに止められない。


 視察団一行は困惑している。


 そうこうしているうちに焼き上がり、店主が串焼きを人数分差し出した。


「後ろの偉い方々もどうぞ!」

「いただきます」


 ヒルネはハッピーレインボー串焼きと名付けた虹色肉焼きにかぶりついて「おいひい」と笑顔を浮かべる。


「どうしたんです? 遠慮せずどうぞ!」


 店主が串焼きを人数分、器用に指の間に挟んで差し出す。


「我々メフィスト星教は清貧に重きを置いている。店主殿、すまないがお気持ちだけ頂戴しよう」


 ゼキュートスが低い声で言う。


 だが、店主は意外に手強かった。


「大聖女さまが食べてるんです。今日くらいいいじゃないですか。それに、大聖女さまは女神さまの神託を受けられたお方です。女神さまのお考えに一番近いお人……と考えてもいいんじゃないですかね? 今回の祭典はメフィスト星教主導ですし、食べないのは逆に縁起が悪いってもんですよ」

「ゼキュートスさま、いいではないですか」


 ヒルネが覗き込むようにゼキュートスを見上げると、彼はしばらく考えてから、おもむろにうなずいた。


「……では、ありがたく頂戴しよう。だがこの場で食すことは憚られる。寄付としていただき、教会に戻って食べるとしよう」

「え〜、焼き立てが美味しいのに」


 じーっとヒルネに見つめられるが、ゼキュートスは揺らがなかった。


 特別に持ち帰り用の器を店主に借りて、視察団の者がそれを受け取った。


「あんた凄いねえ。ヒルネちゃんに見つめられて拒否できる人を初めて見たよ」

「私は大聖女ヒルネの後見人だ。彼女の模範となる行動を心がけている」


 ゼキュートスがそう言うと、ヒルネの足元にいた白スライムのおもちがぽよんぽよんと縦に跳んだ。


「なになに? ゼキュートスさまが少々お疲れ? それは大変です。さあゼキュートスさま、おもちにお座りくださいな」


 ヒルネがおもちの言葉を翻訳すると、おもちは座りやすい形に変形する。


 ゼキュートスを疲れさせた張本人は「さあどうぞどうぞ」とおもちに座らせようと手招きしている。


「……」


 ヒルネを傷つけずにどう断ったものかとゼキュートスが考えていると、人混みの奥から「泥棒だ!」という声が響き、中年の男が人混みを押しのけてこちらに走ってきた。



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