第2話 おもてなしをしたい


「ヒルネ。浄化魔法を使ったの?」


 散っている星屑を見上げながら、食堂にやってきた聖女ホリーがヒルネの正面に腰を下ろした。


 ホリーはヒルネと同い年の優秀な聖女で、切れ長の瞳と水色のツインテールがトレードマークの美しい少女だ。


 吟遊詩人が歌う曲には、ホリーが主役のものがいくつもあり、大聖女を支える親友の聖女という肩書きで市民からは人気を博している。ヒルネの腰の下まである髪型を真似するのは難しいため、市民や村娘たちがホリーの髪型を真似し、いつしか南方全体の流行になっているらしい。


 ホリーはじっとりとした視線を送り、肩をすくめた。


「浄化魔法の無駄使いはあまりしないでよ。先週もワンダさまに言われたばかりでしょう」


 結構きつめの口調でホリーは言うが、ヒルネはさして気にした様子もなく、ふわふわに焼かれたパンを一口頬張った。


「ホリーは優しいですね。私を心配してくれているんですよね? いつもありがとうございます」


 ヒルネがパンくずを口の端にくっつけ、にこりと花が咲くように笑うと、ホリーはさっと顔をそらした。


「別に……そういう意味じゃないわよ。あなたっていつも思いつきで行動するから……困るって言いたいの」

「そうですかそうですか」


 ふふふとヒルネが笑い、ジャンヌも笑顔で「ホリーさまは以前から、ヒルネさまは聖魔法を使いすぎではないかとご心配されていました」と補足を入れる。


 ますます顔をそらして、ホリーが口を尖らせた。


「だから、そういうのじゃないって言ってるでしょ」

「ホリー、一緒に朝食を食べましょう」


 ヒルネは耳が赤くなっているホリーを見て、笑みを浮かべながらジャンヌを見る。


 ジャンヌは言われるまでもなく給仕を買って出て、手早くホリーの朝食を準備した。


 ホリーは「私が言いたいのはヒルネが不真面目だってことよ……」とごにょごにょ口の中で言って、朝食に視線を落とした。そして恥ずかしさを隠すように食べ始めた。


(可愛い友人に感謝を……)


 ヒルネはこの世界でできた友達のホリーとジャンヌに心の中でお礼を言い、以前の粗食とは違う彩りに満ちた朝食に舌鼓を打った。


 ジャンヌの手厚い給仕を受けながら朝食が終わる頃になると、教育係のワンダが三人の元へとやってきた。


 あまり笑わず、自分にも他人にも厳しい人物である。


 黙って歩いている姿は威厳そのものが歩いているように見え、元聖女でありその実力と知識も折り紙であるため南方では一目置かれる存在だ。


 ワンダが無言で立つと、緊張が走った。


(私……また何かルールを破ったかな? まさか……昨日寝る前に商店街に行って蒸かし芋をたらふく食べたことが……バレてる?)


 ヒルネは内心で冷や汗をかきながらワンダを見上げた。


「大教会の完成を祝して、王都からゼキュートス大司教がお越しになります。ゼキュートスさまに心配をかけないためにも、くれぐれも問題行動は起こさないように。いいですね?」

「ゼキュートスさまがいらっしゃるのですか?」


 ヒルネは眉間に深いしわが常にある強面のゼキュートスを思い浮かべた。


 ヒルネの後見人であり、この世界に転生した際に道端で寝ていたヒルネを拾ってくれた人物である。ワンダよりも顔が怖く、一瞬たりとも隙を見せない。笑うことは年に数回もないという。


「ゼキュートスさまはヒルネをいつも心配なさっておいでです。スケジュールの合間を縫ってお越しになられるのですよ。あなたが大聖女になったとはいえ、後見人であるゼキュートスさまに粗相があってはなりません」

「久しぶりにお会いできるんですね。楽しみだな〜」


 ヒルネは親戚の叔父と会うような感覚だ。


 畏怖されているゼキュートスに対してこんなことを言うのはヒルネくらいのものである。


「……あなたはマイペースが過ぎます。ジャンヌ、ホリー。ヒルネから目を離さないように」

「かしこまりました」

「承知いたしました」


 真面目なジャンヌとホリーが背筋を伸ばして深くうなずいた。


「何か……おもてなしをしないといけませんね。なんたって、私の大教会に来ていただくんですから」


 ヒルネは独り言を言っている。


 ホリーが、この子また何かやらかさないかとうろんげな視線になったが、ワンダがいる手前あまり強く言うのは憚られて口を開かなかった。


 ヒルネの独り言に気づかなかったワンダは、最後にキリリと眉を上げた。


「それからヒルネ。昨夜、商店街であなたを見たという目撃情報が多数寄せられております。心当たりはありますか?」

「ギクゥッ……!」


 ヒルネはあまりの不意打ちに思わず擬音を口にしてしまい、あわてて両手を振り、口を開いた。


「なんのことでしょうか? 私は蒸かし芋を食べてなどおりませんよ。ええ、一口も食べておりません」

「誰も蒸かし芋など言っておりません」


 ワンダの視線が一層強くなる。


 ホリーが「綺麗に墓穴を掘ったわね」とぼそりとつぶやいた。


「夜間の無断外出は何度も禁止したはずです。蒸かし芋を大量に市民からいただき、腹いっぱい夢いっぱい私は芋娘、などという捨てゼリフを残すとは……メフィスト星教南方支部の代表である大聖女がそんなことでは……ああ……恥ずかしい」

「……面目次第もございません」


 ヒルネはさすがに謝罪した。


(女神さまにこの身体をいただいてからというもの……正直に行動しちゃうんだよね。不可抗力ってやつです……)


 大聖女が欲望に忠実でいいのかと考えてしまうが、やめられない止まらない、と二秒であきらめた。


「罰として千枚廊下の掃除です。聖句の貼り替えもなさい」

「ひええっ……」


 千枚廊下とはメフィスト星教の教会に必ず作られている、聖句が千枚貼られている長い廊下のことである。女神が現実世界にやってくるための回廊として使われる、と信じられていた。


 ワンダはちらりとジャンヌを見て、小さくうなずいた。


 ヒルネに罰を与えるのは戒めのためであるが、ヒルネの小さな肩に南方都市の安寧が乗っているため、手伝ってよしという目配せであった。


 意図を理解したジャンヌもうなずく。


「では、ゼキュートスさまがお越しになるまで今まで以上に、厳しく生活態度を確認します。そのつもりでいなさい」

「わかりました」


 ヒルネが素直にうなずいて、ワンダが食堂を出るまで見送ってからテーブルに突っ伏した。


「困りましたね……私が寝る前に商店街へ繰り出していることを誰かが密告しているようです。密告者を探さねばなりません」

「あなた、変装しても目立つからよ」


 ホリーが冷静なツッコミを入れた。


「うーん……そんなことないと思うんですけどね。大聖女感は消しているんですが……」


 豪奢な金髪、精緻な作品のように整った相貌を見れば、誰でも大聖女だとわかってしまう。ヒルネ的には変装できていると思っているようだ。


「ヒルネさま、はしたないですよ」


 ジャンヌが優しく肩を持ってヒルネを起こす。


「ゼキュートスさまが来るのか〜。楽しみだね」


 お気楽な調子のヒルネは話題を切り替え、その言葉にホリーは強張った顔つきになった。


「私はちょっと怖いわ。尊敬できるお方だし、お会いしたい気持ちはあるけど……威厳がありすぎて気後れするのよね」

「私も怖いです」


 ジャンヌがホリーを見て首肯する。


「確かに顔は怖いですね。お疲れなのかもしれません」


(そうか……心身の疲れが取れるようなおもてなしをしよう。うーん……どうしたらいいかな。ただ聖魔法を使うだけじゃ芸がないよね……)


 ヒルネが思考を飛ばしてのほほんと天井を見上げた。


「……違うと思うけど」

「ですね」


 ホリーとジャンヌは楽しそうに何かを考えているヒルネを見て、やはり大物だなと思った。


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