第28話 フリーランスの聖女


「簡潔に説明すると、あの水はすべて聖水です」


 ヒルネは小さな指で噴水を差し、何の気負いもなく言った。

 製鉄所の屋根に届かんばかりに噴き上げていた水は、徐々に落ち着きを取り戻している。


「聖水……? どういうことだ? あれ、全部?」

「はい。あの水で鉄鉱石を洗えば、黒い煙は上がらなくなります」

「――ッ、本当か!?」


 ズグリ親方はすぐさま駆けだして、製鉄所の鐘を鳴らした。

 カンカンカンカンと大きな音が響く。


「作業を中断しろ! 中庭に集まれ!」


 緊急用の合図だったのか、一斉に職人が駆けてくる。


 中庭から広がった魔法陣のことだろうと皆が真剣な表情で整列した。


(あれだけでっかい魔法陣出しちゃったからね……。みんな、私が聖女だって気づいてるよなぁ)


 目が合った職人に嬉しそうに一礼された。

 どうもどうもと会釈を返しておく。


(だよね~。もうこのまま、流しの聖女設定で押し通そう)


 全員が集まったところで、ズグリ親方が大きく息を吸い込んだ。


「いいかおまえら! ここにいる流しの聖女、マクラお嬢ちゃんが噴水をすべて聖水に変えてくれた!」


 親方の言葉に皆が様々な表情を作る。


「いいかぁ! 流しの聖女ってのはなぁ、そのー、あれだ。すまん……なんなんだ?」


 ズグリ親方がヒルネへ顔を向ける。

 いや、どうと言われても、とヒルネは考えるも、まったく妙案が浮かばない。


(それっぽいことを言うしかないっ……!)


「お答えいたしましょう……流しの聖女は、フリーランスの聖女です」

「フリーランス?」


 皆が疑問を顔に浮かべる。


「はい、フリーランスです。この世界は広く、現在活動している聖女だけでは瘴気を浄化しきれません。よって、自由に動けるフリーランス聖女という職種が極秘に存在しています。フリーランスですから、各地へ移動し、こうして市民に扮して活動をしております」

「おおっ!」


 皆がヒルネを大聖女だと知っているが、語られる設定に目を輝かせた。


 大聖女ヒルネは大聖女のままだと単独で行動するのが難しい。だから、こうして偽名を使っている。皆がそう思い込んだ。


 それに、極秘、という言葉が男たちの心をくすぐるようだ。


(皆さんの反応がいいですね……)


 調子が上がってきたヒルネは深夜のテンションも手伝って、両手を広げて演説する政治家のように拳を握った。


「私は市民の皆さまが困っている小さな出来事に目を向けております。いわば地域密着型フリーランス聖女です! そして、今日は黒い煙の正体を看破いたしました――!」


 ざわっ、と職人たちが色めき立つ。


 黒煙は製鉄所をずっと悩ませてきた問題の種であった。

 長期間働くと肺を病む者が多く、近隣住民にも迷惑をかけてしまっている。


 しかし、経済活動を続けないと生活できない。だから職人を含め、地域全体で我慢してきた。そんな苦しい背景があった。


「その原因は――鉄鉱石に小さな瘴気が付着していることです。聖女の目でないと見えないくらいの小さな瘴気です。そして、浄化しないまま燃やすと、煙が上がるのです!」


 さらに場がざわついた。

 これを聞いて皆が「瘴気が」「マジかよ」「採掘場はなんともないのに?」などの驚愕と疑問が飛び交う。近場の同僚たちと話し合いを始める者もいた。


「静かにしろ! フリーランス聖女マクラさまの話は終わってねえぞ!」


 ズグリ親方の号令でさっと静かになった。

 統制の取れている現場だ。


 おほん、とヒルネは咳払いをした。


「ですが私はそちらの噴水から、半永久的に聖水が出るようにしました! これからは聖水で鉄鉱石を洗ってくださいね?」


(これで安眠間違いなしっ!)


 にこりとヒルネが笑う。


 全員が噴水を見て、ヒルネを見てを交互に繰り返し、ぽかんと口を開けた。

 これから全員に金貨百枚を配ります、手を広げてくださいと言っても、ここまで唖然としないだろう。


(あ、あれ……? みんな何も言わないけど……)


 てっきり喜んでもらえると思っていたのに、反応がまったくない。

 じゃぶじゃぶと噴水の音だけが響いている。


「あ、あのぉ……」


 心配になってきて何かフォローしようかと口を開いたところで、わっ、と皆が一斉に両手を突き上げた。ズグリ親方は感動で泣きそうになるのをごまかし、大げさに袖で目を拭って「ああ、水が垂れてきやがる」とつぶやいている。


「聖女さま万歳!」「フリーランス聖女マクラさま!」「マクラさま万歳!」


 歓喜で全員が喜び、飛び上がり、ハイタッチをしたり抱き合ったりした。涙腺が緩い男は涙を流している。夜の街に男たちの喜びが響いた。


(よかった……もとは安眠のためだったけど、お役に立てたみたいだね……)


 ヒルネも嬉しくなってきて、「やりましたぁぁ!」と手を上げた。

 それを聞いて皆が「うおおおっ!」と叫んだ。



      ○



 それからズグリ親方指示のもと、実験が行われた。


 鉄鉱石が聖水で洗浄され、製鉄装置によって溶かされる。

 ごうごうと燃える魔石炭の炉の上で、鉄鉱石が赤く溶けてレーンを滑っていく。


「……煙が出ない……!」


 固唾を飲んで見守っていた約三百名の男たちが喜びで叫ぶ。


「これでもくもくともおさらばです」


 にこりとヒルネがズグリ親方に笑いかけた。


「マクラお嬢ちゃん……なんてお礼を言っていいのか……。せめて金を受け取ってもらえないか? 礼もなしじゃあ義理堅いで有名なモルグール製鉄所の名折れだ」

「たいへんありがたい申し出ですが、聖女はお金を受け取れません。ご容赦を」


(お小遣いほしいー。でも聖女だからお金はダメ。受け取れない)


 お金をもらって買い食いしたいところであるが、ここは譲れない。

 聖女と名乗ったからには、ジャンヌやホリーに恥じない行動をしたかった。


「そうか……。でもなぁ、それじゃ俺たちの気が済まねえよ。俺たちにできることはないか?」


 ズグリ親方が今にも聖印を切ってひざまずく勢いで聞いてくる。

 周りにいた約三百名の職人たちもうなずいていた。


 どうしたものかと考えていると、型に流し込まれた鉄をハンマーで精錬する職人が、あわてた様子で叫んだ。


「親方ぁ! 大変だ!」

「なんだ?!」


 ズグリ親方がすぐさま駆けだした。


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