第12話 一日のはじまり
初日の夜、女神像を起点にして結界魔法を使ったヒルネは、星屑の残滓をキラキラさせながら眠っていた。
朝になると自動停止する設定にしておいた結界だ。
今は起動していない。
――チュンチュン
南方地域に生息する赤い小鳥が大神殿の外で鳴いている。
くずれかけの神殿からは朝日がこぼれ、大きなベッドに光が落ちていた。
即席のパーテーションがいくつも置かれて、レースで区切られている。一日かけて、どうにか大聖女の部屋の体裁を作った形だ。
「……気持ちよさそうに寝てらっしゃる……」
先に起きていたジャンヌは朝のメイドの仕事を終えて、眠っているヒルネの顔を覗き込んだ。
特注の敷布団に、相棒と呼んでいるちょっと古めかしい掛け布団。
長い金髪が朝日で輝いていた。
「んん……むにゃ……」
光が眩しいのか、ヒルネが寝苦しそうに寝返りを打った。
ジャンヌは愛らしい仕草にくすくすと笑い、ほっぺたをつついた。
むにむにと柔らかい弾力に思わず笑みがこぼれてしまう。
この小さな身体で辺境都市全体を防御する結界を作ったとは思えない。
結界魔法の起点に使われた女神像も、なんだか嬉しそうにヒルネを見下ろしていた。
「ヒルネさま……ヒルネさま……」
専属メイドの特権を終わらせて、ジャンヌが静かにヒルネを揺り動かした。
「……ん」
「ヒルネさま、朝ですよ。お祈りの時間です」
「んん……? ジャンヌ〜」
ヒルネがうっすらと目を開けて、ベッドの脇に立ってるジャンヌの腰に抱きついた。
引き寄せられて「あっ」と声を上げるジャンヌ。
「あと三十分……ぐう……」
大聖女は抱きついた状態で即座に寝てしまった。
「ヒルネさま? ほら、朝のお祈りと朝食が待ってますよ。焼き立てのパンもありますよ。ヒルネさまの結界のおかげで市民は大喜びです。たくさんの寄付がされていますよ」
「……にゃにがあるのぉ……?」
現金な大聖女は目をこする。
「特産品のチーズ、今が旬のグレープナシ、その他にも色々と……」
「おふとんはぁ?」
「おふとんの寄付は残念ながらありませんでした……」
「おーまいがー……ぐう……」
ショックだったのか、力なくジャンヌから手を離してベッドの縁からだらりと腕を投げ出し、再び寝息を立て始めてしまった。
「おーまいがー? ほら、ヒルネさま、そろそろ起きないとお祈りの時間に間に合いませんよぉ」
ジャンヌは「よいしょよいしょ」と言いながらヒルネの身体をベッドに戻し、お好み焼きのごとくひっくり返して、熟練者の手付きで相棒を剥ぎ取った。本気を出し始めたらしい。
「あああ、相棒っ。相棒っ」
寒くなってヒルネが目を開けた。
ここぞ、とジャンヌがヒルネの両手を取って起き上がらせ、そのまま脇に手を入れてベッドから引きずり出して、直立させた。
「ねむい〜」
力が入っていないので、ヒルネの身体はこんにゃくみたいにぐにゃぐにゃしている。
ジャンヌはヒルネを抱きしめて椅子へと移動させ、そっと座らせた。
「はい、髪を整えますね」
「……うむ」
眠すぎてうんがうむになっている。
ジャンヌは笑みを浮かべてぐらぐらする頭を押さえながら、髪を丁寧に整えていった。
◯
二十分ほどでようやく覚醒したヒルネが、「ふああぁぁっ」とあくびを漏らし、寝間着の袖で目をこすった。
「ジャンヌ、おはようございます」
「おはようございます、ヒルネさま。立てますか」
「はい、どうぞ」
「失礼いたします」
勝手知ったるといった呼吸でヒルネが万歳のポーズをし、ジャンヌが手早く大聖女服へと着替えさせていく。
(ううん……ジャンヌの手さばきが早い……プロだねぇ……ありがたや)
ものの十分ほどで完了して、ヒルネは大神殿を出た。
「今日もいい天気ですね」
「はい。南方はこの時期雨は降りませんよ」
「そうなんですね」
「はい」
ヒルネは広がる芝生を眺め、ゆっくりと丘の下にある神殿へ歩いた。
さくさくと芝生を踏む音がして、ぴょんとバッタらしき昆虫が跳ぶ。
「平和ですねぇ……お昼寝がしたくなります」
「まだ朝ですよ、ヒルネさま」
「お祈りが終わって朝ご飯を食べたら、今日はお昼寝にしましょうか。芝生に布を敷いて、その上に敷布団を敷いて、相棒でお昼寝です」
(だらだらタイムのスタートだね)
ヒルネはめくるめく昼寝ライフを妄想してにやけた。
だが自分が大聖女であることをすっかり忘れている。
ジャンヌは微笑みながら、こてりと首をかしげた。
「それは素晴らしい提案ですけれど、今日はお祈りが終わったあと、南方に赴任している聖女さまとの顔合わせ、イクセンダールの商業地区への巡回、貴族院での聖書朗読、大広場での聖句詠唱がございます。余った時間は大神殿を改築する職人の方々との顔合わせにも参加していただきます」
「……」
ジャンヌの早口にヒルネはそのまま芝生に転がった。
急に倒れたヒルネを見て、ジャンヌがヒルネさま、と声を上げた。
「なんでしょう。突然身体の具合が悪くなってきました。むむっ、これはいけません、立ち上がれない病ですね」
ヒルネはごろごろと芝生に転がり、仰向けになった。
「ヒルネさまこんなところで寝ないでください!」
あわあわとジャンヌがあわててヒルネを起こそうと手を伸ばす。
しかしこの大聖女は逃げ出すつもりであった。
「私は大地です。生きとし生けるものとともに生きております」
「それっぽいこと言って目を閉じないでくださいっ。ああっ! 聖魔法で逃げないで! ヒルネさまぁ!」
ヒルネは聖魔法を使って星屑で自分の身体を持ち上げ、空飛ぶ絨毯のように低空飛行で逃げ始めた。
「さらばです、ジャンヌ。また逢う日まで――」
キラキラと星屑の絨毯に乗って飛んでいくヒルネ。
金髪美少女が星屑の絨毯に乗っている様子は幻想的であるが、いかんせん業務から逃げ出そうとしているところがまぬけであった。昨晩の結界でメフィスト教への信仰を深めた市民たちに見せられたものではない。
「ヒーールーーネーーさーーまぁーーッ!」
ジャンヌが猛ダッシュで追いかける。
数分の鬼ごっこの末、ジャンヌがダイビングキャッチでヒルネの身柄を確保した。
「捕まえました! 連行いたします!」
「無罪です! 私は無罪ですぅぅ!」
「ダーメですよ。さ、行きましょうね?」
「私は大地なのですっ。行くとか行かないとかではないんです!」
「よくわかりませんよ、ヒルネさま」
がっちりとジャンヌに手を握られて、ヒルネはずるずると芝生の丘を引きずられる。
「あああっ、こんなはずでは。大神殿が修繕されていないのが原因ですね?! 私の神殿になれば私がルールになるはずですっ」
「きっとそうですね、ヒルネさま」
ジャンヌは笑いながらヒルネを引っ張り、丘の下にある神殿へと向かった。
「ううっ……大神殿の完成を急がねばなりません」
(急務だよ、急務。のんびりライフを過ごすために……!)
「さ、ヒルネさま。お一人でしっかり立ってください」
神殿前に到着するとジャンヌが手を離して一礼した。
神殿を掃除していたメイドたちがヒルネとジャンヌに気づいて、「おはようございます、大聖女ヒルネさま」と深々一礼する。
観念してヒルネは背筋を伸ばし、礼拝堂へと足を向けた。
「皆さま、おはようございます」
こうしてイクセンダール辺境都市、赴任二日目がスタートした。
―――――――――――――――――――
読者皆さまへ
本作をご愛読いただき誠にありがとうございます。
なんとこの度、「転生大聖女の異世界のんびり紀行」が、
書籍化&コミカライズすることになりました!
ヒルネのおねむな冒険が挿絵つきで読めますよ〜!
これも皆さまの応援のおかげです。誠にありがとうございますm(_ _)m
詳細はまた追ってご報告したいと思います。
追加情報になりますが、新作をはじめました!
太っているいじめられっ子な女子が聖女へ転職し、現実世界↔異世界を行ったり来たりして無自覚ざまぁしていくお話です。
お時間があればぜひともご一読くださいませ・・・m(_ _)m
「異世界で聖女になった私、現実世界でも聖女チートで完全勝利!」
https://kakuyomu.jp/works/1177354054921240423
のんびりなヒルネの冒険はまだ続きます。
引き続き、就寝前に読んでいただければ幸いです◦<(¦3[▓▓]スヤァ
よろしくお願い申し上げます。
作者
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