第5話 馬車で移動



 南方旅団は順調に進んでいた。

 途中、二度ほど魔物が襲ってきたが、熟練した兵士によってあっさり撃破された。


 夜はヒルネの結界で十時に就寝だ。

 王都にいるときより体調がいい、なんて言う兵士もいる。


(野営地に張った結界はいつまで保つかな? かれこれ十ヶ所に作ったけど、しばらく保つといいなぁ……そうすれば後から来る人たちが使えるからね……)


 南方街道に設置したヒルネの結界が――数百年先まで維持されることは誰も知らない。


 結界を中心に南方街道は発展していくのだが、それは未来のお話である。

 ガタゴトと馬車は揺れ、南へと進んでいく。


(平和だなぁ……)


 馬車の窓からは草原が見えた。ビロードのように草がやわらかく揺れ、さわさわとこすれて音を鳴らしている。遠くでヤギっぽい生き物が草原で草を食べていた。


「……ふあぁっ」


 ヒルネがあくびをして、窓から顔と腕をだらりと垂らした。

 地面が前に進むのが見え、視線を上げると横を走る馬車の車輪が回っているのが見える。


「暇ですね……お昼寝の時間はまだでしょうか?」

「こらこら、大聖女がだらしないポーズをしない」


 気づいたホリーがヒルネを背後から抱きかかえて、引きずるようにして馬車内に戻した。


 ヒルネはそのまま全身をホリーにあずけた。


「私はお芋です。動けません。ホリーに運んでもらわないと生きていけないのです」

「なーに言ってるの。シャンと座りなさい。向こうの馬車からワンダさんが見てるわよ」


 ホリーがずりずりと馬車内でヒルネを引いて、椅子に座らせた。

 馬車は対面式の長椅子になっており、八人がけだ。少女三人で使うには余裕のある広さだった。


 ワンダから渡された経営学の本を呼んでいたジャンヌがくすくす笑っている。


「ジャンヌを見習いなさい。あなたの役に立とうと勉強してるのよ」

「お芋、勉強、できない」

「お芋な大聖女がどこにいるの。あっ、そのまま横になろうとしない。ジャンヌの膝に頭を乗せない――まったくもう」


 お芋大聖女は隣に座るジャンヌの膝に頭を乗せた。


(ちょうどいい高さとぷにぷになやわらかさだよ〜)


「お芋、顔、磨く」


 ヒルネがジャンヌのメイド服に顔をこすりつけ、横向きになってお腹に顔をうずめた。洗いたてのメイド服は太陽の匂いがした。


「おもも、おひふへしはす」

「ヒルネさま、くすぐったいです」


 もがもがとお腹でしゃべられ、ジャンヌが肩を小さくした。


「この大聖女……長旅でダラけにダラけてるわ。きっちり時間の決まった聖女の仕事はあったほうがいいわね」


 ホリーがやれやれと肩をすくめて向かい側の席に座る。


「ヒルネさまもホリーさまも王都では休みなくお仕事されていましたから、旅のあいだくらいはいいと思いますよ?」


 ジャンヌが楽しそうに笑みを浮かべている。

 ホリーが「そうかしらね」と曖昧にうなずいて、聖書を開いた。


 馬車の揺れる音と、ページをめくる音、ヒルネの寝息が響く。


 しばらくすると、ホリーが聖書から目を離した。


「確かに暇ではあるのよねぇ。聖句の練習をしたり、祈ったりしてるけど……安全なのはいいことだと思ったほうがいいわよね」


 ホリーの言葉に、本を読んでいたジャンヌが顔を上げた。

 ヒルネはすぴすぴと鼻息をもらして寝ている。


「そうですね。これもヒルネさまが結界を張ってくださっているおかげです。ちょっとこのお姿は人に見せられないですけど……」


 ジャンヌが膝枕で寝ているヒルネを見て、可愛らしく苦笑する。

 ホリーもため息をもらし、ジャンヌの持っている本に視線を移した。


「ワンダさまに渡された本はどう? 難しい?」

「難しいです。計算ができないと理解できないんです」


 経営学の本をひっくり返してホリーに見せる。


「私にはさっぱりだわ。記憶力はいいほうなんだけど……」


 そう言いながら、興味があるのかホリーがジャンヌの隣に座った。


「少し教えてもらってもいい? いずれ大聖女になる私には必要な知識ね」

「ワンダさまもそう仰っていました。領地経営の知識があれば街の発展を計算に入れて浄化の巡回ができるそうです」

「うん、うん。いいじゃない。効率がいいのは嬉しいわ。世界は広いもの」


 ホリーが、さすがワンダさま、と笑顔でつぶやいた。


「そういえば、ヒルネさまは不思議と計算が得意なんですよ。二桁の掛け算も暗算できるんです」

「え? そうなの?」


 前世では計算が得意だったヒルネ。

 ホリーはアホな顔ですぴすぴ寝ているお芋大聖女を見て驚いた。

 そして、負けてなるものかと闘志が燃え上がった。ホリーは負けず嫌いだ。


「ジャンヌ、私に計算を教えてちょうだい。いい暇つぶしになるわ」

「はい。私でよければお教えします」


 ジャンヌが笑みを浮かべた。

 真面目なホリーが、ジャンヌにはまぶしく見える。


 二人はヒルネの寝息をバックミュージックに、昼ごはんの時間まで勉強を続けた。


 午後十二時半になって、馬車が人里に入っていく。

 そこで勉強会は中断となり、ジャンヌが窓の外を見た。


「次の野営地は人の住む町だそうですよ? 綺麗な湖があって、魔物が寄ってこないそうです。楽しみですね」

「久々に人のいる場所で眠れるのね。よかったわ」


 ジャンヌとホリーは笑みを交わし、二人がかりでヒルネを起こした。

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