第6話 ハンモック


 王都から馬車で二週間。

 町に到着した。


 町はモデルナという名前で、湖を囲むようにして家々が建てられている。


 辺境都市イクセンダールと王都の中継地点として栄えており、南方街道を利用する旅人は必ずモデルナで補給をして旅に備える。


 町が発展した理由は、湖が瘴気の発生を抑えているからだ。


「大聖女さま御一行だ!」「大聖女万歳!」「南方に平和を!」「大聖女さまぁぁ!」


 大聖女ヒルネ来たるの報告に、町人が入り口の門に集まって手を振っている。


(んん? もう町に着いたのかな?)


 ヒルネは起きたばかりで目をこすった。ジャンヌのメイド服に頬をくっつけていたため、顔に赤いあとがついている。まさか出迎えた町民も大聖女が寝ていたとは思っていない。


「ふあぁっ……皆さんの歓待がありがたいですね」


 大きなあくびを一つ。ヒルネが窓から外を見てのんびり言った。


「ヒルネさま、お顔にあとがあるのであまり窓から顔を出さないでくださいね」


 ジャンヌがヒルネに言う。

 大聖女の顔に寝ていたあとがあるとか、メフィスト星教としては認めたくない赤っ恥であった。


「あと、ついてます? どのへんに?」

「ここです。右の頬に結構な線が……」


 ジャンヌが自分の頬を指でなぞった。

 ホリーがそれを見て、失敗したわという顔つきになった。


「こんなに歓迎してくれるなら、ヒルネを先に起こしておけばよかったわね」


 そう言いながら、ヒルネとは逆の窓から顔を出して町民に手を振る。

 美少女で水色髪のホリーが窓から顔を出すと、旅団を見ていた町民が歓声を上げた。


 口々に「ホリーさまだ!」「ヒルネさまと同時に聖女昇格したお方だ!」など叫ぶ。


 王都から情報発信されたヒルネとホリーの冒険譚は、南方の地まで響いている。グッドニュースの少ない南方にとって、二人は燦然と輝く希望の星であった。中にはヒルネとホリーの絵姿を掲げている者もいる。


 そんな歓迎を受け、一行はモデルナの宿泊施設に到着した。

 三階建ての木造建築で、牧歌的な雰囲気のする宿だ。

 湖の近くにあり、宿屋から見える景色はいい。


「お昼ご飯ですかね?」


 兵士に守られ、ヒルネがジャンヌ、ホリーと一緒に馬車から降りる。


 そこでヒルネはとあるものを発見した。

 あまりの衝撃に、出ていた足を止めたほどだ。


(あ、あれはまさか……!)


「ヒルネさま?」


 ジャンヌが首をかしげる。

 ヒルネの視線の先、宿屋の入り口前には、縄で編まれたハンモックが設置されていた。


「なんということでしょう……エヴァーソフィアにハンモックがあるとは……」

「はんもっく?」

「善は急げです、ジャンヌ。さあ行きましょう!」

「え? あ、ちょっとヒルネさま?!」


 ヒルネが宿屋の入り口に駆け出した。大聖女の衣が揺れる。

 兵士たちもヒルネのあとに続く。


(これはハンモックですね。見紛うことなきハンモックです)


 ヒルネが手で押せば、ゆらゆらとハンモックが揺れた。両端を宿屋の梁にくくりつけてあるみたいだ。


「ヒルネさま、これは果実を天日干しするベーリルですよ?」

「いえ、これはハンモックです。今日から私が名前を変更しました」


 ヒルネが堂々と言った。めちゃくちゃである。

 ホリーが後ろから心配そうな視線を向けた。何かやらかしそうだと察したらしい。


「ヒルネ……あなた何するつもりよ?」

「――聖魔法、浄化」


 ヒルネから星屑が噴き出して、ハンモックが浄化された。


(あとは寝てみるだけだけど、高いから一人じゃ乗れない。スカートめくれそうだし……。あ、いいところに寝具店ヴァルハラのトーマスさんがいる)


 聖魔法を見て「おおっ」と声を上げる面々をよそに、ヒルネはトーマスをロックオンした。


「トーマスさん。トーマスさん」


 ヒルネが呼ぶと、離れた場所にいたトーマスが近づいてきた。

 王都で庶民向けの寝具を販売している店の店主で、ナイスミドルな男性である。


「どうしたのですか、ヒルネちゃ――ごほん。ヒルネさま」


 トーマスがヒルネに言った。

 二年前からの付き合いだ。トーマスはヒルネを自分の娘のように大切にしている。ヒルネを見る目は優しかった。


「トーマスさん、私を持ち上げてください」


 両手を広げるヒルネ。

 急に持ち上げろと言われ、トーマスは困惑して周囲を見回した。


 兵士や町民がヒルネに注目している。助けを求めるつもりでメイドのジャンヌ、聖女ホリーに視線を送るも、あきらめた様子で首を横に振られた。


「さあ、早く」


 ヒルネがキラキラとした碧眼でトーマスを見上げた。新しいおもちゃを発見した子どもと同じだ。


 ああ、これは断れないと察して、トーマスがヒルネの両脇に手を入れた。


「このハンモックに寝かせてください」

「ここに? いいのですか?」

「かまいません。寝てみたいのです」

「わかりました」


 トーマスは細くて可愛らしい大聖女を、宝物のようにゆっくりと、静かにベーリルへと寝かせた。


 周囲の人々が、「えっ?」と目を点にしている。

 町にやってきた大聖女が、急に果実を天日干しする網で寝だしたのだ。何が起きたのか理解に苦しんでいる。


「おおおっ。これがハンモックですか……! ゆらゆら揺れて眠くなりますね。風も気持ちいいです」


 前世の願い事。

 南の島でハンモックに揺られて何も考えずにぼーっとしてみたい――。


(また一つ、夢が叶ったね。南の島があれば行ってみたいなぁ……)


 ここは南の島ではないが、ヒルネは夢の一つが叶って嬉しかった。自然と笑みがこぼれる。


 この世界には残業も、怒鳴る上司も、徹夜をしても終わらない仕事もない。私は自由なんだ、とヒルネはあらためて思った。


「トーマスさん、どうですか? お昼寝用ですよ」


 ヒルネが星海のような瞳を向け、にこりと笑う。

 トーマスが何かに気づいたのか、ハッとした顔つきになった。


「なるほど、なるほど、確かにそうですね。地面につかず、寝れるというのは素晴らしい発想です。そうか……野営にも使えますね」

「ああ〜、これはいいですねぇ」


 すっぽりとベーリルあらため、ハンモックに収まっているヒルネ。

 両手を胸の前で組んで目をつぶれば、南方の風を感じることができた。


(湖から吹く風が、草木の香りを運んでいるのかな……)


 本人はただ寝てみたくてやっているだけなのだが、傍から見ると金髪碧眼の見目麗しい大聖女がベーリルに収まっている姿は、神聖な儀式に見えた。


(このハンモック、安眠効果があるね……他の人も眠れますように……)


 純白の大聖女が湖畔の宿屋で眠っている。

 絵になる光景だった。


 何も知らない兵士と町民がありがたそうに聖印を切っている。


 寝具店のトーマスはハンモックが商品化できないか、脳内で金貨を計算していた。


「そろそろ起こさないとワンダさん来ちゃいますかね?」

「急に変なことするのやめてくれないかしらね……ホント」


 ジャンヌとホリーが囁き合った。


 馬車であれだけ寝たのに、すでに意識を飛ばしているヒルネを見てため息混じりに笑っている。


 誰も気づいていないが、ヒルネの背中から星屑が出ていて、気づかぬうちにハンモックへ安眠効果の加護が付与されていた。

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