第36話 大聖女ヒルネ


 皆既月食から一ヶ月――


 王都では新しい大聖女の誕生を祝う、“大聖女誕生祭”が行われ、街は人であふれていた。


 遠方の街からも観光客が集まり、今までにない賑わいとなっている。


「新しい大聖女さまの絵姿はこちらぁ! 白黒は店頭にあるだけ! 色付きは予約待ちだよ!」


 皆が新しい大聖女の姿を一目見ようと、美術店に殺到する。


「おおっ!」「なんと美しい」「儚げだわ」「世界を憂いた目をしてらっしゃる」


 金髪碧眼、女神ソフィアの化身のごとく整った相貌。

 まだ十歳であるのに世界を見通すような視線を向けている。眠いわけではない。きっと。


「色付きでくれ!」「予約するよ!」「俺もだ!」「こっちには十枚くれ!」


 大聖女ヒルネの絵姿は飛ぶように売れた。


 そんな美術店の向かい側の路上では、王都を救ったヒルネの活躍が吟遊詩人の甘い声によって紡がれている。瘴気から街を守る兵士たち、メフィスト星教の聖職者、聖女たち、結界を一人で維持したヒルネの親友であるホリーの活躍、それを助けるヒルネ……そしてヒルネの聖魔法が王都中に広がっていき――。


 大人も子どもも、冒険譚を聞いて手に汗を握る。


「こうして王都は守られた――♪」


 歌が終われば拍手喝采だ。

 吟遊詩人がひっくり返した帽子の中へ、銅貨、銀貨が幾度も投げられる。


「聖女ホリーさまの絵姿も販売しているよ!」


 美術店がここぞと大きい声で呼ばわった。

 ヒルネはもちろんのこと、ホリーも大人気であった。


 王都では笑みが絶えずこぼれている。ヒルネが望んでいた皆の幸せがあふれていた。


 そんな中、あまりの忙しさに休憩すら取れない店があった。


「大聖女に寄付した布団をくれ!」「ピヨリィの布団よ!」「俺っちが買う!」「ヒルネさまがここに来ていたってのは本当かい?!」「ついでに枕もちょうだい」


 寝具店ヴァルハラであった。

 どこから情報が漏れたのか、店主トーマスがヒルネに布団を寄付したことが知れ、それをヒルネが気に入ってるとの噂が流れた。そこからは怒涛の勢いだ。


「順番に受付けます! お並びください!」


 イケオジ風店主トーマスが疲れた身体に鞭打って叫んだ。

 これもヒルネのおかげ。そう思って布団を売りさばいていく。


 こちらも大人気につき受注生産、三ヶ月待ちとなった。気難しい鳥であるピヨリィの羽を使っていることもあり、大量生産とは現状いかないみたいだ。


 場所は移り、とある商店街。


 さびれてカンコ鳥が鳴いていた商店街には、人の流れが戻っていた。そんな商店街の一角、どこにでもありそうな家具屋には行列ができていた。


『人をダメにする椅子――通称“ヒルネ椅子”――販売中』


 聖女印の人をダメにする椅子にも顧客が付き始めていた。

 こちらは金銭に余裕のある玄人向けの間で噂になっており、静かなブームが起きている。


 並んでいる人々は、どこかそわそわしていた。


「次の方どうぞ」


 家具屋の娘リーンがよく通る声で呼んだ。

 今は父と二人でヒルネ椅子の作成に勤しんでいる。


 店に入ってきた壮年の男が店内を見回し、ぼそりとつぶやいた。


「ここに人をダメにする椅子があると聞いた――しかも大聖女さまが愛用しているという……本当か?」

「もちろん本当です」

「どんな見た目なんだ?」

「こちらがお見本です」


 リーンが展示見本を紹介すると、男が唸り声を上げた。


「これは……スライムのようではないか」


 やわらかそうな生地で覆われた球状のものが置かれている。

 パッと見、大きくてだらしない球にしか見えない。


「はい、そうなんです。後ろの方もお待ちなので、買うか買わないか座ってからキメてくださいね」


 リーンが笑顔で言った。

 決めるの言い方が少々おかしい気がする。

 男がおもむろにうなずいて、ヒルネ椅子に腰を下ろした。


「おお……おうふ……」


 シャリリと音がなって、男の身体がヒルネ椅子に包まれた。男は独特な座り心地のよさに恍惚な表情を作った。


 リーンが素早く男の身体のサイズを図ってノートに記し、金額を伝えた。

 こくこくと男がうなずく。


 どうやらキマったらしい。


 リーンの家具屋も受注生産となっており、お届けは未定だ。

 前金をもらったリーンはほくほく顔で男を送り出し、待っている次の客を呼んだ。



      ◯



 大いに盛り上がっている王都、その中心部。

 メフィスト星教本教会では、金髪碧眼の大聖女が弱音を吐いていた。


「眠い。眠いです。もうムリですぅ」


 大聖女の衣に身を包んだヒルネが目をこすった。


「……ふああぁぁぁあっ……ほぅん……」

「ヒルネさま、もう少し小さいあくびでお願いします。あと眠すぎて変なあくびになってます」


 ジャンヌがあわててヒルネの顔を隠した。


「大聖女になっても眠気は減りませんねぇ……ふあっ」


 本日付けで晴れて大聖女となったヒルネは、儀式の休憩中であった。


 朝五時に起きてから休憩なし。

 午後二時になってようやく休憩時間だと思いきや、休憩はわずか十分だった。大聖女生誕祭はとにかくやることが多く、順序を守らなければならない。何度か聖魔法居眠りの裏技を発動させたが、それでもヒルネは眠かった。


 現在、休憩中。

 王都で超人気の苺パンを食べて眠気マックス。


「もう少しの辛抱よ。頑張りなさい」


 様子を見に来たホリーが言った。


「広場で女神さまと交信とは……うまくいくのでしょうか?」

「ヒルネなら大丈夫よ。あなたが女神さまに拒否されるはずないもの。というか、今までで誰一人大聖女になることに失敗した聖女はいないわ」


 聖女から大聖女に昇格するには、多くの人々が「この聖女は大聖女だ」と思っていることが重要だ。大きな功績がある聖女ほど大聖女になりやすいと言われている。


 ただ、功績を上げれば必ず大聖女になれるかと言うと、そういうわけでもない。女神ソフィアの福音があって初めて協議される。


 現在、エヴァーソフィアには三人の大聖女が存在しているが、どの大聖女も不思議と「そろそろ彼女を大聖女にしよう」と皆が言い出したことがきっかけだった。一度そういう気分になると、職業性別問わず、全員が同じ気持ちになる神業的な強制力が働く。


 メフィスト星教ではこの現象を、女神ソフィアの福音、と呼んでいた。

 すべては女神ソフィアのお導き、というわけだ。


「広場に描かれた魔法陣で祈り、女神さまのお返事を待つってことですね? それが終われば寝れるんですね?」


 ヒルネが横にいるジャンヌとホリーに念押しした。


「昨日、十九時に寝たくせにまだ眠いの?」


 ホリーはやれやれとため息をつく。


 その隣で、ジャンヌが夢見心地と言った顔で天井を見上げた。ポニーテールが揺れる。


「ああ……とっても楽しみです……大聖女サンサーラさまのときは曇り空が一瞬で晴れ間に変わったそうです。ヒルネさまのときは何が起こるのか……」

「ピカピカと光って終わりですよ。そうに決まってます。女神さまもきっと眠いでしょう」


 女神さまが眠いと断定するヒルネ。

 神は眠くなったりしないと思うが、どうなのだろうか。


「大聖女ヒルネさま、お時間でございます」


 休憩所の部屋に女性司祭が入ってきて、厳かに一礼した。


「それでは行くとしましょう。お昼寝のために」

「違うから」

「楽しみですねっ」


 ビシリと肩を叩くホリーと、その横でまぶしい笑顔を作るジャンヌ。


 ヒルネは目をぎゅっとつぶって眠気を追い出し、大聖女の衣を揺らして広場に向かった。

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