第35話 虹色の瞳


 ヒルネはこの世界に来て、初めて全力で聖魔法を使った。


(ホリー、ジャンヌ、ワンダさん、ゼキュートスさん、王都の人たち……みんなを守らないと)


 長い金髪が浮き上がり、ヒルネの聖女服が魔力の奔流でひらひらとなびいた。


(女神ソフィアさま、私にお力を……!)


 ヒルネが眠たげな瞳を見開くと、消えかけていた魔法陣に煌々と光が灯った。

 魔法陣の中央から光が走り、礼拝堂が昼間のごとく明るくなる。

 大量の星屑が躍り、飛び跳ね、ヒルネを祝福する賛美歌のように不可思議な音を立ててキラキラと輝く。


 気づけば倒れていたホリーが目を覚まし、ヒルネを見上げた。


「……ヒルネ……目が虹色に……」


 神々しい輝きを放つヒルネの瞳に吸い込まれてホリーがつぶやいた。


(結界の状態がわかる……かなり穴だらけになってるみたい。よし、魔力を込めて結界の半球を、もう一度コーティングするような感じで……)


 自分一人で結界を維持しているため、全体像が手に取るようにわかる。

 数十キロ規模の結界を、ヒルネは一人で操作し始めた。


(もっと早く……もっと……もっと……よし、再コーティング完了……。これで穴がなくなって元通りになったね。あとは王都に入り込んだ瘴気をやっつけないと)


 結界内部に入り込んだ瘴気がどこにいるのかもわかる。

 思い描けばマップ機能のように、場所が把握できた。


(結界を維持しながら――浄化魔法を遠隔で飛ばそう――)


 ヒルネの周囲で渦を巻いていた星屑が人形サイズに集合していき、ミニヒルネになった。


 銀色と金色でデコボコしているが、たしかにヒルネだとわかる形だ。たまに眠そうにあくびをするところが主と同じであった。


(あくびしてる……)


 人のことを言えないくせに、ジト目を向けるヒルネ。


(よし、瘴気を浄化に行ってきて!)


 次々に星屑が集まってミニヒルネに変化し、礼拝堂から飛び出していく。

 あまりの光景に礼拝堂にいたワンダや聖職者は、呆然とヒルネの聖魔法を見つめていた。


「……ヒルネ……あなたは……」


 ワンダが涙を流して、キラめく星屑たちを見上げている。

 大聖女でも真似できない大魔法だ。


 聖職者たちは深く頭を垂れ、聖印を切っている。


(ふんふん、これならちょっと居眠りしても大丈夫かな? って考えたら猛烈に眠くなってきたよ……)


 結界を維持して聖魔法を使いながら、ヒルネが「ふあぁぁあぁっ」と特大のあくびを漏らした。



      ◯



 時は少しさかのぼり、王都の南門に到着したゼキュートスは部下を引き連れ、瘴気と戦う兵士たちに合流した。


 空を見上げれば、結界の光が弱々しく明滅している。

 結界の隙間から瘴気があふれ出ていた。


「……長くはもたんな」


 ゼキュートスが聖なるメイス――聖水をたっぷり吸い込んだ二メートルのこん棒を振り上げた。


 目の前では瘴気に侵食された黒い馬車が、魔獣のような動きで兵士を襲ってい

た。


「ふん」


 ぐしゃりと馬車が弾け飛んだ。

 馬車の色が黒から茶に戻る。


 取り憑いていた瘴気が空中に逃げたので、これもフルスイングで五回打撃した。

 バラバラと瘴気が小さな棘になって空気中に霧散する。


 瘴気は聖なる武器で攻撃するしかない。

 聖女の浄化がもっとも有効な攻撃方法であるが、彼女たちがいない今、こうして地道に叩き潰すしか方法はないのだ。


「メフィスト星教大司教ゼキュートスだ! 結界は長くはもたん! ここでなんとしても食い止める!」


 聖職者であるゼキュートスたちが現場にやってきたことで、兵士たちは気を引き締めた。


「助太刀感謝する!」


 指揮官が叫んだ。

 結界が崩れる最悪の展開だ。

 それでも、王都を守るため戦わねばならない。


 兵士たちは自分の家族、友人、恋人が住むこの王都を守るべく武器を振るう。前線は広く長く構築されており、怒号が飛び交っていた。


「よいかっ、弱気になれば瘴気に取り込まれる! 大切な人の笑顔を思い出せ!」


 大司教らしからぬ大声で、ゼキュートスが聖なるメイスを振り回した。


 だが、聖職者、兵士たち獅子奮迅の働きも虚しく、瘴気は空からも入り込む。

 すべて防ぎ切るのは不可能だった。


 時間が経つにつれて、戦線が崩壊し始めた。瘴気に取り込まれる兵士が現れ、混乱が混乱を呼ぶ。最前線はひどい状況だ。


 ゼキュートスが聖句を唱えて聖なる加護を兵士たちに与えるが、焼け石に水であった。瘴気の量が尋常ではない。このままでは明け方になって皆既月食が終わったとしても、大量の瘴気が王都を覆うだろう。


「少しでも潰すのだ。我々メフィスト星教は人々の盾となれ!」


 ゼキュートスが部下に叫ぶ。

 全員、決死の覚悟でうなずいた。

 部下たちが聖具を握りしめ、「大切な人の笑顔を――」と口々につぶやく。


 ――大切な人の笑顔。


 ゼキュートスは自然とヒルネの顔を思い浮かべた。


 星海のような大きな瞳をくしゃりとつぶして笑う顔は、とても愛らしくて、見ているこちらも幸せな気持ちになれる。


 思い起こせば、倒れているヒルネを拾ったことが、運命の転換期に思えた。


『――世界はとても輝いていますね』


 彼女の言葉。

 ヒルネにしか見えていない世界。


 ゼキュートスはヒルネの後見人になってからと言うもの、自由な彼女の行動を通じて、この世界が思っているよりも彩りにあふれているのだと気づいた。


 あのときから、ゼキュートスの見ているエヴァーソフィアは輝きを増した。


「……ヒルネ……もう少し居眠りを許してやったほうがよかったか……」


 彼は口角を上げた。

 柄にもなく笑っている自分に気づいて、ゼキュートスは可笑しくなった。


「この身体が動き続ける限り、瘴気を滅す――」


 聖なるメイスを肩に担いで、ゼキュートスが最前線へ疾駆した。


 女神ソフィアに身を捧げる者としてここで散るは本望。

 死ぬ覚悟で瘴気の集合体へ身を投じ、聖なるメイスを振り上げた。


 そのときだった。


「――ッ!?」


 まばゆい光が結界を覆い始め、みるみるうちに修復されていく。


「け、結界が戻っていくぞ!」「聖女さま!」「おおおっ!」「祈りが通じた!」


 兵士たちから歓声が上がる。

 ゼキュートスは近くの瘴気を叩き潰しながら、空を見上げた。


 結界は完璧な状態に戻った。


 さらには星屑のかたまりがビュンビュンと飛んできて、瘴気を片っ端から浄化していく。


「人の形をした星屑……?」


 星屑の集合体があっふとあくびをしつつ、指先から浄化魔法を放っていた。

 そこかしこで光が弾け、閃光が飛び交い、瘴気が消えていく。


「ヒルネ……ヒルネなのか?」


 ゼキュートスは腹の底から言いようのない感情が湧き上がり、メイスを持つ手に力を込めた。


「聞け! 聖女ヒルネが浄化の聖魔法を王都中に飛ばしている! 我々の勝利は近い! 力を振り絞れ!」


 絶望が希望に変わり、兵士、聖職者たちが咆哮する。

 そんな間も絶え間なく閃光が弾けていた。


 星屑のミニヒルネは本体とは違って働き者らしく、飛び回っては指先から浄化魔法を撃っている。


「遠隔操作の聖魔法でこの威力……ヒルネこそ大聖女にふさわしい……!」


 ゼキュートスが言う。


 すると、あまりやる気のないミニヒルネが、ゼキュートスの回りを飛んで眠たそうにあくびをした。頭をぐらぐらさせて今にも寝そうである。本体とまるで同じ動きであった。


「いや、ふさわしくないかもしれん……」


 ゼキュートスは寝そうな星屑ヒルネを優しく胸ポケットへ入れ、静かに苦笑した。



      ◯



 一方、礼拝堂では、結界を維持しているヒルネが眠気と戦っていた。

 むしろ、九割九分敗北していた。


「――ピヨリィのおふとぉん……」


 むにゃむにゃとよだれを垂らし、立っているのもやっとだ。

 治癒の聖魔法で復活したホリーと、ワンダに呼ばれたジャンヌが両側でヒルネを支えている。


 酔っ払った友人を両脇から支える友人たちの構図そのままであった。大聖女にふさわしいかどうかはコメントを控えておこう。


「逃げる準備をしていたので、呼ばれて驚きました」


 まさかこんな状況になっているとは思わず、ジャンヌが眠っているヒルネを見た。


 魔法陣の光でちょっとまぶしい。ジャンヌが目を細める。


「この子が王都を救ってくれたのよ。ホント、すごい子よ。寝てるけど」


 ホリーが笑いながらやれやれと肩をすくめた。言葉のわりに、ヒルネを離してなるものかと、がっしり腰と肩をつかんでいる。


 ヒルネの聖魔法で王都の瘴気はすべて浄化された。


 結界はヒルネに任せるとワンダが判断し、魔力の戻った聖女たちが念のため別部屋に控えている。ただ、その必要もなさそうであった。


「そろそろ夜明けですね」

「そうね……朝日がこんなに嬉しいなんて……」

「はい。長い一日でした」


 メイドのジャンヌも動きっぱなしの一日だった。


「……」

「……」


 二人はステンドグラスからこぼれる朝日に顔を向けた。

 光彩が礼拝堂に落ち、女神像に当たって形を変える。

 ふと、ジャンヌが声を上げた。


「あっ! いま、女神さまが笑ったような気がします!」

「え? 本当?」


 ホリーが両目を細めて女神像を観察する。

 何度かまばたきをした瞬間、ホリーの目にも女神像の口元が緩んだように見えた。


「あ! 本当ね! ちょっとだけソフィア様が笑った気がするわ!」

「ですよね!」


 きっと見間違いだろう。

 少女たちはわかっていたが、この幸せな気持ちを逃したくなくて、互いに顔を見合わせて嬉しそうにくすくすと笑い合った。


「……千枚廊下……そうじ……したくない……むにゃ……」


 タイミングがいいのか悪いのか、ヒルネが寝言をつぶやいた。少女たちは瞳をぱちくりと瞬かせ、声を上げて笑った。


 楽しげな笑い声が礼拝堂に響く。

 朝日がステンドグラスからこぼれ落ちている。


 新しい一日が、エヴァーソフィアで輝こうとしていた。

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