第24話 人をダメにする椅子の効果


 人をダメにする椅子をもらってから一週間、ヒルネはことあるごとに身体をうずめていた。


 球体の椅子は座り心地が最高だった。


(極楽だよ。これぞ求めていた椅子だね。中と外の素材には改良の余地がありそうだけど……うん。暇があったらリーンさんの家具屋に行こう)


 無断外出にまったく懲りていないヒルネ。

 シャリシャリと音を鳴らして人をダメにする椅子に座り直し、両手を外側へ出した。極楽浄土スタイルである。


(もうそろそろジャンヌが来るね。それなら聖魔法で――、一体化接着)


 ヒルネは聖魔法で自分の身体と人をダメにする椅子をくっつけた。

 これで引っ張られても身体が椅子から離れることはない。


「ふあぁっ……朝のお勤め後は眠くなりますねぇ……」


 聖女の朝は早い。

 朝食の前に三十分の祈りと三十分の聖句詠唱をする。

 その後、朝ご飯を食べて少しの自由時間があり、仕事がスタートする。


 今は自室で自由時間中であった。


(聖女の仕事が忙しすぎて眠いよ。ホリーはペースをつかんできて元気だし、ジャンヌは体力が有り余っているみたいだし……子どもは元気だなぁ……)


 自分も子どもなのだが、ヒルネはあっふ、とだらしないポーズのままあくびをした。


 金髪碧眼、整った容姿、純白の聖女服。人をダメにする椅子に座っていてもどことなく様になるのが面白い。


「喉が乾きましたよ〜……動くのが面倒ですね」


 ヒルネはちらりと机の上にある水差しとコップに目をやった。

 眠くて動きたくない。


(聖魔法――物体操作――)


 キラリと星屑が舞って、水差しが独りでに動いてコップへ水を注ぎ、コップがふわふわと浮いてヒルネの手に収まった。ものぐさな人々が憧れる魔法だ。


(聖魔法便利。女神さま、本当にありがとうございます)


 ヒルネが背中を椅子にうずめたまま、聖印を切る。

 どう考えても聖魔法の間違った使い方であった。


「はい浄化」


 パッとコップが輝いて、星屑が水に吸い込まれた。

 浄化すると水が美味しくなることに最近気づいたヒルネは、いつもこうしている。


「――ぷはぁ。お水が美味しい」


 いい飲みっぷりで水を飲み干し、聖魔法でコップをもとの位置へ戻した。

 この間、手しか動かしていない。


(こうしてのんびりできるっていいねぇ。前世は働きすぎだったって思い知らされるよ。徹夜とかムリムリ。ちゃんと寝ないと人間おかしくなっちゃうね)


 遠い目をして前世の記憶を振り返り、まぶたを閉じる。

 喉も潤って眠くなってきたヒルネはそのまま寝てしまった。


 数分が経ってドアが開いた。


「ヒルネさま、ただいま戻りました――あ、やっぱり寝てる」


 ジャンヌが部屋に入り、次の祭事で使う経典を机の上にどさりと置いた。

 分厚い本が三冊。重くはなかったが指が痛い。ジャンヌが何度か手首を振った。


「休み時間はあと五分で終わりだから、起こさないと」


 そう言いつつ、ジャンヌは寝ているヒルネの寝顔を眺めた。

 長いまつ毛、小さな口、すう、すうと規則的に息が漏れている。


 気持ちよさそうで、見ているだけで幸せな気分になってくる。座っている椅子はアレだが、このまま額縁に飾りたいぐらい可愛らしい。


 ジャンヌは微笑んだ。


「ヒルネさまったらこんなに気持ちよさそうにして……」


 バラ色の頬をつついてみる。

 もちっとしてすべすべだ。


「ヒルネさま。ヒールーネーさーまー」


 つんつん、つんつん、とジャンヌが頬をつつく。

 まったく起きないので、仕方なくジャンヌはヒルネの両肩に手を置いて、ゆっくりゆすった。


「ヒルネさま、起きてください。これから祭事の予行練習ですよ。経典を暗記しないといけません。ヒルネさま、ヒルネさま」


 寝入ってしまったのか、まったく起きる気配がない。

 ジャンヌが強めに肩をゆする。


「ヒルネさま、起きてください。この祭事は必ず出席するようにとゼキュートスさまに言われたのを忘れたのですか? 遅れるとワンダさまにお叱りを受けますよ。ヒルネさま」

「……ん」

「ヒルネさま、起きてください」

「……んふぅ」


 まったく起きる気配がない。


 普段であれば残念そうに目をこすって起きるのだが、こうも反応がないと何をしても起きないことをジャンヌは経験則から学んでいる。


 仕方なく最終手段で、ヒルネを抱えて祭事の予行練習場所へ連れて行くことにした。

 加護のおかげかヒルネを数分運ぶぐらいなら問題ない。


「――失礼しますね」


 ジャンヌが律儀に一礼してから、ヒルネの背中と膝の裏に手を入れようとした。


「あれ?」


 しかし、ジャンヌの手が引っかかってしまう。

 ヒルネと椅子がくっついているみたいに、指が入らない。シャリシャリと人をダメにする椅子の中身がこすれる音が響くだけだ。


「くっついてる? え?」


 試しにジャンヌはヒルネの両腕を持って引っ張ると、ヒルネの身体と椅子がひっついたまま滑った。聖女とおかしな形の椅子がくっついている。シュールな光景だった。


「えええっ?」


 困惑するジャンヌ。

 ヒルネの細い肩と椅子を両手で持って、引き剥がそうとしてみる。


「んんん……ハァ、全然はがれない」


 あまり強くやると聖女服が破れそうで怖い。

 ジャンヌは腕を組んで、どうしてこうなったか考えてみる。


「ヒルネさま、椅子に座ったまま仕事をしたいってずっと言ってたからな……ひょっとして、魔法でくっつけたのかな?」


 ジャンヌは思い至って、ヒルネと人をダメにする椅子の接着部分に顔を寄せた。

 目をこらすと、極小の星屑が散っている。聖魔法を使っている証拠だ。


「やっぱり! これ私じゃはがせないよ! どうしよう、もう時間がないよ!」


 ジャンヌがあせってポニーテールを左右に揺らした。

 そうこうしているうちにもう集合の時間になっている。


 数秒、部屋の中をうろついて、ジャンヌは意を決した。


「よし。まずはお連れすることを優先しよう。あとはワンダさまにお任せしよう」


 ジャンヌは分厚い経典三冊をヒルネの膝の上に乗せ、落ちないように両手で抱えさせる。次にドアを開けてヒルネの後ろに回り込んだ。


「ヒルネさま、行きますよ」


 そう宣言して、ジャンヌが人をダメにする椅子ごとヒルネを押した。


 布と床がこすれ、ヒルネが座ったまま移動する。

 部屋の外まで出て、ドアを閉め、再びジャンヌがヒルネの背中を押した。


「ヒルネさま、起きてください」


 聖句の刻まれた静謐な廊下をスーと音もなく移動する、椅子に座ったままの聖女。その背中を押すメイド。誰かに見られたら確実に噂話になる。


 ジャンヌは恥ずかしくなって顔を伏せて押す力を強めた。


「――むにゃ」

「ヒルネさま、起きましたか?!」


 手を離して顔を覗き込む。


「――甘いお菓子……」


 寝言だった。

 ジャンヌががっくり首を落とす。


「ヒルネさまぁ、起きてください〜」


 仕方なく聖女&椅子の運搬を再開すると、聖女専用の部屋のドアが開いて、水色髪の聖女が姿を現した。


「え? なに? ヒルネと……ジャンヌ?」


 部屋から出てきたのはホリーだった。

 何かを察したのか、ホリーが凄まじい早歩きでジャンヌに近づいた。


「ちょっとジャンヌ、これどうしたの?」


 ホリーが小声で寝ているヒルネを指差す。


「ホリーさまっ」


 ジャンヌが女神が登場したと言わんばかりに両手を組んだ。


「ヒルネさまと人をダメにする椅子がくっついてしまったんです。聖魔法を使っているのか、どうしてもはがせなくって」

「ああ……ホント聖魔法の無駄使いするんだから……」


 ホリーが呆れ顔で額に手を当てた。


「ちょっと私がはがせないかやってみるわ」


 そう言って、ホリーが聖句を唱えて解除魔法を発動させる。だが、効果はなかった。


 ジャンヌとホリーが顔を見合わせた。


「……」

「……」

「すう……すう……」


 静寂な廊下にヒルネの寝息が響く。

 ホリーが腹をくくったのか、大きな吊り目に力を込めた。


「このまま運びましょう。今日の予行練習は重要よ。私も手伝うわ」

「ホリーさま、ありがとうございます。でも大丈夫です。聖女さまにそんなことさせられません」

「何言っているの。友達でしょ。行きましょう」

「ホリーさま……」


 ジャンヌが瞳をうるませて、こくりとうなずいた。


「はい!」

「さ、押すわよ」

「わかりました。せーの」


 この日、メイドと聖女が、椅子にくっついた聖女を押すという、メフィスト星教はじまって以来の珍事が繰り広げられた。


 祭典の予行練習部屋に到着すると、ワンダが盛大に頭を抱え、ゼキュートスが頬をぴくぴくとさせた。強面こわもてのゼキュートスが怒っていたのか笑いをこらえていたのかは、誰にもわからなかった。

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