第20話 待ちくたびれて


 ヒルネが女神ソフィアと出逢う数時間前――


 街には騒ぐに騒げない、不完全燃焼な空気が漂っていた。


 聖女昇格の儀が終わった三日間は休日となる。肝心のヒルネから聖なる光が上がらないのだ。


 ヒルネが試練の祈りを始めてから三日と十二時間。

 今日が休日の最終日だ。


「光は出たか?」

「お父さん、出てないよ」


 ヒルネがよく串焼きをもらっている、串焼き屋台の店主が路地裏から出てきた。


 屋台の場所が路地裏のため、大通りに出ないと光が見えない。大通りで王都の中心部を見上げている娘が首を横に振っていた。今年十二歳になる娘は、ヒルネを妹のように可愛がっているため、心配そうであった。


「そうか」


 店主はぽんと娘の頭に手を乗せた。

 娘が顔を上げた。


「ヒルネちゃんなら大丈夫だ。あの子が聖女見習いだってわかったときはそりゃあ驚いたけどよ、俺たちはこの子は他の子と違うなって思っただろ? どこでも居眠りするなんて度胸がある証拠さ。串焼きの食べっぷりも一人前だ」

「……うちの串焼きを食べて、口の回りをタレだらけにしてたもんね」

「教育係の方に見つかって叱られてたもんなぁ」

「叱られてるのに寝ちゃってるし」


 思い出したのか、娘が笑みをこぼした。


「ありゃあ将来大物になるぞ」


 店主も笑う。


 すると、近くを通りかかった寝具店ヴァルハラの店主トーマスが、串焼き屋店主に気づいて頭を下げた。


「おお、トーマスの旦那」

「光は上がりませんね」


 ダンディ系四十代のトーマスが心配を半分張り付けた笑顔で近づいてくる。

 二人はひょんなことからヒルネの話題で友人になった間柄だ。


 その後、串焼き屋店主、娘、トーマスの三人でヒルネの試練が成功することを祈った。



      ◯



 西教会の聖女見習い宿舎には、重い空気が落ちていた。

 教育係ワンダは裏庭で何も言わず、座りもせずに、じっと空を見上げている。


「……ヒルネ」


 歴代聖女見習いの中で一番叱って罰則を与えた子であり、それでいて不思議と手のかからない子であった。


 丸一日聖なる光が上がらないのはままあることだが、三日ともなると異例で、これが吉事なのか凶事なのかわからない。


 心配であった。

 聖女昇格に失敗――そんな不吉なことを想像してしまう。


 聖女見習いたちの少女も裏庭に集まって祈り続けている。


 夜の星空に流れ星が見えたような気がし、ワンダは目を見開いた。

 しかし、見間違いだったらしく、息を漏らす。


 ワンダはヒルネの寝顔を思い出しながら、早くあなたの笑顔をみんなに見せてちょうだいね、と心の中でつぶやいた。



      ◯



 礼拝堂には聖職者のほとんどが集まっていた。二百脚ある長椅子の七割が埋まっている。


 これほど長い聖女昇格の儀はない。

 皆がヒルネを心配し、彼女が聖女になることを心から祈っていた。


「――まだなのか?」「――これで三日と十二時間だ」「――こんなにも長い祈りは初めてだ」「――最長記録は一日と五時間。二十二年前だ」「――なぜ出てこない」「――大司教さまが原因をお調べになってらっしゃる」


 三日も経っているせいか、状況を確認する囁き声がそこかしこから聞こえていた。


 隅の席では、聖女に昇格したホリーがジャンヌと手を繋いで、ヒルネが出てくるのを待っていた。


「ジャンヌ? ジャンヌ?」

「……なんでしょうか?」

「いい加減に寝てきなさい。あなたいつまでここにいるつもりなの」

「ヒルネさまがまだ出て来ないんです……私、心配で……」


 身体強化の加護があるとはいえ、ジャンヌの目の下には薄っすらとくまが浮かんでいた。

 ジャンヌはずっとヒルネを待っていた。


「あなたが倒れたらヒルネが悲しむわよ。ほら、行きましょう?」

 自分の子を諭すようにホリーが優しくジャンヌの手を引く。


 そう言っている彼女もよく眠れていないのか、疲れた顔をしていた。


「私はここにいます。ホリーさまこそ休んでください」


 ジャンヌはヒルネのこととなると強情だった。

 それもヒルネへの愛情があってこそなので、ホリーがやれやれとため息をついた。


「しょうがないわねぇ……私も一緒にいてあげるわよ。今回だけだからね。あと、夜更けになっても出てこなかったら一緒に寝るからね? いい?」

「わかりました」


 ジャンヌがうなずき、ヒルネの入っている部屋の扉をじっと見つめる。

 本当ならば今すぐにでもヒルネの安否を確認したい。あの扉を開けたい。そう思うが、試練の祈り中は入室禁止だ。誰かが入った時点で聖女昇格の儀は失敗となる。


「……ヒルネさま……」


 何度泣きそうになったかわからない。

 ジャンヌは気持ちが折れそうになったら、ヒルネのくしゃりと笑う顔を思い出し、涙をこらえた。自分はヒルネの側仕えメイドだ。そう言い聞かせて、しゃんと胸を張って背筋を伸ばす。


 ホリーはジャンヌを気づかって、ずっと側についていた。

 聖女になりたてで、ホリーもかなり疲労している。聖女になった当日はぐっすり寝て、そのあとは浅い眠りを繰り返しては礼拝堂に足を運んでいた。


「――」


 ホリーが聖句を唱えて、ジャンヌに浄化魔法をかけた。

 身体を清める効果がある。ホリーらしい気配りだった。


「ありがとうございます、ホリーさま」

「今回だけだからね? 今日出てこなかったらベッドで寝るのよ?」

「あの、ヒルネさまは本当に出てくるのでしょうか? このまま女神さまの住む天界へ行ってしまったのではないでしょうか? ヒルネさまは女神さまにそっくりで美しいです。だから、女神さまがヒルネさまを気に入って――」

「ジャンヌ」


 ホリーがぎゅうとジャンヌの手を握った。


「大丈夫よ。女神さまはそんなことしないわ。きっとヒルネは居眠りしているのよ。だから出てこないんだわ」

「そう、ですかね……?」

「そうよ。そうに決まってるわ」


 ホリーがジャンヌの瞳を覗き込んで、微笑んだ。


 純白の美しい聖女服を来ているホリーにそう言われ、ジャンヌはいくぶんか気持ちが落ち着いた。


「そうですよね。ヒルネさまなら大丈夫ですよね」


 ジャンヌも笑顔を作る。

 周囲にいる聖職者たちは、子どもたちのやりとりを聞いて、慈しむ目を向けていた。健気な少女たちが大人にはまぶしく見える。涙もろい男性神官は涙をハンカチで拭いていた。


 そのときだった。

 前方の席からざわめきが聞こえてきた。


「ジャンヌ!」


 ホリーが気づいて立ち上がると、ジャンヌも弾かれたように立ち上がった。


「見て! 星屑が……!」


 ホリーが指を差した女神像の奥、ヒルネのいる部屋から、水が溢れ出すように星屑が躍りながら噴き出した。


 ザァァ、と軽い金属がこすれるような音を響かせ、キラキラと煌めきながら礼拝堂の床を埋め尽くしていく。


「これ、ヒルネが?!」

「わっ! わぁ!」


 足元まで星屑が流れ込む。

 ホリーとジャンヌが砂浜を歩くように足踏みをした。


 星屑は踏み潰されることなく、足の隙間をすり抜けて躍りながら教会内部へ進んでいく。星屑の濁流はあっという間に礼拝堂から出ていき、教会内部を覆い尽くしていく。


「ジャンヌ! すごい量の星屑よ! きっとヒルネだわ!」

「そうですね!」


 礼拝堂に詰めていた聖職者たちからも驚きの声が上がる。

 二人は前方へ駆けていき、女神像の前で立ち止まった。

 ここより先は試練中の聖女見習いしか入れない。


 寄せては返す波のように星屑が踊る。

 星屑の海にいるみたいだ。


「なんて綺麗なんでしょう……」

「キラキラしてます」


 ホリーとジャンヌが目の前に広がる星屑を見て、瞳を輝かせる。


 すると、足元に魔法陣が浮かび上がった。

 とてつもない大きさで、礼拝堂をすっぽり包んで、奥へ奥へと広がっていく。


「――あっ」

「――!」


 二人が声を上げたと同時に、目の前が真っ白になった。


 ヒルネの部屋を中心に聖なる光が立ち昇った。

 それは数分間続き、本教会を丸ごと包む大きな光の奔流となる。

 本教会にいる全員を包み込む光が人々を照らす。


 ホリーとジャンヌは手をつないで終わるのを待ち、光が消えてから、ゆっくりと目を開いた。


「終わったの?」

「はい、聖なる光が、出ました」

「身体がすごく軽いわ」

「私もです」


 二人は自分の両手を見下ろした。


 ――ガチャリ


 そんな中、何気ない感じで左の扉が開き、金髪碧眼の少女が眠そうな顔で出てきた。


「お待たせいたしました。遅くなってしまって申し訳ありません。少々居眠りをしておりまして――」

「ヒルネ!」

「ヒルネさま!」


 ホリーとジャンヌがヒルネに飛びついた。


「おっと」


 ヒルネは倒れそうになって、二人を両手で支えた。


「どうしました?」

「あなた、出てくるのが遅いわよっ! どれだけ待ったと思っているの?」

「ヒルネさまぁ! お待ちしておりました!」


 ヒルネはホリーとジャンヌの瞳を見て、ああ心配させてしまった、と申し訳ない気持ちになって二人の頭を撫でた。ジャンヌはぐいぐいと、ホリーは控えめに抱きついてくる。


 ヒルネの瞳は魔力が向上して虹色に輝いていた。


 礼拝堂にいた聖職者たちは今の奇跡を見て聖印を切っている。

 あれほど大きな魔法陣、大量の星屑。女神ソフィアはヒルネに祝福を送った。全員がそう思った。


 早足で到着した大司教ゼキュートスがひどく安堵した表情で、ヒルネ、ホリー、ジャンヌに休むよう伝えた。


(やった。お布団で寝れますね)


 ヒルネはしがみついてくるジャンヌとホリーを横目に、微笑みを浮かべた。



      ◯



 本教会から大きな光の柱が上がったあと、王都はお祭り騒ぎであった。


 歴代最大の聖なる光に、人々は「大聖女候補の誕生だ!」「聖女ヒルネ万歳!」「今宵、居眠り姫に乾杯!」と酒を乾杯し合っている。


 串焼き屋台の店主、娘、寝具店ヴァルハラのトーマスも光を見て歓声を上げた。


「やったぞ! あのヒルネちゃんがあんなに大きな光を出した!」

「やったやった! ヒルネちゃんすごい!」

「これは新たな伝説が……。いや、ヒルネちゃんは寝るのが好きな普通の子――うちに来たときだけはリラックスしてほしい。となれば、また新しいふとんを準備しなくては!」


 三者三様の喜びの声を漏らし、夜空に拳を突き上げる。

 一方、西教会の宿舎裏庭でも、黄色い叫び声が響いていた。


「ヒルネ! すごいわ!」「あんな大きな聖なる光見たことない!」「素敵!」


 教育係ワンダも、聖なる光で暗闇が昼のような明るさになった光景を見て、目の端に涙を浮かべた。


「居眠りなのに夜を昼間みたいな明るさにして……三日間もかかって……あの子は本当に人騒がせね」


 歳を取ると涙もろくていけない。

 そんなことをつぶやき、ワンダはハンカチで目元を拭き、夜空を見上げた。


 聖なる光が空をつらぬき、ドーナツのような穴の空いた雲が夜空に見える。その穴から、ヒルネの髪色のような金色の満月が顔をのぞかせていた。満月は、なぜか眠たそうに見えた。


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