第19話 聖なる光
その日、王都は聖女昇格の話題で持ちきりだった。
聖女が新しく誕生すると翌日から三日間の休日となる。
街は、今か今かとお祭り騒ぎの準備をしていた。皆が早足に歩き、浮足立っている。
「どうだ、光は出たか」
「儀式が始まって二時間だぞ。出るわけねえだろ」
皆が王都中心部の空を見上げている。
聖女見習いが試練を乗り越えると、聖光が蒼天へ立ち上る。今回はめずらしく二人同時に昇格するため、メフィスト星教本教会から聖なる光の柱が二本上がるはずであった。
街ではヒルネとホリー、聖女の話が飛び交っていた。
「東の大聖女サンサーラさまは三時間で光が出たそうじゃねえか」
「ああ。あのときの光は美しかった。サンサーラさまも美しい」
「ヒルネって聖女見習いはすごいらしいぞ。膨大な魔力。誰よりも優しい心。見た目もとんでもねえ別嬪さんだって話だ。すぐに光が出るんじゃねえか?」
「ホリーという子も優秀だそうだ。なんたって二人とも最年少の九歳だ。俺っちが九歳のときなんてまだ鼻水垂らしてたよ」
「今でも鼻たれだろうが、ガハハ」
男たちは楽しげに笑い合う。
聖女誕生は誰しもが喜ぶ吉事だった。
王都の大通りには屋台が並び、聖光が二本上がったらすぐに販売できるよう、店主たちが手ぐすねを引いて待っている。
王都全体がお祭りムードだ。
誰しもが空を見上げ、聖なる光を一目見ようとしていた。
◯
本教会の礼拝堂には千本の蝋燭に火がついている。
火を絶やさぬよう、大司教と司教が代るがわる見回りに来ていた。
儀式が始まって五時間がすぎる頃、大きな魔力が試練の間で発生し、礼拝堂の中程にまで達する魔法陣が浮かび上がった。
「……」
大司教ゼキュートスがホリーの入る部屋を見た。
ステンドグラスから、まばゆい光が礼拝堂に照射される。ホリーの聖光が立ち上った。
光は相当大きなもので三十秒ほど続いた。
部屋からホリーがふらふらと出てきて、聖印をゆっくり切った。
「……女神さまのご尊顔を拝見いたしました」
「すぐ別室へ行きなさい」
魔力が急激に高まったせいで、ホリーの瞳が淡く明滅している。
ホリー付きのメイドと修道女が駆け寄ってホリーを横から支えた。
ゼキュートスはホリーの背中を見送り、新たな聖女が生まれたことに感謝を込め、複雑な聖印を切った。あれだけ大きな光は早々お目にかかれるものでない。
ホリーの稀有な才能にゼキュートスは感心する。
そして、もうひとりの聖女見習いが入る部屋を見つめ、眉をぴくりと動かした。
「……大丈夫であろうか」
自分らしくないつぶやきを漏らしたゼキュートスは、心が乱れていることに気づき、自主的に礼拝堂で祈りを捧げることにした。
◯
一方、聖女見習いの宿舎では、歓声が上がっていた。
「大きな聖光が上がりましたわ!」「ホリー? ヒルネ?」「五時間ですよ!」
ジュエリーアップルが生える裏庭で、少女たちが黄色い歓声を上げる。
聖女昇格の儀は仕事はすべて休みとなり、同胞が無事昇格できるよう交代で祈りを捧げることになっている。
先ほど天に上がった光は、大きく、力強かった。
しばらく時間が経つと、本教会から走ってきたメイドが叫んだ。
「今の光はホリーさまです! ホリーさまが聖女になられました!」
わっ、とまた歓声が上がる。
聖女見習いたちはいつか自分が聖女に――という思いと、つらい訓練を乗り越えた仲間として素直に称賛する純粋な気持ちであふれている。どの少女も笑顔であった。
「ワンダさま、ホリーがやりましたね!」
「ええ……優秀な子だもの。当然だわ」
いつもは厳しいワンダもこの日ばかりは何も言わず、瞳に涙を溜めている。
ワンダは教育係として何人もの見習いを聖女へ昇格させている。聖なる光が天に昇る光景は何度も見てきたが、毎回自分の娘を嫁に出したような感覚になるのだ。
(見慣れることはないわね)
そう思い、光が消えた青空を見上げる。
「あとは……西教会はじまって以来の問題児さんね」
ワンダはホリーの聖女昇格に安心し、次にヒルネの眠っている顔を思い浮かべた。
どこに行ってもマイペース。すきあらば居眠り。誰に対しても変わらない態度、そこにいるだけで空気が浄化される不思議な少女。それがヒルネに対するワンダの評価だ。誰よりも心配しており、誰よりも期待している。特別扱いはしたくないが、特別な子だった。
「……あの子、寝てないかしらね……」
ワンダはそわそわしてきて無性に歩き回りたくなるも、気持ちを抑え込み、じっと空を見上げてヒルネの成功を祈り続けた。
◯
王都全体が注目する中、何も知らないヒルネはぐうぐうと寝ていた。
部屋は魔力に満ちており、魔法陣からはあたたかい熱がこぼれている。絶妙な居心地の良さがここにはあった。
(……女神さま……)
むにゃむにゃと可愛く口を動かすヒルネ。
気持ちよさそうだ。
ガラス張りの天井から光が差し込んでいる。
大扇のようにヒルネの金髪が床に広がって、艶を放っていた。
(……あ、女神さま……)
寝ていたヒルネの意識はいつしか覚醒へと向かい、自分の身体が何もない空間へ飛んでいることに気づいた。
(宇宙? 飛んでる?)
周囲は星に囲まれている。
真綿にくるまれたようにあたたかく、光が後方へ過ぎていく。
星が駆けているみたいだった。
「浮いてる? ラッキーな状態?」
寝ているのに起きている。そんなお得な感覚に、ヒルネは割引商品を見つけたときみたいに頬を緩めた。
(おはぎと焼鳥が五割引きなってる喜びだね)
自分の好きだった食べ物を思い出し、また食べたいなぁ、なんて考えていると、いつしか星が消え、目の前に縦型の楕円形の光が浮かんでいた。
光が収まると中から女神ソフィアが出てきた。
「女神さま!」
ヒルネはソフィアに出逢えたことが嬉しくて、駆け寄って抱きついた。
いつの間にか地に足がついている。
景色は白亜の空間に切り替わっていた。
「まあ」
くすくすと笑って、女神ソフィアがヒルネを受け止める。
似通った二人はやはり親子のようであった。
女神ソフィアがヒルネの頭を愛おしそうに何度も撫で、額に口づけを落とした。
「ヒルネ、エヴァーソフィアの世界は楽しい?」
「はい。とっても」
ヒルネが女神の豊かな胸に顔をうずめ、うなずいた。
「あなたは居眠りさんなのね?」
「そうみたいです。いつも眠くって」
「日本ではあまり眠れていなかったものね? 別におかしなことではないのよ。安心しなさい」
「はい。寝るのは気持ちがいいので……幸せです」
「ヒルネが幸せなのはいいことよ」
女神はもう一度ヒルネの頭を撫でると、くるりと指を回した。
優しい光がヒルネを包み込んだ。
「あったかいです……」
しばらくヒルネは女神ソフィアのぬくもりを感じていた。
抱かれているだけであたたかい。
(女神さまとお昼寝したら最高な気がする……)
「うふふ……お昼寝したいわね。いつかできたらいいわね」
心の声が聞こえるのか、女神ソフィアが笑みをこぼした。
「ヒルネ」
「ふあっ……なんですか?」
「もう少しこうしていたいけど、みんなのところへ戻りましょう。こんなに時間が過ぎてしまっては心配してしまうでしょう。現実世界のあなたが寝てからも時間が経っているのよ?」
「まだ少ししか経っていませんよ?」
ヒルネの感覚では、さっき寝付いたばかりだ。
「もう三日も経っているわ」
女神ソフィアが楽しげに微笑した。
枯れた木々が一瞬で復活しそうな優しい笑みに、ヒルネも笑顔になった。
「そんなに時間が過ぎていたんですね……。ジャンヌとホリーが泣いているかもしれません」
「メイドと聖女の女の子ね。澄んだ魂を持っているわ。ホリーには聖女の力を授けました。あなたの助けになるようにお願いしておいたからね」
「ありがとうございます。素敵なお友達なんです」
「――もう時間ね。さ、ヒルネ。起きなさい――あなたを――待っている人が――」
「女神さま――また――お会い――です――」
「あなた――心に―――いつでも―――わ――は―――いる――すよ――」
女神の声が遠ざかり、その姿も光に包まれて見えなくなっていく。
ヒルネは手を振って、女神さまありがとうございます、と何度も言った。
光が消え、星が駆けていき、身体が一回転するような浮遊感を覚えると、ヒルネの瞳が自然と開いた。
「……んん?」
意識が現実に戻ってきた。
周囲を見ると、試練の部屋だった。ガラス張りの天井には夜空が広がっている。
聖句の刻まれた床から身体を起こし、大きく伸びをする。
この部屋のおかげか寝覚めがよかった。
(女神さまと会えてよかった。また会いたいなぁ)
寝起きの頭でそんなことをぼんやり考えていると、ジャンヌとホリーの顔を思い出した。
「あ、この部屋から出ないと」
そう言って立ち上がったところで、耳元で声が響いた。
『ヒルネ――祈りを――』
ハープの調べのような女神ソフィアの囁きだ。
ヒルネは今自分が試練の最中だと思いだした。
(寝てたから余裕の試練だったな……寝れたし、女神さまに会えたしいいことづくめだよ)
ヒルネが膝をつき、胸の前で腕を組んだ。
碧眼をそっと閉じる。
(この世界のみんなが安眠できますように。ごろごろタイムをもらえますように――)
ヒルネらしい祈りを真剣に捧げると、床と壁に掘られた聖句と魔法陣に光が集まり始め、やがてフラッシュライトのように明滅した。
巨大な宝箱をひっくり返したみたいに星屑が躍りながら部屋を埋め尽くしていく。
「すっごいまぶしい」
目を開けたヒルネはすぐにまぶたを閉じた。
目のくらむ光の洪水の中、星屑の群れがヒルネと出逢えたことを喜ぶように楽しげに跳ね、ヒルネを中心に次々に外へ飛び出していく。
噴水のようにヒルネの身体から星屑が吹き出ては宙に舞う。
星屑はやがて部屋におさまりきらなくなり、礼拝堂にも漏れ出し、さらにその先の本教会の敷地内にあふれ、教会の入り口付近にまで達した。
(身体があったかい)
ヒルネそう思うと、足元に本教会全体を覆う特大の魔法陣が出現した。
魔法陣がカッと光り輝き、ヒルネの身体から聖なる光が立ち上った。
(……魔力が……あふれてる……気がする……)
聖なる光は王都頭上にあった雲を突き抜け、夜の街を照らし、五分間輝き続けた。
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