第18話 聖女の試練
本教会礼拝堂の控室にホリーがいた。
彼女も白を基調とした聖女服を身にまとっており、水色の髪に合わせた刺繍が、大きな吊目のホリーに似合っていた。
「ヒルネ、遅いじゃない」
そう言って振り返ったホリーは、聖女服を着たヒルネを見て驚いた。
「あなた、女神さまみたいね……見た目だけは」
「そうですか?」
「居眠りさえしなければ完璧だったのに、中身を知っているからより残念に思えるわね」
「それは褒めてるんでしょうか?」
「褒め半分、あきらめ半分よ」
そう言いつつホリーは笑顔になり、ヒルネの手を取った。
「一緒に聖女になれるわね。これからみんなのために頑張りましょう」
「そうですね。全人類の安眠のため、私自身のごろごろ時間のため、頑張るとしましょう」
「ふふっ、そうね」
ホリーが笑って、ヒルネから手を離した。
「それよりも眠気は大丈夫なの。ジャンヌ、平気かしら?」
ホリーに質問されて、ジャンヌが微妙な顔になった。
「昨日、早めに寝たのですが……たぶんダメだと思います。四時に起きたのはヒルネさまのメイドになってから初めてなので、なんとも言えませんけど……」
「まずいわね……」
ホリーとジャンヌが顔を見合わせて、ヒルネを見た。
当の本人は「ん?」と首をかしげている。半分寝ていて話を聞いていなかった。
(眠いっ……朝四時起きがボディブローのように効いてるよ……ボディブロー受けたことないけど)
ヒルネが目をこすりながら、あくびを噛み殺した。
「教皇の聖句を賜る時間だけはどうにか起きていてほしいわ。三十分間よね?」
「三十分……あの感じだと、もって五分かと……」
心配げに視線を向けられたヒルネは勝手にソファへ座り、全体重を預け、「ほわぁ」とため息を漏らしていた。そして、座って二秒で船を漕ぎ始める。確実に居眠りする案件であった。
「アレ、使うしかないわね」
「そうですね。アレをやってもらいましょう」
「私がヒルネに言うから安心してちょうだい」
「はい。陰で応援しております」
二人が言うアレとは、肉体操作の聖魔法だ。
重要な式典などではヒルネに必ず使うように言っている。眠気を我慢して頭をぐらぐらさせるより、固まって寝ていたほうがマシであるためだ。今のところ、二人だけの秘密だった。
「あと、“試練の祈り”が心配だわ。平気なのかしらね」
「心配で胸が張り裂けそうです」
ジャンヌが不安気な表情を作る。
試練の祈りとは、教皇から聖句を賜ったあと、飲まず食わずで祈り続ける時間を言う。
聖女昇格の儀でしか入れない特別な部屋で祈り続け、女神ソフィアにその思いが届くと聖なる光が全身から出て、晴れて聖女に昇格となる。聖女になると魔力が飛躍的に向上する。
「私なら大丈夫だと思いますよ」
ヒルネが話を聞いていたのか、ソファに身体を預けきったまま言った。
「心配しかないわ」
「ヒルネさま、六時間も起きて祈れますか?」
(えっ…………六時間???)
ヒルネは初めて聞く単位に固まった。
「平均で六時間と言われているわ。長いと一日中祈り続けたりするの。途中であきらめると、もう二度と聖女にはなれないのよ? だからワンダさんが毎日あれほど厳しくしてくださってるの」
「そ、そうなんですね……大丈夫、だと思います。うん」
急に不安になってくるヒルネ。
六時間とか聞いていない。
「今日を頑張って乗り越えましょう。そうすれば、聖女になれるわ」
ソファに座るヒルネの両肩に手を置いて、ホリーがうんとうなずいた。
(こうなったら……やるしかないね)
「祈っている最中は女神さまが私たちを見守ってくださるわ。先輩聖女さまに聞いたら、お腹もすかないし、喉も渇かないんですって。皆さん口をそろえて貴重な体験だったと言うわ」
「そうですか。少し気持ちが楽になってきました」
(何かあったら女神さまにお願いしよう。うん、そうしよう)
ヒルネは女神ソフィアの慈愛に満ち溢れた表情を思い出して、気持ちを取り直した。
聖女になるには試練を受けるしかない。
「よし、絶対に聖女になりますよ」
(ごろごろスローライフのために……!)
ヒルネが気合いよろしく、拳を握った。
ジャンヌが「ヒルネさま、その調子です」と合いの手を入れる。
「大丈夫かしらね……」
ホリーは心配そうであった。
そうこうしているうちに、昇格の儀を執り行う司教が控室に入ってきた。
「ヒルネ、ホリー、礼拝堂へ参りましょう」
◯
本教会礼拝堂はメフィスト星教の最重要施設だ。
王族婚礼の儀、年に一度の奉納祭など、王国にとっても重要な祭典が行われる場所である。そのため、足を踏み入れただけで空気が変わるほどの静謐さと、荘厳さを兼ね備えた場所であった。
数百年前の大聖女が討伐したと言われるエンシェントドラゴンの骨から削り出した女神像を御神体とし、床には幾重にも魔法陣が刻まれている。女神ソフィアともっとも近いと言われる場所でもあり、礼拝堂内では不規則に、キラリ、キラリと星屑が舞っていた。
(……とんでもない安眠スポットになりそうだね)
粛々と準備をしている聖職者の中で、そんなことを考えているのはヒルネだけだ。
礼拝堂には聖職者が多数、大司教ゼキュートス、大司教ザパンが聖書を持ち教皇の左右に立っている。
ヒルネ、ホリーが女神像の前にひざまずき、聖句を賜った。
(ホリーの助言通り、寝ちゃおう)
教皇の長い聖句は肉体を固定して寝た。
あっという間に時間が過ぎ、聖歌隊による合唱、聖職者全員による聖書朗読があり、やっと試練の祈りになった。
ゼキュートスが重々しく口上を述べる。
「これより聖女見習いヒルネ、及び聖女見習いホリーは女神ソフィアに祈りを捧げ、聖女となる許しを請う。両名以外、何人たりとも入室することを禁ずる。ヒルネ、ホリーはあの四つの扉より一つを選び、聖なる光が出るまで退出しないと誓うか?」
「誓います」
ホリーが言った。
ゼキュートスがヒルネへと視線を移す。
どうにか起きていたヒルネが、目の焦点を頑張って合わせて「――誓います」と言い、ゼキュートスは音が鳴らないよう大きく息を吐いた。
「ホリーよ。どの扉を選ぶ」
「私は右から二番目の扉を選びます」
「ヒルネよ。どの扉を選ぶ」
「一番左にいたします」
「よろしい。では、入るがいい」
ヒルネ、ホリーがゆっくりと扉を開けて中に入った。
(魔力を感じる……不思議な部屋……)
中は天井がガラス張りの、真っ白な部屋だった。壁と床全面に聖句が刻まれており、部屋全体が調度品のような美しさだ。
(女神さまに祈ればいいんだよね……よし)
ヒルネは両膝をつき、感謝を伝えようと思った。
(女神さま、私のことを見つけてくれて、見てくれていて、ありがとうございます――)
(この世界に連れてきてくれてありがとうございます――)
(素敵な友達に出逢えたことに感謝申し上げます――)
(女神さまとお話できた時間は私にとって何よりも素敵な思い出です――)
(優しい人たちと出逢えて、笑い合って、美味しい果実を食べて、パンをごちそうになって、ジャンヌとホリーと一緒に寝てぬくぬくで…………日本にいたときの私は、いつも焦って、走り回って、追い詰められていて……だから…………この世界が……エヴァーソフィアが……私は……)
ヒルネは感謝の気持ちを頭の中で言っていたら、安心して眠ってしまった。
寝転がって自分の腕を枕にする。
特殊なガラス天井から、いい具合にあたたかい光がこぼれていた。
いつしか、すう、すう、という寝息が部屋に小さく響いていた。
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