第13話 聖女審査官
寝具店でお昼寝事件のあと、ヒルネはこってりしぼられた。
お説教一時間コースに千枚廊下の掃除一週間だ。
(ワンダさんに言わなかったのは失敗だったなぁ……心配させちゃったよ)
あれから一週間が経ち、宝玉の日になった。
ヒルネは治療院の持ち場に座り、ぼんやりと高い天井を見上げている。天井には空の絵と、聖魔法を使う女神ソフィアが描かれていた。
「ヒルネ、今日は寝具店に行くんじゃないわよ」
ひょっこりと顔を出したホリーが青髪を揺らし、じとっとした目線を向けた。
ヒルネは力強くうなずいた。
「大丈夫です。お説教が骨身にしみました」
「ほんとかしら。あなた、だいたいのことは寝たら忘れるでしょうに」
「それは否定できません」
「堂々と言わない」
ホリーがため息をついて、両手を腰に当てた。
「私、あなたがいなくて探し回ったんだからね。次からは誰かに報告してから行ってちょうだいよ。いいわね」
「わかりました」
「ん? 違うわね。外出は危ないからダメだわ。ヒルネを前にすると調子が狂うわね……とにかく、勝手に出歩くのは規則違反だからね」
ホリーの話を聞いていたら早速眠くなってきた。大きなあくびを一つする。
「それに、今日は本教会の司教さまがお見えになるのよ。ここでしっかり仕事をこなせば、聖女に昇格できる可能性が高いわ。わかってる?」
「あふっ……あ、そういえばそうでしたね……ふあぁっ……ふあ」
「おっきいあくびねぇ」
やれやれとホリーが肩をすくめ、持ち場へ戻っていった。
しばらくして、教育係ワンダが号令をし、患者が入ってきた。
ヒルネは次々と治癒させていく。
(あれ、誰かに見られてる?)
十人目に聖魔法を使ったところで、視線を感じ、その方向へ目を向けると、司祭よりも豪華な法衣を来た司教がヒルネをじっと見つめていた。どうやら審査官らしい。
(司教だと、大司教ゼキュートスさんよりも役職は下って感じか。自分の派閥じゃない人もいるから注意しろって言われているんだけど……あの人、ゼキュートスさんの味方ではなさそうだね)
審査すると言うよりは、粗を探しているように見える。
(まあ気にしても仕方ないか。はい、生命探知魔法――全身打撲だから強めに治癒をかけてっと――)
パッと魔法陣が光り輝き、星屑が患者に吸い込まれていく。
外壁の掃除人である患者は転落して怪我を負ってしまったらしい。
「ありがとうございます。ありがとうございます。噂のヒルネさまに看ていただいて感謝しかございません。末代まで語り草にさせていただきます」
「そうですか。どうせならすごい聖女だと言っておいてください」
「はい。そういたします」
ヒルネの無邪気な笑顔に、男性からも笑みがこぼれ、来たときとは全く違う軽い足取りで帰っていった。
次の患者も、ものの三分で完治。次の患者もだ。
あまりの手際の良さに審査官の司教は驚きを隠せないらしく、動きが固まっている。
何人か治療したところで、司教がヒルネにあてがわれる患者の流れを止め、話しかけてきた。
「君がヒルネだな?」
「はい。銀髪が素敵なおじさま。あなたのお名前はなんですか?」
確かに司教は美しい髪をしている。年齢は三十代後半か四十代であろうか。
ヒルネがまったく気負っていないので、司教は面食らい、何度か咳払いをして口を開いた。
「私はママミラン司教だ。ヒルネ、君は聖句を省略しているが、いつからできるようになったのだ?」
「最初からできました」
ぼんやりした瞳でママミラン司教を見上げるヒルネ。
「そうか……噂で聞くよりも……素晴らしい聖魔法だな」
「ありがとうございます。女神さまに感謝しております」
「よい心がけだ。感謝を忘れないように」
「はい」
「それで、ヒルネは孤児であったな。どうだ、親がほしくはないか」
「どうでしょうか?」
ヒルネは天井を見上げた。
(うーん、考えたこともなかった。前世だとお父さんは早くに死んじゃって覚えてないし、新しいお母さんができたとして、私が今日から母親です、って言われてもなぁ……。それに、こっちの世界のお母さんは、女神さまって感じがするんだよね。不思議な空間で抱き合ったときすごくあったかかったもんね)
うんうんと唸っていると、ママミラン司教が一歩近づいた。
「私の養子にならないか? 確かな後ろ盾があったほうがヒルネのためになる」
「司教の養子に?」
「そうだ」
ママミラン司教は本気で思っているみたいだ。
どうやらヒルネの姿を実際に見て、胸打たれるものがあったらしい。
星海のようにキラキラしている碧眼を司教に向け、ヒルネがパチパチと何度もまばたきをする。純粋な目で見られ、ママミラン司教はなぜか罪悪感を覚えた。何も知らない子どもを騙している気分になってくる。
「ヒルネにこんなことを話してもわからないかもしれないが……君の後見人である大司教ゼキュートスさまと、私は違う派閥なんだ。私は大司教ザパンさまの下にいる人間でね、君をこちらに取り込むようにと頼まれて来たんだ」
気づけば本音が口からこぼれ出てしまっていた。
「えっと、後見人を変えるってことですか?」
ヒルネが首をかしげた。
ママミラン司教が首を横に振る。
「いや、そうではない。後見人は制約があるから簡単に切れるものではないんだ。だから、別の繋がり……養子になって君と私たちの繋がりを強めたいと思っている」
ヒルネの知らないところで、教会内の政治的な動きが活発になっているらしい。
(そういうことか……うーん、この人の養子かぁ……)
銀髪が美しい、初めて話す男性を見上げる。
ヒルネのまっすぐな視線にママミラン司教はたじろいだ。彼も様々な修行を終え、海千山千な教会内の人間関係を乗り越えて出世した胆力の持ち主だ。だが、ヒルネの前では無意味だった。あまりに純粋な塊であるヒルネと相対していると、自分が矮小な存在に思えてしまう。
「ゼキュートスさまに申し訳がないので、お断りいたします」
ヒルネが丁寧に頭を下げた。
悪い人ではないと直感でわかるが、大司教ゼキュートスの厳つい顔が脳裏から離れない。
「そうか……」
憧れの人に振られたような、しょんぼりした声を出し、ママミラン司教が肩を落とした。
「初対面であるし……仕方がないな。今回の勧誘はこの辺にしておこう」
「はい。すみませんでした」
「うむ。では、身体に気をつけて。私のように誰かがまた君を誘いに来るだろう。困ったことがあればいつでも相談しなさい。本教会“流星の間”に私はいるからね。身の回りには十分に気をつけるように」
「わかりました。ありがとうございます」
ミイラ取りがミイラになるとはまさにこのことだろう。
ママミラン司教は養子にするきっかけを作りに来たのに、ヒルネのために何かできないかと考えてしまっている。もう養子などはどうでもよかった。彼女のためなら、喜んで身を引こうと思う。しまいには「この子、のんびりしてるけど誰かに連れ去られないだろうか」と心配までしてしまっている。
ママミラン司教は満足そうにうなずいて、胸の前で聖印を切って、去っていった。
だが、何かを思い出したのか、戻ってきた。
「大事なことを忘れていた。君の聖女昇格は私からも推薦しておこう。水色髪のホリーも同様だ。君たちは素晴らしい聖女になる」
「ホリーと二人ですか? 嬉しいです」
ヒルネが笑顔でぺこりと頭を下げた。
「うむ」
ママミラン司教も笑ってうなずいた。
「君たちには本教会が期待をしている。最年少であるため、市中も大いに喜び賑わうだろう」
「最年少なんですね」
(大聖女に近づいてきたね。夢のごろごろライフに一歩前進……!)
ヒルネは三食昼寝つき仕事なしを夢見て、顔をにやけさせた。
ママミラン司教はそんなヒルネを見て表情を引き締めた。
「最後になるがヒルネとホリーの祈りを見ておこう。聖女へ推薦するには、審査官が自分の目で祈りの姿を見る決まりになっている」
「祈りですか?」
「そうだ」
◯
急遽、ヒルネとホリーが治療院で祈りを捧げることになった。
持ち場を終わらせているので問題はない。
(もう寝たいのに……聖魔法で寝ちゃおう……)
「ヒルネ、大丈夫なの? いびきをかかないでよね」
「たぶん大丈夫です」
「ひどかったら起こすからね」
ホリーが囁き、二人は女神像の前にひざまずいた。
「では、初めたまえ」
「はい」
「――はい」
ママミラン司教の言葉に、ホリーとヒルネがうなずいて、目を閉じた。
ホリーは優秀な少女であるので様になっている。聖女への祈りも真剣そのものだ。
一方ヒルネは――
(聖魔法……肉体操作――、固定化して……おやすみなさい)
流れるような聖魔法で祈りのポーズに身体を固定し、寝た。
高い天井の窓から光が差し込む。
特殊な床に刻まれた聖句の魔法陣から、キラキラと星屑が舞い始めた。
「……すぅ……すぅ……すすん……」
ヒルネの寝息が不規則になると、ホリーの眉がぴくりと動く。
それでも、傍から見ると二人は少女ながらも立派な聖女に見えた。星屑が魔力の多さを現し、誰もヒルネが居眠りしているなどと思わない。
ママミラン司教は将来を担う二人を見て、ゆっくりと聖印を切った。
少女たちを遣わしてくださった女神ソフィアに感謝の祈りを捧げる。
治療院に来た患者は女神像の前で祈る二人を見て、誰しもが頭を垂れ、何度も聖印を切っている。
「……すぅ……すぅ……」
(……ふかふか……ベッド……ジューシーなリンゴ……ジャンヌ……あーん……)
皆から注目されている中、ヒルネは祈りのポーズで居眠りをし、ジュエリーアップルをジャンヌに食べさせてもらう夢を見ていた。
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