第11話 治療院


 転生から一年が経過し、ヒルネは九歳になった。


「ジャンヌ、おはようございます」

「おはようございます、ヒルネさま」


 十分かかってようやくヒルネを起こしたジャンヌが、まじまじとヒルネを見つめた。


 一年が経って、ヒルネの美貌に磨きがかかっている。子どもは一年で思いのほか成長し、気づけば大人っぽくなるものだ。


「ヒルネさまが美人になっていくので、私、心配です」

「何が心配なんです?」

「誰かに連れ去られないかです」


 本気で思っているのかジャンヌが両手を胸に当てて、鳶色の瞳に力を込める。

 ヒルネは見た目だけで言えば美少女である。女神に近い見た目が与える影響も大きなもので、聖女フリークの間では知らない者がいない存在であった。


「大丈夫ですよ。私を連れ去ったところでずっと寝ているだけですから。それよりも心配なのは、布団のお布施がいつまでもないことです。これは由々しき事態ですよ、ジャンヌ」


 中身は変わらず残念なままである。


(転生して一年……相変わらず眠い……)


 ヒルネは目をこすって大きく伸びをした。

 さらりと絹糸のような金髪が肩からこぼれる。


「これを独り占めできるのは……素敵なことだよね」


 ジャンヌが無防備なヒルネを見て、何かを確信したのか学者のようにうなずいた。


「どうしました、ジャンヌ? 仕事をサボって一緒に寝ますか?」

「とんでもないことを言わないでください」


 ジャンヌがあわてて首を振った。


 ヒルネは眠い眠いと言いながらも、一度も仕事をサボったことはない。規則破りはしょっちゅうだったが、聖女見習いの役割はこなしている。その重要性にも気づいていた。


 ちなみに、千枚廊下の掃除もだいぶ手慣れた。自分をモップの魔術師と呼んでいる。教育係ワンダの心配は増すばかりだ。


「ヒルネさま、今日から治療院でのお仕事ですね。大丈夫そうですか?」

「ええ、大丈夫です。聖句も覚えたし、ホリーに診断のやり方も教わりました」

「頑張ってください。メイドの仕事を終わらせて見に行きます」

「待ってますね」


 聖女見習いが治癒の聖魔法を習得すると、治療院に派遣される。修行の一環だ。


 聖女見習いの治療は毎週土曜、この世界で言う“宝玉の日”に行われる。


 一般職の国民が通常の治癒よりも安価に聖魔法を受けられ、聖女見習いは練習になる。お互いに利益のある内容だった。

 ただ、安いと言っても国民の平均給料一ヶ月はかかるため、よほどの怪我や病気がないと来院しない。それでも人気があるのは、この世界に魔物の存在があるためだった。


「もうちょっとお布施を安くしてもいいと思うんですけどね」

「メフィスト星教もお金がないので大変みたいです。難しいですよね……」


 ヒルネの言葉に、ジャンヌが真面目に答えた。


 超人メイドになりつつあるジャンヌは、加護による運動量と運動能力で空き時間が大幅に増えた。教育係ワンダがジャンヌにも注目を始め、ここ二ヶ月ほど政治経済の勉強をジャンヌに施していた。

 このまま成長すると、疲れ知らず、アスリート並の身体能力、政治と経済にも精通した完璧メイドが爆誕しそうであった。


 メイドの間でジャンヌは有望株だ。

 この調子ならヒルネが聖女になり、側付きになるのは確定だろう。


「南方への支援は無償ですからね。お金がなくなるのは仕方のないことですか」


 ヒルネが眠そうに言った。


「そうですね」


 時間になり、二人は食堂で朝ごはんを食べて、別々の持ち場へ向かった。



      ◯



 メフィスト星教の治療院は西教会敷地内の端に建っている。

 作りとしては礼拝堂を小さくしたイメージだ。


 白亜の建物はシンプルで、装飾が少ない。清潔感を意識している。


「ホリー、怪我の大小で聖魔法を使い分ければいいんですよね?」


 時間前、ヒルネがホリーを呼び止めた。


「そうよ。聖句を忘れずにね。あなたが省略するとびっくりしてしまうわ」

「うーん、聖句って必要ありますかね? 治った結果があればいいような気がしますけど」

「聖句を唱える途中経過も大事なの」


 九歳になったホリーも少しずつ成長している。

 水色の髪には艶があり、整った顔立ちがよりはっきりしてきた。大きな吊り目が特徴的だ。

 物言いが大人っぽいのも頭の良さを現している。


「近い内に私とあなたは聖女になるわ。審査官が来るでしょう」

「そうなんですか?」

「そうよ。私たち、優秀だから」

「へえ。大聖女へ近づいてきましたね」


 そうこうしているうちに、教育係ワンダが治療院に入ってきた。

 治癒の使える聖女見習いが十人、一列に並ぶ。


「本日は宝玉の日――あなたたちには治癒の実戦訓練を行ってもらいます。決して無理はしないこと。自分の手に負えない患者は即座に私か司祭さまを呼びなさい。魔力が切れそうになったら、患者が待っていても私を呼びなさい。いいですね」

「はい」

「――はい」


 一斉に十人が返事をした。ヒルネだけワンテンポ遅い。

 いつものことなので誰も気にせず、指示された持ち場へと向かう。


 簡単なパーテーションで区切られ、各スペースに椅子が二脚置いてある。座っていれば患者が案内される流れだ。


 開院の時間になり、次々に患者が入ってくる。


 ワンダは少女たちの実力に応じた患者を振り分けるので、全員が無理なく聖魔法で治療していく。骨が折れていたり、捻挫していたりなど、外的要因の患者が多い。魔物に襲われた人間もいる。ほとんどが成人男性だ。


(捻挫一つでも働けなくなるとお金が入ってこないからね、死活問題だよね。それなら魔法で治したほうが効率はいいか……)


 眠そうな目で魔法を使い、ヒルネが目の前の患者を治した。

 聖句を唱えるのをすっかり忘れている。


「あ……ありがとうございます。あれ、歯が痛いのも治ってる?」

「虫歯も治しておきましたよ」


 にっこりと笑うヒルネ。

 先ほど診断して見つけたのだ。


「虫歯があったら安眠できません。寝不足になったら大変ですからね。寝不足がすべての敵です。お大事に」

「ありがとうございます」


 大工らしき男性が嬉しそうに一礼して去っていった。

 そんな調子で三十名ほど治療すると、教育係ワンダがヒルネの肩を叩いた。


「ヒルネ、大丈夫ですか? 疲れたら言いなさい」

「ワンダさま? まだ疲れていませんよ。強いて言えば眠いです」

「それはいつもでしょう」


 ワンダが心配そうにヒルネの全身を見つめ、聖句を唱えてヒルネの額に触れた。


「……魔力はまだある……おかしいわ……短時間で三十名も患者を見ているのに……」

「人より疲れないのかもしれません」

「女神さまの加護があるのかもしれないわね……あなたは逸材だわ」

「女神さまに感謝しないといけませんね」


 ヒルネが嬉しそうに、治療院に設置されている女神ソフィアの銅像を見上げた。


「念のため、次の一人を治療したら休憩にしましょう」

「わかりました。寝てもいいですか?」

「……私のところにあとで来なさい。椅子を並べてあげるわ」

「はぁい」


(お昼寝できる。嬉しい)


 笑顔で返事をして、ヒルネは速攻で次の人を治すべく両手を構えた。


「こらこら、きちんと対応なさい」


 ワンダがぽんとヒルネの肩を叩いて、次の患者を呼んできた。


 他のブースでも聖魔法が唱えられ、魔法陣がいくつも輝いている。ホリーも頑張っているようだ。


「聖女見習いさま、お願いいたします……あれ、ヒルネちゃんかい?」

「あっ。寝具店ヴァルハラの店主さまではありませんか」


 やってきたのは王都で有名な寝具店の店主、トーマスであった。

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