第10話 コカトリスの卵
ヒルネは民への施しを行っていた。
メフィスト星教・西教会主導で昼の時間にかかさず催されている。
(南方からの移民が多いみたいだね……大変なのかな)
南方地域は髪を編み込む風習があるらしく、施しを受けている民のほとんどが髪飾りをつけている。教会前で施しを受け、職業斡旋所で仕事を探すらしい。
最近では移民が多すぎて王都は入都制限を行っていた。
ヒルネが根菜類を煮たスープの椀を男性に差し出した。
「女神ソフィアさまのご加護があらんことを――」
「ありがとうございます」
ヒルネは目の下にくまを浮かべている壮年の男性を見て、ああ、なんてことでしょうと悲しい顔を作った。
「よく眠れていないのですか?」
思わず聞いてしまった。
スープの入った椀を持ち、男性が振り返る。
「はい……聖女さま……空き地が人であふれかえっております……」
「あなたに安眠の加護を――」
ヒルネが手をかざすと、手のひらに小さな魔法陣が浮かんだ。
キラキラと星屑が待って男性に吸い込まれていく。
それを受けた壮年の男性は驚いたのか椀に入ったスープをこぼしそうになり、あわてて取り直し、深々と一礼した。
「あ、ありがとうございます。貴重な聖魔法を私なんかのために……」
「いいんです。ぐっすり眠れるといいですね」
ヒルネの星海のような輝きを持つ碧眼を向けられ、男性が何度もまばたきをし、涙ながらに頭を垂れた。
「娘を魔物に殺されてしまい……妻と息子を食べさせるため王都に参りました……聖女さま、ありがとうございます。生きる希望をいただきました」
「睡眠不足はすべての敵です。身体を大切に。いつか南方も浄化されるでしょう」
(聖女たちが大勢派遣されてるらしいからね)
ヒルネはそう言って、次に待っている民へ顔を向けた。
男性は何度も何度も頭を下げていた。
ヒルネは目の下にくまがある人を見かける度に、聖魔法を使っている。
教育係ワンダにダメだと言われてもこれだけは譲れなかった。
施しの時間になると、多くの人で西教会は賑わう。聖女見習いの少女をひと目見に来た者、施しを受ける者、集まった人で稼ごうと屋台を出す者――
そんな昼の施しの時間で一番人気はヒルネだ。
優しいまなざしと整った顔立ち、眠たげな姿が民には神秘的に映る。
(私の列がまた最後ですか……スピードアップしたほうがいいですね)
そんなことはつゆ知らず、お玉を握り、椀へスープを入れる速度を上げるヒルネであった。
◯
一日の仕事が終わり、部屋に戻ってきた。
今日はめずらしく午後二時で仕事が終わりだ。休息日である。
「んん?」
部屋で待っていたジャンヌが両手で丸い何かを持っていた。
「ジャンヌ、それは……卵ですか?」
「ヒルネさま」
ジャンヌがうんしょ、うんしょと声を漏らしながら、大きな卵をそっとテーブルに置いた。手を離すと倒れてしまうので、真剣な顔で押さえている。手際がいい。
「ずいぶん運動神経がよくなりましたね、ジャンヌ」
「はい! これもヒルネさまの聖魔法のおかげです」
毎日かけている聖魔法が超回復に役立ち、身体能力向上の加護を知らず知らず受けているジャンヌの成長が著しい。疲れ知らずで、素早く動ける超人メイドになりつつあるが、本人たちはわかっていない。このまま大人になったらとんでもないことになりそうであった。
「今日の仕事ぶりを貴族さまが褒めてくださって、コカトリスの卵をいただいたんです」
「コカトリス?」
「空を飛ぶ魔物ですよ。私あてに寄付してくださったんです。こんなこと初めてですっ」
ペカッと光るような笑顔になり、ジャンヌが白い歯を見せた。
ヒルネも自然と笑顔になる。
「今日中に食べたほうがいいそうです。これから食堂の調理人にお願いするつもりですよ。今日は卵料理が出ますね」
(卵……っ! オムレツが食べたい)
「オムレツが食べれますね」
「オムレツってなんですか?」
卵に手を当てているジャンヌが首をかしげる。
「卵をフライパンで焼きながら、くるくると楕円に丸める調理法です。知らないんですか?」
「知りませんね。見たこともないです」
「この国では卵はどんなふうに調理するのですか?」
「大体がスクランブルエッグでしょうか」
「それはいけません」
ヒルネが胸を張って言った。
「ジャンヌ、卵を持っていきましょう。私が調理します」
「ヒルネさま、できるんですか?」
「もちろんです。さ、行きましょう」
二人はコカトリスの巨大な卵を抱えて食堂へ向かった。
◯
料理人に新しい卵の調理法を見せると言ったら、すんなりオーケーしてくれた。
腕の太いおばちゃんが料理長らしい。
「卵が手に入るなんて素晴らしいことだよ。あんた、頑張ったね」
「はい。嬉しいです」
褒められてジャンヌはご満悦だ。
おばちゃんに手伝ってもらい、コカトリスの卵を割って巨大なボウルに入れる。
(でっかぁ……混ぜるのが大変だ。卵のいい匂いがする。いちお浄化しておくか)
「聖魔法、浄化」
パッと魔法陣が現れて、星屑が卵に染み込んでいく。
いきなり魔法を使ったヒルネを見て、ジャンヌとおばちゃんが口をあんぐり開けて驚いた。
「ヒルネちゃん……あんたなんで聖魔法を……」
「念のため浄化しました。これで安心です」
「ヒルネさま……卵を浄化する聖女見習いは一人もいませんよ……」
「ここにいますよ」
おばちゃんが目と口を開けたまま、ジャンヌを見た。
「噂通り本当にマイペースなんだね……」
「そうなんです……毎日一緒ですけど、たまにびっくりします」
そんな二人の言葉は聞こえていないのか、ヒルネが台に乗ってボウルを覗き込み、大きな菜箸を両手に持って卵をかき混ぜ始めた。
(重い。少女のパワーじゃダメだ)
「貸してごらん。あたしがやってあげるよ」
見かねたおばちゃんが太い腕を出した。
「ああ、大丈夫ですよ。こんなときこそ便利な聖魔法です。疑似生命――菜箸、ぐるぐる回してね」
またしても魔法陣が足元で輝き、星屑が菜箸に吸い込まれていく。
菜箸が命を吹き込まれたかのようにひとりでに動き始めた。ものすごいスピードでコカトリスの卵をかき混ぜる。透明人間が菜箸を操っているような光景は奇妙だった。
「楽ちんですね」
満足気にうなずいたヒルネからは断続的に星屑が出ている。
おばちゃんもジャンヌも開いた口が塞がらない。聖魔法を菜箸にかける聖女など、古今東西聞いたことがなかった。
卵を混ぜ終わり、聖魔法を切って菜箸を取った。さらにお玉で適量をお椀に入れる。
フライパンが適温になるまで待って、油を引いた。
(火は薪か。原始的だね。温度調節が細かくできないのか……気をつけないと)
薪のコンロにはつまみがついており、動かせば空気の出入りを調節できる。ある程度の調節は可能みたいだが、電気コンロのような微細な調整はできないみたいだった。
「ヒルネちゃん、大丈夫かね。心配になってきたよ」
「私もです」
キッチンが高いため、ヒルネは台に乗ってフライパンを持っている。
頃合いを見計らってお椀に入った卵を投入した。
じゅわ、と音が鳴り、ヒルネが手際よく菜箸を動かしていく。
いつもの眠そうで気だるげな動きとは打って変わって、機敏であった。
「おお、こりゃすごいよ!」
「魔法みたいですっ」
おばちゃんとジャンヌが、フライパンの柄をぽんぽん叩いて卵をオムレツに仕上げていくヒルネを見つめた。初めて見る調理法に、おばちゃんの目が輝いている。
(オムレツ、オムレツ)
前世では毎週金曜日に売り出される格安の卵をゲットし、よくオムレツを作っていた。ブラック企業に入ってからは自炊もほとんどしていなかったな、とヒルネは思い出し、日本にいた自分がずいぶん昔に感じるなぁと考えつつフライパンを操った。
身体が小さいので調理しづらいが、どうにか形になってくれる。
「できました」
そう言って、ヒルネが皿にオムレツを移した。
黄色い楕円形の卵から湯気が上がる。
「塩をかけて食べましょう。胡椒があればよかんですけど香辛料は高級品ですからね」
そう言いつつ、ヒルネがキッチンにあった塩をかけて、おばちゃん、ジャンヌにスプーンを渡した。
「いいのかい?」
「いいんですか?」
おばちゃんとジャンヌは聞きながらも食べる気満々でスプーンを構えている。ヒルネは楽しそうにうなずいた。
「食べましょう。みんなで食べると美味しいです」
早速、スプーンをオムレツに差し入れた。
(ふわっとしてる。ふわっとしてる〜)
とろりと半熟卵がこぼれてくる。
口の中に入れた。
(あ〜、これだよ〜、美味しいよー、卵のやさしい味がする。コカトリスの卵って濃厚だねぇ。ミルクが混ざってるみたいな味がする。たまらない。美味しい)
スプーンを動かしてぱくぱくと食べるヒルネ。
おばちゃん、ジャンヌも一口食べて、顔をほころばせた。
「こりゃあ世紀の発明だよ。美味しいねぇ」
「はい。とろっとして美味しいですぅ」
「あたしゃとろーりが少ないとこが好きだよ」
「私は多いところが好きですぅ」
おばちゃんとジャンヌが楽しそうに意見を言い合う。
どれくらい焼くかはお好みだ。
「そうだ。聖女見習いと、聖職者、メイド、あと寄付してくださってるご近所さんにもおすそ分けしましょう。ジャンヌ、みんなを呼んできてくれますか?」
「はい、わかりました!」
ジャンヌが嬉しそうに駆けて行く。
「料理長、たくさん作りましょう」
「ああ、教えてくれるかい?」
「もちろんです」
ニコニコと笑って、ヒルネが言った。
「そうだ。ちょっと待ってくださいね」
ヒルネが聖魔法を使い始め、おばちゃんが一歩下がった。
(疑似生命――菜箸を起点に起動――私のさっきの行動をトレース――オムレツ自動作成)
大きな魔法陣が展開され、星屑が人の形をかたどっていく。シェフっぽい帽子をかぶっているのはヒルネのイメージが影響しているのか……星屑シェフが恭しく一礼すると、菜箸を持ってオムレツを作り始めた。
「あ……あはは……あたしゃ夢見てるんかね……?」
星屑の集合体が勝手にフライパンを操ってオムレツを作っている様を見て、おばちゃんが顔を引きつらせた。
「女神さまのくださった聖魔法は万能ですね。さ、みんなの分を作りましょう。これなら百個以上作れそうです」
「あいよ。もう気にしないことにしたよ」
おばちゃんが星屑を断続的に出しているヒルネを見て、何かを悟ったのか、菜箸を握った。
◯
オムレツは大人気であった。
西教会で休息していた聖女見習い、メイド、聖職者が美味しそうに食べ、ヒルネに感謝していた。やはりいつもの食事が簡素であるため、濃厚な味には皆敏感であった。
「ホリーさん、一緒にご近所へ行きましょう」
「仕方ないわね。今回ばかりは叱られてもいいわ。行きましょう」
最後まで食べないわ、と意地を張っており、一口オムレツを食べたら無言で食べ尽くしたホリーがおもむろにうなずいた。
ヒルネ、ホリー、ジャンヌは暇そうなお姉さんメイドたちを誘い、オムレツをご近所へ配った。
それはもう大変な喜びようで、住民たちはもらって歓喜し、食べて「美味しい」と叫び、聖女さま万歳、メフィスト星教に感謝を――と、涙ながらに礼を言った。聖女見習いヒルネ考案の卵料理というところが大変な付加価値になっているらしい。
「皆さんが喜んでくれてよかったですね」
(お母さんが死んじゃってから、一人でご飯食べてたからな……ほぼ毎日会社のデスクでカップラーメンだったし……みんなで食べるのって、なんだかとっても素敵なことに思えるよ)
ヒルネは過去の自分を思い出して教会の入り口で立ち止まり、空っぽになったお皿を持って、空を見上げた。
夕焼けが西教会に影を作っている。
影は遠くに伸びていた。
生前の母も喜んでいる気がし、女神ソフィアも褒めてくれている気がした。
想いを馳せるヒルネの横顔を見て、ジャンヌとホリーも足を止めた。
「ヒルネさま……」
「ホントあなたって……黙ってると聖女に見えるわね……」
長いまつ毛に影を作るヒルネの横顔に引き込まれ、二人はそんなことをつぶやくのであった。
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