第4話 見習い聖女ホリー


 聖魔法を使った居眠りは教育係ワンダに見つからなかった。

 いびきをかいたらアウトなのだが、ヒルネはそこに気づいていない。


 ジャンヌに言ったら「なんてことをしてるんですか……!」と叱られること間違いなしの案件である。知らぬが仏、もとい――知らぬが女神だろうか。


「寝たからか、調子がいいですね」


 ヒルネは清潔な布で神具を拭きながら、上機嫌につぶやいた。


 神具を綺麗にするのも聖女見習いの仕事だ。

 広い神具室には整然と道具が並んでいる。


 見習い聖女たちが各自持ち場に散って、せっせと神具を磨いていた。


(磨くのも疲れるな……聖魔法で綺麗にしてはダメなのかな? 拭くより確実だと思うけど)


「ねえ、あなた。ちょっといい?」


 声をかけてきたのは同じ聖女見習いの少女だ。水色の髪が特徴的な目鼻立ちのはっきりした女の子で、少し気が強そうに見える。


(ああ、この子……髪の色が気になってたんだよね。水色って異世界っぽい……)


「なんでしょう?」

「あなた……さっき寝てなかった?」

「……気のせいではないでしょうか?」

「私、隣で祈っていたんだけど、あなたの呼吸がたまに途切れてたのを聞いてたのよ。スー、スー、ススン、って感じだったわよ。あれ、寝てるときなるやつよね?」


 水色の髪の少女が実演付きで解説し、じっとりした視線をヒルネに向ける。

 ヒルネは参ったな、と天井を見上げた。


(でも寝てたのは事実だし……)


「すみません。寝ていました」


 結局、正直に言うことにした。


「そ、そう」


 ヒルネがはっきり認めると思っていなかったのか、水色の髪の少女は戸惑いながらうなずき、眉根を寄せた。


「そうだったとしても、姿勢が崩れてなかったわ。あれ、どうやってるの?」

「聖魔法です。肉体操作の聖句? ですかね。あれを使いました」

「え? 何言ってるの?」


 ヒルネの言葉に、少女が呆れた声を出した。

 声が大きかったのか、周囲で作業をしている聖女見習いがちらりと二人へ顔を向ける。


 視線に気づき、水色髪の少女は咳払いをして、ヒルネに身体を寄せた。


「聖魔法がもう使えるの? あなた、大司教ゼキュートスさまが後見人よね?」

「使えるみたいです。ゼキュートスさまが後見人ですね」

「みたいって……聖魔法は聖句を唱えて初めて行使できるのよ? 静かな場所で声を発したらすぐにわかるわ」

「心の中で、なんとなく唱えたらできました」


 ヒルネが眠たげな碧眼を少女へ向けた。


「そんなこと――」

「そうだ。挨拶が遅れました。私、ヒルネと言います。素敵な髪色のあなたのお名前は何ですか?」


 曇りのない目に見つめられ、少女はうっとたじろいだ。


「……ホリーよ。三ヶ月前に試験に合格して見習いになったの」


(ホリーさん……髪が素敵だから覚えておこう)


「そうですか。年はいくつですか? 私は八歳です」

「私もよ」

「同い年で先輩だと心強いですね。これから、よろしくお願いします」

「ええ……よろしく」


 ホリーは注意のつもりで言ったのだが、どうにもヒルネがのほほんとしているで、反応に困った。


 それに、大司教が後見人になっている女の子がどんな人物か気になった。ここで注意して先輩としての威厳を見せておこうと思ったのだ。ホリーは真面目で上下関係を気にする子であった。


「あなたすごい美人なのに変な子ね?」

「そうでしょうか?」

「心の中で聖句を唱えるなんて……できる訳ないじゃない」

「使えますよ……ほら」


 ヒルネが浄化の聖魔法を使って、持っている盃を一瞬で綺麗にした。

 ホリーは盃が光って星屑が舞ったのを見て、びくりと身体を震わせ、唖然とした顔でヒルネを見つめた。


「え? え? 今、浄化の聖魔法?」


 ホリーがヒルネの持つ盃を覗き込む。


「こんな全部綺麗に……私でも片側ぐらいしか浄化できないのに……」

「そうなんですか?」

「そ、そんな訳ないでしょう。私のほうがうまくできるわっ」


 大きな声でホリーが否定すると、周囲から一斉に視線が集中した。

 あっ、と手で口を塞いで、ホリーが肩をすぼめた。


 すると部屋の奥から教育係のワンダが歩いてきて、片眉を上げた。教育係というより、騎士の教官のような雰囲気の持ち主だ。


「ホリー。神聖なる道具を手に持って何を騒いでいるのです?」

「ワンダさま、これは……その、申し訳ありません」


 ちらりとヒルネを見て、ホリーが観念して頭を下げた。


「真面目なあなたらしくないわね。気をつけなさい」

「はい……」


 ホリーが再度頭を下げ、胸の前で印を切った。


「話し相手は……ヒルネですか。先ほどの祈りはよかったですが、次、居眠りを見つけたら罰として千枚廊下の掃除ですよ。その言葉は覚えているのですか?」


 ホリーのあとに、矛先がヒルネに向かった。


「いえ、覚えていません。ごめんなさい」


 ヒルネは正直すぎた。


「……正直は美徳です。しかし、覚えていないというのも問題です」

「すみません。うっかりしていました」


(うーん、寝ぼけてて覚えてない。会社のミスはごまかして後で修正してたからなぁ……正直に言っても怒鳴られて減給だったし……素直に謝れるって素晴らしいことだよ、うん。これぞ風通しのいい職場だね) 


 何かちょっと違う気もするが、ヒルネが一人で納得していると、ワンダが軽く息を吐いて「静かに作業なさい」と言って去っていった。


 その背中が見えなくなるのを見届けて、ホリーが口を開いた。


「ねえ、もう一度やってみてよ」

「いいですよ……はい、浄化」


 パッと次に持った盃が光り、ぴかぴかの新品状態になった。

 ホリーが目を見開いている。


 彼女は手に持っていた盃を急いで拭いて、別の物を取ると、小さな声で聖句を唱えて浄化の聖魔法を使った。


 淡い光が輝いて、盃が浄化される。


「……片面だけしかできない……それに聖句なしなんて……あなた天才なの?」


 ホリーが悔しげにヒルネを見た。

 八歳で聖魔法が使えるだけでも相当な才能の持ち主で、ホリーは聖女の最年少記録、九歳を更新するのではと囁かれていた。


 聖女になるには、品行方正であること、一定範囲を聖魔法で浄化できることが条件だ。


 見習いたちは日々の修行でゆっくりと力を増やしていく。

 才能の可否は人それぞれなので、九歳で聖女になる少女もいれば、十五歳で才能が開花する少女もいた。


「ホリーさん、時間があるときに聖句を教えてくれませんか?」

「え?」

「聖魔法は使えそうですが、聖句を唱えられないと聖女にはなれませんよね? 式典などで無言では聖女はつとまりませんから」

「そうだけど……」

「今の聖句、淀みがなく素晴らしかったです。昨日来た司祭おじさんよりも聞き取りやすいです」

「昨日の方は確かに聞き取りづらかったわ。年寄りは聖句に癖が出るからね……」


 ホリーが生真面目にうなずいた。

 聖句は難しい文字列が並んでおり、人によって聞き取りやすさが違う。


 あと、報酬なしで見習いに聖句を教えてくれる男性を司祭おじさんと言わないであげてほしい。


「こうしましょう。お暇な時間に私の部屋に来てください」

「あなたの部屋に?」

「はい。宿舎の二階、一番端の部屋です。ダメでしょうか……?」

「べ、別にいいけど……」

「よかったです。寝てるかごろごろしてるので、いつでも大丈夫ですよ。あと、何かできることがあったら協力しますから言ってくださいね」


 ヒルネが長いまつ毛をぱちぱちさせて、ホリーを見つめる。

 ホリーは何度か髪をかき上げると、こくりとうなずいた。


「そこまで言うなら仕方ないわ。私が先輩だから、色々教えてあげましょう」

「よろしくお願いしますね、先輩さん」


 ヒルネは笑顔でうなずいた。


 完全にヒルネのペースに巻き込まれたホリーは、頬を少し赤くし、手に持っている盃へと視線を落として拭き始めた。


 すると、何かを思いついたヒルネが腕を組んだ。


「ところでホリーさん。聞きたいことがあります」

「なに?」

「布団をお布施でもらう方法はないでしょうか?」

「え? 布団……?」

「そうなんです。部屋の布団がぺらぺらで気持ちよくないんです」


 ホリーはぴくりと眉を動かした。真面目な彼女には聞き捨てならない言葉だったらしい。


「あなたねえ……聖女たるもの物欲に溺れてはダメなの。民よりもいい生活を送るなんていけないわよ。そもそも聖女っていうのは――」


 それからしばらくホリーの聖女談義が続いた。


(こっそりおしゃべりしながらお仕事……なんてのんびりした時間なんだろう……。こういう時間を大切にしたいよね…………ああ、なんだかまた……眠くなってきた……)


 静かな神具室で、身を寄せ合って話をする。

 あくせく働いていたことを思い出すと幸せな気分になってくるのだ。


「……ふぁっ……あふっ……」

「ちょっと、人の話を聞いているの?」

「聞いてます……ふあぁっ……」

「大きなあくびね。ま、いいわ。手を動かしながら話しましょう――」


 生真面目なホリーの聖女とはなんぞや、という話がとにかく長い。


 ヒルネは話の途中で居眠りをし、ホリーに叱られた。

 それも何だか、幸せだった。

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