第3話 聖魔法の使い方


 こちらの世界に来て一週間が経過した。

 相変わらず食事は質素で布団はぺらぺらだ。


 どうにかならないものかと思いつつも、まあいいか、とマイペースなヒルネはあまり気にしないことにした。今は雌伏のときである。大聖女とやらになれば、環境は改善されるだろう。それまでの辛抱だ。


 聖女見習いの仕事も、ようやく慣れてきた。


「早朝から一時間祈って、神具を清めて、聖句を聞いて、聖魔法の聖句暗記、座禅、給食当番――」

「給食当番ではなく、民への施しですよ」


 ヒルネの美しい髪を梳かしながら、ジャンヌが訂正する。

 プラチナブロンドが朝日に照らされ、宝石のように輝いていた。


「そうでした、民への施し。大切なことだとわかってるんですが、腕が痛いです」

「続ければ慣れてくるものです」


 ジャンヌがポニーテールを揺らし、一つうなずいた。


 あれから一週間経ち、二人はだいぶ打ち解けてきた。ヒルネが人見知りしない性格だからだろう。


「大きな寸胴鍋からスープをひたすらすくう作業。ついでに聖句をスパイスでちょろちょろっと唱えてですね――」

「ヒルネさま。聖句はついでではありませんよ」

「これで午前がようやく終わり……ハァ……聖女見習いはつらいですね……何か楽をする方法はないのでしょうか? これでは身体が持ちません。眠気も止まりません……ふあぁっ……」


 大きなあくびを連発するヒルネを見て、ジャンヌは心配になる。


 昨日の午後も聖書朗読で居眠りをし、教育係の元聖女ワンダに叱られたばかりであった。


 教育係ワンダは西教会の聖女見習いとメイド見習いたちが恐れる存在だ。もちろん尊敬もされているのだが、彼女の指導は厳しい。指先一つの仕草でも目につけば指導が入る。


 ヒルネは本教会大司教ゼキュートスが後見人である。それだけでも一目置かれる存在だ。


 というのも、メフィスト星教は王国中に教会を持っており、どの教会に配属されるかで地位が変わってくる。同じ大司教のポジションでも、辺境の教会と本教会では二階級ほど差があった。つまり、本教会の大司教ゼキュートスは幹部クラスである。


 ここにいる聖女見習いは、聖魔法のテストを受けて合格した者が七割で、残りが司祭など関係者の推薦によるものだ。


 本教会大司教が直々に聖女見習いの後見人になることは滅多にない。

 加えて、ヒルネの容姿は人目を引いた。


 歩くだけで星が舞いそうなプラチナブロンドに、宝石も逃げ出しそうな碧眼。相貌も非常に整っている。その割にのほほんとした雰囲気なので、見た者に癒やしを与えていた。王都に住む聖女見習いフリークのあいだでは、すでに噂になっているほどだ。


「祈りながら人をダメにする椅子に座りたいものですね……」

「なんですかその椅子は……」


 本人はこんな調子だ。

 ジャンヌの心配もうなずける。


「ヒルネさまは恐いもの知らずすぎます」

「そうですか?」

「そうですよ。叱られてもどこ吹く風なので、私はいつも心臓が痛いです」


 しかも、ヒルネは危機感がまったくない。街を巡回している最中に、知らないおっさんに串焼きをもらってもりもり食べていた。聖女以前の問題である。


 ヒルネから目を離したら誰かに拐われそうだ。布団を目の前に追いたら自ら拐われに行くかもしれない。


 ジャンヌはメイドの仕事がなければ、できるだけヒルネと一緒にいようと気を引き締めた。


「今日は気をつけてくださいね。昨日、叱られたと聞いて血の気が引きました」

「気をつけますよ。ドントウォーリーです」

「よくわかりませんよ、ヒルネさま」

「ああ、そういえばですね、昨日巡礼から戻られた聖女さまを見ました」

「本当ですか?」


 ジャンヌが櫛を操る手を止め、鳶色の瞳をヒルネに向けた。


「だいぶくたびれた様子でした。そうですね、野宿を繰り返して魔物に追われたかのような見た目でしたね」

「南方に行かれたんですね。なんて尊い行いなんでしょうか」


 ジャンヌは両手を合わせて、熱いため息を漏らした。


「聖女は地方へ巡業して、王都に戻ってくるのですね?」

「そうですよ。世界は魔物による汚染が進んでおります。世界の浄化は聖女さまのお役目ですから」

「困りましたね……聖女になると地方巡業という過酷な仕事をさせられてしまいます」


 ヒルネは「聖女さますごい」と感激しているジャンヌをよそに、腕を組んだ。


(聖女になったら早々に大聖女へ昇進しないといけないね。巡業で野宿はしたくないな……あ、寝袋って寝やすいのかな? うーん、寝袋は魅力的だけど毎日はさすがにいやだし……やっぱり大聖女になるしかないかな。ゼキュートスさんへの恩もあるしね)


 聖女見習い――忙しい

 聖女――地方巡業が過酷

 大聖女――自分の教会でウハウハ


 ヒルネの脳内での解釈はこんな形だ。


(大聖女の情報もほしいなぁ)


「ま、とりあえずは聖女になれるように頑張りますか。最低でも一年の修行が必要みたいですし」

「ヒルネさま、その調子ですよ」


 ジャンヌが前向きなヒルネの発言に大きくうなずいた。


「頑張ってくださいね」

「そうですね。ほどほどに頑張ります」



       ◯



 ジャンヌに身体の隅々まで拭かれ、聖女見習いの服に着替えると、宿舎から教会へ向かった。


 すでに聖女見習いが五十名ほど集まっている。


「では、おつとめ頑張ってくださいね」


 ジャンヌがぺこりと一礼して食堂の方向へ消えていった。

 メイド見習いもやることは山積みだ。


「……」


(この世界に来て一週間になるけど……礼拝堂の装飾が荘厳すぎて尻込みする……)


 床は大理石調で、聖句が細かく刻まれ魔法陣となっている。


 虹色に輝くステンドグラス、白亜の女神ソフィア像が正面に鎮座し、三百のロウソクに火が灯っている。人類と魔物の会戦を描いた絵が壁一面に続き、天井にまで達していた。


(あと、女神さまが聖魔法って言ってたけど、魔法って実際に見ると感動するね。キラキラしてて綺麗)


 ヒルネは教育係ワンダの鋭い視線を受け、ああ、いけない、と内心では思いつつ、ゆったりした足取りで聖女見習いの最後尾まで進み、両膝を床についた。


(ワンダさんはお説教が長い……とてもいい人なんだけど……)


 赤茶色の髪をすべて後ろにまとめた、四十代後半の元聖女だ。

 騎士のようにきりりとした美貌の持ち主で、年齢よりも十歳以上若く見える。縁無しメガネが似合いそうな人物だ。教育係が着る法衣とロングスカートを穿いている。


 彼女が音を立てずに前へ出た。


「女神ソフィアの敬虔なる聖女見習いよ。世界安寧を、世界平和を、すべての生きとし生けるものへ愛と感謝を祈りなさい……」


 彼女が厳かに言うと、聖女見習いたちが一斉に胸の前で印を切り、両手を組んだ。


 ヒルネも覚えたての印を胸の前で切って、祈りのポーズを取った。


(女神ソフィアさまに感謝を……あとは世界中の人々が安眠できますように……安眠って考えたら眠くなってきた……)


 開始十秒で眠くなるヒルネ。

 静謐で静寂な教会内は布団があれば安眠スポットになるな、と初日から思っている。


 少女たちが祈り始めると、床に刻まれた聖句の魔法陣が光を淡く発した。そしてじわりとあたたかくなる。


(床暖房きた……)


 断じて違うのだが、両膝立ちしている足があたたかいのは間違いない。


「ヒルネ。動いてはいけませんよ。祈りに集中しなさい」


 頭上から教育係ワンダの声がし、ヒルネの細い肩にそっと触れた。


「女神ソフィアへ真摯に祈り、そのお力を感じるのです」

「……」


 ヒルネは目を閉じたまま小さくうなずいた。


「それが聖魔法の入り口です」


 ワンダが手を離して下がった。

 教会にまた静寂が訪れる。


 ステンドグラスと魔法陣の光が淡く交差して、極小の星屑がいくつか舞った。


(聖魔法……実は使えそうなんだよね。聖句を唱える必要があるらしいけど……女神さまに加護をいただいたからかな?)


 ヒルネは自分の中にある力を、こっそり解放してみようと思った。


(聖魔法……肉体操作……あとは、身体を固定すれば……)


 自身の身体を筋力ではなく、聖魔法で操作する魔法が発動した。


 さらにヒルネオリジナルの固定化という効果も発動し、彼女の身体はどれだけ力を抜いても動かない状態になった。動かせるなら、動かないこともできるだろうという逆転の発想だ。このまま持ち上げられても、フィギュアのように動かない。


 通常、聖魔法習得までは、

 1.女神ソフィアへ祈りを捧げる(女神に許可をもらう作業と言われている)

 2.聖句を唱える(暗記・詠唱)

 3.聖魔法発動(魔力操作)

 という流れで、数年がかりで行われる。


 ヒルネにある女神の加護がすべての肯定をすっ飛ばし、聖魔法の行使を可能にしていた。


(おおっ、できた。素晴らしいね……これは楽ちんだよ。眠れそう……)


 目だけ魔法を解除し、そっとまぶたを開くと、真剣に祈りを捧げる聖女見習いたちが見えた。


(皆さん、おやすみなさい……素敵な世界に感謝を……)


 ヒルネは寝た。

 魔法のおかげで微動だにしない。


「……」


 教育係のワンダが新入りのヒルネを見て、感心したように笑みを浮かべている。


 先ほどよりも姿勢がよく、何より心の乱れが見えない。


 ヒルネの周囲でキラリ、キラリと星屑が舞っており、魔力が高いことを示していた。見た目の愛らしさもあってか、ワンダはまさかヒルネが聖魔法で居眠りしているとは夢にも思わなかった。


 寝ているから乱れるも何もないのだが……バレないことを祈るのみだ。


「……すぅ……すぅ……」


 朝の祈りはこうして過ぎていった。


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