第1話 異世界に転生しました
目を開けると、灰色の天井が見えた。
「……」
長い夢を見ていたような気がする。
これほどぐっすり寝たのはいつぶりだろうか。
「あっ。会社! 遅刻?!」
飛び起きて、ベッドに置かれている目覚まし時計を探す。しかし、見つからない。
布団をめくりあげ、ベッドの下も探してみた。
(……あれ?)
ふと違和感を覚えた。
穴の空いた薄い掛け布団なんて自分の部屋にあっただろうか。
ベッドの敷布団もぺらぺらだ。麻っぽい素材だった。
ベッド自体もかなり古くて傷んでいる。
(えーっと……?)
きょろきょろと周囲を見回すと、室内が石造りの部屋であることがわかった。
差し込んでいる朝日が古めかしいガラス窓を通り、淡い光に変化している。
金色の物がちらちらと目に入ってきて、何回かまばたきをしてみた。
(うそ……金髪?)
視線を下げて髪を持ち上げると、プラチナブロンドが視界に飛び込んできた。
しばらく自問自答すると、女神ソフィアの存在を思い出した。
(あ、そうか……私、女神さまとお話をして……新しい人生を……)
自分のプラチナブロンドをちょんとつまみ、光にかざしてみる。
艶があるのか、朝日に反射して綺麗だった。
窓ガラスで自分の姿を確認すると、確かに不思議な空間で変化した、女神に似た少女になっている。精巧なドールみたいに整った顔立ちだ。青い瞳は自分で見ていても吸い込まれそうであった。
「もう会社に行かなくていいのか……」
不思議な気持ちだった。
あれだけ何かに追い立てられていた焦燥感がすっかり消えている。
心が凪のように穏やかだった。
(本当の自分になったんだね……。うまく言えないけど、全部がしっくりきている感じがする。心と身体が、かっちりはまってる感覚? 世界が全然違って見える……)
妙な心地よさが全身を包んでいた。
そして、なぜだかぼーっとしてしまう。
窓ガラスの外を見ると、修道女らしき服を着た少女たちが仕事をしているのか、動き回っていた。
(前世で忙しかったから、のんびりな性格になったのかな? なんか、世界がキラキラしてる?)
うんうんとうなずいて、しばらくぼんやりと窓の外を眺めた。
そして、どうしてここに自分がいるのか、記憶をたどってみる。
(……街道で倒れていた私を、教会の大司教、ゼーなんとかさんが助けてくれたのか。それでこの教会? に連れてきてくれたと。そういうこと……。多分、女神さまが困らないようにはからってくれたんだね)
そういえば、大司教が色々話してくれたな、と比留音は思い出した。
(……私に聖女の素質がどうのこうのって……言ってたっけ?)
そこまで思い出したところで、部屋のドアがノックされ「起きているか?」と声が聞こえた。
振り返ると、ちょうどドアが開き、純白の衣を着た長身の男が入ってきた。
司教の服に、聖職者用のカラー、肩衣、ファンタジーっぽい大きな宝石付きの十字架が胸にある。年齢は四十代後半に見えた。
(大司教さん……)
聖職者にしては深い皺が眉間に刻まれており、その皺が額の中ほどまで上がっている。
顔つきは怖そうであるが、彼のまとう空気は静かであった。
「起きているようだな」
「はい……おはようございます」
「うむ、おはよう。気分はどうだ? 優れないようならまだ寝ていなさい」
低いバリトンボイスが響いた。
心配してくれているようだ。
「大丈夫です。あの、昨日は助けてくださって、ありがとうございます」
「これも女神ソフィアのお導きだ――」
彼は複雑な印を胸の前で結ぶ。
「ヒルネ、と言ったな? 街道に倒れているおまえを見つけたのが私でよかった。教会の人間でなければ今頃どこかに売り飛ばされていただろう」
「それは……本当にありがとうございます」
「名前以外は記憶がないと昨日は言っていたな。どうだ、何か思い出したか?」
「いえ……」
(そういえば、助けてもらったとき記憶がないんですって言った気がする。日本から転生してきたって言うのもアレだし……記憶喪失の設定でいこう。私は記憶喪失のヒルネだ)
一人で納得し、比留音あらため、ヒルネは目を閉じた。
「ふむ……おまえの人生には数奇な運命が働いているな」
「そうでしょうか?」
「女神の素質があると言ったのは覚えているか?」
「あまり覚えていません。あの、大司教さまのお名前も……」
「私はメフィスト星教、大司教ゼキュートスだ。覚えておきなさい」
「わかりました」
(ゼキュートスさんね。命の恩人だし、覚えておこう)
ヒルネは彼の特徴的な眉間の皺を見て、うなずいた。
「記憶がないならば、行くあてもないのだろう?」
「そうですね」
「幸いにもヒルネ、おまえには聖女の素質が見える。聖女見習いとしてここに住みなさい。世界は聖女の力がなければ成り立たない。孤児として孤児院に送られるより、三食の食事も出て寝床もあるここのほうが、子どものおまえにはいい環境だろう」
大司教ゼキュートスは心からヒルネを思って言っているようであった。
ヒルネには何となく彼の気持ちが理解できた。
そして何より、三食寝床付き、という言葉に引かれた。
前世ではとにかく忙しかった。
朝五時に起きて、終電で帰ってくる日々だった。徹夜残業もザラだ。
聖女は祈ったりしてれば仕事が終わりそう……楽そうだな、と安直に思う。
「わかりました。そうさせていただきます」
「よろしい。では、私がヒルネの後見人となろう」
大司教ゼキュートスはまた複雑な印を結ぶと、ヒルネの頭上で手を振った。
小さな星屑が舞って、空気中へ霧散していく。
(わあ、綺麗……)
「これで制約は成った。何か質問はあるか?」
「……ふあぁっ……あふっ……特に質問は思いつきません」
ヒルネは急に眠くなってきて、大きなあくびをした。
ゼキュートスが眠そうなヒルネを見て、何度か目を瞬かせた。だいたいの子どもはゼキュートスを見ると怖がるか緊張するのだが、どうもヒルネだけは違うらしい。その反応が新鮮であった。
「……そうか。では明日から身の回りの世話をするメイドを一人つける。仲良くしなさい。いいね」
「わかりました」
(お布団に入りたいな)
ヒルネはにこりと笑い、ごく自然な動きでベッドに近づき、布団に潜り込んだ。
「何をしている……?」
「眠いので寝ようかと」
「……そうか。いいだろう」
ゼキュートスがヒルネの自由すぎる行動に驚きつつも、表情には出さずうなずいた。
彼は国内でも発言力の強い、メフィスト星教の大司教だ。下手な貴族より知名度が高く、敬われる存在である。そんな人物の前で寝ようとするヒルネが失礼に見えるも、彼女が呼吸をするかのように布団に滑りこんだので、叱る気分にはなれない。
むしろ、独特な空気を持っている子だと、感心した。
こうしてわざわざ自らの足で様子を見に来ているのも、その証拠であった。
「お腹が空いたら食堂に行きなさい。私が手配しておこう」
「何から何までありがとうございます」
布団の中で礼を言うヒルネ。
「明日から聖女見習いの修行が始まる。ゆっくり休むといい」
「修行ですか……」
「ああ。聖女の聖魔法はすぐには使えない。修行して一人前になるのだ」
(……修行、大変そう。でも、三食寝床付きだもんね……のんびりやればいいか)
ヒルネは眠そうな顔をして、布団を上げた。
(あれ……私、いま、のんびりって思った? 前の自分だったらそんなこと思わなかったのに……)
ゼキュートスは考えているヒルネを見て、口を開いた。
「私は本教会にいる。困ったことがあればいつでも連絡しなさい」
「わかりました」
真面目に言うゼキュートスにうなずいてみせる。
彼はヒルネの顔を今一度見ると、踵を返してドアへ向かった。
「あの、ゼキュートスさま」
「なんだ?」
呼び止められ、ゼキュートスが足を止めて振り返った。
「世界は……キラキラ輝いてますね。先ほどの星屑みたいに……」
(時間がゆっくり流れてるのかな……?)
ヒルネが思ったままを言った。
大きな碧眼につい引き込まれそうになり、ゼキュートスは目を見開いた。
何か、自分には見えないものをこの子は見ているのかもしれない。そう思い、ドアから部屋の中へ戻ってベッドの脇に立った。
「そうだな……」
控えめにうなずいて、ゼキュートスはそっとヒルネの頭を撫でた。
細いプラチナブロンドの髪は柔らかかった。
「寝なさい……眠いのだろう?」
「はぁい……」
数秒して薄い寝息が聞こえてきた。
ゼキュートスはヒルネの布団をかけ直し、聖印をゆっくり切ると、部屋を出ていった。
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