六日目・本音
「ねえ、蒼くん。蒼くんがここまで慌てる厄介な仕事って、いったいなんなの? 軽くでいいから、説明してほしいんだけど」
蒼に手を引かれるまま昇陽の街を自宅に向かって歩き、甘味処から十分に離れたことを確認したやよいは、ずっと自分の手を握り続けている彼にそんな質問を投げかけた。
未だに少しだけ、彼の行動の真意を理解しあぐねていたからだ。
今の蒼が自分の知る普段の彼の言動ではないことは十分に理解している。
問題は、彼をそんな風にしている原因が、本当に厄介な仕事が舞い込んだからかもしれないということだ。
少しだけ、甘い乙女チックな妄想を繰り広げた部分もあった。しかし、相手はあの蒼だ。
鈍く、慎重で、女性への耐性がなく、自分と同じ部屋で二人きりで五日も夜を過ごしても手を出す気配がまるで感じられない蒼の言動に対して、ある意味での不信感があることも確か。
ここまでの彼の行動の原因は自分が期待しているようなものではなく、本当に純粋に火急を要する仕事が蒼天武士団に舞い込んだから、自分を探していただけなのかもしれない。
もしそうだったとしたら……と、ざわついた胸が不安を掻き立てる中、質問を受けた蒼はその場でぴたりと動きを止めると、やよいに背を向けたまま微動だにしなくなってしまった。
「……ん」
「え? なに? よく聞こえなかったんだけど?」
僅かに、微かに、言葉を発して何かを喋った蒼へと、やよいが距離を詰めながら耳を傾ける。
その言葉がどうか、自分の望むものでありますように……と、高鳴る期待のままに蒼からの回答を求めた彼女の耳が拾ったのは、彼からの謝罪の言葉だった。
「……ごめん、全部嘘なんだ。厄介な仕事なんて舞い込んでないし、君に用があったわけでもないんだよ」
絞り出すようにして蒼が発したその言葉を聞いた瞬間、やよいの体がかあっと熱くなった。
胸の鼓動も、心のときめきも、何もかもが高鳴り始める中、彼女はからかうような素振りも見せず、蒼に更なる問いかけをぶつける。
「なんでそんなことをしたの? あたしのこと、強引に連れ去った理由って、なに?」
普段のやよいなら、蒼のことをおちょくるようにしてそんな質問を口にしていただろう。
だが、今の彼女は目の前の蒼と同じく、そんな風に彼をからかう余裕はなかった。
ただただ、真っ向から彼と向き合い、想いをぶつけ、その本心を引き出すための小細工も策も弄することも出来ないままに理由を尋ねたやよいは……蒼が口にした答えを聞いた瞬間、きゅんっと胸の奥で何かが響いたことを感じる。
「……嫉妬した、から」
「……!?」
「嫌だった。僕の目の前で、君が、ここ何日か逢引した男と楽しそうに談笑している姿を見続けるのが、死ぬほど苦しかった。だから嘘を吐いてまで、君を彼から引き離した。理由は、それだけだよ」
そう答えながら振り向いた蒼の顔は、今にも泣き出しそうなくらいに曇っていた。
自分の矮小な嫉妬心でやよいの行動を縛り、彼女を強引に連れ去ったことへの罪悪感を感じているであろうその表情からは、それを承知した上でも嫉妬心に駆られたことを後悔していない雰囲気が読み取れる。
その顔を見て、答えを聞いて、蒼の紛れもない本心を感じ取ったやよいは……込み上げてくる感情に涙と笑みを同時に浮かべそうになりながら、それを必死に飲み込む。
言ってくれたのだ、あの蒼が。やよいが、自分ではない他の男と楽しそうにしている姿を目にして、子供のように嫉妬したと。
普段は物分かりがよく、絶対にそんなことをしなさそうな彼が、自分を他の男に渡したくないと思って、剥き出しにした感情のままに自分を求めてくれた……それがどんなに嬉しく、喜ばしいことか。
自分のことを求めていないわけではなかった。女として見ていないわけでも、関係を深めようと思っていないわけでもなかった。
自分のことを女性として意識していると、行動で証明してみせた彼に対して純粋混じり気ない喜びの感情をやよいが向ける中、彼女の心中など知らない蒼は、小さな手を握る力を徐々に緩めながら、弱々しい声で言う。
「……自分勝手で最低なことをしたと、自分でも思ってる。君が望むのなら、今すぐにでもあの店に戻ってくれても構わない。僕の言動を話のタネにしてくれても構わないよ」
ゆっくり、ゆっくりと、やよいの小さな手を解放しようとする蒼。
全ては彼女の望むがままに……と、審判をやよいに託した彼が感じたのは、手放そうとした小さな手が、自分の右手を強く握り返す感触だった。
「……そんな中途半端なことしたら、絶対に許さないから。明日も明後日もあの人と会って、一日中お話したり出掛けたりして過ごしてやるもん。それが嫌だっていうのなら――」
きゅっ、と小さな手で蒼の手を握り返し、自身の意志を表示するやよい。
驚いた表情を浮かべて自分を見やる彼に向け、赤く染まった顔を向けながら彼女はたった一つの単純な要求を口にした。
「――絶対、離さないで。家に帰るまで、こうしてあたしのことを捕まえててよ。それが出来たら……許してあげる」
「っっ……!!」
頬笑みを浮かべ、自分を試すような、恥ずかしさを噛み殺しているような、そんな眼差しを向けながらのやよいの言葉に、蒼が息を飲む。
彼女の意志を、想いを、しっかりと確認した彼は右手に再び力を込め、その言葉に従うようにしてやよいの手を握り締めた。
「……もう一つ、我儘を言ってもいいかい?」
「ん~……? なぁに?」
「少し、遠回りして帰りたい気分なんだ。ちょっとだけ、付き合ってくれる?」
「……いいよ。ゆっくり、のんびり……時間をかけて、帰ろっか」
折角、彼が勇気を出して一歩踏み出してくれたのだ。今日という機会を逃したら、こんな風に過ごせる時が次にいつやって来るかわかったものではない。
だから、少しだけ寄り道をして帰ろう。この手に感じる感触を、温もりを、しっかりと記憶出来るように……。
「………」
「ふ、ふふふっ……! えへへ~……!」
無言のまま、会話を交わさぬまま、顔を赤くした蒼と嬉しそうに笑うやよいが歩いていく。
目的地も、行く当てもなかろうとも、こうして二人で繋がり合って一緒に過ごせるだけで、幸せだと思いながら――。
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