据え膳食わぬは……




「こどッ!? こど、こどどどど、子供ぉっ!? お前、自分が何を言ってるのかわかってんのか!?」


「勿論、理解してる……ああ、安心して。今すぐに、というわけじゃない。今日は予行練習みたいなもの、だから」


 そう答える涼音の手が、ゆっくりと燈の下半身へと降りていく。

 胸の中央から割れた腹筋を辿り、そこから更に下へと伸びていく腕の感覚におっかなびっくりした燈は、咄嗟にその手を振り払って涼音と距離を取った。


「おま、おまままっ!? なんで、急に、こんな真似を……っ!?」


「……燈は、私のことが嫌い? 私は、燈のことが好き。こういうことをしても構わないって、そう思ってる」


「~~~~~~っ!?」


 困惑した状況から、更に大胆な告白で好意を告げられた燈は、頭を金槌で殴られたかのような衝撃を覚える。

 そんな燈の反応をよそに、涼音はちゃぷちゃぷと湯を掻き分けながら彼の下へと近付いていった。


「燈には、本当に色々と助けられた。凄く、感謝してる。嵐の死を受け入れたり、武士団の立ち上げで忙しかったり、整理しなきゃいけないことがいっぱいあったから、今までは言わなかったけど……本格的な活動が始まりそうな今だからこそ、きちんと言っておこうと思った」


「だ、だからって、これは急過ぎだろ!? こういうのはもっと、お互いのことを理解し合ってからだな……」


「それが出来るなら、一番良い。でも、そうもいってられない事情がある。確かに事に及ぶには急な話かもしれないけど……私たちの絆の深さは、もうそこに至ってもおかしくないくらいのものになっているはず、違う?」


 弟の死という悲劇に直面した彼女を支え、共に死地を潜り抜け、多くの修羅場を経験した仲間である燈と涼音は、過ごした時間こそはそう長くはないが、もう十分に関係性は深まっている。

 ならば、その関係性を仲間から恋人、ないしは夫婦に変えることに、そこまで抵抗を覚える必要はないのではないか? というのが涼音の意見だ。


「……私の体、貧相だから物足りないかもしれないけど……頑張るよ。一生懸命、燈のために頑張る……」


「そ、そうじゃねえ!! 別にお前のことは嫌いなわけじゃねえけど、でもやっぱ、こんな急なことを受け入れるのは時間がかか――!?」


 ふにゅりと、鼻先に柔らかいものが触れた。

 ちゅっ、という唇の鳴る音と共に訪れたそれはなんであるか?

 自分の目の前で目を閉じた涼音の顔が、徐々に離れていく様を見ていれば、鈍感な燈にだってすぐに判る。


「……よかった。私のこと、嫌いじゃないのね? 私と交わることなんて御免だってくらいに嫌われてるわけじゃあないのなら、問題無い」


 ほんの少し、頬を赤らめた涼音が嬉しそうに笑う。

 唇同志の触れ合いはこの後のお楽しみだと、そう言わんばかりに燈の鼻先に接吻した彼女は、珍しく綻んだ表情を彼へと向けながら自身の想いを告げた。


「受け入れるのは、ゆっくりで構わない。それまでの間、私を特別扱いしなくてもいい。今、燈の中にある私への好きの感情を、女性に向ける愛に変えてみせる……これは、そのための前準備みたいなもの。お互いに初めてだからぐだぐだになるかもしれないけど……一生懸命、頑張る」


 順序が逆だとか、こんなのおかしいだとか、そんな風な言葉が頭の中に浮かんでいても、燈の口からは飛び出してこなかった。

 それよりも早くに腕の中に飛び込んできた涼音のほっそりとした、されど女性としての柔らかさを感じる肉体の感触が、燈の心から一切の行動を奪ってしまったのだ。


 するりと、涼音の腕が背中に回る。

 力はそこまで込めず、されど簡単には振り払われないようにしながら、燈の体に抱き着く彼女は、彼の耳元で出来る限り甘い声を出して囁いた。


「抱いて、燈……私は、それを望んでる。好きに貪って構わないから……あなたを、頂戴……!」


 蠱惑的とも、官能的とも違う、不思議な魅力に富んだその囁きには、燈の背筋と脳髄を揺らすほどの甘い響きがあった。

 ともすれば、この声のままに流され、目の前にある至上の女体へと雄として牙を剥いてしまったとしてもおかしくはない。


 熱を帯びた息が口から洩れる。

 心臓の鼓動が早くなり、涼音の体と触れる面積がどんどん広がり、彼女の体の温度と感触がじわじわと伝わってくる。


 迷いがないわけではなかった。こんな状況を、すんなりと飲み込める方が異常だ。

 だが、女性である涼音からここまではっきりと自分の想いを告げられ、こうして自分に抱かれることを望まれた以上、これを半端な覚悟で拒絶するというのは彼女に恥をかかせることになってしまうのではないかとも思ってしまう。


 別に、恋人や許嫁のような関係の相手がいるわけじゃあない。

 師匠である宗正からも、とっとと童貞を捨てろとこれまで何度も言われてきた。


 涼音のことは嫌いではないし、むしろ仲間としてならば相応の好感度はある。

 遊郭で初めて顔を合わせる遊女よりかは気心知れているし、何の不満があるわけでもなかった。


「っっ……!?」


 ごくりと、知らず知らずのうちに喉を鳴らす。

 困惑していても、動揺が消し去れなくっても、本能の方は正直だ。

 びりびりとした痺れが、心臓の鼓動が、徐々に情欲の炎となって自分の中で燃え盛っていることを感じている。


 何かの弊害があるわけではない。大きな問題があるわけでもない。

 もしかしたら、武士団内の恋愛というのは好ましく思われないものなのかもしれないが、法度として触れが出ていない以上はそれを妨げるものも存在していないのだ。


 ならば、もう、いっそ……この誘いに乗ってしまおうかと、燈は思う。

 この場の勢いに流されることが良いこととは思えないかもしれないが、決して悪いことであるとも思えない。


 据え膳食わぬは男の恥という言葉もある通り、ここでこの機会をドブに投げ捨てる方がおかしな話なのではないか考えた燈が、ゆっくりと両腕を涼音の背中へと伸ばす。


 彼女と同じく、相手を抱き締めるような格好を取ろうとした燈の腕が、あと薄皮一枚のところでその体に触れようとした時だった。


「っっ……!?」


 カコォン、という乾いた音が露天風呂に響く。

 その音にはっとした顔を上げた燈は、風呂場の入り口に立つ人物の顔を見て一気に顔色を蒼白に染めた。


 彼女の方もまた、結構な衝撃を受けたかのように大きく眼を見開き、手にしていた風呂桶を取りこぼした体勢のまま硬直してしまっている。

 体を隠すこともせず、ただ呆然とその場に立ち尽くす彼女の姿を見た涼音もまた、ふうと小さく溜息を零し、口を開いた。


「お邪魔虫……だけど、丁度良い。あなたにも、聞いておきたいことがあった。一緒に裸の付き合いをしましょうよ、栞桜」

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