戦が終わって、栖雲は……

 その日の夜、本陣にある指揮官用の幕舎で治療を受けていた匡史は、非常に苛々とした感情を抱えながら、部下たちからの報告を受けていた。


 そんな彼の苛立ちを感じ取ったのか、あるいは彼を見捨てて逃げたことに後ろめたい気持ちを抱いているのか、大和国聖徒会のメンバーは伏し目がちに報告を済ませ、一目散に幕舎から逃げだそうとする。

 だがしかし、そんな真似は許さないとばかりに彼らを呼び止めた匡史は、キリキリと出来の悪いからくり人形のようなぎこちない動きで振り向いた仲間たちへと、苛立ちを吐き捨てるようにして胸の中の感情をぶちまけた。


「どうして、この陣地の中に民間人がいる? どうして、彼らに食料や医療品が支給されている? どうして、彼らを優先して総大将である僕への対応がおざなりになっている!? 僕はそんな命令を出した覚えはない! 誰がこんな勝手な真似をしたんだ!?」


「そ、それは……三軍の軍団長である、蒼の命令だと……」


「蒼だと!? あの男、総大将である僕を差し置いて勝手な真似をして!! 金沙羅童子を討ち取って、調子に乗っているんじゃないのか!?」


 匡史は、責任者である自分を差し置いて兵たちに命令を出している蒼へと憤慨する。

 その胸中にある感情の大半が敵の総大将を討ち取り、大きな手柄を立てた彼への嫉妬心であることは言うまでもない。


「これは命令違反だ! 軍規を乱す行動だ! 事が片付いたら、きっちり処罰を下してやる!!」


「そ、そうですね! 聖川会長を蔑ろにするなんて、とんでもない奴だ!」


「兵糧も医療品も、幕府の物です! それを勝手に民間人に配って人気取りをするあの男には、罰を与えなくちゃ駄目ですよ!」


 太鼓持ちたちの肯定の言葉に少しは気をよくしたのか、匡史はようやく満足して寝台に寝そべる。

 そうした後、世話役の兵士たちに命じて、自分の怪我を治療させていった。


「覚えていろよ、蒼……!! 軍功会議では、お前の失敗を報告してやるからな……!!」


 忌々し気に蒼への憎しみと恨みを呟く匡史へと、部下たちも作り笑いを浮かべてご機嫌取りを行っている。

 権力におもねり、彼の機嫌を損なわぬように振舞う側近たちが蒼への侮辱の言葉を口にする中、幕舎の外に立っていた栖雲は、そんな彼らの声を聞いて静かにその場から立ち去った。


 現在の状況や残された物資、そして兵たちの様子を報告するために匡史の下を訪れたのだが、今の彼は冷静ではない。話をまともに聞けるかも怪しいだろう。

 何より、蒼からの報告も任された栖雲にとっては、彼の名前を出しただけで逆上しそうな今の匡史に話をすることは気が憚られた。


 そうして、あてもなく陣内を歩き回る彼女は、疲れ果てた様子の兵たちの様子を見ながら物思いに耽る。


(確かに、総大将である聖川さまの許可を得ずに行動することは問題かもしれませんが、蒼殿は決して間違った行動はしていないはずなのに……)


 鬼に襲われた村人たちの中には、生死の境を彷徨う程の怪我を負った者もいる。

 そういった人々に対して手当てを行うことも、住処を失った村人たちに衣食住を提供することも、軍人としての大事な仕事だ。

 そもそも、民間人の保護と治療に関しての命令は、匡史たちが鬼の罠にかかり、恐慌状態にあったあの戦の中で下されたものであり、あの状況下で生死も判明していない匡史の許可を待つことなど出来はしないだろう。


 こう言ってしまってはなんだが、戦死した兵たちの分の食料を提供すれば、村人たちへの食もなんとか賄える。

 戦も終わった今、無駄に兵糧を抱えて持ち運びに困難するよりかは、保護した人々への食事として消費した方が有効的だと栖雲は思っていた。


 それに、蒼は決して匡史を放置しているわけではない。

 しっかりと自分を通じて、彼に報告を行おうともしている。


 匡史への治療を後回しにしているのは、彼の怪我が大したものではないからであり、他に優先すべき人々がいるというだけの話だ。

 少なくとも、蒼への悪態を吐き続ける余力のある彼より、死んだように眠っている燈や大きな負傷をした兵、民間人を優先すべきだというのは誰の目から見ても明らかだ。


 別に、間違ったことはしていない。大きな問題が生み出されたわけでもない。

 それでも、蒼のことを認めようとしない匡史の態度に嘆息しながら、栖雲の足は三軍の陣地へと向かっていた。

 激高した匡史に今すぐの報告は出来なかったと伝えるためだ。


 すっかりと人の姿が消え、寂しくなった一軍の陣地を通り抜ける中、栖雲は先の戦いで犠牲になった兵のことを考える。


 ざっくりとした報告であり、詳しい数は判っていないが、無事に本陣に戻ってこられた一、二軍の兵たちの数はおよそ二百程度という話だ。

 しかもこれは純粋に帰還出来た者の数であり、安全地帯に逃げ込めたはいいが、その後に怪我のせいで命を落とした兵たちも多数存在している。


 今も尚、必死に治療を施されている者もいるが、その全てが助かるとは思えない。

 まず間違いなく、ここから更に生存者の数は減ってしまうだろう。


(改めて考えると、本当に酷いですね……)


 合計二千三百の兵たちが、今やその十分の一以下にまで数を減らしている。

 相手の軍勢は僅か五百。自分たちの四分の一以下の兵数を相手にここまでの大被害を出してしまったことを、酷い以外にどう表現するのかを栖雲は知らなかった。


 しかも、激戦を制したのは三軍であって、一、二軍の兵士たちはほぼほぼ何もしていなかったといっても過言ではない。

 匡史の武神刀によって強化され、余裕で鬼たちを倒せると天狗になっていたところで、その鼻をぽっきりとへし折られたのだ、兵士たちの受けた精神的ショックは計り知れないだろう。


 数を失い、経験も積めず、自信も得られなかった。

 これでは、戦を通じた練兵も大失敗ではないか。


 奪還目標であった銀華城もほぼほぼ崩壊してしまった今、この戦において幕府と匡史が得ようとしていた成果は、何一つとして挙げられなかったということになる。

 預けられた兵の大半を失い、華々しい初陣どころか苦汁を飲まされるような無様な醜態を晒し、まともな戦功も挙げられなかったとくれば、そりゃあ匡史も荒れるだろうな……と思いながら歩き続けていた栖雲は、はたと視線の先にぴょこぴょこ動く少女の姿を目にして足を止めた。


 誰かを追いかけるようにしてこそこそと動くのは、鬼たちの東進を防ぐために尽力し、先の戦いで蒼に代わって武士たちの士気を託されたやよいだ。

 そして、彼女の視線の先には、戦の後処理や兵と民間人への食糧、医療品の割り振りといった作業に追われているはずの蒼の姿がある。


 仕事がひと段落したのか、執務を行っている自分の幕舎から抜け出してどこかへ向かう彼を、やよいが尾行しているということなのだろう。

 こういう時はどうしたものかと栖雲が困惑する中、蒼はとある幕舎の前で立ち止まると、小さく息を吐いてからその中へと入っていった。


「あれは、確か……」


 蒼にもやよいにも見つからぬよう、こっそりと幕舎の反対側に回り込んだ栖雲は、そこが戦死者たちの武具を収めてある場所であることに気が付く。

 それも、三軍の戦死者たちの武神刀や具足が集められた幕舎であることに思い至った栖雲は、はっと息を飲んで声を押し殺した。


 決して失念していたわけではない。ただ、一軍と二軍の犠牲者が多過ぎて思い出す機会がこれまでなかっただけだ。

 この戦の勝敗を決した三軍にも、戦死者はいる。鬼たちとの戦いの中で、命を散らせた者も確かに存在していた。


 十か、二十か……一、二軍と比べれば、ほんの軽微な被害。

 だが、それも散った命であることには何の変わりもなかった。


「………」


 そっと、幕舎の中の物音を探るように聞き耳を立てる栖雲。

 この中にあるのは武具だけで、戦死者たちの遺体そのものは既に手厚く弔った上で埋葬されている場合が多い。

 武神刀や具足を回収するのは、そこに死した者たちの魂が宿っていると考えられているから……遺髪と共に家族へと届けられることもあれば、戦友たちの下で在りし日の使い手の姿を偲ぶために飾られることもあるそれらを前に、蒼は何を思うのであろうか?


 無言のまま、数秒の時間が過ぎた頃、蒼に続いて幕舎の中に入ったやよいが、押し黙る彼の背にこう問いかけた。


「謝りに来たの? 自分の作戦が未熟だったせいで、沢山の犠牲が出たって思ってる?」


 蒼の心を見透かしたような、あるいは、一つの戦いを乗り越えた彼を試すかのような、やよいの問いかけ。

 それに対して蒼は、はっきりとした声で答えを返す。


「いいや、違うよ。謝罪なんて出来ない。僕はあの時、みんなと一緒に最善の策を考えて、それを実行した。ここで僕が謝罪するってことは、その考えが間違っていたと認めるってことになる。それは、この戦いで死力を尽くした人たちにも、彼らにも失礼だ」


 生き残った者たちと、死した者たちを指す言葉を口にして、蒼は丁寧に収められている武具へと視線を向けた。

 そうして、視線でならばここに何をしに来たと尋ねるやよいの疑問に答えるようにして、自分の想いを言葉とする。


「……彼らは、一生懸命に戦ってくれた。新米の指揮官である僕に従い、仲間を信じて、その命が燃え尽きるまで戦ってくれたんだ」


 ふぅ、とそこで言葉を区切り、息を吐いた蒼が、真っ直ぐな瞳で戦死者たちの武具を見る。

 悲しみでも、後悔でもない。彼らの死を背負い、前に進む覚悟をその表情に浮かべながら、彼は一度瞳を閉じた。


「そんな彼らに、仲間たちに、告げるべき言葉は謝罪じゃないさ。悲しいけど、苦しいけど……彼らの命を預かり、生き延びた者の代表として、僕はこう言わせてもらうよ」


 ゆっくりと瞳を開け、小さく微笑みを浮かべた蒼は、魂だけの姿となった仲間たちに向け、静かな口調で言う。


「本当に、ありがとう……!! みんなのお陰で勝つことが出来た。今はただ、安らかに眠ってください……!」


 謝罪ではなく、感謝を。

 この戦いの果てに、悲しみも苦しみも受け入れてそれを乗り越えるだけの強さを蒼は得た。

 指揮官としての経験が、仲間に支えられてその存在の有難みをしったことが、強敵との戦いと別れが……彼を大きく成長させたのだ。


「……立派になったね、蒼くん。ほんの少し前までとは、別人みたいだよ」


「もしそうだとしたら、それはみんなのお陰さ。……さあ、そろそろ戻らなきゃ。やるべきことはまだまだ残ってるんだからね」


 剣士として、指揮官として、そして、人間として大きく成長を果たした蒼へと、やよいが賞賛の言葉を送る。

 それを受け止め、自分の殻を破る手助けをしてくれた仲間への感謝の言葉を口にした蒼は、やよいを伴って幕舎から出ていった。


 そのやり取りの全てを聞いていた栖雲は、立ち上がると共に再び歩き出す。

 ただし、その進む先は三軍の陣地ではなく、本陣……匡史のいる、総大将用の幕舎だ。


 逃げずに立ち向かってみようと、彼女は思った。

 三軍の兵たちは、今も自分のすべきことを行っている。自分もそうならなくてはならないと、そうすべきなのだと、彼女は思う。

 たとえ機嫌を悪くした匡史に怒鳴りつけられようとも、太鼓持ちである聖徒会の面々に詰られようとも、現状を正しく総大将に報告することこそが、自分に与えられた仕事なのだから。


 その苦しみも、悲しみも、今の蒼が抱えている感情に比べたら羽毛のように軽いものだろう。

 匡史やその側近の圧力など、鬼たちの脅威に比べたら微風に過ぎない。


 これから自分が前に進むために、これは必要なことだ。

 そして、これが自分が匡史たちに出来る最後の行いであると思いながら、強い決心を固めた栖雲が夜の陣を歩んでいく。


 新たな道を歩み始めた彼女のことを、青く光る月が優しく照らしていた。

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