やよい、地下にて



「あいたたたたたた……お尻、打ったぁ……!」


 落とし穴の闇の底で涙目になって尻を擦りながら上を見上げたやよいは、自分が落ちてきた穴が相当に深いことを悟って表情を顰めた。


 おそらく、落とし穴自体の深さはそうでもなかったのだろうが、先ほどの土蜘蛛たちとの戦いで、掘られた穴の底が崩れ、洞窟内の空洞に繋がってしまったようだ。


 まったくツイてないと自分の運の悪さに辟易し、そもそもが自分の不用意な行動でこうなったのだから、運の悪さなんて関係ないと思い直した彼女は、一層渋い表情を浮かべて周囲を見回す。


(取り敢えず、敵影は無しか……ここでじっとしててもしょうがないし、先に進むっきゃないよね)


 懐から取り回しの利く苦無を取り出し、何時でも戦いに臨めるようにしながら、やよいは薄暗い洞窟の底を歩み始める。

 慎重に周囲を確認し、土蜘蛛たちの気配を探りながら進んでいった彼女は、暫く歩んだ先で大きく開けた空間へと辿り着いた。


「ここは……!?」


 その空間に足を踏み入れ、周囲を見回してみれば、白骨化した人間の遺体がそこかしこに転がっている様子が見て取れる。

 床にこびり付いている血の跡は黒く変色しており、それらの様子を見れば、ここで人が死んでから相当な月日が経っていることが判断出来るだろう。


 漂う死臭と、重苦しい空気。

 それを感じ取ったやよいはごくりと息を飲み、緊張に心臓の鼓動を早くする。


 おそらくここは、あの土蜘蛛たちの巣の一角だ。

 食事処といった方が正しいかもしれない。


 上の階層で仕留めた獲物たちは、ここに運び込まれる。

 そして、土蜘蛛たちの食事となる日まで、大事に保管されるのだろう。


 ごろごろと転がるしゃれこうべたちは、土蜘蛛に襲われた犠牲者たちの成れの果て。

 下手を打てば、自分もこの中に加わるということを予感したやよいは、そこである疑問に思い至る。


(なんでこんな深い位置に食事を運び込むのかな? 保存食にしておくにしても、もう少し上に近い方が楽じゃないの?)


 自分の落ちてきた穴は、結構な深さがあった。

 入り組んだ洞窟内を移動するのは土蜘蛛たちも苦労するだろうし、わざわざこんな深い位置に巣を作る必要は見受けられない。


 ここは元々が人の出入りが少ない洞窟だ。敵から攻められることを想定していたとしても、ここまで深い位置に作らなくてもいいだろうに……と、妙に不便な位置に作られた巣の存在に疑念を抱いていたやよいは、周囲から迫る殺気に気が付いてはっと背後へと振り返る。


 そのまま、握り締めた苦無を一閃。眼前にまで迫っていた何かを斬り払う。


 鈍い感触と、飛び散る体液。

 ピギッ、という甲高い悲鳴を上げて両断されたそれは、人の顔ほどの大きさがある土蜘蛛であった。


「う、うわわわわわっ!?」


 気が付けば、やよいの周囲にはミニサイズの土蜘蛛が地面にひしめき合っていた。

 その中の数体に足を駆け上られ、体を這い回られたやよいは、悲鳴をあげながらその蜘蛛たちを叩き落とし、地面から突き出た岩の上へと大慌てで飛び乗る。


 うぞうぞと無数の小型蜘蛛たちが蠢く光景にゾクリとした悪寒を走らせた彼女は、そこでようやくここが何のための場所であるかを理解した。


「こいつら、土蜘蛛の幼体!? ってことは、ここは子供を育てるための部屋ってこと……!?」


 ここにいるのは、洞窟の上部で戦った土蜘蛛の子供たちだ。

 まだ未熟で戦うことが出来ない幼体の土蜘蛛たちは、ここで餌を与えられて仲間たちから育てられているのだろう。


 こんなに深い位置に巣が存在しているのは、この子供たちを守るためであるという答えに辿り着いたやよいは、それと同時に様々な道具を納めている巾着袋を探り、ある物を取り出す。


「う~ん、これはちょっと勿体ないかもだけど……この状況にはうってつけの代物だよね!」


 黒い液体が詰まった、掌に収まるサイズの瓶。

 それを四つ、五つと取り出したやよいは、地面に蠢く蜘蛛たちに向けて放り投げる。


 空中で浮遊する瓶に向け、素早い動きで手裏剣を投擲すれば、見事命中して砕けた瓶の中身が子蜘蛛たちの上空から降り注いでいった。


「仕上げは……これ!!」


 最後に導火線が付いた小型の爆弾を取り出したやよいは、これまた巾着袋から取り出した火打石でそれに着火し、ぶちまけられた黒い液体目掛けて放り投げる。


 着地と同時に導火線が燃え尽き、その大きさに見合った小さな爆発を爆弾たちが起こせば、そこで生まれた火種によって黒い液体が燃え始めたではないか。


「ピギィィィィッ!?」


「ギギギギイィィッ!!」


「うわ~……やっぱ値が張るだけあって、燃える水の効果は抜群だなぁ……! 火薬も結構高いから、出来れば使いたくなかったんだけどなぁ……」


 火炎瓶として用意した油と、着火用に使った爆弾。

 それぞれを製作するのに費やした金額を思えば、多少は使うことを躊躇ってしまうことは確かだ。


 しかし、今の状況以上にうってつけのタイミングはないと判断したやよいは、すぱっと未練を断ち切って子蜘蛛たちの排除のために秘密兵器を使用した。

 その甲斐あってか、地面に蠢いていた子蜘蛛たちは火に包まれ、甲高い悲鳴と共に次々と燃え尽きている。


 油をもろに浴びた子蜘蛛は、爆弾によって体に火を灯すと共に熱さに耐えかねて仲間たちへと組み付いている。

 その行動のお陰で次々と子蜘蛛たちの間で火が燃え移り、さながら地獄絵図とでも呼ぶべき光景がやよいの前で広がっていた。


「ピギィイッ! ギュイイイッ!!」


「ギッ、ギッ、ギィィ……」


「あ~、流石に可哀想……だなんて、これっぽっちも思わないよ。あなたたちは少なからず人を食べた。文字通りの害虫として駆除されるだけの理由はちゃんとあるんだもん。まだ子供だからといって、見逃すことは出来ないね」


 この広間に転がる遺体を見つめ、やよいが子蜘蛛たちへと呟く。

 その目には確固たる信念と意思が秘められており、最後の一匹に至るまでこの蜘蛛たちを駆除してやるという思いが浮かび上がっていた。


「まあ、弱いもの虐めみたいで心苦しいのは確かだけどさ……あなたたちを放置してたら、また次の脅威が生まれる。だから……」


「ピギュッ!?」


 徹底的に始末させてもらう……言葉の代わりに最後に残った子蜘蛛へと手裏剣を放ったやよいは、その一撃にて妖の息の根を止めた。

 そうして、ゆっくりと息を吐きながら灰となった蜘蛛たちの亡骸を確認した彼女は、自分の周囲に息のある子蜘蛛がいないことを確認して、深く息を吐く。


「これで、一段落かな……? 大きな出費だったけど、元はと言えばあたしの失態が原因だもんね」


 落とし穴の罠を起動してしまう不始末から始まったピンチを乗り越え、ほっと一息つくやよい。

 緊張のせいかピリリと痛んだ首筋を撫で、黒焦げになった子蜘蛛たちの亡骸を踏みつけながら、広間を後にして上へと続く道を探そうと歩き出す。


「取り敢えず、早く二人に合流しないと……栞桜ちゃんを探しに来たあたしがみんなとはぐれちゃうだなんて、冗談にしても笑えない、し……」


 心理的な動揺が連続して続いたせいか、あるいは、迫った危機を乗り越えられたが故の安堵感か、ふにゃりと力が抜けた体が、必要以上に弛緩してしまう。

 まだまだ戦いは続くというのにこんな調子ではいけないと気合を入れ直したやよいが、頬を両手で叩こうとした時だった。


「あ、れ……?」


 ぐにゃりと、視界が歪む。

 気分が悪くなって、全身が脱力してしまって、立つこともままならなくなる。


 どさりと音を立て、自分でも気が付かない内に地面に倒れてしまったやよいは、遂に指一本動かすことも出来なくなった自分の体の異変が、精神的な部分から来るものでないことにようやく気が付いた。


 あの、チクリと何かが刺さったかのような首筋の痛みが気のせいでないことを悟ったやよいの目の前に、彼女をこの状況に追いやった犯人が姿を現す。


「うふふふふ……! 酷いことしよるねぇ。うちの大事な子供たち、み~んな焼き尽くされてしもた……」


「あなた、は……っ!!」


 妖艶な笑みを浮かべ、楽しくて仕方がないという表情を見せながらやよいを見下ろすその女性は、先ほど土蜘蛛をけしかけてきたあの女だ。

 既に正体が割れているせいか、人としての姿を半分かなぐり捨てている彼女の額には土蜘蛛同様の赤い瞳が浮かび上がっており、それら全てが地面に倒れ伏すやよいの姿を映している。


「あれだけの数の子供たちを育てるの、本当に大変だったんよ? それをみんな殺してしもて……この落とし前、どうつけてもらおかなぁ?」


「う、あ……っ」


 彼女によって打ち込まれた毒のせいで身動き出来ないやよいの体を持ち上げた女は、ぺろりと舌なめずりをしながら歌うようにそう言った。

 女性とは思えない力でやよいの体を押し潰し、彼女の肋骨にメキメキといった悲鳴をあげさせながら、女は自分の本来の姿を取り戻していく。


「ふふ、ふふふふふ……! あはははははははは……っ!!」


 聞くだけで背筋が震えるような、冷たい笑い声。

 狂気を孕んだ声と表情のままに、自らの肉体を変異させていった女は、やよいの前にそのおぞましい姿を現す。


 上半身は美しき花魁としての姿のまま、腰から下半身を土蜘蛛を二回り以上大きくした巨大な蜘蛛の肉体に埋め込んでいるその姿。

 毒々しい黄と黒の虎縞模様と美しくも恐ろしい女体の融合は、見る者に畏怖と一種の恍惚さを感じさせる。


「きぃめぇたぁ……! 四肢を捥いで、他の子たちの餌にするだけでは物足りひん。あんさんにもうちの子を産む手助けをしてもらうで……!」


 血の色をした紅を塗りたくった口を歪ませ、煌々と赤色に輝く瞳に狂気を宿しながら、女……いや、女の姿をした妖が言う。


 それは、とある女の悲しみと憎しみが生み出した、人の醜さと美しさの権化。

 愛する者に裏切られ、捨てられ、悲しみの果てに命を落とした女性の成れの果て。


 その名は『絡新婦じょろうぐも』……抱いていた全ての愛を憎しみへと変貌させた、おぞましき愛と狂気の妖である。

 

「うぐっ、あっ……!!」


「ふふふ……ようけ毒が回っとるみたいやね? 安心しい。うちの毒には人を殺すだけの力はあらへん。ただ体が動かんくなって、意識がぼーっとしてまうだけや」


 クスクスと嗜虐的な笑みを浮かべながらそう告げた絡新婦は、やよいの首を絶妙な力加減で締めながら彼女の顔を長い舌で舐める。

 その瞳には、彼女のことを餌ではなく、もっと残酷な何かとしてみている色が浮かんでいた。


「上であんさんらにけしかけた子たちも、ここで育ててた赤ん坊たちも、み~んな殺されてしもた。ほんまは今すぐにでもあんさんの四肢を引き千切って、ずたずたにして殺してしまいたいけれども……それよりももっと面白いこと、しよか」


「うぁぁ……っっ!!」


 艶めかしい声を吐いた絡新婦が、やよいの腹を撫でる。

 小さく、ほっそりと締まった彼女の下腹部をいやらしい手付きで触れた絡新婦は、熱を帯びた、それでいて底冷えしてしまうようなゾッとする声でこう囁く。


「あんさんの子宮、胃、お尻の穴もやね……全身の穴という穴に、うちの子の卵を産み付けたる。卵が孵って、あんさんの腹を食い破って赤ちゃんたちが飛び出してくる様を、お仲間の坊主たちに見せたるんや。どや? 素敵な考えやろ?」


「ぐっ……! 最悪の、趣味、だね……!!」


 毒が回り切ったやよいの体は、指一本まともに動かすことも出来ない。

 それでも、気丈に絡新婦を睨みつけ、彼女へと悪態を突いたやよいの姿に、絡新婦は驚いたような表情を浮かべた。


「あら? まだ喋れたん? うちの毒が回り切ったら、何も考えられんくなるくらいに体が熱うなるはずなのになぁ。あんさん、毒に耐性でもあるん?」


「さあ……どう、だろうね……?」


 人間の生命力の証である気力を多く持つ者は、毒や麻痺などの異常状態に多少の免疫を持つ。

 人体実験によって気力量を跳ね上げられたやよいもその例に漏れず、絡新婦の毒を軽減することが出来ているようだ。


 しかして、今の彼女に出来ることはせいぜい絡新婦を睨みつけ、抵抗の言葉をはくことばかり。

 それを理解しているからこそ、絡新婦も焦ることなく、やよいを嬲ろうとしているのである。


「ふふふ……! 何匹子供を産めるかねぇ? あんさんは体がちっこいから、全部の穴を使っても五、六匹が限度やろねぇ」


「だ、れが……妖の子ども、なんて……!!」


「ああ、ああ。そんな怖い顔せんといて。母親になるのって、思ってるよりええ気分なんやで? あんさんの腹の中で孵った子供たちが、あんさんの肉を喰らいながら外の世界に飛び出していく。痛みや苦しみを忘れる程の感動が味わえる上に、死んだ後も子供たちの血肉となって生きていけるんやから、捨てたもんやないやろ?」


 恍惚とした笑みを浮かべながら、おぞましい言葉を口にする絡新婦。

 彼女は本気でその行為を神聖で素晴らしいものだと思っていることが、今の彼女の表情から感じ取れる。


 子を産み、母親になる……そんな、自分には経験出来ないであろう神聖な儀式を思ったやよいの表情が、苦悶に歪む。


 誰かと子を成すことを諦めたとはいえ、妖の子供を産み落とすなんて死んでも御免だ。

 生みの苦しみとはよく言うが、こんなおぞましい蜘蛛たちの母親になるために苦しむなんて、絶対にしたくない。


 どうにかしてこの苦境を切り抜けなければ……と、必死に策を練ろうとするやよいであったが、毒のせいで浮かれた頭では思考はままならず、そもそもまともに動くことも出来ない今の状況では、完全にお手上げ状態だ。


 唯一の希望は、絡新婦には今現在、自分を殺すつもりがないということくらいだろう。


 彼女は今、燈と蒼を捕らえた上で残酷なやよいの出産ショーを彼らにお披露目するつもりでいる。

 そうなる前に、彼らが自分を助け出してくれれば……と、淡い希望を抱くやよいであったが、絡新婦はそんな彼女の想いを見透かしたかのように笑うと残酷な笑みを浮かべながら話しかけてきた。


「頭にくる目ぇしよるわ……! このままにしとくのも癪やし、少しおしおきしとこか? 胃と、子宮と、不浄の穴。どこに卵を産み付けられたい?」


「がはっ……!!」


 首を絞める手に力を込め、楽し気に笑いながら絡新婦はやよいに問いかける。

 自分が土蜘蛛の苗床としての烙印を押されようとしていることを理解しながらも、やよいは何も抵抗することが出来ない。


「こひゅ~……こひゅぅ……っ」


「そや、その顔や……! 目に涙浮かべて、苦しそうに、悔しそうに顔を歪めて……恐怖に怯えるその顔が、見たかったんよ……!!」


 気道を押し潰されて呼吸もままならず、息苦しさに涙を浮かべるやよいの顔を見た絡新婦が満足気にそう言い放った。


 彼女の小さく、それでいて女性としては魅力的な体を服の上から弄った絡新婦は、ニタリと笑うと言葉で嬲るようにして脅しの言葉を連呼する。


「さあ、どないしよか……? 胃の中に落せばもう吐き出せへんし、おぼこやったらに卵をぶち込まれるのはえらく辛いやろなぁ。でも、後ろの穴ってのも捨てがたい。どこも全部苦しくて、悔しくて、取り返しのつかへん場所やからな……!!」


 子を殺された憎しみをぶつけるように、やよいを嗤いながらどう嬲ってやろうかと考え続ける絡新婦。

 そんな妖から脅しの言葉を投げかけられても、やよいはどうすることも出来ない。


「……決めた。やっぱりお楽しみは最後がええもんなぁ。まずはそこそこの所から、壊してしまおか」


「ぐ、あ……っ!!」


 絡新婦の空いている手が、やよいの小さな鼻を摘まむ。

 ただでさえ息苦しい状態で呼吸器官の一つを塞がれたやよいは、口を大きく開けて必死に酸素を取り込もうと息を荒げた。


 そんなやよいの行動に眼を細めて笑った絡新婦もまた口を大きく開けると、喉の奥からグロテスクな触手を吐き出すようにして口から飛び出させる。


(卵、管……? あたしの喉の奥に、卵を産み付けるつもりで……!!)


 うねり、ぬらぬらと不気味な光沢を放つその触手を目にしたやよいは、絡新婦の意志を読み取って背筋を震わせた。

 彼女の怯えを感じ取り、楽しそうに笑う絡新婦は、口から吐き出した卵管をゆっくりとやよいの口へと近づけていく。


「は、ぐっ……! ううっ……!!」


 必死に顔を背け、何とかして逃れようとするやよいであったが、毒の回った体では抵抗もままならず、絡新婦の手によって正面を向かされてしまう。

 恐怖に染まる彼女の瞳を見つめ、そのことに満足しながら、卵管の根元を膨らませて土蜘蛛の卵を送り込む準備を整えた絡新婦は、一息に触手をやよいへと伸ばし、そして――

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