別府屋武士団、壊滅





「はははははっ! もうゴールかよ。こりゃ、本当に楽な仕事だな!!」


(……ちっ、騒がしい奴だ。だが、異世界から呼び寄せられた英雄の肩書は伊達ではないようだな)


 ――少し時間を巻き戻して、洞窟の奥。

 そこでは、抜け道を使って易々と先行した栞桜を抜き去り、村人たちが待つ場所へと突き進んでいる別府屋武士団の姿があった。


 斑は、大声で叫びながら突き進む順平の不用心さに呆れながらも、自分たちの中で誰よりも早く駆けて行く彼の身体能力、及び気力の素質に舌を巻く。


 こんな軽薄そうな男に負けているというのは悔しいが、これが幕府が頼りにする英雄の力という奴なのだろう。

 少なくとも今は、幕府の手で気力を強化された自分たちと同等以上の力を持つ順平に従っていた方が後々のためになりそうだ。


「竹元殿、そろそろ合流地点に到着する頃です。我々は作業に入りますので、竹元殿は少しお休みになっていてくだされ」


「とっとと終わらせろよ? こんな洞窟の中じゃ、暇を潰す方法も限られてるんだからな!」


 好き勝手言いやがって、と思いながらもその感情を表情には出さず、斑は無言で頷いた。

 今は順平に従っているが、金太郎が知略を用いて自分たちが英雄たちの立場を上手く手に入れた暁には、この屈辱を倍返しにしてやると心の中で誓いながら、斑は仲間たちと共に抜け道を突き進む。


「兄者、間もなく合流地点だ」


「うむ、わかっている」


 弟の蝮と短いやり取りを行い、正面の角を曲がる。

 そこから少し行けば、獣憑きの格好に変装した仲間たちが待つ地点に辿り着くことを知っていた斑は、特に警戒も払わず先に進んでいたのだが……。


(……なんだ、この臭いは?)


 目的地に近づくにつれ、鼻を衝く不快な臭いが強まっている。

 その臭いの正体を知っているような、そうでもないような……そんな、本能的に忌避感を感じる悪臭を嗅ぎつけている斑であったが、彼の先を進む順平はそんなものをまるで意に介していないようだ。


 何か、嫌な予感がした。

 これまでの人生で感じたことのない、全身の毛が逆立つような怖れが斑の胸を突くも、先行する順平を孤立させるわけにはいかない以上、そこで足を止めるという選択肢を取るわけにはいかない。


 せめてその臭いが何であるかだけは思い出そうとした斑であったが、はっきりとこれだという答えを見つけることは叶わず、先に合流地点である洞窟の深部に辿り着いてしまった。

 そして、そこに広がっている光景を目の当たりにした彼は、細く鋭い瞳を驚愕に見開いて声を漏らす。


「なん、だ……? これは……!?」


 本来、そこでは自分たちの到着を待っているはずの人間の姿が、まるでない。

 ……いや、正確に述べよう。斑たちの到着を待っていた、待機部隊の武士たちは全員、無残な遺体となって洞窟に転がっていた。


 引き千切られた四肢。引き裂かれた腹部。綺麗な風穴を開けられている胴体。

 そこから黒く濁った血液が溢れ出し、洞窟の床を赤く染めている。


 先ほどから感じていた不快な臭いの正体はこれだったのかと気が付いた斑に向け、血相を変えた順平が声をかけてきた。


「お、おい! どうなってるんだ!? こいつら、お前らの仲間だろ!?」


「……その、通りです。こいつらとはここで合流し、共に行動する手筈でした」


「じゃあどうしてその仲間たちが死んでるんだよ!? 何処からどう見ても本物の死体だろ、これは!?」


 感情的に喚く順平を煩わしいと思う斑であったが、その一方で彼の困惑は当然のものだとも思えていた。

 しかして、自分すらも判らないこの状況の説明を求められても苛立ちが募るばかりで、冷静に考えるために少し黙っていてほしいと願ってしまっているのが正直な感想だ。


 仲間たちの血溜まりには壊れた小道具や臓物、彼らの肉片などが浮いており、さながら地獄絵図と表現するに相応しい絵面が出来上がっている。

 よく見れば、近隣の村々から集められた人間たちも死体として転がっているではないか。


 どうやらこれは人間同士のいざこざから始まった惨劇というわけではなさそうだ、と落ち着いてきた思考の中で判断を下し始めた斑は、仲間たちに命じて周囲の探索を行わせる。


「お前たち! この辺りを散策して、息のある者を見つけろ! 何が起きているかわからん、警戒を怠るな!!」


「はっ!!」


 彼の命令を受けた武士たちがきびきびと動き出す。

 その動きについていけていないのは順平だけで、彼はおろおろと血溜まりに浮かぶ人間たちの死体に怯え、戸惑っているばかりだ。


 こういう土壇場では人の本性が出るというが、順平もその多分に漏れなかったようだ。

 結局、英雄だなんだと祭り上げられているが、まともな戦いを経験したこともない子供だということだろう。


 今、順平は役に立たない。

 ここは自分が指揮を執り、事態の把握に努めなければ……と、一人考えていた斑へと、部下が声をかけてきた。


「斑さま! こいつ、まだ息があります!! ……おい、しっかりしろ!」


「ごほっ、がぼっ……! ぐ、はぁ……!!」


 仲間に呼びかけられ、体を揺さぶられたその男は、口から血を吐き出しながら荒い呼吸を繰り返している。

 どう考えても、助かる見込みはない……ならばせめて、息絶えるその前に情報だけでも引き出そうと、彼に呼びかける男は必死になって叫び続けた。


「何があった!? いったい、誰がこんなことを!?」


「あ、あ、あ……あやがし、だ……! ほんものの、妖が、出た……!! 逃げろ、あいつは、つよ、ぃ……」


「妖だと!? それはどんな奴だ!? 数は? どれだけいたんだ!?」


「や、奴は、女の姿をした……く……っっ!?」


 仲間に自分たちを襲った妖の情報を伝えようとしていた男の目が、大きく見開かれる。

 その瞬間、斑や蝮、順平たちは、この事態を引き起こした妖の正体を理解していた。


 唯一それが出来なかったのは、男を尋問していた武士だけだろう。

 なにせ彼は、頭上から急襲して来たその妖に、瞬く間に心臓を貫かれてしまったのだから。


「えっ……? あっ、がぼっ……!!」


「ひ、ひいぃぃぃっ! ぎゃっっ!?」


 鋭い前足で武士の心臓を一突きしたその妖は、即座に別の脚で恐怖に怯える死に体の男にトドメを刺す。

 ギチギチと背筋が凍る不気味な音を響かせ、ゆっくりとこちらへと振り向いたその妖の姿は、人間であるならばおおよそ見覚えのあるものだろう。


 男たちを貫いた、細く長く先端が尖った八本の脚。

 黄と黒の虎縞模様を作り上げる繊毛に覆われた胴体。

 額に浮かぶ無数の眼と、口から飛び出している巨大な牙。


 人間の本能的な恐怖を煽り、不気味さを感じさせるその生物は……だ。

 だが、ただの蜘蛛ではない。人間の大きさを超える巨大な体躯を持つ、蜘蛛の形をした妖。


 名を『土蜘蛛』……平安時代の妖退治の専門家『源頼光』の逸話にも名高い、人間喰らいの大蜘蛛である。


「う、うわあああああっっ!?」


「慌てるなっ! 迎撃準備を整えろっ! 武神刀を構えるんだっ!!」


 突如として出現した巨大な蜘蛛の姿に恐慌状態に陥る仲間たちへと斑の指示が飛ぶ。

 しかし、この八百長勝負の中で自分が戦うことなど微塵も考えていなかった男たちは、緩み切った緊張感の中で不意打ちを受け、完全に錯乱してしまっていた。


 そんな中で、斑の指示が通るわけがない。彼らが戦いに臨めるはずがない。

 斑の考えた通り、土壇場でその人間の本性は発露する……その点においては、彼らも順平もそう変わらない人間だったということだ。


「ギギギギギッ! ギチッ!!」


「ま、また来たっ!? ば、化物がっ! こんなに沢山っ!!」


「た、助けてっ! 助けてくれぇっっ!!」


「逃げるな、馬鹿どもっ!! 戦えっ! 戦えと言っているんだっ!!」


 次々と天井から落ちてくる土蜘蛛たちの群れに、武士たちは完全に怯えて戦う気力を失っている。

 よもや、これが本当に武神刀を持つ男たちの集まりなのかと憤慨しながら、斑は懸命に『おろち』を振るって土蜘蛛たちを斬り捨てていったのだが……。


「ひっ! ま、待って! ぎゃああっっ!!」

 

「ま、斑さまっ! 我々も剣戟に巻き込まれて……ぐああっっ!?」


「ぐっ! 居ても役に立たないどころか、邪魔なだけではないか!!」


 『おろち』を操り、次々と土蜘蛛を屠る斑。

 しかし、動き回る刀の刃は仲間であるはずの武士たちをも斬り裂き、地に倒れ伏しさせていく。


 ただでさえ狭い洞窟内では『おろち』を満足に操れないというのに、味方の形をした障害物まであるのでは堪ったものではない。

 役立たずの味方など、居ても居なくても同じ……そう結論付け、彼ら諸共土蜘蛛を始末していった斑の周囲には、気が付けば数えるほどの供しか残っていなかった。


 だが、頭数をぐっと減らした別府屋武士団とは真逆に、土蜘蛛たちはその数を増やし続けている。

 倒しても倒してもキリがなく、こちらの損害が増えるばかりの状況に冷や汗を流した斑が、精神的な疲弊を感じたその時だった。


「あ、兄者! 上だぁっ!!」


「何っ!? ぐわああっっ!?」


 蝮の狂ったような叫びが洞窟内にこだまする。

 その声にはっとして頭上を見上げた斑が巨大な土蜘蛛が自分目掛けて降下してくる姿を目にした次の瞬間には、彼は地面に押し倒されていた。


「こ、このっ! 離れろっ! 汚らしい虫めっ!!」


「あ、兄者っ! 兄者ーーっ!!」


 巨大で重量もある土蜘蛛の体は、斑の細腕で押し退けられるものではない。

 『おろち』を振るい、敵を倒そうにも、この密着状態では自分まで貫いてしまう危険性がある。


「だ、誰かっ! 俺を助けろっ! こいつを何とかしろぉっ!!」


 自分一人ではこの危機を打開出来ないと助けを求めた斑であったが、蝮も他の仲間たちも、自分たちに迫る土蜘蛛に対処するので精一杯のようだ。

 そもそも、『おろち』を振り回して味方ごと敵を排除していた彼に近づく者は誰もおらず、こうして土蜘蛛に襲われるまで、彼は自分が味方から孤立していたことに気が付きもしなかったのである。


「ギギギギギッ!!」


「や、やめろ……! 俺は、毒島斑だぞ! こんなところで、お前のような虫けらにやられるはずがないんだっ! 俺は、俺は……っ!!」


 地面に押さえつけられ、満足に身動きが出来ない斑に土蜘蛛の鋭い牙が迫る。

 命の危機に瀕しながらも何も出来ないでいる斑は、現実逃避とばかりに自らが何者かであるかを土蜘蛛に向かって叫ぶも、そんな行動が何かを成すはずがない。


 もし彼が、仲間たちを信じて連携を取ることを優先していたら。

 あるいは、一度退いて体勢を立て直す選択を取っていたならば、彼らの運命は大きく変わっていただろう。


 人間は、土壇場で本性を現す。真の危機に直面した時ほど、その人間の本質が試される。


 毒島斑という人間の本性は、自分の腕前のみを信じ、その実力を過信して、高いプライドに精神を支配されているという、クズの見本市とも呼べる下らないものであった。

 誰かを信じ、思いやり、尊敬する心があれば、こんな結末は訪れなかったということを、ついぞ斑は最期まで気が付くことはなかった。


「ぐああああああああああっっ!」


「あ、兄者~~~~っ!!」


 斑の絶叫と、蝮の悲鳴。

 兄の断末魔と、それを目の当たりにする弟の叫びが洞窟内に反響する。


 首筋を齧られ、鮮血を噴き出す斑の体を貪り喰らう土蜘蛛は、そんな叫びなどまるで気にせずに口を動かし続けていた。


「うわあああっ! よくも兄者をっ! 貴様ら、殺してやるぅぅぅっ!!」


「も、もう駄目だ! お終いだぁ!!」


「た、助けてくれっ! 誰か、助けて……!!」


 自分たちの中で一番の腕利きであり、精神的主柱でもあった斑の死は、別府屋武士団の壊滅を意味している。


 戦意を失い、何とかして逃げようとする者。兄の死に錯乱し、闇雲に刀を振るって土蜘蛛に挑む蝮。

 それら全ての武士たちは、平等に土蜘蛛に倒された後、既に斑をはじめとした犠牲者たちを捕食したことで満腹になっていた妖の非常食として、蜘蛛の糸を巻き付けられた繭となって、生きたまま彼らの住処へと運ばれていく。


 こうして、土蜘蛛との遭遇から十分を待たずして、別府屋武士団は壊滅し、金太郎の目論見は露と消えたのであった。













「はぁ、はぁ、はぁ……! ふざけんな! こんなの、こんなの聞いてねえぞ!!」


 そんな中、唯一土蜘蛛たちの魔の手から逃れた順平は、息を切らせて洞窟内を走っていた。


 彼は一番最初の土蜘蛛の出現を見て取ったその瞬間、わき目もふらず逃走を選択したのだ。

 そのおかげで、本格的な戦闘に入る前に戦域を脱出することは出来たのだが……がむしゃらに逃げ惑った結果、自分がどこにいるのかが判らなくなってしまっていた。


「くそ、くそくそくそっ! 何が簡単な仕事だ!? 何が英雄としての威光を示すだけの役目だ!? 何人も死んで、殺されてるじゃねえか! あの狸オヤジめっ!!」


 事前の話とは違う、予想外の展開に進んでしまったことに動揺する順平は、自分をここに送り出した金太郎へと怨嗟の声を漏らした。

 楽勝で、簡単で、勝負は決まっている。ただ行動を共にするだけで、美味い汁が啜れるという話だったのに……と、彼が唇を噛み締めた時だった。


「う、うあああああっっ!?」


 突如、足元の地面が音を立てて崩れる。

 何が何だかわからない内に奈落の底に転落した順平は、受け身も取れずに頭を打ち、気絶してしまった。


「ぎゃふんっ!?」


 情けない悲鳴を上げ、ぐったりと伸びる順平。

 彼が嵌ったのは、別府屋の男たちが栞桜用に掘っておいた落とし穴の一つであり、この道を通らなかった彼女が引っかからなかった罠の残りだ。


 ぴくぴくと痙攣し、完全に気を失っている順平であったが、落とし穴に落ちたお陰で土蜘蛛たちの目から逃れることが出来たのは、幸運だったといえよう。


 ……だが、その幸運が100%良い方向に働くかどうかは、また別の話である。





――――――――――


今更なんですが、一章の終わりにそこまでの登場人物紹介を投稿しておきました。


各章の終わり毎にあんな感じで主要人物の紹介を記載していくつもりです。

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