私に出来ること


「栞桜がいなくなっただって!?」


 翌朝、別府屋との勝負に臨むために普段より早く起きて準備をしていた燈は、やよいから衝撃の事実を聞かされ、感じていた眠気を一気に吹き飛ばした。


 なんと、栞桜が書置きを部屋に残し、姿を消してしまったというのだ。


 暗い顔をしたやよいからその書置きを受け取り、内容を検める燈。

 そこには、不義理をしてしまったことへの謝罪の言葉や、桔梗たちに対するこれまでの感謝と共に、自分を破門扱いとしておいてほしいとの文が記されていた。


「弟子を破門になっていれば、たとえ栞桜さんが勝負に負けてしまったとしても、桔梗さんたちは部外者として自分を扱えるだろうって、そう、彼女は考えたんだろうね」


「あの馬鹿、気を遣う部分が間違ってるだろうがよ! つまんねえ意地張りやがって……!!」


 くしゃり、と手紙を握り締めながら忌々し気に呟いた燈は、すぐさま振り返るとそこに控える蒼とやよいへと言う。


「栞桜を追いかけるぞ! 多少は遅れちまうかもしれないが、急げば勝負が終わる前には余裕で現場に着けるはず――」


「……無理だよ。だって、目的地までの地図は栞桜ちゃんが持ってるんだもん」


「あっ……!?」


 やよいのその言葉に、燈がはっとした表情を浮かべる。

 そう、別府屋が指定した北の洞窟とやらの位置を示す地図は、他ならぬ栞桜が所有していたはずだ。


 その彼女が居なくなった今、燈たちには洞窟の正確な場所を知る手立てはない。

 急ぎ現場に急行したくとも、その場所が判らないのでは打つ手もなかった。


「……ごめん。まさか栞桜ちゃんがあたしまで置いていくとは思わなかったんだ。一人で勝負に挑もうとするだなんて、あたしにも予想外だったんだよ……」


「わかってる。あんたのせいじゃないよ、やよい。責任があるとすれば、この私さ。栞桜のささくれた心をそのままにしておいたのは、師匠である私の落ち度なんだからね……」


「おばば様……」


 栞桜が抱えていた苦悩は、自分たちの想像を遥かに超えていた。

 それだけ彼女が苦しんでいたのにも関わらず、何も出来なかったことを悔やむ桔梗の姿は、それを見ている燈たちの心にも暗い影を落とす。


 結局、自分たちは栞桜の心を解きほぐすことは出来なかった。

 こうして彼女が自分たちを放置し、一人で戦いの場所に赴いてしまったことが何よりの証拠だ。


 もっと強引に距離を縮めようとすればよかったのかもしれない。

 もっと優しく接した方がよかったのかもしれない。


 そんな後悔を抱えても、後の祭り。

 もう栞桜は、この場にはいない。自分たちの下に戻って来るつもりもない。

 

 孤独を抱えたまま、一人で苦難の道を突き進もうとしている栞桜に対して複雑な感情を抱く一同。

 もうこのまま、何も出来ずに別府屋と栞桜との勝負の結果が届くまで待つしかないのかと燈たちが歯噛みする中、打開策は予想外の人物の口から発せられた。


「あるよ、地図。場所がわかれば、栞桜さんの所に行けるよね?」


「えっ……!?」


 そう、驚きの発言をした人物へと、一同の視線が向けられる。

 燈や蒼だけでなく、年上の桔梗にまで驚愕の目で見つめられることにバツの悪そうな顔をしたこころは、着ている服の懐からとある物を取り出した。


「おまっ! それ、スマホじゃねえか!? まだ持ってたのかよ!?」


「うん。元の世界を感じさせてくれる数少ない持ち物だったから、捨てられなくってさ……」


 メタリックピンクカラーの、手のひらサイズのそれが何であるかを理解出来たのは、こころと同じ世界出身の燈だけだ。

 数々の機能が詰め込まれた文明の利器にして、燈たちの世界ではマストアイテムとなっている通話機器『スマートフォン』……それを取り出したこころは、手慣れた様子で操作を始める。


「よく充電がもってたな。大和国に来てから、もう二か月は経ってるだろ?」


「ちょっと前までは電池切れだったよ。ほら、桔梗さんのお屋敷ってからくり人形が沢山いるでしょ? だから、もしかしたら電力を供給する何かがあるんじゃないかな~……って、思ってさ。桔梗さんに聞いてみたら、エレキテルっていう電気を発する小箱があって、その上にスマホを置いてみたら――」

 

「充電出来たってのか? マジで!?」


「うん! びっくりだよね! 最新型のワイヤレス充電器に対応してるスマホにしてたから、ダメもとでやってみたんだけど……まさか、本当に充電出来るなんて思わなかったよ!」


 ニコニコと笑いながらそう語るこころの横顔は、何処か楽しそうだ。

 その様子だけを見るならば、学校で友達と楽しくお喋りしている女子高生そのものだなと思いながら、燈は黙って彼女の話を聞き続ける。


「……こっちじゃ通話もLINEも使えないし、何の意味もないことだと思ってたんだけど……習慣って怖いね。暫くやってなかったことでも、それが出来る環境下になったらついついやっちゃうんだもん。でも、そのお陰でやっと燈くんたちの役に立てそう!」


 スマートフォンのカメラアプリを起動。即座にアルバムへと移動し、そこに記録されている写真を表示する。

 その中の、最新の一枚を画面に大写しにしたこころは、得意気な笑みを見せながらスマートフォンを燈たちへと突き出した。


「こ、これっ! 栞桜ちゃんが持ってるはずの、地図!? なんで? どうして!?」


「……昨日、栞桜さんが別府屋の大旦那さんに怒って、部屋を飛び出した時があったでしょう? そのタイミングでこっそり、地図を撮影してたんだ」


 言われてみれば、昨日の話し合いの後に栞桜が部屋に放置していた地図を彼女に手渡したのは、こころだった。

 誰もが怒りを露わにしていた栞桜に注目する中、抜け目なく保険をかけていたこころの強かさに燈たちが驚く中、こころは三人分用意してあった小包と竹筒を彼らへと差し出す。


「今からすぐに栞桜さんを追うんでしょ? いくら燈くんたちでもお腹が空いてたら、満足に戦えないと思って、急いでおむすびとお茶を用意したよ。ちょっと物足りないかもしれないけど、暴れまわるんだからそれくれいで丁度いいよね?」


「……驚いたね。こころのお嬢ちゃんは、栞桜があんな真似をすることを予想してたのかい?」


「確信があったわけじゃありません。ただ、私が栞桜さんだったら、もしかしたらそうしちゃうかもって思ったから……本当は、一人で戦いに行かないように説得すべきだったのかもしれないですけど、それが最後の一押しになったら怖いなって思うと、直接声をかけるのを躊躇っちゃって……ごめんなさい」


「お前が謝る必要ねえって! むしろ、超ファインプレーだ! これで栞桜を追える! 助かったぜ、椿!」


「……うんっ!!」


 栞桜の闇を、誰よりも敏感に感じ取っていたであろうこころは、彼女の苦悩に寄り添えなかった自分自身の弱さに暗い表情を浮かべた。

 しかし、そんな彼女の活躍のお陰で栞桜を追う手掛かりが出来たことを喜ぶ燈からの励ましの言葉に笑みを見せると、こころは彼の胸にスマートフォンを押し付けながら言う。


「……私は、燈くんや栞桜さんたちみたいに戦うことは出来ない。でも、戦うみんなを支えることは出来る……今までずっと助けられてばっかりだったけど、初めて燈くんたちの役に立てた気がして、嬉しいの」


「椿……」


「それと、もう一つ……確証があるわけじゃないけど、栞桜さんを本当の意味で助けられるのは、燈くんだけだって私は思う。だからお願い、燈くん。栞桜さんと真正面からぶつかってあげて。全力で、本気で、燈くんが思ってることを伝えてあげることが、栞桜さんの心を揺さぶれる唯一の方法だと思うから。……私、わかるよ。燈くんは栞桜さんを気遣ってて、ちゃんと自分の想いを口に出来てないんだよね?」


「お、おう……よくわかるな、お前」


「ふふふ……燈くんがわかりやすいんだよ。でも、もうその遠慮は必要ないよ。栞桜さんを助けるのは、口先だけの言葉じゃなくって……真っ直ぐで熱い、燈くんのハートだって、私は信じてるから」


 握り締めた拳を燈の左胸へと押し当てながらそう告げるこころ。

 その拳から、彼女の栞桜への想いと自分への信頼を感じた燈は、不敵に微笑むと大きくこころへと頷いた。


「……ああ、任せろ。絶対、あの馬鹿を連れて帰る。ここまでしてくれたお前のためにもな」


「うん! 栞桜さんのこと、よろしくね」


「おう! ……あ~、そうだ。俺からも頼みがあるんだけどよ。久しぶりにお前の手料理が食いてえんだ。今日の夜飯、作ってもらっていいか? 栞桜にもお前の作る飯の味、知ってほしいんだ」


「ふふふ……! 任せてよ! 腕によりをかけて、美味しいご飯を作って待ってるからさ!」


 胸を張り、朗らかにそう言い放つこころ。

 その姿からは留守を預かる者としての頼もしさすら感じられる。


 自分が宗正の下で修業を重ねてきたように、こころもまた成長を遂げていたのだなと思いながら……彼女が作ってくれた弁当を手にして、燈は出立の準備を整える。


「やよいさん、この場所まではどれくらい時間がかかりそう?」


「う~ん……多分、半刻もあれば十分! 勝負の時間には遅れちゃうけど、大遅刻ってほどじゃないよ!」


「おっしゃ! とっとと栞桜の馬鹿に追いついて、説教かましてやらねえとな! 蒼、やよい、急ぐぞ!」


 羽織。武神刀。履物。

 必要な装備は全て揃えた。後は、現場に向かうだけだ。


「……気を付けるんだよ。今回は妖が相手、何があってもおかしくない。それに、なんだか胸騒ぎがするんだ。全員が無事に帰ってくれれば、私は何も言う事はないよ」


「わかってるよ、おばば様! 栞桜ちゃんも含めて、みんなで帰ってくるからさ!」


「ああ……あの子のこと、頼んだよ」


 桔梗の言葉を背に受け、三人は駆け出す。

 目指す北の洞窟で別府屋との勝負に単独で挑もうとしている栞桜の姿を思い浮かべ、彼女の身を案じる桔梗とこころから預けられた信頼の重さを感じながら、燈はただ無言で目的地へと疾走するのであった。

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