武神刀『おろち』



「あ、燈くん……大丈夫、だよね……?」


「安心しろ、椿。俺はお前が思ってるより大分冷静だぜ。ブチキレたまま戦って隙を突かれるなんて真似はしねえよ」


「いや、そうじゃないんだけど……と、とにかく、気を付けてね……」


 自分が心配しているのは、燈が負けるかもしれないということではなくて、燈が勢い余って相手を殺めてしまわないか、という部分なのだが……という言葉を飲み込んだこころは、若干の怯えを見せながら憮然とした表情の栞桜の元へと戻った。


 桔梗邸の修行場。広々としたその内部では、燈と斑、ついでに蒼とくちなわ兄弟の弟こと毒島 まむしの立ち合いが行われようとしている。

 昇陽の商会の者と思わしき男たちと共にその立ち合いを観戦することになったこころは、明らかに不機嫌な栞桜へと謝罪の言葉を口にした。


「ごめんなさい、栞桜さん。燈くん、名前を馬鹿にされると人が変わっちゃうみたいで……」


「本当に勝手な奴だ。人には挑発に乗るなと言っておきながら、自分はあっさり乗せられて……!!」


 結局戦いになるのならば、散々馬鹿にされた自分が斑と戦いたかったと、不服そうな栞桜の表情は隠すことなくその意思を告げている。

 彼女からしてみれば当然のその思いに申し訳なさを募らせながら、こころはもう一人の被害者ともいえる蒼の方へと視線を向けてみた。


 少し困ったような表情を浮かべながらもやよいと何かを話していた彼は、首を振って何かを否定すると試合場の中に足を踏み入れる。

 そんな彼を手を振って見送ったやよいは、ちょこちょこと音がしそうな小走りで桔梗の隣へと移動すると、そこに腰を下ろす。


「やよい、あの子に何を話してたんだい?」

 

「ん~? 相手の癖とか、武神刀の能力とかを教えてあげようかって言ったんだけど、聞きたくないってさ。そういう不公平なのは好きじゃないんだって。真面目だね~!」


 桔梗からの問いかけにさらりと答えたこころは、普段通りの笑みを顔に浮かべながら興味深そうに蒼の試合を観戦する。

 ややあって、二つの試合場に四人の剣士たちが準備を整えて入ったことを確認した桔梗は、それぞれに確認するように大声を出した。


「試合の形式は実戦と同じ! 武神刀の能力も使用して良し! それぞれの体に張った護符が敗れた時点でそいつは戦闘不能と見なす! わかったね!?」


 張り付けれらた対象のダメージを肩代わりしてくれる効果を持つ道具、護符。

 人の形をした紙をそれぞれ目立つ位置に張り付けた四人は、桔梗の言葉に無言で頷いた。


「では……試合、始めっ!!」


 桔梗が腕を大きく振り上げる。

 それを合図として始まった立ち合いの中、真っ先に動いたのは斑だ。


 武神刀を構えたまま、後方へ大きく跳躍。いきなり自分と距離を取る選択を取った彼の行動に燈は面食らってしまった。


 これが剣道の試合ならば、自分から攻める気概がないと審判から警告を受けていたところだろう。

 しかし、これは実戦形式の試合であり、何より竹刀ではなく超常的な能力を持つ武神刀を用いての立ち合いなのだ。


(まあ、順当に考えりゃ、遠距離攻撃が主体の武神刀ってことになるわなっ!)


 初手で迷いなく燈と距離を取ることを選択した斑の行動から、彼の武神刀は近距離よりも遠距離での戦いで真価を発揮するの有力を有していることが判る。

 弟である蝮も蒼と距離を取っていることから考えても、この兄弟は同じような能力を持っていることが判断出来るだろう。


 であるならば、十分な距離を取った今、斑は自身の強みを最大限に活かした攻撃を仕掛けてくるはず。

 そう考えた燈は、敢えて敵を追撃せずにその攻撃を待った。

 栞桜に勝ち続けている斑の実力が如何なるものか? その力量を計るために彼の本気を見てみようと思ったのである。


「さあ、狩りの時間だ。奴を縊り殺せ、『おろち』!!」


 斑が手にする武神刀が光り輝く。

 深緑色の暗い輝きを纏った刀身がぐねりと歪んだ次の瞬間、その形状がみるみるうちに変化し始めた。


 しゅぅぅぅぅ、という蛇が威嚇の際に鳴らすような音を響かせ、武神刀がうねり狂う。

 そうして、変化を見せ始めた『おろち』を振りかぶった斑は、明らかに刀の間合いの外にいる燈へとそれを振い、初撃を繰り出した。


「喰らえっ! 『おろち』ぃっ!!」


「うおっ!?」


 何か鋭い物が風を切る、ひゅるりという音が燈の耳に届く。

 攻撃の気配が右側から真っ直ぐに自分へと向かっていることを感じ取った燈がその場で屈むと同時に、黒い影がその頭上すれすれを掠めて空を薙いだ。


「あっ、ぶねぇ……! なんだぁ、今の?」


「ちっ、躱されたか。大口を叩くだけあって、多少はやるようだな」


 一発で燈を仕留めるつもりであった斑が、その一撃を躱されたことに舌打ちを鳴らしながら言う。

 彼の手に握られている武神刀を目にしたこころは、驚きに満ちた表情を浮かべて小さく呻き声を漏らした。


「なに、あれ? か、刀、なの……?」


 斑が持つ武神刀は、柄までは普通の刀となんら差異はない。だが、その刀身は通常の刀と大きく様変わりしていた。


 その特徴を簡潔に表すならば、だろう。

 普通の刀のそれを遥かに超える長い刀身。打刀の平均刀身が60㎝程度であるのに対して、斑の武神刀はどう見ても数メートルはある。


 斑の武神刀はただ長いだけではなく、まるで鞭のようにしなる柔軟さをも有していた。

 ぴしゃり、ぴしゃりとうねる刀身で地べたを打つ斑。彼の手で操られる『おろち』は、その名の通りの大蛇の姿となってこころの目に映る。


「蛇腹剣……いや腰帯剣ヤオダイジャンってやつか? 栞桜の武神刀と同じ、形状変化系の武神刀かよ」


「あの女の不細工極まりない鉄塊と俺の『おろち』を一緒にするな。今からお前を追い詰め、蛇に睨まれた蛙の気持ちを教えてやろう!!」


「っっ……!!」


 斑が腕を振るえば、彼の『おろち』がしなりを見せて燈へと襲い掛かってくる。

 その機敏さ、軌道の読めなさ、そして鋭さは、まさに蛇が獲物を仕留める時の動きに酷似していた。


「はははっ! どうした? 俺を潰すんじゃなかったのか!?」


「ちっ、面倒な技使いやがって……!!」


 縦横無尽に動き、四方八方から迫る『おろち』の斬撃に防戦一方の燈が面倒臭そうに呟く。

 怒涛の攻めを繰り出してくる斑の動きを観察し続けた燈は、回避と防御を織り交ぜて相手の攻撃を凌ぎながらその癖を把握していった。


(考え方を変えろ。こいつは刀っつーよりも鞭を相手にしてるようなもんだ。基本的に、先端の動きに気を付けてりゃあ痛打は喰らわねえ!)


 眼前で煌く『おろち』の鈍い輝きを見つめ、すんでのところでその攻撃を回避した燈が心の中で自分に言い聞かせる。


 武神刀『おろち』は、その形状も攻撃方法も刀というよりは鞭に近い。

 多少の差異こそあるものの、先端の重心を活かすことで刀全体の動きを操って攻撃を繰り出すという部分と、先端での攻撃が最も威力が出るという部分は非情に良く似ている。


 蛇が大口を開け、牙を剥き出しにして得物を仕留めるように、この『おろち』も自在な動きで敵を混乱させてからの刺突攻撃で相手の急所を貫くという戦法が常勝のパターンなのだろう。


 その証拠に、斑は先ほどから燈の顔面や心臓、喉といった攻撃を喰らったら即死となる場所を狙って『おろち』を繰り出している。

 だが、それを逆に考えれば、相手には急所を狙う以外で敵を仕留められるだけの攻撃力は無いということだ。


(斬る攻撃よりも貫く攻撃を重視。狙いは主に急所。それだけわかれば、防ぐのはそう難しくねえ!)


 その薄さ故に、『おろち』は一撃の威力自体はそう強くない。

 軌道さえ読めれば簡単に回避出来るし、燈の目も変幻自在の武神刀の動きにようやく慣れ始めた。


 徐々に、徐々に……燈の回避運動が、最小限の動きとなる。

 余計な動きをせず、最低限の回避を行うことで次の動きを即座に取れるようにして、段々と『おろち』による連撃に対応し始めた燈は、温さを見せた刺突を『紅龍』で思い切り弾くことに成功した。


「おっしゃっ! チャンスっ!!」


 ガキィン、という鉄同士がぶつかり合う音が響いた次の瞬間には、燈は斑へと急接近していた。

 頭上に弾かれた『おろち』は、その長さ故に一度攻撃態勢を崩されれば立て直しに時間がかかるはずだ。


 斑が再び武神刀をしならせて燈を襲うのと、彼に急接近した燈が『紅龍』で彼を斬り伏せるのと、どちらが早いかなんて考えるまでもない。


 燈の目には、弾き返しの勢いに負け、『おろち』ごと右腕を腕に振り払われた斑の姿が見えていた。

 頭上に、真っ直ぐに、持ち上げられた斑の右腕には、振り下ろされる気配がまるでない。燈への迎撃態勢が全くといっていいほどに完成していない証拠だ。


 いける。このままあと一歩踏み込めば、攻撃の間合いに斑が入る。

 勢いも、体勢も、間違いなく自分が優勢。突貫の勢いを活かして斬りかかれば、それだけで勝負は決するはずだ。


 そう判断し、勝利への道筋を確認した燈は、両手で掴んでいる『紅龍』の柄を強く握り締め、最後の一歩を踏み出そうとして……そこで、気が付く。


 絶体絶命の窮地に立たされ、今まさに燈に斬り伏せられようとしている斑の表情には、まるで焦りの色が浮かんでいない。

 それどころか、むしろわずかに口元を歪めて、笑みを見せている始末だ。


 何かがおかしいと、燈は思った。

 この状況で、敗北する寸前の場面で、笑う馬鹿が何処にいる? この笑みは、何を意味しているのか?


 その答えを思考の末に出そうとしていれば、恐らく燈は敗北していただろう。

 もしくは、負けはせずとも相当な痛手を負っていたはずだ。


 それは、直感に全てを委ねた行動だった。

 長年の喧嘩人生とこれまでの経験。その中で培ってきた燈の本能が、違和感を覚えると共に反射的に攻撃の動きを中断させる。


 あと一歩踏み込めば、斑は攻撃の間合いに入っていただろう。その踏み込みを止め、逆に後方へと大きく飛び去った燈の目に、信じられない光景が映った。


 斑の前方。自分が今、まさに踏み込もうとしていた位置。

 そこに、銀色の閃光が雷の如く降り注いできた。


 空気を裂く風切りの音も、落雷の轟音も響かせることのない、全くの無音。

 完全に敵の不意を突いて繰り出されたその一撃は、何もない空を貫いて地面へと突き刺さる。


 あと一歩、攻撃を中断せずに踏み込んでいたら、あの一撃を喰らっていただろう。

 再び斑と距離を取ることとなった燈は、数瞬前に弾いた『おろち』の切っ先が、自分目掛けて降り注いできた光景を見ながらごくりと息を飲んだ。


「ふふふ……! 惜しい、惜しい。この一撃を躱すとは、なかなかにやるじゃないか」


「……その刀、おかしい動きをするもんだな。腕を振ってねえのに、何であんな勢いで切っ先が落ちてきた? まさか、全部偶然の産物だってこたあねえよな?」


 鞭だけではない、攻撃の基本。威力のある一撃を繰り出すには、それに見合った勢いが必要だ。

 バッドを短く持ったコンパクトなスイングよりも大きく振りかぶった派手なスイングの方がホームランが出易いように、強烈な勢いを出すためにはそれに見合う隙が必要になる。


 だが、今の攻撃は地面を刺し貫けるだけの威力があるのにも関わらず、それを繰り出した斑は何の動きも見せていなかった。

 鞭であれ刀であれ、攻撃を行う際には武器を振るう動きが必要になるもの。しかし、『おろち』の柄を握っていた斑の右腕は、頭上に振り上げられたまま微動だにしていなかったはずだ。


 それで、どうしてあの威力の攻撃が繰り出せる?

 至極当然のその疑問に答えるようにして、喉を鳴らして暫く笑い続けていた斑が己の武神刀の能力を解説し始めた。


「ククククク……! そう驚くな。これが我が愛刀『おろち』の真の能力よ。こいつを操る時、俺は腕を振るう必要はない。『おろち』の動きは全て、気力で操作可能なのさ!」


「あぁ……? はぁ~、なるほどなぁ……」


 その答えは、想像以上に単純。

 腕の動きや手首の返しではなく、気力だけで動きを制御出来るという『おろち』の特性を聞いた燈は、あまりにも簡潔なその答えに逆に意表を突かれたとばかりに頷いてみせた。


 そんな彼に向けて嗜虐的な笑みを浮かべた斑は、蛇のように長い舌をちらつかせながら愉悦に塗れた声でこう言った。


「この『おろち』の能力を活かした戦法こそ、我らくちなわ兄弟の真骨頂……腕を振るうことも必要以上に動くこともなく、気力を用いて変幻自在の攻撃を繰り出す。相手はそれを防ぎ、避けるために体力を消耗していくが……我らはそんなことはない。その場で動かず、刀を振るうこともなく、相手が疲れ果てるまで攻撃を繰り出し続けるだけよ」


「そうして動けなくなった相手を仕留める、ってことか。随分とえげつない戦い方をするんだな」


「弱者を嬲り、確実にトドメを刺せる状況に戦いを運ぶ。これこそが蛇の狩り! 貴様は既に蛇の蜷局の中に巻き込まれた哀れな獲物よ! 疲れ果て、指一本も動かせなくなるまで、じっくりといたぶってやるわ!!」


 腕を軽く持ち上げ、燈へと伸ばしている斑の叫びと共に『おろち』が猛然とした動きを見せる。

 地を這い、宙を舞い、ありとあらゆる方向から襲い掛かってくる刀の切っ先を時に躱し、時に防いでは隙を見つけようとする燈であったが、自身が攻撃態勢を整えるよりも、斑が次の行動を取る方が早く、なかなか攻勢に出られずにいた。


「ふははははははっ!! そうだ! 無様に逃げ回れっ! 体力を使い果たし、動けなくなった時が貴様の最期だっ!!」


 防戦一方の燈へと嘲笑を飛ばす斑。

 ただ武神刀を構えているだけで一方的に攻撃を続けられるその戦いを目の当たりにしたこころは、無数の剣劇を浴びせられる燈の姿に口元を覆いながら苦悶の呟きを漏らす。


「狡いよ……こんなの、まともな戦いじゃないよ……! 刀を振る必要もないだなんて、まるっきりズルじゃない!」


「ガハハッ! お嬢ちゃんはおもろいことを言いまんな~! あんなん、な~んも狡くあらへん。あれがくちなわ兄弟の武神刀の能力で、あいつらはその力を十全に引き出せる戦い方をしとるだけや。お友達が苦しんでる姿を見るのが辛い気持ちはわかるが、そんな言いがかりをつけられても困るだけやで」


 こころの文句を切って捨てる狸男。自分の側の剣士が優勢だから調子に乗っている部分もあるが、その言葉は正論だ。

 そもそも、戦いの中に綺麗汚いなどという分別はない。剣道の試合と違って、この立ち合いはどんな手段を用いても勝てばいいのだ。


 斑はただ、自分の武神刀の能力を解放し、それを最も強力に扱える戦法を取っているだけ。

 それが如何に小狡く見えようとも、ルールの無い戦いの中では勝った方が正義。敗者がそんな戦い方は卑怯だと喚いてみても、負け犬の遠吠えとして鼻で笑われるだけだ。


「ぐふふふふふ……!! 桔梗はん、確認しときますけども、これもいつもの戦いに数えてええですよね? あの坊主たちがどっちも負けたら、桔梗はんにはわしらの仕事を引き受けてもらいまっせ!」


「……ああ、構わないよ。あの程度の相手に負けるくらいならば、私の作品に袖を通す価値も無いだろうしね」


「よっしゃ! 聞いたな、くちなわ兄弟!! そいつらいてこましたら天下一の戦装束はわしらのモンや! 遠慮なく、叩きのめしたれや!!」


「応っ!! 散々馬鹿にしてくれた奴に屈辱を味わわせながら、望んでいた物が手に入れられるなど願ってもない好機! この勝負、ありがたく勝たせてもらおう!」


 発破をかけられた斑は戦意を更に向上させ、より苛烈な攻めを燈へと繰り出し始めた。

 遠距離から目にも止まらぬ刺突を受け続ける燈の姿にハラハラとした気持ちを抱えながら、こころは狸男の条件を飲んでしまった桔梗へと心配そうな視線を向けるが……。


「大丈夫だよ、こころちゃん。少なくとも、二連敗ってことだけはないって。ほら!」


 そう、師匠に代わって答えたやよいへとこころが目を向ければ、楽し気に微笑んだ彼女がこの場で行われているもう一つの立ち合いを見るように促してきた。

 彼女に促されるまま、蒼と蝮の戦いへと注目したこころは、そこで繰り広げられている戦いを目の当たりにして驚き、息を飲む。

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