一方その頃、落ち目の男は……



「クソッ! どうしてここまで……っ!?」


 燈たちが桔梗の屋敷を訪れたのと同じ頃、順平は自身に割り当てられた部屋の中で苛立ちを壁にぶつけていた。


 彼の苛立ちの原因は単純で、自分の境遇が思っていたよりも悪かったからだ。

 いや、正確には思っていたどころか、普通に考えてもかなり悪い地位に彼と彼の軍団は位置していた。


 狒々との戦において軍団の大きな戦力であった日村が戦死し、そこから他の軍団員も士気が上がらないでいる。

 中には怖気づいたのか、武神刀を返却するから下働きとしての役目に戻してほしいだなんて口走る者もいるくらいだ。


 これ以上の戦力の低下を防ぎたい順平からすれば、そんな願いは却下するしかない。

 燈を殺したという経験を持つ彼が不機嫌に当たり散らす様を見ている軍団員たちは、順平に逆らうことも出来ずにただ怯えながら日々を過ごすだけだ。


「どれもこれも、あの包帯野郎さえいなければ……!!」


 順平の脳裏に浮かぶ、忌まわしき包帯男の影。

 自分の手柄を全て掻っ攫い、自分に楯突いた正弘を庇って、自分を見下したあの男の姿を思い出すと、むかっ腹が立って仕方がない。


 あそこで日村を殺した狒々を自分が仕留めていれば、また違った未来があったはずだ。

 いや、そもそも一番槍の手柄さえ奪われてさえいなければ、今頃自分の軍団はもっと良い位置にいたはずなのに……と順平が歯軋りしながら謎の包帯男に恨みつらみを抱いていると……。


「竹元さん、ちょっといいっすか?」


「あ? 何だ!? 下らない用事だったらぶっ飛ばすぞ!!」


 部屋を訪れた軍団員の言葉に不快感を隠そうともせずに怒鳴り返す順平。

 そんな彼の反応にびくっと体を震わせた男子生徒であったが、その背後から小柄な男が笑みを湛えながらひょっこりと顔を出した。


「ほっほっほ! いけまへんなあ、そんなに苛々しては……ささくれだった気持ちでは、儲け話が逃げていきますで~」


「はぁ……? 誰だ、お前?」


 見覚えのない、中年の男性。ニコニコとした顔と太った腹が特徴的な彼は、まるで狸のようだと順平は思う。

 その男性はにこやかな笑みを浮かべているものの、その笑顔からは邪気が滲み出ていた。


 明らかに、信用してはいけない人物であることが一目でわかったその男性は、順平に礼儀正しく挨拶を行う。


「わては、西の方で商人あきんどをやっとる別府 銀次郎べっぷ ぎんじろうちゅうもんですわ。今日は、英雄様たちの中でも注目株として知られる竹元はんにお耳寄りなお話があって来ましてん」


「耳寄りな情報? なんだよ、それ? 聞いてやるからとっとと話せ」


 怪しさが満天の銀次郎であったが、逆にそれが順平の興味を惹いたようだ。

 彼が自分の話に耳を傾ける姿勢を見せたことに心の中でしめしめと笑いながら、わざとらしく声を潜めた銀次郎が話を始めた。


「実はですね、わてらが商売の拠点としとる昇陽っちゅう町に、伝説の仕立屋がおるんですわ。そいつが作る戦装束は鎧よりも堅牢で、羽よりも軽いと評判ですねん!」


「ほぅ? それで?」


「わてらは今、その仕立屋に仕事を依頼しようとしてるんですが……職人由来の頑固さ故か、なかなか首を縦に振ってくれまへん。そこで、英雄として名高い竹元順平はんにビシッと力を見せていただくことで、仕立屋への説得材料としようと思ってるちゅうわけですわ。一流の装備は、一流の武士が使ってなんぼのもん。竹元さまは間違いなく一流ですから、その腕前をみれば仕立屋もきっと気が変わるかと……!」


「なるほどな……流石は商人、人をおだてるのはお手の物だな」


「いえいえ! わては本当のことを言っとるだけですわ! へへへ!」


 周囲からの評価ががた落ちになっているところにこうしておだてられると、お世辞が入っているとわかってはいても気分は悪くないものだ。

 銀次郎の見事な調子取りに多少いい気になりながら、順平は気になっている部分を指摘する。


「だが、そんな仕立屋がいるってのに、何で幕府はそいつを囲わないんだ? そんな上等な戦装束が作れるなら、普通は幕府御用達の職人にするはずだろうが」


「大きな声では言えんのですがね……実は、その仕立屋と幕府は、その昔にいざこざを起こして決別した仲やっちゅう話ですわ。幕府としては面子があるからその職人に頼るわけにはいかない。職人の方は幕府に関わりたくもない。だから、お互いに今まで不干渉を貫いてきたらしいです」


「ほぉう……? つまり、その仕立屋の戦装束は、幕府の手にも渡ってない超レアな代物ってことか……!」


「れ、れあ……? 竹元さまの言っとることはわかりまへんが、相当に希少で有用なモンなのは間違いありまへん! 竹元さまがわてらに協力してくれて、首尾よくウチの商会と仕立屋の契約が叶ったのなら……竹元さまには、優先的にその職人が作った戦装束を回させてもらいますわ」


「なんだって!? それは、本当か!?」


「わては商人、信用が第一の商売人でっせ! それだけじゃなく、わてらが抱えとる腕利きの剣客も竹元軍の兵士として推薦させてもらいますわ! 装備と人員さえあれば、竹元さまが英雄様たちの中でも一番の軍団を作るのも夢じゃないでっしゃろ!?」


「おお……! おぉぉぉぉ……っ!!」


 降って湧いた幸運とは、このことを言うのだろう。

 絶体絶命の状況に追い込まれながらも、神は順平を見捨てなかった。


 伝説級の仕立屋が作った防具さえあれば、団員たちも命の危険を感じずに済むだろう。

 それに、勇猛果敢な新入りたちが加われば、軍団の再建どころか前よりもパワーアップさせることが可能だ。


「銀次郎とか言ったな。その話、乗らせてもらうぜ! 早速、仲間に遠出の許可を貰って来るから、明日にでもお前たちの本拠地に出発するぞ!」


「いや~、決断がお早い! 流石は新進気鋭の竹元軍の長! 好機を見逃さない鋭い眼光が粋ですわ! ……では、また明日にでもお邪魔させていただきますわ。ほな、さいなら……」


 協力を取り付けた銀次郎は、最後まで順平をおだててから彼の部屋を後にした。

 そして、学校の外で待っていたお付きの者と合流すると、限界まで押し留めていた邪悪さを解放した笑みを顔いっぱいに浮かべ、とんとん拍子に計画が進んでいることに愉快気な声を漏らす。


「やっぱりあいつらもガキやな。ちょっとおだてればいい気になって、ほいほいこっちの話に乗ってくれたで。兄ちゃんの言う通り、落ち目の男は美味しい話にすぐに飛びついたわ」


「流石、金太郎さまの計画です。竹元とかいう男の軍勢に自分たちの手勢を紛れ込ませ、英雄たちにコネを作る……最終的に、その中核を我々別府商会が担うようになるまでの絵を描いておられるとは、大商会を率いる男の戦略眼は違いますな」


「そうやろ!? 英雄様だなんて祭り上げられとるが所詮はガキの集まりや。上手いこと掌の上で転がしてやれば、甘い汁は幾らでも啜れるで! そのためにも、あの竹元っちゅうガキのことは、徹底的に利用してやるさかいな! が~っはっはっはっはっは!!」


 大口を開け、下品に大声で笑う銀次郎。

 暫しの間、そうして笑い続けた彼は、ふと真顔に戻るとお付きの供にこう尋ねた。


「そんで、兄ちゃんは何しとんねん? そろそろあの若作りババアのことを口説き落とさんと計画が狂ってまうぞ?」


「金太郎さまなら、明日にでもくちなわ兄弟を連れてまた仕立屋のところへ話し合いに行くとか。契約は難儀しとりますが、金太郎さまの敏腕ならば必ずや仕立屋に言うことを聞かせられるでしょう」


「そかそか! まったく、あのババアも余計なことしおる。失敗作の女子どもを弟子として引き取って、剣士として育てるなんて、やっぱ幕府から追放されるモンの考えることはわからんわ~……」


 心の底から桔梗の行動を理解出来ないとばかりに肩を竦めた後、銀次郎は無言になって今日の宿へと足を進める。

 その頭の中では、計画が全て上手くいった時に得られる莫大な利益の金勘定と、おまけとして手に入れられるであろう厄介な美少女たちの体を堪能する下劣な妄想だけが繰り広げられていた。


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