急襲する猿鬼




「ひゃははははははっ!! 死ねよ、クソ猿っ!!」


「ウギィィイッ!?」


 愉悦に溢れた叫びと、くぐもった断末魔の声。

 振るわれた刀が銀色の閃光を刻み、狒々の体が綺麗に両断される。


 ドサリと音を立てて倒れ伏した妖の姿と、ぽたぽやと赤い雫を滴らせる自分の武神刀の切っ先を交互に見つめた少年は、仲間たちと大笑いしながら敵を仕留めたことを大いに喜んでいた。


「見ろよ! また猿を倒したぜ!!」


「こいつら弱すぎでしょ!? マジで雑魚!!」


「ば~か! こいつらが弱いんじゃなくって、俺たちが強いんだよ! なにせ、俺たちは異世界から召喚された英雄なんだからな!」


 山の麓にて、まばらに見える狒々たちを狩る役目を担う少年たちが三人。

 揃いの黒装束を纏った彼らは、本来ならば一番槍の役目を引き受けるはずであった竹元軍の兵士たちであり、もっというならばこころを手籠めにしようとした際に邪魔をした燈を逆恨みし、彼を追放するために順平に協力したあの一年生たちである。


 彼らは今、戦で全く暴れられなかった鬱憤を晴らすかのように、逃げ惑う狒々たちを狩り尽くしている。

 鍛え上げられた武神刀を振るい、この世界の人間よりも遥かに量の多い気力を活かして、次々と敗残兵である狒々たちを討滅していく彼らは、まるで自分たちが無双ゲームの主人公になったかのような気分になっていた。


「はははははっ! また死んだ! 妖って、こんなに楽に勝てるのかよ!?」


 躊躇いなど、戸惑いなど、迷いなど、絶対に感じない。目の前で起きていることに、自分が他者の命を奪っているということに対して、何の思いも抱かずに狒々たちを屠る彼らの心からは、倫理感というものが完全に消え去っているように思える。


 元々が武力にものを言わせ、女を襲おうとする男たちだ。こうして、自分より弱い者を嬲ることに何の罪悪感も覚えないのも当たり前のことなのだろう。

 命は命でも、所詮怪物の命。自分たちをこいつらを倒すために召喚されたのだから、妖を殺すことは良いことに決まっている。


 既に燈という見知った人間の命を奪う計画に手を貸した彼らが、今更怪物を屠ることを躊躇するはずがない。

 今までの修行の成果を試すように、自分たちの力を確認するかのように、敗残兵である狒々たちを殺めていく彼らは、この殺戮を心の底から楽しんでいた。


「オラッ! もう一匹! へへへ、これで何匹目だ?」


「田中、ちゃ~んと数えておけよ! 俺たちが化物をどれだけぶっ殺したか、学校の奴らに自慢してやるんだからな!」


「……分かったよ、日村」


「日村さま、だろ? 武神刀も持ってないお前と、戦力として数えられてる俺が同等だと思うんじゃねえよ、馬鹿」


 そんな三人組に顎で使われ、戦功の記録者として従軍していた正弘は、同級生たちの偉そうな物言いに辟易とした気分を抱いていた。

 血と臓物の酷い臭いと、ごろごろと転がる人と狒々たちの死体に溢れている戦場に自分が立っていることを嫌がる気持ちと、どうしてこんな奴隷のように扱われなければならないんだという思い。それらが混じり合うと共に、彼は浮かばない気持ちを抱えながら、はあと溜息をつく。


 暗い気分のまま、周囲を見回してみれば、そこには同級生たちと同じように狒々たちを殺め、その殺戮を楽しんでいる元下働き組の面々の姿がある。

 幕府から授けられた武神刀を振るい、愉快気に次々と命を奪う仲間たちの様子に吐き気を催しながら、一か月前とは大きく変わってしまった彼らの性格に悲しみを抱える正弘は、ポツリと小さな声で呟いた。


「先輩……なんで、いなくなっちゃったんですか……俺、寂しいですよ……」


 燈が死んだと聞かされた時、正弘はその報告を信じなかった。

 きっと、燈はひょっこり無事に帰って来ると信じて、疑わなかった。


 今でももしかしたら燈が自分の前に姿を現して、心配かけて悪かったなどと底抜けに明るい声で言ってくれるような気すらしている正弘は、溢れ出しそうになった涙を手の甲で拭いながら、ここにはいない先輩へと伝えるように独り言を口ずさむ。


「先輩がいなくなってから、何か変なんです。急に俺たちの待遇が良くなったり、皆が好戦的になったり、俺たちが一つの部隊になったり……今では皆、あんな風に喜んで戦争をするようになっちゃいました。ほんの少し前まで、戦いだなんてものとは程遠い生活を送ってたはずなのに……」


 自分の傍から燈が消えただけでも十分に大きな変化であったのに、正弘を取り巻く環境はこの一か月で大いに様変わりしていた。

 下働き組の解体。彼らへの武神刀の授与。それに伴う元下働き組の戦力化。そして自分たちを兵隊として組み込んだ、竹元軍の設立……と、これだけのことがたった一か月程度の間に立て続けに起こったのである。


 そうして、正弘などの一部の生徒たちを除き、元下働き組の面々も武神刀を入手することが出来た。

 そこから気力の使い方を学び、戦い方を覚え、何処からか調達した装備に身を包んで今日の戦に出陣した仲間たちの姿に、どうにも違和感が拭えない。


 ああやって刀を振るい、返り血を浴びて、一方的な殺戮を楽しむ人間たちは、本当に自分と同じ学校に通っていた生徒たちなのだろうか?

 少し前までは勉強や部活に恋愛と、他愛もないことを楽しみ、悩む生活を送っていたはずの自分たちが、怪物との戦争に参加している。そして、その中で命を奪うことに何の躊躇いも感じず、それを大喜びで行っていることが、正弘には堪らなく恐ろしく思えた。


 力を得た人間は、ああも変わってしまうのか。自分より弱い者を踏み潰すことに喜びを感じ、それを心から楽しむようになってしまうのか。

 今まで下働き組として他の生徒たちから下に見られてきた自分たちが、ようやく活躍を見せることが出来る。自分たちの力で妖を殺し、自分たちの力を堪能することが出来る。

 そんな思いが、竹元軍に所属する元下働き組の面々の原動力だ。

 弱い者が力を得ても、その力に酔い痴れるだけ……結局、下の立場から上に駆け上がることが出来ても、弱者に優しくしようとは誰も思わないのかもしれない。


「おい! なにぼさっとしてんだよ! また一匹倒したから、忘れずに記録しとけよ!」


「……ああ、わかったよ」


 同級生の日村からそう命令された正弘は、生気のない瞳をどんよりと濁らせながら返事をする。

 もう、考えることも疲れた。燈がいなくなった今、苦労を分かち合う仲間も自分にはいない。後はもう、流されるだけ流されてしまった方が気が楽だ。


 さっさとこの扱いにも慣れて、少しでも楽な気分で仕事をこなせるようになろう、と考えた正弘は、日村が倒した狒々の姿を確認し、手にしている台帳に正の字を一角書き加えようとして……その手の動きを止める。


 彼の目の前で、日村が斬り捨てたはずの狒々が立ち上がったのだ。

 息も絶え絶え、といった様子だが、まだ活動するだけの余力は残されているように見える。

 どうやら、日村の攻撃は狒々に致命傷を与えるに至らなかったらしい。急ぎそのことを伝え、確実なトドメを刺すように日村へと忠告しようとした正弘であったが、その真横を轟音と共に烈風が通り過ぎた。


「ゴベッッ!?」


 凄まじい勢いを持つ旋風が、竜巻となって狒々の体を浮かび上がらせる。

 その風に巻き上げられて高くまで上がった狒々は、風が吹き止むと共にきりもみ回転をしながら落下し、受け身も取れぬまま地面へと叩きつけられた。


 ぐしゃり、という嫌な音が響く。

 黒い毛に覆われた狒々の頭部は完全に潰れていた。あれで命がある可能性はまずなさそうだし、生きていたら生きていたで、それは間違いなくあの狒々にとっては地獄だろう。


 そのグロテスクな光景に若干引く正弘であったが、背後から旋風を巻き起こした人物の凛とした声が響いたことで、思わずそちらへと顔を向けてしまった。


「……随分と杜撰ずさんな戦い方ね。指揮官は何をやってるの?」


「あっ……!」


 すらりとした、背の高い美少女がそこにいた。

 無駄な贅肉が付いていない、引き締まった細身の体。同じような痩せ体形でも、ひょろひょろとしか言いようのない自分とは大違いな印象を受ける彼女の姿に、若干の引け目を感じてしまう正弘。


 切れ長の目と、洒落っ気のないショートヘアの髪形をしている彼女からは、とてもクールな印象を受ける。

 構えた武神刀から放たれるシアンカラーの暗い青色もまたその雰囲気を作り出すことに一役買っており、どことなく威圧感を感じる彼女の姿に正弘は気圧されていた。


「す、すいません……」


「……別に、あなたを責めてるわけじゃないわ。あいつら、竹元が率いてる軍団のメンバーでしょ? あの馬鹿は何をやってるのよ?」


「竹元先輩は、その……本陣にいます。こういうことには、興味ないみたいで……」


「はぁ……呆れた。大方、先鋒の役目を横取りされたことに拗ねて、やる気をなくしたって所ね。あいつ、今がどういう状況だかわかってるのかしら?」


 ズバリと順平の現状を言い当ててみせた彼女の言葉に、若干の後ろめたさを感じる正弘。

 一応、上官ともいえる立場の順平をフォローするために言葉を濁してみたのだが、わかる人間にはわかってしまうようだ。


 これは自分の言い方の問題というより、順平の普段の行いのせいだろう。

 そもそも彼に信頼が無いことが悪いのだから、自分がどう言い繕ったところで無意味だったのだと自分自身に言い聞かせる正弘に向け、呆れた表情を浮かべたままの少女が話を続ける。


「それで、部下たちを放っておいて、自分は本陣で腐ってるってことね。まったく、しょうもない奴」


「は、ははは……そう、ですね。すいません、七瀬先輩」


 ピクリと、自分の名前を口にした正弘に疑念の眼差しを向ける少女。

 その視線に射貫かれるような恐怖を感じながらも、慌てて正弘は言い訳を口にする。


「せ、先輩は有名人ですから。あの神賀先輩にも頼られてる、主力部隊の一角。この戦いでも大活躍なされてましたし、そもそも陸上部のホープとして学校でも有名でしたし」


「……そう、そうね。でも、自己紹介をする前に自分の名前を口にされるっていうのは嫌な気分がするものよ。次からは気を付けなさい、後輩くん」


「す、すいません……」


 そう、2-Aの中心メンバーである七瀬冬美から叱責された正弘は、小さくなって彼女へと謝罪する。

 そこまで怒りを感じていたわけでもない冬美は、素直なその態度に免じて今回は許すと視線で正弘に告げると、改めて戦場で暴れ回る竹元軍の面々へと明らかに軽蔑した眼差しを向けながら口を開いた。


「何なのかしらね、あいつら。今が戦争の最中だってこと、本当にわかってるのかしら? まるで子供が新しく買ってもらった玩具で遊んでるみたいじゃない」


 武神刀を振るい、次々の狒々たちを屠る竹元軍のメンバーたち。

 彼らの顔には余裕の表れか笑みまで浮かんでおり、この戦いとも呼べない一方的な虐殺を楽しんでいるようにしか見えない。


 別に、冬美は彼らに命を奪うことに感傷だとか、罪悪感を持てとは言わない。ただ、自分たちが今、身を投じているのは命が掛かった戦いであるという危機感だけは抱いてもらわないと困る。

 一流の装備に、一流の素質が重なれば、確かにこんな妖たちなど相手にはならないだろう。

 しかし、余裕で勝てるからといって、戦争に浮かれた気持ちで参加することがどれだけ危険なことかは誰にだって理解出来る。


 余裕は油断に変わり、油断は危機を招く。

 自分の命だけでなく、仲間の命すらも危険に晒す可能性があるということにも考えが及ばないまま、まるでゲーム感覚で妖と戦っている日村たち竹元軍の人間たちの姿は、冬美の冷淡な心に嫌悪感を抱かせるには十分過ぎる程であった。


(戻ったら竹元の馬鹿に説教しとかないと。やっぱりあいつ、虎藤が死んだことに何も感じてなかったわね)


 燈の死をきっかけに戦力として数えれられるようになった元下働き組の面々を仲間に引き入れて結成された竹元軍。しかし、冬美はその成り立ちに疑問を感じていた。

 元々、燈と順平は仲が良かったとは思えない。転移直後の一件から考えても、両者の中は険悪とはいえなくとも良いものではなかったことは間違いないだろう。

 それが、燈が死んだ途端、順平は急にその死を惜しみ、悼むという反応を取ってみせた。それがどうにも、冬美には不思議に思えて仕方がなかったのである。


 友好的な相手ではなく、むしろ恨みに近い感情を抱いていたであろう燈が死んだことを、あの順平が嘆くはずがない。口には出さずとも、タクトのように別に死んでも構わなかったんじゃないかと考えるのが妥当だ。

 だというのに、彼は燈の死から得た教訓を王毅に提案し、下働き組を自分の部下として引き入れ、どこからか調達してきた武装で立派な軍団として生まれ変わらせた。ここまで全てがトントン拍子に進んだことに、違和感を感じない人間がいるのだろうか?


 僅かながら、今日のこの戦いでその答えの一端が見えた気がした。

 順平はやはり、燈の死を何とも思っていない。その死を利用して、自分がこの世界で成り上がろうとしているだけなのだ。


 だから手柄に拘り、それが奪われると拗ねて妖との戦いを放棄した。好き勝手に動き回る部下たちを放置して、自分は本陣でぬくぬくとしている。

 これでは、今現在も必死に戦っている王毅たち主力部隊や、彼らの進む道を切り開くために全力を尽くした自分たちが馬鹿らしいではないか。


 自分たちは元の世界に帰るために戦っているのであって、順平や彼の部下のように手柄を立てたり、一方的な虐殺を楽しむために戦っているのではない。

 仲間たちと一緒に帰還したいと願って戦っている人間たちの中にこんな自己中心的な考えで行動するメンバーがいることが、冬美には腹立たしくて堪らなかった。


 とにかく、この場での馬鹿騒ぎは仕方がない。もう二度とこんな真似をしないように、帰った後できつく締めあげる必要がある。

 順平も、彼の部下たちにも、自分たちが戦争をやっているのだという自覚をしっかりと持ってもらわないと困る……などと考えていた冬美の体が、何かの気配を察知してピクリと震えた。


「……なに、この感じ? 何かが、来る……?」


 転移者たちの中でも、ずば抜けた素質を持つ冬美だからこそ察知出来た謎の気配。

 鋭く、獰猛で、そして重々しいその気配たちが、猛烈な速度で自分たちの下へと向かっている。


 それが近づけば近づくほど、感じられる重圧は激しくなっていく。

 隣に立つ正弘でさえも感じ取れるくらいに強く重いプレッシャーを放つようになったそれは、突如として生い茂った木々の間から姿を現し、戦場へと降り立った。


「グ、ギギッ……!!」


「ギャギャウッ!!」


 ズシンと、周囲の大地が揺れる。

 大きな跳躍の果てに舞い降りたのは二体の巨大な猿だ。だが、同じ猿といえど、彼らの姿は狒々たちとは異なっていた。


 黒一色であった狒々の毛並みとは違い、それぞれが赤と白の毛に覆われたその猿たちの体は、狒々たちと比べても一回りは大きい。

 当然のように二足歩行をしている二体の巨猿たちは、得物として槍と金棒を手にしており、体にもちらほらと具足と思わしき防具が装備されているようだ。


 だが、そんな見た目よりも、冬美が危機感を感じたのは、彼らが放つ威圧感に対してだ。

 この二体の猿は、狒々たちとは違う。具体的に何が違うとは言えないが、これまで楽に倒せていた妖とは全く違う存在であるということが、ひしひしと伝わってきていた。


「鬼、だ……!」


「え……?」


「資料で、読んだんです。あの猿たちの額には角がある。あれは狒々じゃない。あれは、あいつらは……猿鬼です!」


 正弘の言葉にはっとして猿たちの頭部を注視した冬美は、確かにそこに自分の拳ほどの大きさの角が生えていることを確認する。

 そして、その二体の猿鬼たちに続いて、ぞろぞろと屈強な狒々たちが姿を現す光景を目の当たりにした彼女は、舌打ちを鳴らして文句を吐き捨てる。


「やられた! あの猿たち、総大将を囮にしたのよ!! 最初の段階で見切りをつけて、精鋭部隊と一緒に今まで身を隠してたんだわ!」


「えっ!? で、でも、そんなことしても、王毅さんたちが敵の総大将を倒せば戦は終わるんじゃ……!?」


「王毅がボス猿を倒すまでの間、あいつらを好き勝手に暴れさせたらどれだけの被害が出ると思ってるの!? こっちは完全に背後を突かれた! 戦線は伸びきって、しかも全員が油断してる! そんなところに妖と精鋭部隊をぶつけられたら……!!」


 第一陣も、第二陣も、全員が少なからず疲弊している。

 冬美も王毅たちの進む道を切り開くために大量の気力を消費してしまったし、他の生徒たちも体力と気力の消耗が激しいだろう。

 しかも、彼らは王毅たちを敵の本陣に送り出したことで、自分たちの仕事は終わったと気を抜いてしまっている。あとは王毅が総大将を討ち、それで戦が終わるのだと思い込んでいる。


 そんな彼らが、背後から急襲を受けたらどうなる?

 数こそ多くなないが、ただの狒々とは違う精鋭部隊と、それを率いる実力をもつ猿鬼たちの奇襲を受け、無事に済むとは思えない。


 最悪の場合、被害はそこで留まらない。今まさに、敵の総大将と戦っている王毅たちの下にまで、猿鬼たちの攻撃が届いてしまうかもしれない。

 そもそもここであの猿鬼たちを取り逃がせば、この山の妖たちはいつでも再起出来る状態になってしまう。

 戦力の中核を成せる部隊とその親玉を残してしまえば、山の狒々たちを討滅するというこの戦の目的が丸きりおじゃんになってしまうではないか。


 ここで猿鬼たちを取り逃がすわけにはいかない。

 木々が生い茂る山の中に逃がしてしまえば、追跡は困難になる。視界が通っているこの山の麓で、猿鬼たちの精鋭部隊を残さず倒すしかない。


 だが、出来るだろうか? 気力をほぼ使い果たした自分と、この上なく気を抜いてしまっている竹元軍のメンバーだけで、この妖たちを止められるだろうか?

 ……それでも、やるしかない。冬美たちがやらなければ多大なる被害が出る。この戦の意味がなくなる。ここまでに出た犠牲が全て、何の価値もない無駄死にになってしまうのだから。


 覚悟を決め、鞘から武神刀を引き抜く冬美。

 今、必死に戦っている仲間を守るために、彼女は緊張と恐怖を押し殺して、背後を急襲しようとする妖部隊に立ち向かおうと構えを取った。


 しかし、そんな冬美とは真逆に、突如として姿を現した猿鬼たちを見る竹元軍の面々は、まるで彼らを脅威として認識していないようだ。

 特に今まで景気よく狒々たちを斬り捨てていた一年生三人組は、まるでゲームのボスキャラが出現したかのように興奮して大騒ぎしている。


「なになに!? なんか強そうな奴らが出てきたんですけど!」


「ヤッベー!! こいつらって、武将的な奴じゃね? 倒したら手柄になるんじゃね!?」


「敵将、討ち取ったり~! ってか!? やべ、面白そう!」


「あなたたち! ふざけてないで、真面目にやりなさい! こいつら、今までの敵とは違うわよ!」


 どう見てもふざけているようにしか見えず、実際にその通りである三人組へと注意の叫びを向ける冬美。

 しかし、彼らはそんな冬美からの言葉に気を引き締めることはなく、むしろゲラゲラと面白そうに笑いながら軽い返事を口にする始末だ。


「大丈夫っすよ、七瀬先輩! 俺ら、英雄なんすから!」


「よ~し! それじゃあ、こいつらを誰が殺すかじゃんけんで決めようぜ!」


「ボスを倒したら大手柄でしょ! しかも七瀬先輩に格好いいところ見せられるんだから、気合入れないとな!」


 どこまでも遊び感覚の一年生たちに対して、冬美は頭を思い切り叩いてその目を覚まさせてやりたかった。

 しかし、彼らと自分との間に割り込むようにして入って来た猿鬼たちの軍勢によって分断され、声をかける以外のことが出来なくなっていたのである。


 周囲を取り囲む狒々たちと、それを率いる猿鬼。

 二体の猿鬼のうち、白色の体毛をした槍持ちの猿鬼と対峙する冬美は、疲れからかずっしりとした重みを感じる武神刀を構えながら一分の油断もなく相手を睨みつけていた。


(どうする? 私がこいつを相手するとして、もう一体はあの三人に任せられる? 残りの狒々たちは、竹元軍の奴らにも倒せる相手なの?)


 判断材料も、戦力も、少なすぎる。せめて大和国の武将や兵がいればその判断も任せられたのに、彼らは王毅たちの援護をするために先に行ってしまっていた。


 今、この場で判断を下すのは、戦力の中核を成すメンバーの一人である自分の役目だ。

 この先の戦場にいる味方たちの被害を承知で本陣に撤退し、援軍を求めるのか。それともこのままここで踏ん張り、敵を殲滅するのか。

 幾らクールな性格といえど、若干十六歳の少女である冬美にはその判断を下すにはあまりにも責任が重過ぎた。


 余計なプレッシャーは彼女をより消耗させ、焦りが冷静な思考を奪う。そうして、判断が出来ぬままにただいたずらに時を消費していた彼女の前で、一年生三人組が再び大騒ぎを始めた。


「げ~っ、負けた~! ちぇっ、あそこでグーを出してりゃなぁ……」


「手柄はヒムのものかよ、ざ~んねん!」


「へへへっ……! んじゃ、サクッとボスキャラ討伐といきますか! 冬美! 俺の格好いい姿、見てくれよな!」


 気を抜いている、というよりも完全にふざけている。

 自分たちが対峙している相手の力量など欠片も考えず、もはや勝つに決まっているといった気分のままに日村は戦いへと臨もうとしている。


 それがどんなに危険なことかも理解しようともせず、ただゲーム感覚で強そうな敵に挑もうとしている日村のことを誰も諫めようとしない。

 彼の友人である二人も、狒々たちの虐殺に飽きて猿鬼との一騎打ちを観戦しようと集まって来た他の竹内軍のメンバーも、これが遊びか何かだと思っているようにしか見えなかった。


「やあやあ、我こそは日村勝成まさなりなり! ……なんかギャグみて~、ダッサ! 一騎打ちっぽく決めようと思ったけど、もういいや。行くぞ、雑魚猿! とっとと終わらせてやるからな~!」


 格好つけた名乗りを途中で止め、武神刀を構えた日村が一直線に赤の猿鬼へと突っ込む。

 気力を放出し、身体能力を強化して、武神刀の切れ味も増強させて、一気に猿鬼との距離を詰めた日村は、その真正面に立つと、渾身の力で横薙ぎの一閃を放った。


「死ねぇっ!! クソ猿っ!!」


 ニヤついた笑みのまま、猿鬼の上半身と下半身を泣き別れさせるための一撃を繰り出す日村。

 これまで何体もの狒々たちを斬り捨ててきた己の一刀であれば、多少は強そうなこの敵でも難なく倒せるに違いないと、彼はそう本気で思い込んでいたのだが……。


「……は?」


 カキンッ、という金属音が響いた。同時に、手に伝わる鈍い感触に日村が茫然とした声を漏らす。

 この戦場で何度も感じた、肉を骨ごと断ち切る感触とは程遠い感覚。何かを斬った、という手応えがまるで感じられないその感触を覚えた彼の予想通りに、猿鬼はあっさりと繰り出された攻撃を防いでいた。


 その左腕に取り付けられた、金属製の籠手。猿鬼が倒した武士から奪った具足から鉄を剥ぎ、適当に括り付けただけの粗末な代物。

 だが、その防具と呼ぶにはあまりにも乱雑な具足は、猿鬼自身が持つ屈強な肉体と合わさることで十二分な防御力を有するようになっている。


 自分に対して繰り出された攻撃が勢いに乗る前に、この腕の防具で弾く。

 太く、硬く、そして強い腕を用いての弾き返し。自身の左腕を盾のように扱うことで敵の攻撃を防ぐ技術をこの猿鬼は身に着けているのだ。


 それは戦いの中で何度も繰り返された、猿鬼にとっては慣れ切った動き。当然、この後の動きもまたその体に染みついていた。

 目の前の、彼我の実力差にも気が付かずに自分に挑んできた愚か者は、渾身の一撃を弾かれたことで隙だらけの体勢になっている。


 今度はこちらの番だとばかりに右腕に握った金棒を振るい、日村が行ったように横薙ぎにそれを振るった猿鬼は、無防備な彼の頭を真横から打ち砕くようにして振り抜き、殴りつけた。


「がっ……!?」


 悲鳴など、叫びなど、日村は一切上げられなかった。

 頭の中で火花が散る。凄まじい衝撃が体を走り抜け、視界から色がどんどん失われていく。


 痛い、なんてもんじゃなかった。激痛などという言葉でも表し切れる痛みでもなかった。

 気力による身体強化と防御をも貫通する猿鬼の強烈な一撃を受けた日村の体は、地面にめり込むようにして滑りながら仲間たちの下へと転がっていく。

 その最中、地面を転がり、跳ねる日村の目には、ニヤけた軽薄な笑みを浮かべる仲間と、驚きに眼を見開いている元下働き組の面々の表情が、スローモーション映像のように見えていた。


 ずしゃりと、大きな音を立てて彼の体が仲間たちの下に転がり込む。

 土埃を上げ、それを吸い込んで咳き込む同級生たちは、事ここに至ってもまだお遊び半分といった様子で日村を揶揄う言葉を口にした。


「おいおい、何やってんだよ? 油断したか?」


「あんな余裕ぶっこいといてだっせえな~! 俺が代わってやろうか?」


 仲間が妖に手痛くやられる様を見たとしても、まだ彼らは危機感を覚えない。これまで英雄として崇め奉られ、自分たちには並外れた才能があることを告げられ、それを活かして狒々たちを殺めてきた経験が、彼らの心に傲慢ともいえる自信を植え付けていたのだ。

 自分たちは強くて、敵は弱い。戦いなんてものはこちらが相手を一方的に蹂躙するだけの、無双ゲームと変わらないものだと思い込み、慢心していた。


 だから今、日村の身に起きた出来事もちょっとした抵抗を食らっただけだと考えている。

 油断して、不意を突かれて、少しだけ雑魚に手古摺った程度。今にも日村は自分たちに対して悪態を突きながら立ち上がり、今度は本気で猿鬼に立ち向かうだろうと、浮ついた脳みそでそう考えながら土埃の中心部を見つめていた彼らの笑みが、徐々に凍り付いていった。


 もうもうと立ち上る茶色の煙が晴れた時、そこには彼らが想像していた光景は広がっていなかった。

 油断した自分に対する恥ずかしさから笑みを浮かべているか、生意気にも歯向かう猿鬼と自分たちの嘲笑に対して怒りの表情を浮かべているか、日村の反応はそのどちらかであろうと考えていた仲間たちは、そこに転がっている日村が無表情で口をぱくぱくと弱々しく開け閉めしているだけの反応しか出来ていないことを見て取り、一気に声を静める。


「だ、だすけ、て……」


 頭から、大量の血が流れている。

 喉から絞り出されている声から、普段の彼の快活さが感じられない。

 瞳には光が無く、自分たちの姿すら見えているかどうかすらが怪しいと思える彼の様子を目にした竹内軍の面々は、自分たちの目の前で起きている現実を受け入れるほどに、背筋に嫌な汗が流れていくことを感じ始めた。


「い、いだぃ、いだぃぃ……」


 自分たちへと手を伸ばし、苦悶の声を漏らして、助けを求める日村の姿。このまま放置すれば間違いなく頭からの出血で死んでしまうであろうその姿を見て、彼らは気が付く。

 これは、ゲームでもアニメでもなく、現実の出来事であるということを。

 自分たちが身を投じているんのは命を掛けた戦いであり、自分たちが絶対的な勝者とはなり得ないということを。


 ああして目の前で仲間が傷つき、倒れている姿を目の当たりにして、ようやく彼らの意識に現実味が帯び始めた。

 それと同時に今まで感じることなどなかった恐怖・・の感情がこみ上げ始め、彼らの心と体が一気に強張り出す。


 日村を助けなければならないと、頭ではわかっていた。

 しかし、ようやく認識し始めた戦いの恐怖によって体が硬直し、死にかけの仲間を前にして指一本すら動かせない状況に陥ってしまっている。


 瞳に涙を浮かべながら、頭から大量の血を流しながら、必死に這いずって自分たちの下へと向かう日村。

 しかし、戦場はそんな彼の弱さを許しはせず、日村と猿鬼の立ち合いを眺めていた狒々たちが、こぞって彼の下へと殺到し始めた。


「ウキキキキッ!! ウギッ!」


「ひっ!? や、やめっ、助け……ぎゃあぁっっ!!」


 折れた刀。粗末な棍棒。あるいは、自前の鋭い爪と牙。

 思い思いの武器を手に、戦う力を失った日村を取り囲んだ狒々たちは、邪悪な笑みを浮かべるとそれを動けない彼へと繰り出す。


「ヒヒヒヒヒヒッ! ヒヒヒヒヒヒヒッッ!!」


「あぎっ! ぎぃっ! だ、だず、だずげでぇぇっ!」


 狂ったような、狒々の笑い声。それに紛れて聞こえる、日村の悲鳴。

 唇が捲れる程の笑い声を上げ、この戦場で彼がしてきたように楽しくてしょうがないとばかりに狒々たちが日村へとトドメを繰り出す。


 血飛沫が、肉片が、飛び散った。

 仲間たちの無念を晴らすためか、もしくは元来の悪辣さ故か、狒々たちはギリギリまで日村を殺さずに痛みを味わわせている。


 その痛みに耐え切れず悲鳴を上げていた日村の声が、段々と小さくなる。だが、それに反して、彼の声の悲痛さは増していく。

 最期の瞬間に響いた日村の悲鳴を、彼を嬲り殺した狒々たちの様子を、竹元軍の面々は一生忘れることはないだろう。自分たちの目の前で仲間が殺され、それに対して何も出来なかったという事実は、彼らの心を縛り続けるのだ。


「ひ、ひぃぃぃぃっ!!」


 しかして、今の彼らにそんなことを考えている余裕はなかった。

 自身の本能を駆り立てる恐怖の感情のままに、ただ叫びを上げながら我先にと逃げ出す竹元軍の面々の背に向け、狒々たちの嘲笑が響く。


 ここで自分たちが退いたら、この先にいる仲間たちが背後を突かれるだとか、狒々たちは全て倒さなければならないだとか、そんな考えは彼らの頭の中にはなかった。

 死にたくない……彼らの想いは皆同じ。目の前で日村が狒々たちに嬲り殺される様を見て、ようやく自分たちが命を掛けた勝負に臨んでいることを自覚した面々は、今まで感じていなかった死への恐怖を呼び起こされてパニックになっている。


 逃げる、逃げる、逃げる。本陣へと、自分たちにとっての安全地帯へと、一目散に逃げ出していく。

 戦況もこの先の展開も関係ない。自分の身だけが可愛いとばかりに多数の者が戦いを放棄して逃亡する中、冬美はそんな彼らを援護するように武神刀を振るっていた。


「くっ、はっ!!」


 なけなしの気力を奮わせ、消耗激しい体力を絞り出して、狒々たちの相手を務める冬美。

 日村を助けられなかったことと、自分が指揮を取れなかったばかりに最悪の状況を招いてしまったことに罪悪感を抱く彼女は、懸命に狒々たちを斬り捨て、少しでも時間を稼ごうとしていた。


 もしかしたら、本陣の部隊がこの異変に気が付いているかもしれない。王毅たちが総大将を倒して、こちらに戻ってくる可能性だって十分にある。今逃げ出した竹元軍の男子たちが後続部隊にこの事態を伝えれば、救援だって来るはずだ。

 だが、しかし……それまで、どれくらいの時間がかかるだろう? それまでの間、自分一人で戦線を支えられるだろうか?

 精鋭の狒々たちと、彼らとは段違いの実力を持つ二体の猿鬼。これを同時に相手して、自分はどれだけ持ち堪えられる?

 

 そんな孤立無援の状況の中で、それでも希望を捨てずに戦いを続ける冬美は、頭の中に浮かぶ悪い考えを全て消し去り、全身全霊を以て武神刀を振るい続けた。

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