身請け金を稼げ
「……くそっ、駄目だ。こんなんじゃ間に合わねえ……!!」
輝夜の街に掲示されている求職情報が載せられた高札を確認していた燈は、そこに望む内容の仕事がないことに小さく舌打ちしてからその場を離れる。
時代劇や大河ドラマでよく見られる、江戸時代の町そのものといった舞台を歩く彼の顔は何処か浮かないままで、苛立ちと焦りを感じていることは明らかだ。
「くそっ、やっぱ普通にやってちゃ間に合うはずがねえよな……」
独り言を呟き、次の掲示場へと移動しながら、燈は自分に与えられた残り時間と所持金を計算し直していた。
昨日の夜から何度も行われたその行為は、その時とまったく変わらない結果を彼へと再確認させるに至る。
「残り十日で四十両……一日あたり、四両のペースで稼がなきゃ間に合わねえ……」
先程確認した掲示板に書かれていた日給と自分が必要としている金額を照らし合わせた燈は、がっくりと肩を落として溜息をついた。
さりとて、ここで凹んでいる時間すらも惜しいと思い直した彼は、少しだけ歩みの速さを上げると、兎に角行動だとばかりに体を動かし続ける。
「金、金、金……! 金を稼げるいい仕事はないか~!?」
ギラギラと瞳を輝かせ、血眼になって金を追い求める燈は、元々の強面も相まって非常に恐ろし気な風貌に見えている。彼の姿を見た町人は、誰も彼もが体を震わせて道を開けるくらいだ。
しかし、彼がここまで必死になって金と職を欲しがるのには理由があった。大方の予想はつくだろうが、こころを自由にするのに必要だからだ。
かつての級友であった彼女と『黒揚羽』で再会し、遊女になっていた彼女をどうにか自由の身にしたいと思った燈は、蒼も交えて改めて店の主人と話し合いの席を設けた。
そこで多少の端折りを入れながらもこころの境遇を語り、自分との関係を主人へと話した燈は、都合がいい頼みであるとは理解しながらも、彼女を自由にすることが出来ないかと尋ねてみたのである。
燈は当然、この申し出は断られると思っていた。
普通に考えて、こころを購入した時点で『黒揚羽』の主人は相応の金額を動かしている。彼女を今日まで育て、面倒を見て、遊女として仕上げるのにも手間がかかっただろう。
主人からしてみれば、これからが本番。今までこころのために使った金を回収するために、彼女には身を粉にして働いてもらわなければならないと考えているはずだ。そのタイミングで、たとえ息子の命の恩人からの申し出であろうとも、彼女を自由にして欲しいだなんて頼みをほいほいと聞くはずがない。
それを理解していながらも彼女を助けることを諦められなかった燈は、この話し合いを通じて何か交渉の余地を見つけ出そうと考えていた。
一見、無謀な申し出だとしても、向こうが少しでも温情を見せてくれたならばそこを突く。可能性が小指の先ほどでも見つけられたならば、こころを自由にするために何だってしてやろうと考えた燈であったが、意外なことにその余地をすんなりと見つけることが出来たのだ。
「つまり、お侍さまは心を身請けしたいということですね? よござんしょ。息子の恩人の頼みとあれば、この『黒揚羽』を預かる者として相応の気概を見せねばなりません。奥で金額を計算してくるので、少々お待ちを」
そう、あっさりと申し出を受けた主人のことを、燈はぽかんとした表情で見つめたことを覚えている。
そのままいそいそと店の奥に引っ込んだ彼を視線で追い、何がどうなっているのかと困惑する燈であったが、蒼の詳しい解説を受けて事態を飲み込むことが出来た。
遊郭にある店、
それこそが先ほど『黒揚羽』の主人が口にした、身請けである。
身請けというのは、揚屋を訪れた客が店に提示された金額を支払うことで、指定した遊女を自分のものとして買い取る行為を指す。
分かりやすくいえば、客が行う遊女に対してのプロポーズのようなものだ。
文字通り、その女性の一生を買う行為である身請けには、相当な高値がついている。
遊女の若さ、人気度、そこまでかかった経費等を踏まえて算出される金額ではあるが、人間一人分の金額がそうそう安いものであるはずがない。
どう考えても数千両はかかるから、絶対に無理だと焦った顔で燈に告げた蒼であったが……そんな彼にも予想が出来なかった、第二の驚きが燈たちを襲う。
なんと、『黒揚羽』の主人が算出したこころの値段は、たった五十両という破格の値段だったのだ。
どう考えても、こころを商人から買うために使った金額を下回っているであろうその値段に対してあんぐりと口を開ける二人に対して、主人は追加で条件をつけてきた。それこそが、十日というタイムリミットである。
これから十日間、『黒揚羽』はこころに休みを取らせる。彼女が再び座敷に上がる前に燈たちが五十両を用意出来たならば、その時点で彼女の身請けが成立して、晴れてこころは自由の身となるわけだ。
だが、もしも期限が過ぎても燈たちが金を用意出来なかった場合は、この話はなかったことになる。その場合はこころは遊女として普通に客を取り、この店で人生の大半を過ごすことになるのだろう。
五十両という金額がどれほどのものかわからなかった燈であったが、紛れもなくこれがこころを助け出せる最初で最後のチャンスであると判断した彼は、一も二もなくその条件を飲んだ。
有難いことに、『黒揚羽』の主人は十日の間の住処として店の一角を貸してくれただけではなく、休みを与えたこころに二人の身の回りの世話を命じてもくれたのである。
ここまで自分たちを厚遇してくれる店の主人に対して、若干の疑念を抱かないわけでもない。
いくら跡取り息子の命の恩人だからといって、ここまでするのは商人としての道理を踏み外している。儲け度外視どころか、これでは進んで損失を被りにいっているではないか。
こんなことをしても、主人にメリットは無い。何か思惑があるにしても、やはりこれはやりすぎではないだろうか。
だから燈は、彼のこの行いを自分たちだけではなく、こころに対する主人からの温情として考えていた。
もしかしたら、燈の話を聞いた『黒揚羽』の主人は、別の世界の住人であるこころが仲間に裏切られた挙句、自分に買われて遊女として働くことになってしまったことを憐れんだのかもしれない。
他の遊女たちも様々な事情を抱えているが、別世界の人間でありながらここに流れ着いてしまったのはこころただ一人だ。
大和国側から無理矢理に呼び寄せられ、今までの生活や家族から引き剥がされた末に訪れた結末が遊女としての一生というのは、いくら何でも不幸が過ぎる。そんなこころの境遇に、商人ではなく、人間としての彼の心が動かされたのではないだろうか?
明確な答えはわからない。知る由もない。こんなのはただの燈の妄想で、真実は全く違うのかもしれない。
それでも、もしかしたらそうであるかもしれないという思いを、燈は抱いていた。
もしかしたら、『黒揚羽』の主人は人情に篤い、優しい人間なのかもしれない。
もしかしたら、彼は前々からこころのことを不憫に思っていたのかもしれない。
もしかしたら、この店で過ごすこころの姿から、彼だけではなく他の遊女たちも何かを感じ取り、彼女に好感を抱いていたのかもしれない。
主人も、他の遊女たちも、こころに何か自分とは違うものを感じ取っていた。彼女はここにいるべきではない存在であるということを、なんとなく理解していたのかもしれない。
だから、何か機会があれば、それを名目に彼女をここから追い出そうと考えていた。そして、その機会を燈が持ってきたことをこれ幸いにと、彼女を自分たちの世界から遠ざけようとしているのかもしれない。
五十両という、決して安くはないが人間一人の価値としてはあまりにも破格なその値段も、燈への試練であると考えれば納得がいった。
燈には、こころの一生を背負う覚悟があるのか? それだけの根性があるのか? ということを、彼らは試しているのだ。
それなりの金額を稼ぐだけの能力がなければ、ここでこころを身請けしてもすぐに生活に困窮するだろう。口から出まかせを言ってこころを貰い受けようとしている不届き者ならば、そもそも彼女のために五十両という金額を稼ごうとするはずもないし、得たとしても自分のために使うはずだ。
燈がこころを預けるに値する男かどうか、彼らは試している……そう思えば主人の不可解な行動にも納得出来るし、何より燈自身がそうであると信じたかった。
この大和国に来てからずっと、燈は何者かの悪意に晒され続けてきた。
こちらの事情などお構いなしに戦いを強いる大和国の幕府。燈に気力が存在していないと勘違いした瞬間から見下してきたクラスメイトたち。そして、燈を奈落の底に突き落とした順平と、その手助けをした彼の取り巻きたち。
人間の醜さを、恐ろしさを、燈はこの一か月で嫌という程味わった。だがしかし、だからこそ人間の持つ善の部分が光り輝いて見えるようになったのだ。
自分を拾い、育ててくれた宗正。共に切磋琢磨し、親友といっても差し支えない関係性を築いた蒼。下働き組の苦しい生活の中で、自分を慕い、尊敬してくれた正弘。
そういった人々の、優しさと温もりが身に染みて実感出来た。人は醜い部分も持つが、決してそれだけではないと信じることが出来た。
だから、都合の良い妄想だとは思いながらも、燈は『黒揚羽』の主人たちがこころを思いやってくれていることを信じている。
商人としての道理に反しようとも、儲けなど度外視しようとも、運命に翻弄される一人の人間を助けてやりたいと彼らが考えていてくれるのだと、そう信じていた。
そんな彼らが自分に出した課題が五十両を稼ぐということならば、やってみせるしかない。
燈は彼らの期待に応え、必要な金を稼いでくる。『黒揚羽』の主人は、燈から金を受け取ることで彼を信用し、こころを預ける。
この身請けは、ただこころを助けるだけのものではない。燈と『黒揚羽』の主人とが、お互いに信じあうために必要な儀式でもある。
お互いがお互いのすべきことを成し、最後にこころを笑顔にすることが出来たのならば、そこには五十両という金額よりももっと価値のある何かが生み出されることになるはずだと、燈は信じ続けていた。
(そのためにも、金を稼がなくちゃな。五十両、やっぱ大金だぜ)
大和国の貨幣は高い順から
それだけ見てもいまいち五十両という金額の高さは伝わりにくいが、燈が今まで確認した日当の中での最高値が千文であるという情報を付け加えると少しは想像がしやすくなるかもしれない。
日雇いとして働いた場合、この輝夜で五十両を稼ぐためには、最低でも五百日は働かなければならないということだ。
幸いなことに、燈たちの手元には宗正が持たせてくれた軍資金の十両がある。また、食事や宿の面倒は『黒揚羽』の主人が見てくれるため、滞在費等を使う必要もない。
つまりは五十両から引くことの十両、残り四十両を十日で稼げばいいのだ。
こうあっさりといってはいるが、その難易度はかなりのものである。
先に挙げた日当が千文の仕事にしても、大工という技術が必要な内容だ。誰にでも出来る仕事となると、当然ながら賃金は安くなってしまう。
最高効率でも一年以上はかかってしまう資金調達をどうクリアするか? その答えを見つけられないまま、それでも燈は行動を続ける。
なんにしたって、動かなければ始まらない。
こころのために、自分の正しいと思った行いを成就させるために、燈は金を稼ぐ方法を探して、輝夜の街を練り歩き続けた。
だがしかし、そう簡単に目標金額を稼げる仕事が見つかるわけがない。
輝夜にある高札の掲示場を次々と回っても、繁華街にある店の求人情報を探っても、十日で五十両という大金を稼げるような仕事は一切見当たらない。せいぜいがその十分の一である、五両稼ぐので精一杯だ。
半日かけ、輝夜の街を徹底的に探った燈であったが、どこにも彼が望むような仕事は見つからなかった。
額に汗を流し、靴を土で汚しながら、懸命に仕事探しをするも、やはり常識的に考えてこれだけの大金を一気に得られる仕事などがあろうはずもない。
流石に疲弊し、見かけた橋の欄干に背を預けて休息を取っていた燈は、疲労感と焦燥感から深い溜息を吐いた。
このままでは何も出来ずに一日が終わってしまう。五十両を稼ぐ足掛かりすら見つけられず、貴重な時間をただただ費やしているだけだ。
しかして、遮二無二動いても目標に到達出来ないことは、仕事探しで動き回ったことで十分に理解出来た。
普通に働いたとしても、たった十日で目標の金額を得ることは出来ない。であるならば、普通ではない何かで金を稼がなければならないだろう。
では、その普通ではない方法とは何なのか……? 顎に手を当て、懸命に金策を考える燈。そんな彼に、不意に声をかける者がいた。
「やあやあ、そこの兄さん! まだ若いけど、腰に武神刀を下げてるってことは一端の武士みたいだな! あんたもあれかい? ここらで一旗揚げるために、輝夜を訪れた口かい?」
「あん……?」
そう、燈に話しかけてきたのは、頭巾を被った飄々とした小男だった。
如何にもなお調子者というか、太鼓持ちといった雰囲気のその男の声に反応し、低い唸り声と共に燈が視線を向けてみれば、その凶悪な人相に気圧されたのか、男の顔が一瞬だけ引き攣った。
しかし、すぐさま調子のいい笑みを取り戻したその男は、大量に持っている瓦版を燈に手渡しながらなおも話を続ける。
「なんだい、知らないのかい? これこれ、こいつだよ!」
男が渡してきた瓦版を読んでみれば、そこにはでかでかとした朱文字で『強者、求ム!』という見出し文字が躍っていた。
何かの募集であることをぼんやりと感じ取った燈は、そのまま瓦版の続きを読み続け……そこに書かれている文字を目にし、血相を変える。
「報酬、最低五両。手柄によってはそこから更に上乗せあり……!? おっちゃん! これ、どういうことだ!?」
「どういうこともなにも、そこに全部書かれてるだろうよ。近々、妖どもと大戦をするから、そのための手勢を集めてるのさ」
男からの軽い解説を受けた燈は、鼻息も荒くその瓦版を読み進める。
そこには男の言った通りの内容として、輝夜の近くに生息する妖と戦うための兵士を募集するとの記載があった。
戦に出陣し、無事に生きて帰ってこられた者には無条件で五両。そこから更に手柄に応じて報酬を与えるという論功行賞の制度も確認した燈は、顔を上げると男へと詰め寄るようにして質問を投げかける。
「おっちゃん! これ、参加したい時にはどうすりゃいいんだ!?」
「おっ!? やる気になったか? そんじゃ、明日にでもこの先にある仮本部に来て、手続きをしてくれ。一人でも構わないが、仲間がいるならもっと有難い。今は一人でも多くの人間が欲しいからな」
俄然、やる気を見せる燈に手続きを行う会場を指さして教えた男は、最後にニヤリと笑うと耳元で小さく呟くようにして、こう言った。
「……兄さん、あんたはツイてるぜ。なにせ、この戦には異世界から来た英雄様たちも参戦するって話だ。一人一人が化物級に強い英雄様が一緒に戦ってくれるんだ、犬死することもありゃしねえよ。何もしなくても五両。上手く行きゃあ、それ以上の金と地位まで手に入るかもな、ガハハハハ!!」
「……!?」
ビクッと、燈の体が震える。
上機嫌で語った男は、それだけ言い終えるとさっさとその場を離れてしまったから気が付かなかったが、彼の言葉を受けた燈の表情は一気に険しいものへと変化していた。
「異世界から来た英雄……って、学校の奴らのことだよな? あいつらもこの戦に参加するだって……?」
大和国に来てから一か月以上の時が過ぎた。彼らもまた、その間に相応の実力をつけているのだろう。
王毅や正弘、そして自分を奈落に叩き落した憎き順平の顔を思い浮かべた燈は、男から貰った瓦版を強く握りながら小さく首を振る。
「いや、このチャンスを逃すわけにはいかねえ。椿の奴を助けるためにも、この戦に参加するのは決定だ」
参加するだけで五両、手柄を立てればそれ以上の報酬が貰える。
普通にしていては届かない五十両という目標に辿りつくためには、この危険な橋を渡るしかない。
勿論、不安もある。
初陣は済ませたとはいえ、髑髏という最下級の妖としか戦ったことのない燈が、大規模な戦で活躍出来るのか?
かつての仲間たちと顔を合わせた時、死んだはずの自分がどうして生きているのかを追及されないか?
そうなった時、順平の悪事をバラしてしまっても平気なのか? そのせいで、学校側に不利益な事態が起きたりしないか?
不安は山積みで、どうすべきかも答えが出ない。それでも、こころを助けるためには、この戦いに参加するしかないのだ。
「……取り敢えず、帰って蒼に相談してみるか。学校の奴らとのことも、どうするか決めなくちゃな」
瓦版と一筋の希望、そして大いなる不安を手に、黒揚羽へと戻る燈。
それでも、彼の心は初めて体験する《|・戦》という熱い戦いに際して、大きく奮い立つのであった。
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