初陣とまさかの再会


 命を懸けた戦いの中、最初に動いたのは蒼だ。

 張り詰める緊迫感とは真逆の軽やかな動きで自分の近くにいた髑髏を蹴り飛ばし、もう一体との距離を空ける。

 二体の妖たちに連携を取らせぬための一手を打った彼は、自分が蹴り飛ばした髑髏と対峙しながらちらりと燈の方を見やった。


「……!!」


 その視線を受けた燈は、蒼がお互いに一体ずつ髑髏を受け持とうとしていることを理解する。

 同数での戦いならば、一対一を二つ作るよりも連携を取って一緒に戦った方が利口な選択肢かもしれない。

 だが、この戦いが自分たちにとって初陣であることと、蒼がその先についての考えを巡らせていることを悟った燈は、彼の考えに素直に従うことにした。


(これから先、いつだって蒼が一緒にいてくれるわけじゃねえ。最強の武士団を作るっつーんなら、この程度の敵は一人で倒せなきゃ話にならねんだよ!)


 本能のままに動く髑髏には、思考能力はない。やせ細った骨だけの彼らには俊敏性も筋力もなく、更には武器すら持っていない有様だ。

 全ての状況と能力値は、燈の方に軍配が上がっている。順当に戦えば、絶対に勝てるはず。


 ただ一つの不安要素は、燈がまだ実戦を経験していないことだけ。命を懸けた戦いに身を投じたことがないという一点だけが、今の燈のウイークポイントだろう。


 この髑髏という敵との戦いは、その弱点を克服するための絶好の機会……ゲームでいう、チュートリアルステージのようなものだ。

 今までの修行の成果を発揮し、武神刀の使い方を実践を通じて確認しながら、戦いの空気を経験する。誰の力も頼らず、燈一人だけの力でこの戦いに勝利出来たならば、それは彼の大きな糧となるはずだ。


 これから先、武士団の一員として活動するのなら、必ず一人で戦わなければならない場面が出て来る。

 そういった状況に対応出来なければ、一生自分はお荷物のままだと考えた燈は、自分でも驚くくらいの冷静さで残る一体の髑髏と向き合った。


(落ち着け、落ち着け……! 攻撃範囲も威力も、刀を持ってる俺の方が上だ。『紅龍』に気力を込めて、邪気を祓ってやるだけでいいんだ……!)


 ピリピリと肌を痺れさせる緊張感を味わいながら、真っ直ぐに髑髏を見つめる燈。

 心に押し潰すような重圧を感じながらも全身に気力を充満させた彼は、愛刀である『紅龍』の刃が赤熱する、適切な量を狙って武神刀へと気力を注ぎ込んだ。


 グオン、と燃料を注がれたエンジンが駆動し始めたかのような、不思議な感覚が柄を握る手を通じて伝わる。

 思い描いた通りの気力調節を見せた燈の眼前には、燃え盛る炎を思わせる紅の色に染まった『紅龍』の姿があった。


「よし、上手くいった……! 後は、こいつを喰らわせりゃあ!」


 武神刀に気力が満ちた。後は、斬撃を介してこれを髑髏へと注ぎ込み、妖の邪気を断つだけでいい。

 殺すのではなく、祓うのだ。肉を斬る必要もなければ、血を浴びる可能性もない。敵は元より白骨死体。死者なのだから。

 そういった、人外の存在を相手しているという実感と、殺すのではなく救うのだという思いもまた、燈の感じている重圧を軽くする手助けをしてくれている。

 肉体的な疲労はない。心理的な疲弊もほぼなく、程良い緊張感へと心を静まらせる。


「……行くぜ」


 小さく、相対する髑髏に向けてそう呟いた燈は、両脚に気力を込めて前に飛び出す脚力を高めた。

 それとは反対に上半身からは力を抜き、余計な硬さを取った絶妙な力加減を以て、敵との距離を瞬時に縮める。


 距離を詰めるための時間は最短で、刀を先行させずに足から前に出す。

 宗正の教えのままに動き、たった一歩で武神刀の間合いへと髑髏を捉えた燈は、踏み込みながら髑髏の頭蓋骨の額の高さまで上げた『紅龍』を、ぴたりと静止させる。


 踏み込み。腕の動き。気力の充填量。全てがこれ以上ない、最高のものであった。

 振り上げた刀を打ち下ろす瞬間、燈の胸中にあったのは、妖の邪気に憑りつかれた名も知らぬ人への哀悼の想い……どうか、安らかに眠ってほしいと願いながら、前に出した右足が地面に触れたその瞬間、踏み込みの勢いをそのままに赤熱した『紅龍』の刃が、髑髏の頭蓋骨を斬り裂く。


 思ったよりも軽く、そして鈍い感覚でもあった。

 人骨を斬った感触よりも、長い間そこに充満していた濁った空気を押し流したような、汚れ切った何かを祓った感覚と共にその中にあった何かが解き放ったかのような、そんな心理的な感覚を強く感じた燈は、それこそが邪気を祓った感覚であることと、髑髏の中に封じ込められていた魂の解放が成ったことを理解する。


 バキンと、乾いた音が鳴った。燈の面打ちを受け、髑髏の頭蓋骨が砕けた音だ。

 同時にガラガラと音を響かせ、燈が相対していた髑髏の体が崩れ落ちる。先ほど見た、操り人形の糸が全て断ち切られたような、もう二度とこの亡骸は立ち上がらないだろうという確信を胸にした燈は、徐々に息を荒げながら自分が勝利した実感を味わっていた。


「勝ったんだよな? 俺、こいつに……」


「ああ、そうさ。燈、君は一人で妖に勝った。君がこの人たちを救ったんだ」


「っっ……!!」


 独り言として呟いた声に反応した蒼の方向へと弾けるように振り返り、彼が手にしている骸骨たちへと視線を下す。

 たかだか一か月程度しか修行をしていない自分にも勝てた相手だ、宗正の下で長い間訓練を重ねてきた蒼が負けるはずがない。頭ではそうわかっているが、こうして無事であることを確認すると、やはり安堵してしまう。


 そんな風に、戦いが何事もなく終わりを迎えたことを喜ぶ燈に向け、小さく笑みを浮かべながら頷いた蒼は、抱えていた亡骸たちをそっと地面に下すと、燈と髑髏に追いかけられていた男に向け、口を開く。


「まだ終わりじゃない。もう二度と妖たちの邪気に当てられないように、僕たちでしっかりと弔ってあげよう。この方々を埋葬するための穴を掘りたいので、申し訳ないのですが手伝っていただけますが?」


「え、ええ、お安い御用です! こんな風に妖にご遺体を利用されるだなんて、この方たちも真っ平御免でしょう。墓も何もありませんが、我々で出来る限りしっかりと弔ってあげようじゃありませんか」


「ありがとうございます。それじゃあ燈、僕たちも動こうか」


「お、おう、そうだな」


 助けた男と共に、髑髏の亡骸を埋葬する支度を始める蒼。

 燈はそんな二人から視線を外すと、今しがた自分が斬って捨てた亡骸たちに向け、静かに手を合わせた。


「……大したことは出来ねえけど、ゆっくり眠ってくれ。あんたたちが安らかに眠れるよう、心の底から祈らせてもらうから」


 かつては人として生き、命あった存在に対しての手向けの言葉を口にしながら、燈は改めて彼らの安寧を祈り、蒼たちと共に遺体の埋葬を進めるのであった。




――――――――――






――――――――――


「さあさあ! じゃんじゃん料理を持って来ないか! お客人を退屈させるなよ!」


「若旦那の命の恩人様たちだ、失礼のないようにするんだぞ!!」


 豪華な更に盛られた、これまた豪華な料理と広い御座敷で舞い踊る美しい女性たち。

 ぺんぺんと三味線の音が部屋に響けば、調子のいい音頭と共に遊女たちが華麗な踊りを見せる。左右に控える美女たちも、燈の杯が空になればすぐさま代わりの飲み物を注いでくれるという至れり尽くせりの対応だ。


 この大和国に来てからの生活からは考えられない豪勢な一時。

 元の世界でも裕福な生活をしていたわけではないが、学校内では下働き組として最低の扱いを受け、宗正に弟子入りしてからは山奥で質素な暮らしをしていた燈にとって、今のこの宴会は正に夢物語だ。


 ふと気が付けば、浦島太郎のように老人にでもなってしまっているのではないかと思いながら、慣れない接待にぎこちない反応を見せる。

 杯に高級そうなお茶を注いでくれた美女からの熱っぽい視線に心臓をドギマギさせていた燈であったが、いそいそと自分の元に歩み寄ってきた男性から声をかけられ、やや緊張しながら彼に応えた。


「どうですか、お侍さま。何かお申し付けがございましたら、遠慮なく仰ってください」


「いや、ここまで至れり尽くせりだと逆に申し訳ねえよ。こんな風にもてなさなくってもいいんだぜ?」


「そうですよ。僕たちはたまたまあの場所を通りがかって、偶然人助けをしただけですし……」


「それでも、お侍さまたちが私めの一人息子を助けてくださったことに変わりはありません。この輝夜でも有数の揚屋『黒揚羽』の店主として、跡継ぎを助けてくださった方々に失礼な真似をしたとあっては、店の名が落ちます。我々の感謝の気持ちとして、どうぞごゆるりとお楽しみくださいませ」


「あぁん、まあ、悪い気はしねえし、ありがたいんだけどよ……やっぱこう、落ち着かねえよなぁ」


 食事も芸も超が付くほどの一級品。宴会を開いている場所も豪華絢爛な会場で、しかもこれが燈と蒼をもてなすためだけに行われているとくれば、まだ年若い青年である彼らが申し訳なさというか、本当にいいのかという思いを抱いてしまうのも当然の話だろう。

 燈も蒼も、自分たちが経験したことのない煌びやかな世界に気後れしてしまっている。しかして、これはこの店の店主からの厚意であり、自分たちへの感謝の証であると思えば、無為に拒むのも憚られた。


(まさか、助けた奴が輝夜にある老舗の一人息子だったとはな……お陰で遊郭もすんなり紹介してもらえたし、今晩の宿や食事にもありつけたけど、こう派手派手しいとやっぱ落ち着かねえよ……)


 棚から牡丹餅とは正にこのことだろう。

 髑髏にされた人々の亡骸を埋葬し、再び輝夜を目指して旅を再開した二人は、彼もまた同じ目的地を目指していることを知った。

 ならば一緒に行こうかという話になり、お互いに自己紹介をして、道すがらの世間話として軽く目的をぼかしながら(輝夜の遊郭に行くことは喋ったが、童貞卒業が目的だとは勿論言えなかった)話した結果、それならばお礼も兼ねてうちの店に来てくださいと話がとんとん拍子に進み……気が付けば、この状態というわけだ。


 人助けをして感謝されるのは気持ちがいいが、ここまで大袈裟だと流石にちょっと引く。

 されど、向こうからしてみれば自分と蒼は大事な大事な跡継ぎの命の恩人なわけだし、雰囲気的に家督とかを大事にしていそうな大和国の人々からすると、これはとんでもない大恩があるということになるかもしれない。

 だとしたら、このもてなしも決して行き過ぎているわけでもないのか……? などと心の中で燈が考えを巡らせる中、好々爺といった雰囲気の主人が、ニマニマといやらしい笑みを浮かべながら二人にこう話を切り出した。


「それで、お二人も輝夜を目指してきたとあれば、当然目的は夜のチャンバラということですな? そちらに関しても私にお任せください。手練手管の熟練の美女から、まだ初々しさを残す新参まで、お好みの遊女をご紹介させていただきましょう!」


「あ、いや、そ、そうなんですけど……僕たち、あんまりそういったことに詳しくなくて……」


「そうなのですか? しかし、その若さで武神刀を操り、妖をいとも容易く斬って捨てたお二人です。きっとすぐに夜の方も大剣豪になれますとも! お節介かもしれませんが、つい最近仕入れたばかりの若い遊女がおります。お二人とも歳が近そうですし、ここに呼び寄せておりますので、お気に召しましたら今晩のお供にでも……!」


 あの若旦那、要らないところにまで気を回しやがって……と思いつつ、こちらから話を切り出すよりかは気が楽かと、燈は即座に考えを正反対に切り替えた。

 髑髏との戦いやら遺体の埋葬やらで忘れていたが、元々の目的はこれだったのだ。目的を達成するならば早い方がいいし、それが安く済むならばそれに越したことはない。おまけに相手が美人であればなお良しである。


 宴会場で踊っているあの遊女も、楽器を演奏しているあの遊女も、もしかしたら自分の初めての相手になる可能性がある。

 そう考えると妙に気が昂ってしまい、そわそわと今までとは別の意味で落ち着かない気分になった燈は、組んでいる足の指をせわしなく動かし続けるようになっていた。


「お待たせしました、旦那様」


「おお、おお! お二方、これが話しておりました新人です。ほれ、お前もしっかり挨拶せんか」


「はい……お初にお目にかかります。私、美里と申し――」


 燈がぼーっと座敷内を見回している間に呼び寄せられていた遊女が、店の主人に促されて顔を上げる。

 恭しく頭を下げた体勢からゆっくりと正面へと顔を上げた彼女は、静かに自己紹介の言葉を口にしていたのだが、燈の顔を見た瞬間、何かに驚いたように眼を見開くと、言葉を失ってしまった。


「あ、あ、あ……?」


「お、おい、どうした? 何かあったのか?」


 驚愕の色に染まった遊女の表情を見た主人が、すわ何事かと慌てて彼女へと声をかける。

 普通にしていれば十分に可愛く、そして優し気に見えるその遊女であったが、今は驚きの感情を顔いっぱいに映しているせいでその美貌も台無しになっているなと考えた燈は、そこでとあることに気が付いた。


(……なんか、見覚えがないか? この顔、どっかで……?)


 座敷に上がる遊女としての化粧をしているせいで気が付かなかったが、よくよく見てみればこの少女には見覚えがある。

 そんなことはあり得ないと思いながらも、絶対に見覚えのある顔だという確信が心の中に芽生えた燈は、彼女が誰であったかを必死に思い出そうとした。


(いや、でも、待てよ? この大和国の人間の中で、見知った顔の奴なんているわけないよな。ってことは、こいつは俺が元々住んでた世界の人間ってことで、となると俺と一緒に転移してきた誰かってことになるんだが……)


 正直な話、燈は友人が多くはない。

 クラスメイトたちと関わることも少ない彼が他クラスの生徒たちと関わるはずもなく、当然ながらそんな燈には女子の知り合いというもの自体が存在していなかった。


 だから、この少女の名前や顔もきちんと覚えられていないのだろう。

 向こうは不良生徒として名高い燈のことを知っているが、燈はそうではない。正弘の時と同じパターンだなと考えた彼は、そこで妙な引っ掛かりを感じる。

 暫しその引っ掛かりについて考えを巡らせた彼は、その正体に思い至ると共に大きく目を見開き、驚きと共に彼女の顔を見つめた。


「そうだ! お前は確か、あの時の……!!」


「やっぱり、虎藤くん、だよね? 生きて、たんだね……」


 遊女としての丁寧な口調から一転、年相応の女子らしい言葉遣いに戻った彼女の顔を見つめ、数奇な再会に驚きを隠せない燈。

 そうだ。彼女と出会ったのは、下働き組として冷遇されていたあの日々でのことだった。

 ほんの一瞬だけの関わり、交わした言葉も多くはない。だが、あの日の出来事はありありと燈の脳裏に焼き付いている。


 この遊女の正体は、月夜の晩に下級生たちに脅されていたあの少女だ。

 燈を奈落の底に突き落とす手伝いをしたあの三人組と出会うきっかけとなった出来事をはっきりと覚えているから、その時に見た彼女の顔も同じく記憶している。


 だが、どうして彼女がここにいる? 学校で下働き組として活動しているはずの彼女が、どうしてこんなところで遊女をやっているというのだ?

 

「す、すまねえ、ご主人。少し別の部屋を貸してくれないか? こいつと二人きりで話がしたいんだ」


「は、はあ。何やら私共では想像もつかぬ、複雑な事情があるようで……承知いたしました。こちらの部屋へ、どうぞ」


「ありがとう。……お、おい、色々と驚いてるところ悪いんだが、俺もお前の事情ってもんを知りたいんだ。お互いに話をして、これまでの出来事を教えてくれよ」


 少女に対して出来る限り優しく声をかけた燈は、彼女が小さく頷きを見せたことに今日一番の安堵を覚える。

 そして、彼女と共に奥の部屋に通され、そこで詳しい事情を彼女の口から聞き始めた。



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