天元三刀匠・宗正
「ん、んん……っ」
ごうごう、ぱちぱちという音がする。
気怠さに包まれながらゆっくりと目を覚ました燈は、開いた瞳で見覚えのない天井を見て取ると小さく呟いた。
「ここは……? 俺は、どうなった……?」
「目ぇ覚ましたか、坊主」
「えっ!?」
誰に対して言ったわけでもない自分の言葉に対して反応があったことに驚いた燈は、そこで急速に意識を覚醒させた。
まだ疲れと軋みが残る体を跳ね上げるようにして起き上がらせ、周囲を見回してみれば、竈の中で燃え盛る炎とその近くに座す老人の姿が目に映る。
その老人は、白髪で顔に深い皺が刻まれた見るからにお爺さんという容姿をしていたが……それにしては、鍛え上げられた肉体をしていた。
一言で言うなら、老師。カンフー映画に出てきそうなムキムキ爺さんの姿に驚き、眼を見開く燈に向け、その老人はこう告げる。
「運が良かったな。あのまま森の中で寝そべってたら、どうなってたかわからないぞ。にしても、酷い怪我をしてたじゃねえか。何があった?」
「あんたが俺をここに運んでくれたんすか? 傷の手当ても、あんたが……?」
「半分正解だ。運んだのはわしじゃない、わしの弟子だ。傷の手当はしてやったが、そこまで大したモンじゃなかったぞ」
「大した怪我じゃないだって? 冗談きついっすよ。俺は刀で斬られて、崖から……っ!?」
そう言いながら、自分の斬られた左肩を見た燈は目を覚ましてから三度目の驚きを覚える。
確かに順平に斬られ、血を噴き出していたその部位には刀傷は一切見当たらず、ぴったりと肉と肉がくっついていたのだ。
そこを手で擦ってみても痛みはまるでなく、まるで最初から怪我なんてしていなかったかのように綺麗さっぱり傷跡が消え去っている。
これはどういうことだと困惑する燈であったが、そこで更なる疑問が胸をよぎった。
(そもそも、なんであの高さの崖から落ちて生きてるんだ? 仮に生きていたとしても、全身骨折くらいはしてるだろうに……)
曇天のせいで視界が暗かったかったとはいえ、燈が落ちた崖からは地上の様子が伺えないくらいの高さがあったはずだ。あそこから真っ逆さまに落ちておいて、殆ど無傷というのは明らかにおかしい。
いったい、自分の身に何が起こったのか? もしや自分は一度死んで、新しい肉体を得たりしたのではないかと燈が考える中、老人が口を開き、同じ質問を繰り返す。
「もう一度聞くが、何があった? さっき誰かに斬られたって口走りやがったな。それとお前さんの着てた珍妙な服は関係があるのか?」
「えっ!? あ、ああ……実は――」
燈は自分自身を落ち着けるためにも、命の恩人であるこの老人に自分の境遇を語ることを決めた。
学校の教師やクラスメイトたちと大和国に転移してから順平や仲間たちに陥れられるまでの一連の流れを話し、その最中で自分が裏切られたことを再認識して胸が締め付けられるような苦しみを覚える中、燈の話を黙って聞いていた老人は、大きく頷くと不敵に笑ってみせる。
「フハハ! なるほどな……! 異世界転移に英雄様ねぇ。陰陽師の奴らも思い切った手を打ちやがる。んで、お前さんはこれからどうするんだ? その学校ってとこに戻って、お仲間の悪行を暴露するのか?」
「……いや、止めときます。向こうの方が大人数で、しかも立場が上みたいっすし……なんか俺、信用ないみたいなんで……」
仮に燈が学校に生還し、順平たちから受けた仕打ちを暴露したとして、大和国が戦力になる順平と小間使いでしかない燈のどちらを保護するかなんてことは火を見るよりも明らかだ。
それに、真実を話したところで、クラスメイトたちからも煙たがられている自分の話を皆が信じてくれるとも限らない。頭のおかしくなった奴の妄想として片付けられてしまう可能性だって十分にある。
「……泣き寝入り、ってわけか。情けねえな」
「そう、っすね……自分でもそう思うっす。でも、このままじゃ終われない。どうにかしてあいつらに一泡吹かせてやらねえと……!!」
自分をこんな目に遭わせ、名前をコケにするという禁忌を犯した順平を許せるはずがない。彼らに協力した男子生徒たちにも報いを受けさせてやりたいと、燈は思う。
しかし、燈にはそんな力はない。この世界の強さの指針ともいえる気力が無い自分にはどうすることも出来ないのかと、燈が悔しさに唇を噛み締めた時だった。
「……なら、お前さんに力をくれてやろうか? それも生半可な力じゃねえ。正真正銘、最強の剣士になれるだけの力だ」
「え……!?」
不意に、目の前の老人がそう呟く。ギラギラとした眼差しを燈に向け、冗談や揶揄いでそんなことを言っているのではないということが一目でわかる様相で、彼は燈へとそう尋ねた。
「力をくれるって……無理っすよ! さっきも言った通り、俺には気力が存在してないんすよ!? そんな俺が、武神刀っていうすげー代物を持ってる奴らに勝てるはずが――」
「その辺のことも含めてどうにかしてやるって言ってるんだ。話を聞く限り、お前さんは完全に被害者だ。あんまりにも可哀想で、見てられなくなってよぉ……復讐の一つや二つ、しでかしたって誰も文句は言わねえよ」
「……っ!?」
ズイッ、と燈に詰め寄り、筋肉隆々とした肉体を寄せながらそう囁く老人。
老体とは思えない頑健そうなその肉体から感じる威圧感と底知れぬ迫力にごくりと息を飲む燈に向け、彼は悪魔のように魅力的な言葉を投げかける。
「俺がお前を強くしてやる。そうしたら、お前は学校とやらに戻ってお前をこんな目に遭わせた奴を叩きのめせばいい。最悪、殺しちまっても構わねえだろ? どんなに強い武神刀を持ってようとも、どれだけ凄い気力を有してようとも、そんなの全然関係ねぇ。それだけの圧倒的な力を、お前さんにくれてやるよ」
「ほ、本当か? 俺は、そこまで強くなれるのか?」
「ああ、勿論さ! ……やっちまえよ、燈。お前の復讐には正当な理由が有る。今まで奴隷にように扱われ、仲間に裏切られた憎しみをぶつけてやれば良い。気にすることなんかねえぜ。先に手を出したのは向こうの方だ。お前さんはただ、やり返しただけ……一発でお前の息の根を止められなかった向こうが悪いんだからな」
「俺が、最強に……? 竹元の野郎も、神賀だって目じゃない、最強の人間になれる……!?」
むくりと心の中で欲望が鎌首をもたげる。どす黒い、憎しみという感情が蛇のように渦を巻く。
たった一週間ではあるが、自分は十分に周囲の生徒たちから蔑みの目で見られ、嘲笑われた。苦楽を共にしたはずの仲間たちも、自分を見捨てるどころか排除するための計画に手を貸す始末だ。
ならばもう、いいのではないだろうか? この憎しみを糧に、順平をはじめとしたかつての仲間たちを叩きのめしたとして、誰が燈を咎められる?
自分は被害者だ。大和国の人間たちに無理矢理に召喚され、したくもない異世界転移を経験させられた上で役立たずのレッテルを貼られて下僕として扱われることになった。
その果てに待っていたのが仲間たちからの裏切りだ。どこにも救いなんてあるはずがない。
クラスメイトたちが、自分のことを格下の存在として見下しているのなら。
仲間たちが、己の幸せのために燈を生贄として差し出したというのなら。
この国が、何の力も持たない燈を不要な存在としてしか見ていないというのなら。
それら全てに復讐して、何が悪い? それの何処が悪いというのだ?
そうだ、順平は言っていた。力のある者、強い者が偉くて、弱者を支配するのだと。
ならば自分だって……と、そこまで考えた所で、燈はぎゅっと拳を握り締め、搾り出すような声で答えを出す。
「……欲しいけど……要らねえ」
「……なんと言った? 欲しいが、要らないだと?」
「力は欲しい。強くなりたい。けど……復讐のための力なんて、俺は要らねえ!!」
ダンッ、と強く床板を殴り、強い意志を秘めた眼で老人を見上げた燈は、胸の内のありったけの想いを彼に向けてぶつけるようにして叫ぶ。
「俺は武器を手にして、力に酔った奴らが女を手籠めにしようとするところを見た! そういう奴らに陥れられて、殺されかけた! 仮に俺が強くなったとして、その力をそいつらに向けて振るったとしたら……俺もその最低な奴らの仲間入りだ!! あいつらを見返すだけの力は欲しい! でも……手にした力で相手を支配するだなんて真似だけはしたくねえんだよ!」
散々暴力を振るい、自分の名前を馬鹿にした人間たちを叩きのめしてきた自分が言うのはおかしいことかもしれない。
ただ、燈はこの大和国で過ごした一週間という短い期間の中で、人が大きく変わってしまうところを見続けていた。
普通のお調子者が躊躇い無く人を脅したり、殺したり出来るだけの冷徹な人間になった。どこにでもいる男子が、自分のために他者の命を差し出すという最低の裏切りを行う人間になってしまった。
それが力を得たり、力を欲しがったりしたが故に起きた変貌だというのならば、自分はそんな力は要らない。ただ、ただ……我儘だとはわかっていても、自分が正しいと思うことを貫けるだけの強さは欲しいと、そう願った。
「……確認だ。強くはなりたいが、その強さで復讐はしたくない。何のために強くなるかわからない、馬鹿みたいな話だが……それがお前の意思ってことだな?」
「ああ、そうだよ! 馬鹿で悪いか!?」
半ばヤケクソに老人に向けてそう吼えた燈は、拗ねたように顔を逸らして腕を組んだ。
何を都合の良いことをと笑われるか、殴り飛ばされるかもしれない。そう思いながらも自分の中の正直な思いを告げた燈の行動に対して、老人は浮かべていた笑みをより一層強めて大声で笑い始めた。
「わっはっはっはっは! 良い! それで良い! 合格だ!!」
「……は? 合格ってなんだよ?」
「わしの弟子にするかどうかの試験のだよ! もしもお前さんが手にした力を復讐のために使うとのたまってたら、その性根を叩き直すところから始めようと思ってたところだ」
大口を開け、高らかに笑い声を上げ続けた老人は、実に上機嫌といった様子で燈へと真新しい羽織を放り投げる。
白色の、稽古着とも思えるそれと老人の顔を交互に見比べ続けた燈は、混乱しながらも自分が彼に認められたということを何となく理解し始めた。
「……いいんだよ、それで。お前は力の正しい使い方を学ぼうとしている。それがお前さんの性根か、はたまたこの世界で経験した苦しい出来事が起因なのかはわからんが……強い奴が弱い奴を支配するだなんて、そんな下らない理屈を絶対の物と信じてる馬鹿どもよりかは万倍マシだ」
そう言いながら、老人が真っ白い鞘に納められた、これまた真っ白い柄の刀を壁から手に取る。
そこで気が付いたのだが、この家の至る所には無数の刀が飾られており、それら全てが武神刀であることを見て取った燈は唖然とした表情でぐるりと自分の周囲を見回す。
自分は刀のことなどわからない。だが、これだけは理解出来る。この家に存在している刀は、どれも順平たちが手にしていた武神刀よりも圧倒的に格上の刀だ。素人の自分にもわかるくらいに神々しい雰囲気と刀に込められた魂のようなものが感じ取れるのだから間違いない。
ようやく、自分がとんでもない人間に拾われたのだということを理解し始めた燈に向け、白髪の老人は茶目っ気たっぷりの笑顔を浮かべながらこう言った。
「虎藤燈、お前さんは今日からこの天元三刀匠が一人、
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