夜の魚
きり
序章
秘密
「そうは言ってもなぁ」
店の主人はそう言って腕を組んで考え込んだ。
「あの、駄目なら別の店に持って行っても良いんですが」
仏像を持ち込んだ男は冬の寒い日だというのに額に浮かんだ玉のような汗を引っ切り無しにハンカチで拭っていた。
店主はそんな男の様子を見ながらどう言ってお引き取り願おうかと思案していた。
男の持ち込んだ仏像は、小さいながらも丁寧な仕事の逸品で、室町時代の有名な仏師の作品であると容易に察しがついた。
しかし、本来、二対で一つの作とされる仏像の片方だけでは、かなり買い手を選んでしまうのも事実だった。
しかも男の落ち着きの無い様子が気に掛かって仕方がない。
(そう言えば、村西さんから聞いたのも室町時代の仏像だったか)
ふと数日前に仕事仲間から耳にした窃盗事件が店主の脳裏を過ぎった。
(……いやいや、まさか)
そこまで考えると、自身の考えを否定するかのように、首を振ってみせた。
「で、あの、こちらで買い取っていただけるんでしょうか?」
男は俯いたまま手にしたハンカチで再び額の汗を拭った。
「駄目ですか?」
「そうだなぁ……」
買い取る訳にもいかないが、窃盗事件を思い出してしまった手前、そのまま帰してしまうのもまずい気がした。
「お祖父ちゃん、いるー?」
ガラガラという店の引き戸が開けられる音と共にチリンチリンと言うベルの音がしたかと思うと、次いで元気な子供の声がした。
店主の元へ駆けて来ると、声の主は店主に飛び付いた。
「お祖父ちゃん、ただいまー!」
店主の孫の一人だった。
一緒に暮らしている訳ではないが近所に住むこの孫は、店の商品が好きらしく毎日学校帰りにこうして店に寄るのが常だった。
「こらこら、お客さんの前だぞ。ご挨拶は?」
言われて初めて男の存在に気付いたらしい。慌てて客に向き直ると、神妙な顔で「いらっしゃいませ」とペコリと頭を垂れた。その拍子に背負ったランドセルが少女の頭を直撃した。
中には何が入っているのか、何やら鈍い音がして、客の男がぎょっとした顔になった。
けれど少女にとっても店主にとっても然程(さほど)たいした事では無いらしく、店主は孫に奥に行くようにとだけ告げただけだった。
「ねえねえ、この子、おじさんの?」
しかし言われた当の本人は、どこ吹く風と言わんばかりに、テーブルに置かれた仏像に魅入っていた。
「え!? ああ、まあ……」
尋ねられた男は、不意の質問に戸惑った様子で目を瞬(しばたた)かせた。
「へえ、そうなんだ。もう一人の仏像(こ)は一緒じゃないの?」
机に両肘を突いて、何等邪心の無い目でニコニコと男を見上げた。
言われた男は、額を拭っていた手を止めると、少女に驚愕の表情を見せた。
小刻みに震える手を止めようとするかのように、慌てて膝の上に手を置く。
「……おじさん、この仏像(こ)達、泣いてるよ」
そんな男の様子を知ってか知らずかしげしげと仏像の顔を覗き込んで少女が呟いた。
男の額からポタポタと流れ落ちる汗を見ながら、店主は姿勢を正して言った。
「お客さん、悪い事は言わん。警察に出頭なさったらどうだね」
***
後に数体の仏像を持って警察に姿を現した男が語ったところによると、嘘か誠か夜な夜な仏像が男の枕元に立ち泣いていたのだと言う。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます