第230話 道に迷っていたら
「……ん? どうかした?」
困惑する僕をよそに、慌ただしく動く井野さんと、てきぱきと動く水上さん。彼女たちは、僕の前に並んで立っては、テーブルに置いてあった件の紙袋を僕に渡してきた。
「よ、四年間、お疲れひゃまでひた! ……ひぅ、か、噛んじゃいました……」
「え、えっと……これは……」
ふたりからそれを受け取って、中身をチラッと覗いて見ると、
「……スタッフの皆さんから寄せ書きを貰ったのと、ささやかですけど、退職祝いということでプレゼントを少し、です」
「……え? 本当に?」
水上さんの説明に半分驚きつつも、僕はまずなかに入っている色紙を取り出してみる。
「……かなり目がチカチカするね」
そこには、いろんな色のペンで、ぱっと見すべてのスタッフさんからのメッセージがずらりと連なっていた。
「私も見ていて思いました。でも、まあ、八色さんですし、せっかくなら八色使って書いていこうってことになって。こういう感じになりました」
「あ、ああ。なるほど。そういうことか……なるほどなるほど……」
しかしまあ……やっぱりここのバイト先は色々な人がいるものだ。寄せ書きなのに、僕の似顔絵描いている人もいるし、なんだったら中心に書かれている「八色さんへ」より目立つフォント(フォントって何だ手書きだよね)で自分の名前書いている人もいるし。
「……どこまでいっても、濃い人ばっかりだよなあ……ったく……あれ。……ふふっ」
順番にみんなの分を読んでいっていると、あるものを見つけた僕は、思わずその可笑しさに鼻で笑ってしまう。
「何かありましたか?」
「いやっ、ごめん……井野さんの文字に、鼻血が噴射する演出がされてて……」
黒で書かれた井野さんのエリアから、赤いペンで血が飛び出ているように描かれている。……これは、浦佐の仕業かな?
「ひゃう! へ、へっ……? わ、私そんなの描いてませんよ……? も、もしかして、浦佐さんが……! う、うう……」
最後の最後まで鼻血で締めくくられてしまった井野さんは、その場で恥ずかしさのあまりにしゃがみ込んでしまう。
う、うん……これは何だったら一生残るから、可哀そうな気もする。
いたたまれなくなったので、僕は色紙を見るのを一旦止めて、残りのプレゼントが入ったらしきものを手に取る。
「そ、それで……このふたつは……?」
「その細長いほうが、ネクタイです。私と井野さんと浦佐さんで、選んだんですけど……」
「いっ、一応、似たようなもの持ってないかだけは確認したので、大丈夫だと思います……」
ああ、二徹金鉄のとき、僕のクローゼットを漁っていたのは、持っているネクタイの種類を把握しようとしていたのね……。そういうことか。
「で、この小さいほうは……」
「そちらは、小千谷さんが名前入りの万年筆を買ってくださったので、それを……」
「ぶほっ!」
「や、八色さん……?」
やばい、不意に吹いてしまった。あ、あの小千谷さんが僕に万年筆を……? 予想がつかない……。
「いや、ちょっと驚いただけ……。平気平気。いっ、いや、ありがとう。こんなにたくさん用意してくれて。嬉しいよ」
「……喜んでもらえたなら、何よりです」「ひゃっ、ひゃい」
全部のプレゼントを、僕は大事に紙袋にしまう。そして、ちょっとだけ表情を緩ませて、呟いた。
「……じゃ、そろそろ時間も時間だし。帰ろっか」
「はい……そうですね」「……は、はい」
やはりどこか寂しげなふたりも、帰る支度を整え始める。僕も僕で、ロッカーから荷物を引っ張り出したり、個人に貸し出されている小物などをしまうスタイルケースに入れていたメモ帳やボールペンを回収する。全てを空っぽにしてから、僕は右手に握っていた、四年間つけ続けた名札を、コト、と置いた。
……今まで、お世話になりました。
そう心のなかで呟いて、僕はパーカーを羽織って、スタッフルームを後にした。
しょんぼりとした様子のふたりと一緒にエレベーターで一階まで降りて、通用口からお店が入居しているビルを出る。そこから地下街に潜って新宿駅に向かおうとすると、
「おおい、ちょっと待て待て八色」
「待つっすよー太地センパイー」
……地上のほうから、そんな聞きなれたふたりの声が聞こえてきた。
「……なんでここにいるんですか。ふたりとも」
声のしたほうを振り向くと、そこには手を振っている小千谷さんと浦佐の姿が。ふたりは僕のほうにスタスタと近づいてきて、
「お前、可愛い可愛い後輩がラストの日に、そのまんま家に帰すわけないだろ? 飯食いに行くぞ飯―。そこらへんのファミレスでいいだろー? 未成年いるし」
「わあい、おぢさんの奢りっすー!」
「あほか。俺にそんな金なんかあるわけねえだろ。自分の分は自分で出せ」
「えー? おぢさんのケチー。センパイは大抵奢ってくれるのにい」
と、騒がしい会話を繰り広げている。
「あ、そうだ」
「「四年間、お疲れ(様っす)」」
……なんだかんだで、僕が家に帰ることができたのは、日を跨いでからのことだった。
*
「……あれ……ここどうやって行けばいいんだ?」
僕がバイトを辞めて、大学を卒業してから数か月後。水上さんとは変わらず付き合ったままで、土日に会うっていう関係を続けていた。他のメンバーとは、会う機会は減ったものの、水上さんを通じて近況を知れているので、あまり離れたって気はしない。
その日は、会社の先輩と一緒に取引先を回ることになっているのだけど、その先輩との合流場所がわからずに、迷子になっていた。
「……ここって……どこだよ……」
スマホで調べてもあまりピンとこないし、そもそも先輩が指定した場所も、ふんわりとしたものだったのでちょっとわかりにくいものだった。
「……電話かけても繋がらないし、どうしようかな……うーん……」
頬を掻いて頭を悩ませていると、
「あの……もしかして、道に迷われてますか?」
近くから、そんな綺麗な女性の声が聞こえた。
「……え? あ、はい……。…………」
多分キョロキョロとしてスマホを見ているから、そう思われたんだろうけど……。僕は声の主の女性のほうを振り向くと……。
「……こんにちは。奇遇ですね、八色さん」
「……こ、こんにちは。水上さん……」
僕の彼女が、そこに立っていた。
「……ここ、大学のキャンパスの最寄り駅なんです。どこに行かれるんですか? ……ふふっ。初対面のときも、こんな感じでしたね」
……ははは。助かったけど、結構ビックリしたよ。
道に迷っていたら、助けられた相手が僕の彼女でした。ってこと、かな。
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