第229話 最終日
時間というのはあっという間に過ぎていくもので、気がつけばもう最後の出勤日を迎えていた。その間には、浦佐と井野さんのシェアルーム計画がばっちり進行していて、両方の親の同意を取って、今は部屋探しを進めているらしい。あ、ちなみに井野さんは国立のほうは落ちてしまったようで、当初の予定通り第一志望の私大に進学するらしい。僕より頭いい大学に。
最終日は何の変哲もない平日にしておいた。……金土日だと、忙しすぎて最後の余韻に浸れないかと思って。
それで、今日のシフトは誰かと言いますと……、水上さん、井野さんのふたり。小千谷さんと浦佐は昨日の被りで最後だった。まあ、別れ際、やけにニヤニヤしていたけど。
いつもより五分くらい早めにお店に着いて、着替えも済ませてスタッフルームで今日の配置を考えていると、
「……お、お疲れ様です」「お疲れ様です」
……これまた珍しく(?)水上さんと井野さんが一緒にお店にやって来た。
「お疲れ様―、一緒なんだ、なんか最近多いね」
「えっ、あぅ、そ、そうですか? た、たまたまです、たまたま……」
「そうですね。偶然です」
……この差よ。多分、僕は水上さんに隠しごとをされても気づけないと思う。あと逆に、井野さんは何やってもバレバレなんだろうな……。
妙にそわそわした雰囲気で井野さんはロッカーへと向かっていき、水上さんは普段通り落ち着いた足取りで井野さんの後を追う。
「みんなあ、お疲れ様あ、ってあら今日はもう揃っているのねえ。早いわねえ。あら太地クン、最後の日はフロコンなのね。よろしく頼んだわよ」
僕がそんなふたりの様子を見ながら、手元にあるメモ用紙に今日の配置を書きこんでいると、売り場から宮内さんが戻ってきた。
「はい……なんか気づいたらフロコンが振られていました。いや……まあ別にいいんですけども」
「一年前くらいからほぼ週五でフロコンしてたものねえ」
「……ほんと、僕がフロアをコントロールしているのかフロアが僕をコントロールしているのかわからなくなる時期もありましたよ……」
「大丈夫よ大丈夫。ワタシなんてお店で働いているのかお店に住んでいるのかわからなくなったことが若い頃はあったから」
……上には上がいるもので。いや、その労働環境は今すぐ改善したほうがいいです。マジで。
「でもお店から若い男の子が減っちゃうのは悲しいわあ。また新しい子が入るとは言え」
「ひゃぅ!」
「…………」
ロッカー方面から聞こえて来た悲鳴に、少しの嫌な予感を覚えた僕は、ギギギと錆びた機械のように首を横に捻ってみる。
そこには、もう何回と見て来た光景が。
「う、うう……また浦佐さんに笑われるよう……」
顔を赤くさせながらポケットティッシュを取り出しては鼻血を拭う井野さん。どうやら、浦佐に何か言われたのを気にしているようで、一応直そうとはしているようだ。……まあ、無理なんじゃないかと思うけど。
「あまり新人さんを困らせないであげてくださいね……。宮内さん」
「わかってるわよお。少しずつ、少しずーつ慣らしていくから」
「……ほ、ほんとですよね……?」
「ほんとよ、ほんとーに」
いまいち胡散臭いけど……まあいいとしよう。
そうしているうちに、夕礼前の時間は過ぎていって、すぐに出勤の時間となった。
「おーっす八色っちゃん、今日がラストだってー?」「あーあ、またひとりお店を卒業していくよ」「たまに朝番で出てくれたときめちゃんこ助かったよー」
僕が売り場に出るなり、すぐに朝・中番の人たちに口々に言われる。……まあ、この店ではあるあるだ。辞める当日に売り場であれやこれや挨拶していくのは。ちゃんと時間取ってお話ししてってのは、なかなかない。そんな時間が取れない、っていうのが実情かもしれないけど。
朝番の人は帰らないといけないし、中番の人はこれから休憩だし、僕も僕でこれから働かないといけないので、手短に、
「四年間、ありがとうございました。お世話になりました」
とだけ言い、補充に出ようとする。すると、
「明日への引き継ぎ事項が残ったら、退職先送りだからなー」
そんな茶化すような声が飛んでくる。
「勘弁してくださいよー。ちゃんと共有して消えるんで、それで許してくださいって」
「へいへい。冗談だよ冗談。今までありがとな、お疲れさん」
それだけ言い残し、朝・中番のスタッフのひとたちは、バックヤードへど下がっていった。
……最後だからって、そうそう大きく変わる人たちじゃないしね。
さ、今日も一日仕事頑張りますか。
まあ、僕が最後の出勤ってことは、当然だけどお客さんには関係のないことで、いつものように色々なお客さんがお店にやって来る。常連の「支払いはペソでいいかな」のおじさんも来たし、「オススメのゲームってありますか?」って尋ねてくる若いお客さんもいた。……げ、ゲームあまり詳しくないんだけどなあと心のなかで困りながら僕はお店の備品のタブレットで色々と調べたりもした。
このくらいだったら全然余裕余裕。ガチの案件さえ来なければなんでもいいです。はい。
なんて仕事に没頭しているうちに、営業時間は刻々と過ぎていった。休憩終わり後も、僕は売り場で一番好きな補充を延々と、黙々と行った。
平日にちょっとだけ売れて、微妙に緩くなった棚に、棚に入っていない本を優先して補充していく。この作業が、何気に楽しい。わかりやすく言うなら、コンビニで、鮭のおにぎりだけ補充してもしょうがないよね。昆布とかシーチキンとかツナマヨとか、たくさん種類があったほうがいいよね、っていう話。
途中、お客さんに在庫検索を頼まれたり、カウンターに配置したふたりから質問されて呼び止められることはあったけど、概ね集中して補充の仕事ができたと思う。
流れ始めた蛍の光を耳にして、閉店時間が迫ってきたことに意識が向いた。
「……やべっ、もうそんな時間か……でも、とりあえず……こんなもんかな……」
腕時計をチラッと確認してから、一歩二歩下がって、四年間いじり続けてきた棚を俯瞰する。ズラッと大きな隙間なく綺麗に並んだ本の背表紙たちを見て、自分がした仕事だけど、つい満足げに表情が緩んでしまう。
きっと、明日になったらこの埋めに埋めた棚も、すぐに隙間ができて、変わっていってしまうのだろう。でも、棚は生き物だし、そういうものだから仕方がない。
「……閉店の準備しないと」
いつまでも本の棚見てうっとりしているわけにはいかない。とりあえずカウンター戻ってゴミまとめたりしないと。
「ごめんごめん、何かやることあるかな──」
そうやって、僕の最後の勤務時間は、終わっていった。
「……へ? なにこれ……」
全部の作業が終わって、スタッフルームに引き上げた僕を待っていたのは、これ見よがしにテーブルに置かれた大きな紙袋ひとつ。
「あっ、あのっ、八色ひゃんっ!」
驚いている僕の背中から、聞こえてきたのは、噛み噛みの後輩の声。
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