515話 涙雨<なみだあめ> (アイリーンの婿取物語 11)





″ミャーミャー″

″アーオ、アーオ″


猫のような鳴き声だが 猫じゃない。

これは海鳥の声。


微かに潮の香りがする。

これは、夢?


窓辺のソファーには 女性が一人。

赤子を抱きあやしている。




″いい子ね、アイリーン″


赤子の顔を覗き込み、口元に幸せそうな笑みを浮かべ、名前を呼ぶ女性。

逆光で顔がよく分からないが、多分、あれは――


(お母さん)


それはアイリーンと、アイリーンの母親の姿。




これは、夢だ。

本当の事ではない。

アイリーンの願望かもしれない。




″私、幸せよ あの人は来なくても、アイリーンがいてくれるから″


母が待っているのは きっと父だ。


母はアイリーンをあやしながら 窓の外に目を向けた。

窓からは キラキラと日の光を反射した海が輝き、水平線が見える。

白い灯台が青い空に映えている。


父は 船乗りなのだろうか?

母は 海に出た父を待っているのだろうか?




″アイリーン、私の天使″


母はアイリーンの額に祝福のくちづけをすると、愛おしそうにアイリーンを抱きしめた。


(いい匂い……)


これは 夢だ。

アイリーンの願望。

アイリーンは孤児院の前に籠に入れて捨てられていたはず。

だからこれは愛されていたと思いたいアイリーンの心が作り出した夢。

母の姿なんて知らない。


だけど、、


(あったかいな……)


アイリーンはゆるゆると目を覚ます。





◇◆◇◆◇





夢から覚めたはずなのに ぼんやりとした視界に 女性の顔があった。


目を開けたアイリーンに 女性が微笑みかけ、ふんわりと抱きしめてくれた。

あたたかくて、ほわん、と いい匂いがする。


(……お母さん)


母の温もりと同じ。


「良かった、気がついたようじゃな」


「えっ?」


聞き覚えのある声に、アイリーンは一気に覚醒した。


「ヨ///ヨーコ!?」


アイリーンはヨーコの腕の中にいた。

あったかかったのは ヨーコが抱きしめてくれていたからだ。


ヨーコはアイリーンに、もう一度微笑んだ。


「妾の事がわかるか。意識もはっきりしておるようじゃな」


ここは、ドワーフの村じゃない。

建物の中――ヨーコの温泉宿『迦寓屋かぐや』のようだ。


「私、、何で、、」


バーガーウルフの仕事中にロージーと揉めてお使いに出され、雨が降ったから雨宿りをしていた。


テンコが傘を差して迎えに来てくれて、一緒に店まで帰った。


そして――


「すまなかったな、テンコがやり過ぎたようじゃ」


そうだ。

力を使いすぎたテンコが暴走して アイリーンは自分の精気をテンコに分け与えたんだ。


「まったく、本来ならば一人から少しずつもらうものを あやつテンコは、、」


珍しくヨーコが怒っている。


「私がいいって言ったのよ」


「にしてもじゃ。オーガ族ならまだしも、か弱い人の身に無茶をさせよって、仕置きせねばならん」


「私のためだったの。怒らないでやってよ」


「何を言うか、ヒナが止めなんだら お主の精気を吸い尽くすとこだったのじゃぞ!」


「あまあま、死ぬわけじゃないんだし」


「目覚めなんだらどうするつもりじゃ!辛抱が足らんのじゃ!テンコめ、修練せい、まったく」


ヨーコが眉間にシワを寄せる。


「そんな顔しない、せっかくの美人が台無しじゃない」


アイリーンはそんなヨーコに手を伸ばし、眉根を寄せるヨーコの眉間を指でさすってシワをのばした。

実際は怒った顔も美しい。


「ありがとう、心配してくれて。ヨーコが治癒してくれたんでしょ」


「大事なトモダチじゃからな///」


「ふふふ」


心配し、怒ってくれる人がいるって、ちょっと、、いや、かなりうれしい。


「で?テンコは?」


「お主をここに運んだ後 まとわりついて離れぬでな、治癒の邪魔であるから一喝して追い払ったが、はて、、」


ヨーコが迦寓屋かぐやる。


「今は――回廊近くの縁側におるな」


「ありがとう」


「礼を言うのは妾の方じゃ。テンコのために、かたじけない」


「アタシの意思よ」


アイリーンは部屋を出ていこうと立ち上がり、扉へと向かう。

すると、ヨーコはその背に呼びかけた。


「アイリーン」


アイリーンが振り向く。


「案ずるな」


「?」


其方そなたは望まれて生まれてきたのじゃ」


「!?」


さっきの夢の事?


「妾にはわかる。其方そなたは愛されておった。案ずることはない」


根拠もなにもない言葉。

だけど、誰かにそう言ってもらえるだけで それが力になる。


「……うん」


ありがとう、ヨーコ





◇◆◇◆◇




アイリーンは薄暗い迦寓屋かぐやの通路を 回廊の扉へと歩く。


夕方の 暗くなった外ではまた雨が降っていた。


ポロリ。


ポロリ。


涙雨なみだあめ


ほんの少しばかり降る雨。


それは悲しみの涙が化して降ったと思われるような雨。


(いた)


回廊の扉の手前の縁側に 背を丸め 外を向いて膝を抱えて座っているテンコがいた。


アイリーンはテンコにそっと近づき、後ろからひょいっ と 顔を覗く。


(また面をかぶってる)


テンコは先程の狐の面で顔を隠していた。


″ずっ、、ぐすっ″


(……)


テンコが小さく鼻をすする。


泣いている。


この雨のように、静かに。




アイリーンはテンコに背を向けると――


″ずんっ″


「うおっ!?」


テンコの背中に腰を下ろした。


「ア、アイリーン!?」


テンコが首を後ろに向け見上げる。


「アイ、、」


「動かないでよ 危ないじゃない」


「うっ、、」


テンコはアイリーンに指摘され、再び前を向く。


アイリーンはテンコの背をずるりと滑り落ちると、テンコと背中合わせに座った。


泣いてる姿なんて 見られたくないだろう。


「すまぬ、アイリーン、、すまぬ」


「別に、大したことないわよ」


「すまぬ、、」


ぐすり、ううっ、と テンコが泣く。

テンコが泣くと 雨足が強くなる。


「梅雨でもないのに迷惑よ、てるてる狐を吊るしてる子達に申し訳ないわよ」


うん、うん、と首を縦に振るが テンコは中々泣き止まない。


「うん、ぐすっ、、良がっだ。大事なくて、本当に、良がった」


「アタシ、元気だから」


「……うん」


アイリーンは テンコの背に寄りかかりながら そのまま しばらく 涙雨の音を聞いていた。









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