196話 ラ・マリエで打ち合わせ




次の日。


昨日アスが仕事の話があるから来るようにと言い残して帰ったので、サクラはイシルと二人で『ラ・マリエ』へとやって来た。


「仕事の話のようですので、僕は部屋で待っていますよ」


イシルはマルクスにサクラを託すと、サクラのために用意されている部屋へと行ってしまった。

打ち合わせに一緒に行って、仕事に反対されるかと思っていたサクラは ホッと胸をなでおろす。

仕事、続けていいんだ。


アスの執務室の扉を開け、中に入り、サクラはぎょっとした。


「……どうしたの、アス」


アスは右顔半分に仮面をつけて、ソファーでお茶を飲んでいた。

オペラ座の怪人の仮面のように、斜めにカットされた無機質な仮面姿が 反対の左半分の顔の美しさをより際立たせて 不気味な雰囲気を醸し出している。


「イシルの仕業よ」


「イシルさん!?」


サクラはアスに促されソファーへ座る。


「最悪よ!あの後にもう一回結界に入り込んだらさ」


え?また来たの?


「イシル、結界にトラップ仕掛けてたのよ!」


いや、覗きに来るアスが悪いデショ、悪趣味。


「意地の悪いトラップだわよ。苦労して結界を解除して入り込んだと思ったら、亜空間の迷路に飛ばされて、暫撃、爆撃、電撃、火炎、水圧、氷爆、暴風……」


……凄いな


「それはいいわよ」


いいのかよ!?まあ、アスは斬ってもくっつくんだもんね、うん。


「その後にヒモよ?」


「ヒモ?」


「全てをかわした後に、足首あたりにヒモが張ってあったのよ」


つまり、ヒモに引っ掛かってコケた、と。


「コケた先に丁度石が置いてあって……」


顔ぶつけたんだ


「最後に頭の上に タライが落ちてきたのよ!」


ドリフかよ!?


「そんなバカにしたような罠が仕掛けてあるなんて思わないじゃない!?しかも、ヒモにも石にもタライにもデーモンキラーの霊力が込められている念の入れようで」


完全にアス専用トラップだ


「治りにくいったらありゃしない!!」


昨日アスが帰った後何やらイシルさんがやっていたが、結界にトラップ仕掛けてたんだ。

それで仮面……あの下はパンダ目とか?


「今もきっと子ブタちゃんの部屋の結界に仕込んでるわよ」


だからイシルさんは私の部屋で待ってるって言ったのね。


「結界なんか破らずに普通に魔方陣から来ればよかったじゃないですか」


「それじゃあサプライズになんないじゃない?」


アスは意味深に、目を細めてサクラを見る。


「コッソリ来たってなにもありませんよ!!」


「あらぁ、邪魔したの怒ってる?」


「……」


「あのままが良かった?イシルと、その先まで――」


「わーっ!!助かりましたっ!ありがとうございますっっ!」


ふふん、とアスは満足そうに笑い、仕事の話へと移った。


cherry´sシリーズの売れ行きは好調で、最早ブームと言って良いほどなくらい。

ドレスもシンデレラカラーがうけ、デザインや宝石を変え、オーダーメイドで売っているそうな。

繊維業界のダリア商会と宝石業界のルピナス商会とのタイアップだ。

今まで背中を出すことを躊躇っていたご婦人方からの注文が多いらしい。

帰りにパートナーに肩から上着をかけてもらい馬車まで歩く。

憧れのシチュエーションが今のトレンド。

それだけで一気に盛り上がり、口下手な男性陣にも大ウケとのこと。

大変結構な事でございます。


「やっぱりピンクの口紅が一番売れてるわね、次は赤を推していくわ」


「赤……やっぱり、私がつけるんですよね」


「勿論よ。次は大人っぽく攻めるわよ」


「うへぇ、ハードル高っ!」


「半月程先だから、現世あっちで何か大人っぽいアイテム調達してきてよ」


「大人っぽい、ねぇ……」


大人っぽさ……サクラのイメージとは真逆にある。


「背中と胸は出しませんよ」


「わかってるわよ」


「ペンダントも……」


「わかってるって」


仕事の話が落ち着くと、サクラはアスに気になっていることを聞いてみた。


「アスは なんで商人やってるの?富も、力もあるんだから、働かなくてもいいんじゃない?」


「んー、色々理由はあるけど、面白いから、かしらね、人が」


どういうこと?


「悪魔がなぜ人を悪に導くと思う?」


「え?」


悪魔は悪意だ。

だから悪に導くのだと思っていた。

でも、異世界でアスやマルクスさん、他の悪魔達にあってわからなくなった。


からよ」


「手っ取り早い……」


「そうよ。良く考えもさせず、不満、不平を巻き散らかさせ、恐怖に怯え、泣き叫び、堕落にもっていくのはなの」


簡単で手っ取り早く引き出せる美味しい感情。悪魔の食事。

そこで悪魔を跳ね返すことの出来る 強い心の持ち主の感情は、更に美味しいらしい。


「でも 人を喜ばせ、笑い、楽しみを与えるのは大変なの。特に、を蓄積してない若い悪魔にはね。だから悪魔は人を悪に導くの。食べるためにね」


善と悪、どっちの方向に転がるかは人の心次第。正確には悪魔が人を唆すのではなく、その人がどう決断するかなんだ。


不幸にみまわれた時、それを跳ね返すには凄く力のいることだ。

悲しみ、苦しみ、怒りに負けて絶望し、もしかしたら死を選ぶところまで堕ちてしまうかもしれない。

這いつくばって、食い縛り、立ち上がって、希望に向かうには、何倍も気力を使うだろう。

人は楽な方に流れる生き物だ。


″神は越えられない試練は与えない″


しかし、世の中には耐えられない程の苦しみも悲しみもあると思う。


一人では。


一人では無理かもしれない、でも神は、一人で乗り越えろと言っているわけではない。


もう駄目だと思った時に、もう一度だけ、周りを見回してほしい。


一人では乗り越えられない試練でも、誰かと一緒になら乗り越えられるかもしれない。


誰かがそこにいるかもしれない。

その手をつかんでほしい。


それが、神の救いの手なのだろうと思うから。


「商人は強者が多いのよ。ルピナス商会のエルモンドや、ダリア商会のジャンみたいにね。の時のエルモンドもジャンも、最っっ高に美味しかったわ!!」


ああ、あの時のアスの喜びは、商売がうまくいったからじゃなく、だったんだね


「商人やってれば色んなヤツに会えるし、色んな物も手に入る。世界の流れもわかる。先を読むのも面白い、作り出すのも嫌いじゃない、そして、色んなことを乗り越えた人の感情は美味しいの。そのが面白い」


「結局、アスは人が好きなんだ……」


「そうかもね」


仕事の話も終わりのようなので、それじゃあ、とサクラは席を立つ。

そのサクラの背に アスが言葉を投げてきた。


「魔法を解くのにキスなんかいらないわよ」


「え?」


主語がなく 何の事かわからずに、サクラはアスを振り向いた。

直ぐ背後にアスが立っていて驚く。

アスはサクラの腰を捕らえ、引き寄せると サクラの口を塞ぎ、耳元で囁いた。


「あんたとキスするが欲しかったのね、イシルは」


サクラの顔が一気に赤くなる。

イシルはサクラとキスがしたかっただけ……

異世界で恋愛する気がないというサクラの意思を尊重して、をつけた。

サクラの中でイシルへのがあふれでる。


アスはサクラの耳元から首へとくちびるを這わせると、あふれでるサクラの感情を吸い、味わった。


「ふわ///」


きゅっ、と、胸をつくような何とも甘美な味わいがアスに流れ込み、泣けちゃいそうなほどの震えが来る。

押し隠していたサクラの感情は堰をきったようにとどまらず、少しの恥じらいと共に、″好き″があふれでる。

ああ、これが″恋″の味……

恋しくて、恋しくて、たまらない……


アスは 腕の中に捕らえたサクラを抱きしめる。

このまま、サクラ自身を味わい尽くしたくなる。


だが、そうはしない。

この切なくも官能的な感情は イシルにむけられたものだから。

イシルがいなければ味わえない感情なのだ。


「ご馳走さま♪助けたお礼はもらったわ」


アスから解放さたサクラは、首を押さえながらアスを睨んだ。


「美味しく食べるために 私をからかったんですね?」


「あら、魔法を解くのにキスがいらないのは本当よ?」


サクラはうぐっ、と 言葉につまり、また顔を赤くする。

サクラが魔法にかかってたのを知っているということは、アスはサクラが猫だった姿を見てるということだ。


「……一体いつから覗いてたんですか」


「マジでキスする5秒前?」


「なんでもっと早くでてこないんですかっ!!」


「そのほうが美味しいからに決まってるでしょ?イシルはキスできて、子ブタちゃんは助かって、あたしはそれなりに美味しい食事にありつけた。最高のタイミング♪」


「うわ、最低~」


しかし、まあ、あんなに人間らしいイシルも珍しいなとアスは思う。

自分から欲しがるなんて、今までのイシルの恋愛ではアスが知るうちではない。


「子ブタちゃんはやっぱり最高だわ」


「そんな言葉では誤魔化されませんからねっ!」









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