177話 ランとお出かけ (アクアパッツァ)






家の結界を強化し、村の警報にも幽体の魔物に対する補助魔法を施すと イシルはラ・マリエへとやって来た。


一階奥のスパの入り口で 扉の真ん中にある模様に手をかざすと 鍵の魔方陣を解除し、中に入る。


ランがここに来ると言っていたからだ。

なだらかなスロープを下り カーブを曲がりきると 巨大水槽が現れた。


「美しいな」


水の中に 生きた宝石達が泳いでいる。

美しいものを好むアスが作っただけのことはあるな。

これを目にした時のサクラのはしゃぎ様が目にうかぶ。


「一緒に見たかった……」


巨大水槽は左右に道がわかれている。

さて、二人はどちらに向かったのか……


思案していると 目の前に人魚が泳いできて イシルの前で求愛のダンスを踊りだした。

イシルは水槽に手をつく。

すると、人魚もイシルの手に重ねるように水槽の向こう側に手をついた。


人魚は心を通わせてきて、唄を贈ってきたが、イシルはそれを無視し、サクラとランがどっちに向かったか聞いてみた。

人魚はちょっとムッとした顔をしたが、左に向かったことを教えてくれた。


「ありがとう」


イシルは左の水中トンネルをくぐる。

ずわっ、と 大きな体が頭上を横切り イシルに並んで泳ぎだした。

くるくると愛嬌のある顔でイシルを見る。

アザラシだ。

アザラシがお腹を上にして泳ぎ、さらに愛嬌をみせる。


(可愛い)


イシルは思わず笑みをぼした。

アザラシに別れを告げ、クラゲの間へと入る。


「これはまた……」


幻想的なクラゲの空間に、ご丁寧に二人かけのソファー。

目隠しのために空間まで歪めてある。

この暗がり、逢い引きには絶好の場所だ。


「美味しい食事のためには容赦ないな、アイツは」


アスは さっきの人魚で嫉妬心を煽り、揺さぶりをかけ、激しい感情を呼び起こし食べる。

そしてここで甘美な時をつくりだし、高まり さらに美味しくなった人の感情を食べようというのだ。


まあ、人を無理やり操るよりは健全なのだろうが。


(……いた)


イシルはサクラとランを発見する。


「なんとまあ」


サクラとランはソファーで寄り添って眠っていた。

なんとも微笑ましい光景に イシルは心が和む。

ランがサクラの手を握っているのが気にくわないが。


「ランディア」


呼び掛けて、イシルはランの目許が光っていることに気がついた。


(クラゲに癒されて 心が無防備になっている)


「こんな所で寝ていると 風邪をひきますよ」


イシルは壊れ物を扱うように そっと、ランの頬に触れ、ついっ、と 親指で ランの濡れた瞳を拭ってやる。


「……母上」


母親の夢を見ているのか。


イシルはランの頬を撫で、涙のあとをぬぐってやると、頭を撫でた。

ランが 落ち着くように。


こんな状態のランを放浪者ランディアと突き放して呼ぶことは出来ない――――


「起きなさい、ラン」


イシルは愛情を込めて名前を呼ぶ。

ランがうっすらと目を開け、イシルを見た。


イシルを助けた勇者ギルサリオと同じ瞳――――


その瞳があまりにも純粋で、イシルは戸惑いながらランに笑いかける。


ランはイシルを見て 不思議そうな、懐かしそうな顔をした。


「サクラさんも、起きてください」


「ん、、イシルさん、用事は終わったんですか?」


「ええ、二人ともお腹空いたでしょう、何か食べましょう」


イシルは、サクラを伴って歩きだす。

後ろではランがまだぼんやりと座っていた。

イシルは振り返り いつまでも座っているランに呼び掛ける。


おいてけぼりをくらった子供のように ぽつんと座っているランに向かって、もう一度――――


「何してるんですか、行きますよ





◇◆◇◆◇





イシルがランのことを『ランディア』ではなく『ラン』と呼んでいる……


「……サクラさん、なにニヤニヤしてるんですか」


「いえ、なんでもないですよ~」


「……」


ここで突っ込んではいけない。

イシルとランはツンデレ同士。

いや、むしろツンツンだった。

イシルが折角ランの名前を呼びはじめたのに 意識させてしまっては イシルがへそを曲げてしまう。

ローズへの旅の時のように。


サクラはだんまりを決め込む。

それにしても……


ランが名前を呼んでほしそうにソワソワしてる!

かわいいなおい!

イシルはイシルでちょっと気恥ずかしそうだ。

それをお互い表に出さない、まさにツンデレ状態!

くわぁ!まったく!美味しすぎる!

ああ、顔がにやけてしまう、ゴチソウサマデス!!!


サクラがニマニマしていると、イシルが家へ帰る魔方陣の手前で止まった。


魔方陣の部屋の手前に もう1つ部屋があり、サクラとランを中に入るよう促す。


「アスが用意した サクラさんの仕事部屋だそうです」


「私の部屋?」


部屋の中は近代風ではなかった。

豪華なシャンデリアにゴテゴテの飾り細工の入ったドレッサー、猫足ピンクのソファーセットに、レースのカーテン天蓋付きベッド。

そして部屋の中は薔薇の花であふれている。

中世ヨーロッパアンティーク、お姫様の世界へようこそ!

なんて、メルヘンチックな部屋なんだ!!


「バス、トイレ、クローゼットからタンスの中、ベッドの下、天井裏からカーテンの裏、額縁の裏まで一通りチェックはしました。結界も張りましたから、ここならアスから干渉を受けることもありません」


「ありがとうございます」


娘の部屋チェックですかお父さん、随分な念の入れようですね!


「天気がいいですから 外で食べましょうか」


イシルはバルコニーへの扉をあける。

そこには白い丸テーブルに四脚の椅子が備えてあった。


席に着くと マルクスとクラシックなメイド服を着た悪魔達が料理を運んできて テーブルに並べる。


出てきたのは 魚料理だった。


「あの水槽の魚は選んで 好きに料理して食べることが出来るんです」


あれは生け簀か!?


ランがハッと顔をあげる。


が食べたかったんですよね、ラン」


真ん中に鯛がどーんと豪快に丸ごと一匹。

トマトに貝類、オリーブ、ケッパーが一緒に煮込まれている。

アクアパッツァだ。


「なんでイシルがこれを知って……」


「ギルロスから聞きました」


「ギルが……」


マルクスがアクアパッツァを皿にとりわけサーブする。


アクアパッツァは 基本水、魚、オリーブオイルで作るシンプルな料理。

もともとは豪快な漁師の賄いで、寒い船上で暖かなスープを味わうのだ。


白身魚をまるごと鍋に入れ、オリーブオイルで皮をパリッと焼くと、水、トマト、貝類、オリーブ、にんにく、ハーブ、ケッパーなどの具材を入れ、蒸し煮にするだけ。


水とオリーブオイルだけなに、魚介の旨味とトマトの酸味が蒸し汁に溶け込み、自然と美味しくしてくれる。

アレンジとして白ワインやハーブなど加えることが多い。

魚は切り身でも美味しく簡単に作れる。


ランが今日、サクラとイシルをここに連れてきたがったのは、二人に言えば どちらかはこれを作れるかもしれないと思ったからだった。


ランはアクアパッツァを口にする。


の味がする。

マリアンヌが海の中を見せてくれた日の――――


マリアンヌは海辺で、ランのために海水でこれを作った。

初めて 母の手料理を食べた。

それは少ししょっばかったが、海の味がした。


ランは無言で食べる。

サクラもイシルも 静かに味わった。


「ぐすっ、……しょっぱい」


時折、ランの 鼻をすする音が聞こえたが、聞かなかったふりをする。


食べ終わると、ランは先に席を立ち、「ギルに会ってくる」と、ドワーフの村に行ってしまった。


行きがけにランが振り向く。


「サンキュー、イシル」





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